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アスターテール~今日から半分、神になったらしいですが~  作者: 小鳥遊一
第二章後編《連合王国》セルビオーテ編
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第52話『少女、湖のほとりで』

【ハーツメルト王国:とある湖】


「……はぁ」


水面に映る月明かりを眺めながら、赤い髪の少女は大きなため息をついた。


ハーツメルトの湖は、エンブリアのそれと比べて遥かに広大で、それでいて美しい。

周囲を山岳に囲まれたこの湖には付近の山から溶け出した水がそのまま流れ込んでいるらしく、底をそっと覗き込んでみれば、広大な湖を我が物顔で悠々と泳いでいる小魚たちのシルエットが目視できた。


「……」


他にやることがあるわけでもない少女は、ぼんやりとそのシルエットを目で追う。

こういう時、よくよく伸ばした自分の前髪が邪魔になる。

ただでさえ眼帯を装着しているせいで、片目しか見えない不明瞭な景色がより一層見えづらくなってしまうことにささやかな不満を抱きつつ、しかしこの赤髪を伸ばしているのは他の誰でもない自分自身であることもまた知っている。


少女───ラスタは、護衛も付けずたった一人でこのルオ湖まで来ていた。


護衛を付けなかった理由は主に二つある。一つは、彼女の実力からしてそもそも護衛は必要ないということ。


もう一つは、誰にも言わずここまで黙って出てきてしまったからである。

きっと今頃ハーツメルトの東王宮ではちょっとした騒ぎになっているはずだ。


すぐに戻らないと。

頭ではそうわかっているはずなのに、ラスタは両膝を抱えて座り込んだこの姿勢を崩すことができなかった。


戻りたくなかったのだ。


「……ラスタ、なんでアオイ様にあんなこと言っちゃったんだろう。アオイ様や、ソフィ様は大丈夫だって言ってくれたけど……でも」


ラスタは気にしていた。

つい先日自らの主ソフィア・アリス・セルビオーテと乗った飛行船、ルフトヴァールの中で起こった出来事のすべてを。


『───触らないでッ‼』


どうして。


どうしてあんなことを言ってしまったのか。それから、


「ソフィ様が危ない目にあったのに、ラスタ……何もできなかった。ずっと、アオイ様たちがソフィ様を助けてくれるまで、何も」


両膝を抱える腕にぎゅっと力が入る。

自分は、無力だった。本来この命に変えても守るべき一番大切な主を、最も親しい友人を、自分は何もできないままに危険な目に晒してしまった。

たとえ彼女とアオイが笑って許してくれていても、ラスタは自分自身をいまだ許せずにいた。


あの事件以降、二人をどことなく避けるようになってしまったのはそのせいだ。


「ラスタ、どうしたらいいんだろう」


一人でこうして考え込んでいても、答えは出てこない。そもそもこの問題に答えが存在するのかどうかさえ、ラスタにはわからない。


一人、座り込んで湖を眺める。すると、遠くの空から鳥の声が聞こえてきた。

夜に鳴く、馴染み深い鳥の声だ。その声にハッとなって、ラスタは立ち上がる。


「……そろそろ戻らないと……だよね」


さすがにこれ以上の長居は本格的な騒動に繋がりかねない。

ここから東王宮があるハーツメルトの首都までは森を超えればすぐだ。ラスタの脚ならそうかからない。

一抹の名残惜しさを感じながらもラスタが心の中で湖に別れを告げ、くるりと踵を返したその時。


「おやおやお嬢さん、こんな時間にお一人ですか? 確かにセルビオーテはスフィリアの中では比較的治安の良い国……ではありますが。関心しませんね、心配です」


「ッ!?」


その男は、いつの間にかそこに立っていた。

上等な漆黒の紳士服に身を包んだ、灰色の髪の男。年齢は二十代といったところか。

