第69話『後日談、その二』
それから数分後。
「すぅ……すぅ……」
エルシェは静かな寝息を立てて、俺の上に突っ伏したまま眠っていた。
おおよそ五分以上にわたってベッド越しに騒がしい激闘を繰り広げた後。
その後エルシェは、まるで糸が切れたようにその場で寝てしまった。
きっとこの四日間ほとんど寝ていないのだろう。それは彼女の安らかな寝顔にうっすらと見える目の下の隈から容易に想像ができた。
「……本当に、心配かけてばっかりだよな、お前には」
あの日からずっと、俺は彼女に助けられた恩を返そうとしているつもりが、恩はむしろ積み重なっていくばかりだ。
エルシェを助けたくて、恩を返したくて。けれどもそれは、どんどん真逆の方向に行ってしまう。
「……ごめんな」
そんな言葉とともに、眠る彼女の頭を撫でる。二つ結びになった青髪がさらりと揺れ、手には柔らかい感触が伝わってきた。
そうしてしばし、彼女を撫でていると。
「ん?」
不意に俺は尿意を感じる。どうやら最後の排泄からかなり時間が経っているようで、気がつけば膀胱はだいぶ声高に危機を訴えてきていた。
「っと、トイレ」
たしかトイレは、この部屋を出て少し進んだ先にあったはずだ。そこまで遠くはない。
よし、リハビリを兼ねて行ってみるか。
俺は寝ているエルシェを起こさないよう細心の注意を払いつつ、そっとベッドから降りる。
「よし、特に問題や違和感はなし……っと」
ずっと寝ていたせいでやや足腰がおぼつかないが、それ以外には特に痛みも違和感もなく立つことができた。
一人でトイレまで行くくらい造作もないだろう。再びエルシェを起こさないよう抜き足差し足忍び足でドアの前まで移動し、ガチャリとドアを開けた。
「ふぅ……ひとまず脱出成功だな」
すると、ドアの前にほぼゼロ距離で人が立っていた。
「久しぶりね」
「うわぁぁぁぁぁぁッ!?」
俺はもろにドアの前に立っていた謎の人物と目を合わせてしまい、後ろに仰け反って危うく倒転しそうになる。
だが、幸いにもその人物が俺の腕を掴んでくれたおかげで最悪の事態は免れた。
ん? ……なんだかコレ、前にもあったような?
以前レーヴェで、橋の上で転倒しようになった記憶を思い出しながら改めて前を見ると。
「……レイナ? なんでお前、ドアの前に超至近距離で立って……」
そこに立っていたのは、黒いコートに黒い手袋を付けた、全身黒尽くめの黒髪の少女。
かつてのルームメイト、レイナその人だった。
レイナは一瞬驚いたような瞳でこちらを見るものの、すぐにいつもの済まし顔に戻ると、
「……身体の調子はどうなの?」
と問いかけてきた。───そんな、嘘だろ? こいつ今、俺の身体のことを慮ってくれたのか?
あのレイナが? あの、魔獣専門の殺し屋の少女が?
「えっ、ああ……いい感じだよ。もう特に痛みとかもないし、もうちょいしたら完全復活って感じかな」
「そう」
それ以上は何も言わなかった。
「それじゃあ、一週間後には出発するから。そこの騎士さんにも伝えておいて」
「……え?」
なんてことだ、まだ神格化の代償が聴力の不調という形で残っているのかもしれない。
俺はまたもや、レイナの発言を聞き返してしまう。
彼女は今なんと? 一週間後に出発?
