第53話『囚われの従者』
翌朝。あれから東王宮のみならず、付近の街まで捜索範囲を拡大してのラスタ捜索は続いた。
当然のことながら、俺とエルシェを含む王宮中のありとあらゆる人間を総動員してまで行われた大捜索であったが───そのような行動も虚しく、日が昇るまでついぞ赤髪の従者が見つかることはなかった。
「ラスタ……っ一体、どこに……!」
優雅な自らの衣装の端々を泥や埃で汚したソフィアが悔しそうな表情で歯を噛みしめている。ハーツメルトの王宮に滞在中の連合王国第四王女、その従者が忽然と姿を消したとなっては、否が応でもルフトヴァールでの事件との関連性を考えざるを得ない。
そのため東王宮には、昨日とは比べ物にならないほどに物々しいピリついた雰囲気が漂っていた。
「はぁ、はぁ……街中も探し回りましたが……どこにもいませんでした」
同じく暗い面持ちで、俺の横でぜーはーぜーはー息を切らしているのは、青い髪の騎士を名乗る少女、エルシェだ。
エルシェは主に王宮外のエリアでの捜索を担当し、異国の地で一晩中あちこちを走り回っていたらしく、その表情には明らかな疲労と焦りの色が見て取れる。
いくら普段は元気いっぱいなエルシェといえども、全く知らない土地を、人を探して駆け巡っていたのだ。疲れていて当然だ。
ちなみに俺はといえば東王宮の東側に位置するエリアの捜索を担当し、他のソフィアの従者や東王宮で働く人達と一緒にトイレやら巨大な衣装室やらを隅から隅へと調べ回っていたのだが、こちらも残念ながら成果はゼロだった。
「そう、ですか」
ソフィアはエルシェの報告に一瞬俯くも、すぐに顔を上げると、毅然とした態度を取る。
「わかりました。エルシェ様は一度お休みになってくださいまし。私は引き続き捜索の指揮を取りますので」
ソフィアはそうエルシェに休憩を促すも、エルシェはぶんぶんと首を横に振り、その進言を拒否する。そして、明るく笑みを浮かべると自らの胸を叩いてみせた。
「大丈夫です。私はスフィリアの誇り高き騎士ですから、この程度へっちゃらです」
「で、ですが……いえ、ありがとうございます。このご恩は、いずれ必ずお返しいたしますわ」
食い下がろうとしたソフィアだったが、エルシェの表情を見て何かを感じ取ったのだろう。深く頭を下げると、周囲の兵士に引き続き指示を出し始めた。
俺もまだまだ体力的に行けそうだし、次は街に出て探してみるか。そう街担当の捜索隊に志願しようとソフィアに話しかけようとした途端───突如として執事らしき一人の男性が部屋に飛び込んできた。
「ソフィア様! ここ東王宮から数キロほど離れた湖の湖畔に、ラスタ殿のものと思わしき足跡が見つかりました!」
「……っ! すぐに現場へ!」
「はッ!」
ソフィアの指示に並んだ男たちが敬礼し、すぐに動きだす。なんだ、手がかりが見つかったのか!? 俺とエルシェは顔を見合わせ、互いに頷く。
「少年、私達も行きましょう!」
「ああ!」
【ハーツメルト某所:暗い部屋】
一体、どれくらいの間眠っていたのだろう。朦朧とした意識が徐々にはっきりとなっていく中、ラスタは自分が深い眠りから目覚めたような気がしていた。
「……ここは、どこ……?」
寝ぼけ眼に首を動かし、周囲の様子を探る。薄暗いが、奥行きのある広い空間だ。
天井にうっすらと見えるのはシャンデリアだろうか。とすれば、ここは屋敷の一室なのかもしれない。
空気は埃っぽく湿気でじめじめとしており、ラスタにとっては不愉快極まりない場所だ。
もっと広い範囲を見渡して空間の全貌を把握したいところだが、部屋が暗いせいでここからではよく見えない。
とりあえず立ち上がろうと両足に力を入れたところで───自分が拘束されていることに気づいた。
「ッ」