線の細い整った顔立ちはまるで女性のようで、ラスタが男性だと思ったのはひとえにその声から推測したに過ぎない。


「あなたはッ……誰!?」


そんな、そんなはずはない。

一体、いつからいたというのだ。常人の数倍聴力に優れている自負のあるラスタが背後に立っていた人間に気づかない事態など、普通ではない。


つまり、只者ではない。


「まぁまぁ、そう殺気立たないでください。怖いですね、寿命が縮みます」


男はおどけた様子で肩をすくめてみせるが、ラスタは決して警戒を緩めることはなかった。

いざという時のために───持ってきていた、大剣に手を伸ばす。


「答えて。あなたは、誰」


「私? 私ですか? いえいえそんな、名乗るほどの者では。少しばかり人とは違うお仕事をさせていただいているだけの端役ですよ」


「質問に答えてって……言っているでしょう」


募る苛立ちとともに、大剣の柄を握る手に力を込める。服装からしても、この状況にしても、相手は普通の人間───少なくともセルビオーテの一般市民ではない。


気は抜けない。もしこのままラスタの質問に答えるつもりがなく、話をはぐらかすばかりだというのなら、最悪の場合は。


「わかりました、わかりました。答えますよ。これ以上『赤の従者』の機嫌を損ねて真っ二つにされても仕方ありませんし。私、実はこう見えても戦闘は不得手でして。ああ、見たままですか? そんなことを仰らないでください。これでも一応……」


「───警告は、した。答えるつもりがないのなら、とっちめて吐かせる」


その言葉と同時にラスタは大地を蹴って飛び上がると、鞘に収められた状態のままの大剣を男に向けて振りかぶる。これで彼女は、存外気が短いという一面もあった。


ラスタの大剣は大気を斬りながら男へと迫っていく。


申し訳ない気持ちもあるが、何も言わないというのなら仕方ない。一旦寝ていてもらおう。

男は目を大きく見開く。突然の出来事に驚いている様子だ。ラスタはそれ以上は何も思わず、ただ無心で大剣を振り下ろし───見た。


まもなく大剣が男に到達しようかというその瞬間。ギリギリのタイミングで男が身を反らし───懐から、透明の液体の入った試験管を取り出したところを。


(何……あれ。たしか、どこかで……)


ゆっくり、ゆっくりと時が進むスローモーションの空間。


そこでラスタは目を細め、試験管を注視する。そちらの方に意識を奪われ、彼女は気づけていなかった。


男が一瞬───ふっと、陰惨な笑みを浮かべたことに。


(……ッ!?)


男は信じられないほど素早い手さばきで試験管のコルクを外す。そして───ラスタと彼女の振り下ろした大剣が地面につく直前に、試験管の中に入っていた透明な液体をラスタに向けて、ブチ撒けた。


「な……」


透明な液体が、驚愕の表情を浮かべるラスタに降りかかる。直後、大剣は地面に到達し、轟音とともに砂埃が舞った。空振りだった。


大剣とともに着地したラスタはすぐに周囲を見渡し、男を探す。

男はラスタのすぐ側にいた。であれば話は早い、外したというのならもう一度攻撃するだけだ。そう男に向け、大剣を構え直そうとしたところで───自身の身体に生じた異変を察知する。


眠気。そう、眠気だ。立っていることすら困難にさせるような猛烈な眠気が、突如としてラスタを襲っていた。


「これ……は……一体、ラスタに、何を……!」


ガクンと膝から崩れ落ちる。身体がもはや、言うことを聞かない。


ラスタは必死に意識を保ちつつ、目の前で薄ら笑いを浮かべているキッと男を睨めつける。だがそれも長くは持たない。すぐに手足の力が抜け、倒れ伏す。


(これって……もしかしてあの時ルフトヴァールでかけられた、あの……! まさか、こい……つ……が……)


薄れゆく意識の中で最後にラスタが見たのは、灰色の髪をした男が見せた、不気味な笑みだった。

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