「いやいや待ってくれ、俺がお前に同行させてもらうのは次の国───ここセルビオーテまでって話だったよな?」
「ええ、そうね」
「いや、もうセルビオーテにはこうして着いたわけだから……別にもう俺と行動を共にしなくても、いいんだぞ?」
「……」
レイナはそこで一旦腕を組み、顎に手をやって考えるような姿勢を取った。それから数秒間の沈黙が流れると、
「けれど、条件があったでしょう? 私が貴方の同行を許可する条件が」
「ああ、そういえば……」
たしか一つは『互いに余計な詮索はしない』ことだったっけか。そしてもう一つは、
「貴方が横取りした私の獲物一体分、私の『仕事』を手伝うこと。それが条件だったはずよ」
言われてみれば、そんな条件もあったような気がする。
「その条件がまだ果たされてないわ」
「俺がお前のベスタ討伐を手伝う、ってやつか」
「ええ。それに、貴方には貸しがいくつもある。その貸しをまだ何一つ返してもらってないわ」
「……」
それについては仰る通りである。何も言えない。
「だから、貴方が貸しを返すまではこの先の同行を認めてあげる。もちろん騎士さんもね。いい? 出発は一週間後」
「あ、ああ……」
「それじゃ、また」
「あ、ちょっと待ってくれレイナ」
「何よ」
「お前なんで俺の部屋の前に至近距離で立ってたんだ?」
「……」
「……レ、レイナさーん?」
「それじゃ、また」
「聞かなかったことにするな! おいコラ、待て!! 逃げるんじゃない!!」
俺が追及するよりも早く、彼女はシャッとまるで猫のようにその場から消え去る。
その動きは目で追えないほど俊敏で人間のものとは思えなかった。
「……はぁ、なんだかなぁ」
結局俺もあいつも、謎が多すぎるんだよな。
どこから来たのか、どういう人生を歩んできたのか、とか。
どうしてそんな人間離れした力を持っているのか、とか。
一体誰で、何者なのか、とか。
まだ何もわからない。今のところ、わかる見通しも立たない。
まぁ───だからこそ、この旅がもうちょっとだけ続くことになったのは嬉しいことなのだけれど。
★
俺が目を覚ましたのはどうやらお昼時だったらしい。
使用人の人はここまで俺とエルシェの分のご飯を運び込んできてくれたのだが、せっかく目覚めたのだから王宮の食堂で食事しようということになり、あれから少しして起きてきたエルシェとともに俺は少し遅めの昼食をとるべく長いテーブルが並ぶ食堂を訪れていた。
「「いただきまーす」」
うん、美味い。寝起きで物を流し込むと胃が驚いてしまうためか、俺のテーブルには消化の良いメニューがずらっと用意されていた。ありがたい心遣いだ。
「このシチュー、めちゃくちゃ具が煮込まれてるな!」
「こっちのパンも美味しいですよ! 特にこのジャムが絶品で……」
などと、二人で自分の料理を絶賛し合いながらパクパクと食べ進めていると、
「───ご機嫌よう、アオイ様」
「わ、ア、アオイ様……っ!?」
「ソフィア! ラスタ! 久しぶりだな!」
そこに現れたのは美しい金髪のロングヘアが特徴的な高貴な装いの少女、ソフィアと───伸びた赤い髪に琥珀色の瞳、そして分けられた前髪の奥に見える真新しい眼帯が印象的な少女、ラスタだった。
最後に会った時から実際にはそこまでの時間は流れていないのだろうけれど、俺にとっては数ヶ月振りにも思えるような再会だ。
二人は俺の顔を見るなり互いに顔を突き合わせると、ぱぁぁとその表情を明るくする。
「やはりお目覚めになられましたのね、アオイ様。 お元気そうで何よりですわ。 お体の調子は?」
「ああ、まだちょっと違和感は残ってるけど……いい感じだよ。痛みも特に感じないしな」
「よ、よかった……! アオイ様、元気になったんだね……!」
「そういえばラスタも、怪我とか大丈夫か? オズボーン邸で結構激しく戦ってたし」
「あ、あうう……それについては、本当にごめんなさい……怪我は、ないよ。大丈夫。ラスタ、怪我したとしてもすぐに治るから」
「そうなのか!? それは……すごいな。ちょっと羨ましいかも」
「ふふっ」
二人は微笑むと、俺とエルシェの前の席に腰掛ける。
「二人もこれから昼食ですか?」
「ええ。本日は仕事が押していて昼食の時間が遅くなってしまったのですが、お二人とご一緒できるとはむしろ幸運でしたわね。神に感謝しなくては」
(……神、か)
ソフィアの言葉に、俺は半ば忘れかけていた旅の目的を思い出す。
残り三年で滅ぶスフィリア、その世界滅亡を阻止するためにこの世界のどこかにいる《神》とやらを見つけ出し───倒すこと。
相変わらず突拍子もない、スケールの大き過ぎる話だ。
《神》はどこにいるというのか。また《神》をどうやって倒せるというのか。
その答えを見つけるのもまた、この旅の目的なのだが───結局、今回もめぼしい収穫はナシか。
シロの言っている三年間というタイムリミットが本当ならもっと焦るべきなんだろうが……正直、未だに俺はあいつが言っていることを信用しきれていない。
まぁ、今はそれよりも。
「あれ、そういやハリス・オズボーン卿……だっけ。ルフトヴァールでの襲撃を企てたあの貴族ってあれからどうなったんだ」
「彼は今、エンブリア塔の地下に幽閉されていますわ。知っていること、企てたことは全て吐かせるつもりです。その後は……ゆっくり罪を償ってもらいましょうか」
そこでソフィアはふっと笑みを浮かべる。それがどういう意味合いを持った笑みなのかは聞かないでおくことにした。
「ハーツメルトは今回の件で正式な謝罪を行いました。ですが、彼が裏で扇動や支援を行っていたとはいえ……これで『独立派』の人々がいなくなったわけではありません。問題はまだ解決したわけではありませんわ。とはいえ、一朝一夕でどうにかできることでもない。私達王家はこれから時間をかけて向き合っていこうと思います。これは連合王国の問題ですから」
紅茶を傾けながら目をつむり、ソフィアは言う。
「そうか……」
答えが存在するわけではない。正義と悪が存在するわけではない。そんな難しい問題なのだろう。
「ああ、王家と言えば、そうですわね。アオイ様に一つ伝え忘れていたことがありましたわ」
「ん? 伝え忘れていたことって」
「つい今しがた、アオイ様が目覚めたという報告を聞いたようで、アオイ様に会いたいという方がこの中央宮殿にいらっしゃいましたの」
「俺に会いたい人……?」
全く心当たりがなく、俺は首を傾げる。誰だ? 言ってしまえば、俺はスフィリアでの知り合いがほとんどいない。ましてや友達なんかもいないし、セルビオーテに来てからは一部の王族関係者くらいとしか交流していないのだ。一体誰が?
