第65話『連合王国最終決戦』
「ああッ……あああああッ!!」
神格化した俺を前に───ラスタは吠えた。地の底から響き渡るようなその雄叫びに空気がビリビリと振動し、剥き出しの敵意が牙となって俺に向けられる。
そんな圧倒的なプレッシャーを放つラスタを前にして、俺は全身をゆっくりと駆け巡る熱を実感することで自らが神格を発動させた状態───神格化することに成功したことを実感した。
「やっぱり、狙いはレイナから俺に変わる……ベスタは神格に反応するっていう俺の見立ては、あながち間違いでもないみたいだな」
「ああああッ!!」
思ったとおりだ。やはり俺の神格は、ベスタに何らかの影響を与えるらしい。案の定レイナ以上に敵意を剥き出しにしたラスタを見ながらそのことに感心していると、不意にこちらを睨みつけるラスタの影が───大きく膨らんだ。
否、違う。圧倒的な速度で、接近してきているのだ。
「ッ!!」
次の瞬間には俺の立っていた場所にまるで地割れでも起こったかのような巨大な亀裂が入り、ズシンという轟音とともに屋敷を揺らすような揺れが走る。
すんでのところで回避していなければ、あるいは障壁すら破壊されていたのではないかと思ってしまうほどに重い大剣の一撃が繰り出されたのだ。
「容赦ないなッ……ラスタ!」
「ああ、ああああああ───!!」
だが狼のように吠えるラスタは、俺に語りかける隙など与えない。すぐに地面に深々と突き刺さった大剣を引っこ抜くと、そのままの姿勢で横薙ぐ。咄嗟に身を掲げて回避すると、また次の瞬間には大剣が真上から振り下ろされようとしていた。
「くそッ」
憎悪以外の一切の感情を感じさせない大剣での一撃が凄まじい音を立てて床を破壊し、破れたカーペットや床板の破片が舞って飛び散る。
「避けるのに精一杯だ……!」
「ああ、ああ、あああああッ!!」
右斜上。斬り下げ、斬り上げ、横薙ぎ───それはもはや、切り裂くことを前提とした『剣』の戦い方ではなかった。
ただ振り下ろし、薙ぎ倒し、あらゆるものを力任せに破壊する。
技ではなく、暴力。
煩わしいモノは捨て、ただ破壊衝動の赴くままに暴れまわる。そこにあったのは、純粋なまでに研ぎ澄まされた圧倒的な暴力でしかなかった。
知性を持っていながらも、その内面は暴力性と破壊衝動の塊でしかない。おそらくはそれこそがベスタの本質なのだろう。
「っと、隙がないな」
そんな暴れまわるラスタの猛攻を前に、俺は手に『聖水』───ベスタを一瞬で休眠状態にさせるという、ラスタを救える可能性のある希望を抱え、ひたすらに逃げ回る。
ベスタとの追いかけっ子はこれで二度目だ。相変わらず全く楽しくない。
「願わくば、これが最後の追いかけっ子になってほしいもんだけど……ってうおっ!?」
などと考えながら走り回っていると、次の瞬間またもや真横でラスタの攻撃による爆発が巻き起こる。
この勝負少しでも気を抜けば───大剣の一撃を食らうことになるな。
油断は禁物だ、余所見せず走ろう。
そう思った時、ふと黒い影が俺に並走していることに気づいた。
影は黒いコートを着込み、手には鋭いダガーを持って疾走してきている。
一瞬ラスタが追いついてきたのかとぎょっと驚いた。
が、よく考えれば神格化した俺の速度に付いてこれる人間など、この場には一人を除いて他にいない。影はさらに俺に近づくと、なんと語りかけてきた。
景色が線となって過ぎ去っていく景色の中、空気の音に混じって少女の涼し気な声が聞こえてくる。
「……どういうつもり?」
「レイナか」
「彼女は私の獲物なのだけれど、横取りはいただけないわね」
「俺に考えがあるんだ。ラスタを救えるかもしれない、この状況を解決するかもしれない考えが」
「また何か思いついたの? 貴方たちも往生際が悪いわね。それになぜ彼女は、私と戦っていたにも関わらず突然貴方を狙いはじめて……一体何をしたのかしら?」
「ああ、実は今俺……神格化してるんだよね」
「それはこの状況を見れば一目で察しがつくけれど。貴方が神格化することと、彼女が貴方を狙い始めることの間になんの因果関係があるのよ」