「おや、お目覚めですかお嬢さん。昨夜はよく眠れましたか? であれば健康ですね、素晴らしいです」
「あなたは……あの時の……ッ!」
「お久しぶりです……というほど時間が経っているわけではないのですが。まだあれから半日も過ぎていませんからね」
コツ、コツという靴音と同時に部屋の奥の暗闇から現れたのは、灰色の髪が特徴の、中性的な顔立ちの男。紛れもなくあの湖畔で、ラスタに謎の液体をかけた男だった。
いや、よく見てみれば───もう一人いる。もう一人、男の隣に佇む人物が見える。
下卑た笑みを浮かべる、小太りの中年男性だ。
背は低く、並び立つ灰色の髪の男と比べるとその手足は短く太い。ともすればマスコットのような可愛げあるシルエットに見えなくもないが、しかし彼の浮かべている品性と品格に欠けたような笑いが生理的嫌悪を誘発するためその余地はない。
身に付けている上質な服は貴族のソレで、ラスタには一目で彼がセルビオーテの上流階級に属する人間なのだとわかった。
「あなた達……一体、何者? 何の、つもり?」
「そう焦らず、お嬢さん。すぐにわかりますよ」
拘束を解こうと身をよじるが、ジャラジャラと音を立てる重く太い鎖で何重にも手足を縛られていた。さすがのラスタも、ロープであればまだしも、鉄の鎖でこれほど拘束されてしまえば、鎖を引きちぎって逃げることは難しい。
「ふっ、逃げようとしても無駄だ。そうはいかんぞ、『赤の従者』よ」
小太りの男は足掻くラスタの姿を見てくつくつと笑う。脂ぎった下劣な表情に、ラスタの背筋は瞬時にして凍りついた。
だが、少しでも臆したことを悟られてはいけない。相手に対し、精神的な主導権を握らせてはいけない。そう教えられていたラスタは情報収集と時間稼ぎを兼ね、相手と対話することにした。
「ここ……どこかのお屋敷? あなたのその服は、まさか……ハーツメルトの貴族?」
「ああ、そうだとも。お前のような獣でも、私が貴族であることくらいはわかるだろう? 私は器の大きな人間だ。お前が知りたがっているというのなら、お前の問いに答え自己紹介してやることくらいやぶさかではない」
そこで小太りの男は両手を大きく広げると、芝居じみた動きで高らかに名乗る。
「私の名前はハリス・オズボーン。このハーツメルトにおいてオズボーン領を統治する男爵だ」
「……ハリス・オズボーン」
ラスタはその名前を復唱してみる。聞いたことのない名前だ。そもそも、ラスタは政治にはこの上なく疎い。
ハーツメルトどころか自らの住んでいるエンブリアの貴族でさえ、よほどの大物でもない限り知らないだろう。遠く離れた地の辺境を治める小貴族など名を覚える機会すらない。
「知らない名前」
「何だとォ!? 貴様、この私の名を知らないとは……どうやら少々痛めつける必要があるようだな」
「オズボーン卿、落ち着いてください。暴力は私達の本意ではありません」
「チッ……」
ラスタの言葉に過剰なほど反応し、手に持つ鞭を床に打ち付けて一歩近づくハリス。だが隣の灰色の髪をした男に口を挟まれ、しぶしぶといった様子で引き下がった。
「全く、私の計画を台無しにしおってこの獣臭い人間もどきが。お前のせいで私はもうこの国にはいられなくなってしまった! 私はな、この計画のために以前から国内の『独立派』共を焚き付け、陰ながら支援してきたのだ。護衛として送り込んだ部下に第四王女を襲撃させ、飛行船を乗っ取り、第四王女を人質として連合王国からハーツメルトを独立させるというこの計画のためにだ!! わかるか、獣娘!?」
「……!」
獣娘、人間もどきとは一体どういう意味なのか。ラスタには分からなかった。少なくとも汚い言葉、蔑称の類であることは間違いない。しかし、今のラスタによってそれらが持つ意味などどうでもよかった。