「表で待機しているようですから、一度顔を見せてあげてくださいな」
「えっ? だ、誰なんだそれは……? 俺に知り合いなんていないはずだが……」
「ああ、私のお父様ですわ」
「は?」
カチャンと甲高い音が鳴る。それは俺がスプーンを取り落とした音だった。
「ですから、お父様ですわ」
「すーっ……はーっ……よし、息を整えたぞ。すまんソフィア、よく聞こえなかった。もう一度頼めるか?」
「ええ、何度でも構いませんわよ。私のお父様───セルビオーテ連合王国国王アーサー6世が、アオイ様に会いたいとここを訪ねてきていますわ」
「……今?」
「ええ、今さっき到着したようで」
「……マジ?」
「王国の名に誓って、私はつまらない嘘は申し上げませんわ」
「……」
その場にしばらく沈黙が流れ。
「……嘘ぉぉぉぉぉぉ!?」
その後、食器も食事も何もかもすっ飛ばし俺は広くて長い王宮の廊下を通算何度目になるかもわからない全力疾走で駆け抜けることになったのは言うまでもない。
★
「アオイ殿。この度は娘の危機を救ってもらっただけでなく、王国内の犯罪者の拿捕にまで協力していただき───連合王国を代表し感謝申し上げる」
そう深々と頭を下げる、初老の男性───その頭に乗っかった王冠がキラリと煌めき、あわてて両手を振る。
「そ、そんな! あれは俺だけの力じゃないし、というか俺がやったことなんて最後くらいのもので……あ、頭を上げてください!」
「……」
ゆっくりと頭を上げた男はジッと俺を見る。ただ見つめられているだけで、何もやましいことはないのに背中から冷や汗が……これが、国家を治める君主の威厳というやつなのだろうか。
そう、何を隠そう今俺の目の前にいる、この初老の男性───彼こそがソフィアの父親にしてこのセルビオーテ連合王国の国王だった。
俺は今、中央宮殿の庭園で国王と一対一で話していた。
無論、周囲には護衛の兵士がずらりと並んではいるのだが。
国王は髭を触りながら「では」と話を続ける。
「この恩は忘れぬ。これほどの功績を打ち立てた貴殿だ、何か要求があればぜひ聞こう」
「……」
俺は少し考える。これは、思ってもみないチャンスかもしれない。例えばセルビオーテの永住権やらを貰えれば、ここに腰を据えて安定的に暮らすことだってできるかもしれないわけだ。
永住権でなくとも多少旅の資金を援助してもらったり、あるいは便利な移動手段───馬を譲ってもらうようお願いすることだってできる。
まさに降って湧いた幸運、しかし。
「ありがたい申し出ですが……既に王宮で、手厚くもてなしていただいておりますので。今はお気持ちだけ受け取らせてください」
今はそれほど、欲しいものがあるわけではない。
旅はまだ始まったばかりだ。安住の地を見つけるには早い。
エルシェの探している《騎士団》の団長も、神に繋がる手がかりもまだ見つかっていないのだ。
国王はそんな俺の答えを受け、
「ふむ。では何かあればいつでも、連合王国を頼ってくるといい。我々王族にできることには限りがあるが、それでも出来得る限りの力添えを約束しよう」
「あ、ありがとうございます……!!」
そして国王は俺との会話もそこそこに、豪盛な馬車に乗ってすぐにその場を後にした。
やはり国王ともなれば公務で忙しいのだろう。
小さくなっていく国王の馬車を見送りながら、俺は「さて……」と空を見上げる。
出発は一週間先。つまり、時間にはまだ余裕がある。
残り少ないセルビオーテでの日々をどう過ごそうか。
レイナは来ないだろうが、エルシェやラスタを誘って街にでも出てみようか───そんなことを考えていると、ほんの少しだけ頬が緩むのだった。