「これは憶測に過ぎないんだが。どうも俺の神格ってヤツは、ベスタの気を刺激する効果があるんじゃないかと思うんだ。ほら、レーヴェでもお前が倒した個体がいただろ? あいつも休眠状態になってたはずなのに、俺が神格化した途端目覚めたんだ。ルフトヴァールでのラスタも同じ。なら」
「ベスタである彼女もまた、貴方の神格に釣られる……と? はぁ……信じ難い話だけど、今実際に起きていることを鑑みると詭弁だと一蹴することもできなそうね」
「そういうこと。だから、ちょっとここは俺に任せてくれないか?」
「貴方が彼女を倒すつもり?」
「違う。いや、多少手荒になる可能性は実際否定できないけど、そういうことじゃない。あくまでも彼女を生かしたまま無力化する、そのための作戦だ」
「……仕方ないわね」
「意外とあっさり引き下がるんだな」
「事は一刻を争う。余計な問答の時間は惜しいでしょう? けど、そうね……ただで貴方の言う通りになるのも癪に触るから……貴方の神格とやらがベスタに与えうる影響については興味深いわ。だから、あとで実験させてもらってもいい?」
「実験……? な、何をするんだ?」
「そんなに身構えなくても大したことじゃないわ。せっかくだし、その神格の使い方についても多少は制御のための特訓や実験も面倒見てあげる。それでいい? いいわね、さよなら」
「は? お、おいレイナ!?」
一方的に要求を叩きつけると会話を強制的に終わらせ、サッとその場から離脱するレイナ。
おいおい、どういうことだ? とりあえずラスタのことは俺に任せてくれるらしいけど、これ大丈夫かよ……。
「っと、危ない」
「ああ、ああああッ!!!!」
「後のことは一旦置いておくとして、だ。まずこっちをどうにかしないとな……」
だけど。
「隙が……ない……!」
立ち止まり、振り向いた瞬間。
その一瞬で目のほんの数十センチ先を通過し、前髪の一部をかっさらっていくラスタの大剣。
まるで嵐のように激しい剣戟が吹き荒れ、俺はそんな暴力の旋風を前に、ギリギリでひたすらに避けることしかできなかった。
まずいな。
正直、あれほどの巨大な大剣をぶんぶんと振り回すのだから、攻撃後のラスタはきっと隙だらけだろうと踏んでいたが───常々、自分の浅い思考にはため息が出るばかりだ。
俺は、彼女の強さを見誤っていた。
剣を振り下ろした後の動作にまるで隙が見当たらない。先程彼女の剣戟を技ではなく暴力であると形容したが、訂正しよう。正しくは同程度の技を伴った、圧倒的な暴力だ。
「ちッ、だったら!!」
隙がないというのなら、作るしかない。
俺は逃げるのをやめる。そして、大剣を振り下ろしたラスタの懐に一瞬にして飛び込み、手にしたメイスを振りかぶる。
「あああああッ!!」
だが、ラスタは瞬時に大剣から片手を放すと───空いた手を握りしめ、拳を作って俺に殴りかかろうとする。拳が大気を裂き、殺人級の威力を伴ったラスタのパンチが俺へと到達するが、
「障壁……ッ!!」
「ああッ!?」
俺と拳の間に突如として出現した不可視の障壁に阻まれ、ラスタの拳が大きく後方へと弾き返された。何が起きたのかわからずラスタはひるむ。
「今だッ───!!」
あえてラスタの攻撃を俺に当てさせ、障壁を利用して隙を作る。
こうして一瞬だけ作ることのできた隙。このチャンスを無駄にするわけにはいかない!
取り出した瓶のコルクを掴み、力を入れる。あと少し。あともう少しだ!
グッと力を込めると、回転しながらコルクは抜けようとして───だが、
「あ、あああああッ!!」
「ラスタ!?」
本能的に危険を察知したのか、突如ラスタは崩れた体勢のまま大剣を捨てて後方に大きく跳躍する。
「クソ、失敗かよ!」
「あああああッ!!」
そうして二秒後には、素手で俺に殴りかかるラスタ。大剣以上に隙のない濃密な乱打が前方から降り注ぎ、再び俺は避けることしかできなくなってしまう。
(駄目だ、神格化にはおそらく制限時間がある……これ以上の時間はかけられないのに……!!)
「ああああああああああッ!!」
(さっき以上に……隙が見つからない……!!)