「あなたが、ルフトヴァールでの事件の黒幕……!!」
「まぁ、そういうことになるな」
飛行船で起こったソフィア襲撃事件は、ハーツメルト『独立派』の背後にいた貴族の仕業だったのだ。この事を、すぐにソフィアに伝えなければならない。だが今はここから抜け出せそうにない。故にラスタは、さらに会話を続けることにした。
たった今、男───オズボーン卿が迂闊にもベラベラと語った、計画の全貌。
ラスタは政治には疎い。しかし、今のオズボーン卿の計画があまりにも穴だらけの杜撰なものであることくらいは理解できた。
「でも、そんなことをして、仮にハーツメルトを独立させても……ハーツメルトの全国民が、セルビオーテからの離脱を臨む『独立派』なわけじゃない。政府だって、国民だって、あなたにはついてこない」
「フン、それくらいは想定済みだ。たとえ中央政府から独立を勝ち得たとしても、ハーツメルトは大きな混乱に見舞われるだろう。最悪の場合は軍を動員してハーツメルトを再併合しようとするかもしれん。そうなった場合、戦力的にまずハーツメルトは屈することになるだろうな」
「だったらッ」
「だから───私がクーデターを起こし、ハーツメルトの新たな王になるのだ。私兵とこちらのクラウス殿から提供される手はずになっていた戦力で、東王宮と政府を武力制圧する。邪魔な王族も、独立に反対する国民も皆排除してしまえばいい。クーデターを起こして私が全権力を掌握した後はクラウス殿の国から支援を受けつつ、独立戦争に勝利する。戦争で両軍にある程度の犠牲者を出し、国民の厭戦気分が高まれば弱腰な中央政府は独立を承認するだろう」
「……あなた、自分が何を言っているのか、わかってるの?」
そんな計画、もし仮に成功したとしても。
限りなくか細い成功の可能性の糸を、この男が掴み取ってしまったとしても。それまでに、一体どれだけ多くの人間の血が流れるというのか。
そのようなあまりにも血生臭い計画を平然と語るなど、正気の沙汰ではない。
狂っている。そう、ラスタはオズボーン卿を睨みつける。
「ああ、私は至極真っ当だとも。大真面目だ。まぁ……この素晴らしき計画も、ルフトヴァールでの失敗によって全て水の泡に帰したわけだがな。ああ、私の夢が……私のハーツメルトが! なぜ失敗したのだ、私の部下たちは!」
「───とこのように、残念ながらオズボーン卿の企みはあえなく失敗に終わってしまったわけですが」
と、両手で薄い頭を掻きむしるオズボーン卿に代わり、灰色の髪をした男が前に一歩進み出る。オズボーン卿はぎょっとした表情で男を見やるが、どうやら灰色の髪をした男のほうが立場は上らしく、何か言いたげな様子でモゴモゴ口を動かすことしかできていなかった。
「私としては正直、この計画が成功するとは端から思えませんでした。ですから、そちらについてはどうでもいいのです。私は私の目的さえ果たせれば、それで」
「あなたの目的……は、何なの?」
「おお、よくぞ聞いてくださいました。今まさにお話しようと思っていたところですよ、お嬢さん」
そこで男は、スッと指をラスタに向ける。
「私の目的というのはですね、『戦力』の補充及び拡張です。もっとはっきり言ってしまえば、大変強力なベスタの確保。私の言葉の意味、お分かりですか?」
「ベスタ……?」
男の言っていることがまるで理解できず、ラスタは困惑とともに眉をひそめる。だが、次の瞬間───男から発せられた言葉に、彼女の表情は様変わりする。
「強力なベスタの確保、つまりは突然変異したベスタの上位種───あなたのことですよ、お嬢さん」
───今日この日、ラスタは突然自分の真実を知ることになった。
衝撃的で、残酷で、にわかには信じがたい、真実を。




