第60話『漆黒の復讐者』
「わかりませんか? ベスタの上位種───セラフィム。その一体として、ですよ」
クラウスと名乗った男は口元に笑みを浮かべ、そう言った。
「上位種……セラフィム……!」
先程レイナが言っていた、ベスタの上位種。あくまで噂話に過ぎなかったらしいが、人間と同様の知性を持ち、まるで人間のような姿を持つという、ベスタの中でも最上位に位置する存在───それをこの男は、セラフィムと呼んだ。
「おい、上位種って……いや、それ以前の話だ。ラスタがベスタってのは、一体どういうことなんだ!? あんたは何を知って……あんた、何者なんだ」
「ふふ、そうがっつかないで下さい。落ち着いてお話しましょう。私が何者か、ということについては残念ながら、この場では明らかにできません。心苦しいですが、こちらにもこちらの事情がありまして」
「じゃあ、ラスタがベスタってのは……!」
「それは勿論、ご覧の通りですよ? 彼女を見てください。あの耳、あの目、あの息遣い、あの身体能力。どこからどう見ても人間ではありませんね。クティノ人でもありません。いくら獣の特徴を身体に持つクティノ人も変身することはできませんから」
「だからと言って、ラスタがベスタだっていう証拠なんてないだろ!」
「そうですね。それは勿論その通り。彼女がベスタ上位種───セラフィムであることをここで証明することは難しいです。ですが……彼女と戦っているあのお嬢さんは、既に気づいていらっしゃるのではありませんか?」
「っ……!」
クラウスが指を差す先では、依然縦横無尽に戦闘を繰り広げるラスタとレイナの姿があった。
レイナは自らの武器である鞭の先に、今はあの黒いダガーを装着している。つまりは───対ベスタ装備。彼女が本気でラスタを討伐しようとしていることの現れだった。
「この調子で戦い続けてください、『赤の従者』。そしてあなたは、完全にセラフィムとして目覚めるのです」
「───」
セラフィムとして完全に目覚める。そう、今男は言った。ということは、逆説的に言えばラスタはまだ覚醒しきっていない───救う余地が、まだあるということ。
可能性は残されている。
「おい! ラスタ! 聞こえるか!? ラスタ! ラスタ!」
「無駄ですよ。彼女の大半はすでに私の制御下にあります。たとえどれだけ賢明に声をかけ続けようとも、彼女が戻ることはありません」
「うう……ッ!」
必死に呼びかけるもラスタは変わらず、レイナに向けて大剣を振り回している。
その目は血走っており、完全に正気を失っているように見えた。
「まだ、なにかきっと手はあるはずなんだ……! ラスタを元に戻す手が……!」
───どうする? どれだけ考えても、この状況を打開するための策が思い浮かばない。
俺とエルシェとレイナ、この三人で目的を達成するためになにかできることは。
「ああ……ああああああッ!!」
そんな俺の思考をまるで一蹴するようにラスタは一際大きく吠えると、再び眼前に構えるレイナに向けて走り出す。地面を恐ろしい強さで蹴り飛ばし、身の丈ほどもある巨大な剣をレイナに振りかぶり───だが、その時。
割り込んできた鋭い声が、その場の空気を揺さぶった。
「ラスタ!!」
「……あ?」
「い、今の声は、まさか……!」
一瞬その場にいた全員が行動をやめ、声のした方向に視線を向ける。
声は、道の向こう側───オズボーン邸とは真反対の方向。つまりは、俺たちがやって来た方向から発せられたものだった。
その道の奥から、走って現れたのは。
「ラスタ、あなたこんなところで、何をしているの……!?」
ソフィア・アリス・セルビオーテ。セルビオーテ連合王国の第四王女にして、ラスタの主にして、友人。彼女は陽の光に煌めく金髪のロングヘアを崩し、ドレスの裾を泥と砂に汚した姿でそこに立っていた。
「ソ、フィ……さま?」
そんな彼女を見たラスタはぴたりと動きを止め、驚いた表情でソフィアから視線を外さない。
「ソフィア!? 近衛兵はどこに……まさか、一人でここまで来たのか!?」
「ええ、不意にラスタの声が、ここから聞こえた気がして……近衛兵を振り切って、一人で走ってきましたわ」
「……」
クラウスは目を細め、無言でソフィアとラスタを眺める。
見れば、ラスタにはとある変化が訪れていた。
「え……? わ、たし、何、を……して」
ラスタは大剣を取り落とし、突然自分の両手を見てわなわなと震え始めた。戦闘は中断されており、レイナは何も言わずにラスタを見ている。
「ラスタ! よかった、意識が戻ったのか!」
「アオイ……様に、ソフィ様……? ラスタ、ここで何を……ううッ!?」
いきなりしゃがみ込み、頭を押さえてうずくまるラスタ。
「ラスタ!?」
その仕草に、ソフィアがとっさに駆け寄ろうとする。だがレイナが手でそれを静した。
「い、嫌……ッ、ラスタは、何を……」
地面を眺め、ガタガタと震えだす。
「ラスタ!? ラスタ、大丈夫なの!?」
「───ふむ。思いのほか精神の抵抗力が強いようですね」
だが、そこに突如近づいていったのは───灰色の髪に紳士服を着込んだ男、クラウスだった。
「あなた、な、何を……!?」