駄目だ、このままでは駄目だ。早くラスタの隙を突いて、『聖水』を被せなければならないのに───焦る思いだけではどうにもならず、残酷にただただ時間だけが刻一刻と過ぎていく。
「今……神格化してからどれくらい経った……?」
「ああッ!!」
戦闘中の体感時間など当てにならないものだが、体感では少なくとも四分は経過している。
ユーリエン戦には今だギリギリ届いてこそいないもの、このままではかの戦いを追い越す長期戦になることは目前だった。
だけど、ラスタの動きにはまるで疲労の色が見えない。最初となんら変わらぬ速度で、いやむしろ速度を増して拳を振り抜いている。
「このままじゃまずい、何か策を……ッ!?」
その途端、右腕にズキリと痛みが走る。
「うっ、ああッ!?」
突然の痛みに顔をしかめる。が、右腕だけでは終わらない。終わっては、くれなかった。
右足。それから、左腕。胸、腹、左足───これまでとは違う感覚で、じわじわと痛みが広がりつつあった。
(なんだ、コレ……!?)
状況からして神格の代償であることは間違いないのだろうが、しかし、これまで経験してきた神格化の後に襲い来る鋭い激痛とは異なる。
もっとゆっくりと長い時間をかけて全身を這い回り、最後に心臓に到達する───毒のような。
経験したことのない痛みに恐怖と不安が心中をよぎる。
肉体的にも精神的にも痛みが走りはじめていた。
(まさか……コレが神格化の時間制限か!?)
長い時間をかけて戦えば戦うほど、ちょっとした痛みが広がっていき、やがてそれらが耐え難い激痛となる。それが神格の、発動中の代償、なのか?
「さて、いよいよ本格的にヤバいな……っと!」
「あああああああああッ!!!!」
憎悪のこもった叫び声をあげ、ラスタの拳が俺へと迫る。それは先程までの拳よりもずっと鋭い一撃で───俺の頬を掠った。
「……え?」
今、何が起こった?
神格化はまだ続いている、それは間違いない。現にもし神格化が切れていれば俺はラスタの攻撃を回避できずとっくに死んでいるだろうし、それに昂ぶったこの身体に宿る熱は、神格化しているときに俺が感じているそれだ。
だから、神格化は切れていない。そのはずなのに───、
「ラスタの拳が、俺の頬を……掠った?」
ほんの少し触れただけだ、幸いにしてダメージはほとんどない。強いて言えば掠られた箇所が摩擦熱で熱くやや痛むが、戦闘続行に問題はない。
だが、ラスタの拳は確かに届いた。そのことが意味するのはつまり、神格化している最中は俺が常に纏っているはずの不可視の鎧───障壁が、発動しなかったということ。
(まさか……障壁は、神格化より早く時間制限で消える!?)
それに心なしか、ラスタの拳の勢いも先程から加速度的に上がっているような気が───いや、違う。これは、まさか……。
「時間が経過する中で、神格の力も弱りつつある……のか……?」
ラスタが強くなっているのではなく、俺が弱くなっている。
最初はわりと余裕で躱せていたはずの乱打が、どんどん速くなっていき、あちこちを掠るようになる。
これは───積み、かもしれない。
「───!! ───!!」
ふと、どこか遠くから誰かの声がする。これはエルシェの声だろうか? どうやら必死に何かを叫んでいるようだが、脳の処理がそれに追いつかない。何を言っているのかまるでわからず、そうしているうちにもラスタの攻撃が勢いを増していき、避けられなくなっていく。
(ああ……本当にまずいな……コレは……死ぬ、かも)
次第に、思考も硬直していく。何も考えられなくなっていく。
ラスタは戦いの最中、俺の動きがどんどんと鈍くなっていることに気づいた様子で───ぐっと力を込めて、真顔で拳を振りかぶった。
きっとこの一撃で俺を殺し、勝負を終わらせるつもりなんだろう。
コレは避けられない、もろに喰らってしまう。
終わり、だ。
何もできない俺を前にラスタは少し距離を取り、助走とともに確実に決着を付ける凄まじい拳を繰り出そうと───した、その瞬間。
「ラスタ!!」
俺と彼女の間に、割り込む影があった。
長いロングヘア。その美しい金髪が風にたなびき───従者の、否、友人の前に少女は立ちふさがる。
少女の名は───ソフィア・アリス・セルビオーテ。
彼女はラスタの主であり、友人だった。