クラウスはうずくまって錯乱するラスタの元へと辿り着くと、彼女の前にしゃがみこんで目線の高さを合わせる。まるで泣いている幼いこどもを、あやすかのように。
そして、
「ラ、ラスタは……やだ、嫌ぁっ……!」
「よしよし、もう大丈夫ですよ」
と、懐から───棒を取り出した。黒い鉱石かなにかを、削り出したかのような歪な形をした短い棒。それは一見すると指揮棒のようにも見えた。
「これで楽になりますからね。もう怯える必要も、拒む必要もない───ただ、受け入れるだけでいい」
クラウスは棒を、ラスタの目の前に差し出す。すると───棒は、怪しい光を放って発光し始めた。
「なんですか、あの棒……!」
「わからない。わからないけど───良くないもののような気がする」
「あ……?」
おもむろに顔を上げたラスタが、発酵する棒を視界に入れたその途端。
「ああ、ああああああ……ッ!!」
「ラスタ!!」
「ああああああッ!!」
ラスタは再び頭を掻きむしり、激しく悶える。そして足元に落ちていた大剣を掴み、その場で乱雑に周囲を薙ぐと───「おっと、危ない」
その大剣を捨て、オズボーン邸のほうへと跳躍。
まるで猫の如く俊敏なハイジャンプを決め、あっという間にその場から離脱してしまった。
「ラスタ!」
「おや、逃げてしまいましたね。それでは皆さん、私達は一時失礼いたします」
そう言うや否やオズボーン卿とともに、邸宅の方角へと消えていくクラウス。
「待てッ」と追いかけるも、気づけば彼らの姿は消えていた。
「少年、ソフィアさん、追いかけましょう! あの二人もきっとオズボーン邸にいるはずです!」
「ああ!」
「ええ!」
さっと身を翻したエルシェに続き、俺とソフィアも彼女とともにラスタを追いかけるべく走り出そうとする。だが、そこでふとソフィアが立ち止まった。
「あ、でもちょっと待ってください。このままラスタを追いかけても、どうやって彼女を正気に戻すか───その手立てがなければ、また追いついたところで戦闘に発展するだけです。それに、先程の男たち……紳士服を着ていた若い男性と、小太りの中年男性……あれはオズボーン卿でしょうか? 彼らのことについても、一旦互いの情報を共有しましょう」
こうして俺たちは話し合い、互いの持っている情報を共有して整理した。
閑話休題。
「なるほど……やはりあの男が、ハリス・オズボーン卿ですか。となると、彼の背後にいる人物……クラウス・クラインロ―トと名乗った彼が、オズボーン卿が度々接触していた『外部勢力』と見て間違いないでしょう」
「オズボーン卿はまだ目的もおおよそ察しが付くが、あの男は何を考えてるのかわからない。不気味だな……」
「おそらくオズボーン卿にベスタを提供した、ベスタの情報を与えたのを彼でしょう。一体何者なのか───と、それよりも今はラスタをどう元に戻すか。それが最優先の問題ですわね」
「ああ。なんとかしてラスタを止めなきゃならない。だけど、一体どうしたら……」
「───彼女を止める手立てなんてない。私は、彼女を殺すべきだと思う」
そこで今まで黙っていたレイナが、剣呑な物言いで発言した。
「レイナ……お前」
「貴方たちも見たでしょう? 彼女はベスタよ。なら、ベスタを止めるには殺すしかない。このまま行けば彼女が戦うことになるのは、後ろにいるという近衛兵達になるかもしれない。……見知った顔を殺す、だなんて残酷なことを彼女にさせるべきではないわ。ベスタを殺すこと。それは世界のためであり、全ての生命のためよ」
「……」
レイナの全く躊躇しない発言に、ソフィアは何も言わない。ただ黙って俯くばかりだ。
「いや、それにしたってそれは極論だろう。だって、ラスタだぞ? ずっと今まで、このソフィアと暮らしてきたんだぞ? それがいきなりベスタになって、おかしくなったんだ。きっと原因が……」
「あるというのなら、今すぐに説明して。もう時間はないわ。もしあのクラウスという男の言う通りに彼女がセラフィムとして覚醒するのなら、悠長に構えている時間はない。彼女が人を殺めてしまうまえに、殺してあげるべきよ。それに───」
そこでレイナは俺を見る。鮮血のように赤い瞳が、一切の容赦なく俺を射抜く。
彼女は今まで、何を見てきたというのだろうか。その冷たい瞳には今、何が写っているというのだろうか。
「───全てのベスタは殺す。それが私の仕事で、主義」
それは、強い意志表示だった。たとえ誰に何を言われようとも、決して曲げることのない───信念。一朝一夕で変わることのない、彼女の根底に触れるもの。
「レイナ……お前は、どうしてそこまでベスタを憎んでいるんだ……?」
絞り出した俺の声はいつの間にか震えていた。なぜ、彼女はそれほどに。
レイナはじっと俺を見つめたまま、無表情のまま、口を開く。
そして、言った。普段であれば決して明かさない、彼女の本音。
それはとてつもなく深い場所にある、レイナという人間を構成する一部。
「それが、私の生きる意味。私の人生。私の───復讐だから」
連邦全土を駆け巡り、ベスタを狩り尽くす魔獣専門の殺し屋。
そんな彼女の動力源となっている感情は、きっと。




