第51話『疑い』
◆セルビオーテ連合王国:ハーツメルト東王宮◆
「───これはこれはソフィア様、斯様な場所までよくぞ参られました。最後にお会いしたのはたしか、三月ほど前のことでしたかな?」
ハーツメルトの東王宮、その最奥部で俺たちを出迎えたのは、白い髭をまるで仙人の如く伸ばした禿頭の老人だった。
顔には深いシワを刻み、眉は目元を軽く覆い隠すほどに伸びている。そんな雰囲気ある出で立ちからこの人は一見賢者か何かかと思ったが、よく見てみればその禿頭の先には王冠を被っているあたり、どうやらこの老人がハーツメルトの国王で間違いないようだった。
「ええ、久しぶりですわ、ハーツメルト。元気してらして?」
「ほっほっほ。ええ、まあ」
片目を閉じてティーカップを傾けるソフィアに対し、老人は髭をいじりながらしわがれた声で愉快そうに笑う。
現在俺たちは東王宮の最奥部に位置する巨大な空間で、長い長方形のテーブルに座らされていた。テーブルの上には案の定、色とりどりのお酒やらフルーツやらが所狭しと並べられているが、誰も口を付ける気配はない。ただ唯一ソフィアだけが、出された紅茶をちびちびと啜っていた。
「して、本日はこの老骨になんの御用で、ソフィア様?」
老人───もとい、ハーツメルト国王はソフィアに「様」と、そう敬称を付けて呼ぶ。どうやらハーツメルト一国を治めるこの国王よりも、連合王国全体を治めるセルビオーテ王家に属するソフィアの方が、立場は上らしい。だからここまでもてなされているのか。
「ふふ、そうですわね。私も貴方も、遠回りで難解で面倒な会話は好みませんわ───王家の人間としては、あまりいい顔はされませんが、率直に本題に入りましょうか。ハーツメルト。貴方、ルフトヴァールでの事件を知らない訳ではないでしょう?」
「ふうむ……やはりその事でしたか」
要件を聞いた老人に答え、かたんと音を立ててティーカップを置いたソフィアが話を切り出す。すると老人は声のトーンを一段階下げ、難しそうな表情で腕を組んだ。
「無論、ルフトヴァールの一件は聞き及んでおります。ソフィア様におかれましては、ご無事で何より」
「気遣いに感謝しますわ、ハーツメルト。ですが……この際煩わしい社交辞令も抜きにしてお話しましょう。そうですわね、単刀直入に言いますわ。───今回の事件、犯人グループはルフトヴァールを占拠し、ここハーツメルトに行き先を変更した上で王国政府に何かしらの要求をしようと目論んでいました。つまりは───」
「……我が国の『独立派』による犯行である、と」
「ふふ、話が早くて助かりますわ」
ソフィアと正面で向かい合う老人は「ううむ……」と唸ると、ため息をついてますます深く腕を組む。それからふときらびやかな天井を見上げると、スッと王冠を外して頭を下げた。
「我が国の犯罪者がこともあろうにソフィア様を危険な目にお合わせしてしまったこと、この国を代表して深くお詫び申し上げます。直ちに、犯人グループは我々の方で捜査を……」
「私が言いたいのは、そういうことではありませんわ。賢い貴方のことです、もう察しはついているのでしょう?」
「───」
深く頭を下げて謝罪を述べる老人だったが、ソフィアがやや固くなった声音でそれを静止する。老人はぴたりと動きを止めると、ゆっくりと顔を上げてソフィアに向き直った。
「はぁ……ええ、勿論ソフィア様の仰りたいことは。要は我々が、今回の事件に関与しているのではと、そういうことでしょう」
「……」
バツの悪そうな顔で、ポリポリと禿頭を掻く老人。彼は「全く、人払いをしておいて正解でしたな」とこぼすと、一度大きく咳払いをした。
現在、この部屋にはソフィアと老人、それから俺とラスタとエルシェ(全員ソフィアの従者ということになっている)の五人のみが同席している。
ソフィアはともかく、素性の知れない俺たちを護衛もなくこの場に同席させることにはじめ老人の側付きたちは難色を示していた。だが、他ならぬ老人の一声によって俺たちの同席は許可された。
つまり、もし仮に部屋の中で何が起こったとしても───たとえばソフィアの命を受けたラスタがいきなり老人に襲いかかったとしても、王宮の人間たちは老人を助けることはできないという状況。
だが、このようなともすれば危険な状況にすることによって、あえて老人は自らの身の潔白を証明しようとしているのかもしれないなと、俺はふと思った。老人はごほんと大きく咳払いを終えると、ソフィアから順に俺たち全員の顔を一人ずつ見渡して続ける。
「……たしかに現状、連合王国とハーツメルトは解決すべき複数の課題や不和・対立を抱えています。それは王国に暮らす誰しもが認めるところです。ですが───」
と、そこで老人は話を区切る。
「当家並び我が国の政府は、ルフトヴァールでの一件に一切の関与をしておりません。日々過激化する『独立派』勢力による国内外の犯罪行為は、ハーツメルト王家からしても到底看過できるものではありません」
そう老人は力強く、ソフィアの目を見て一言一言しっかりと言葉を紡いだ。歳を取ってはいるものの、たしかな威厳と意志のこもった瞳で。ソフィアは無言のまま、口元にはわずかな笑みを浮かべ「そうですか」とティーカップを傾ける。
「では、協力していただけますわね?」
「ハーツメルト王家は、今回のルフトヴァールでの事件捜査に出来得る限りの協力をお約束しましょう。御身を危険に晒した不届きを、必ずや探し出します」
「結構。それでは、詳しいことはまた二人きりでお話しましょう」
こうして、ハーツメルト国王とソフィアの会合は一旦幕を閉じた。
★
その日の夜。
「……暇だな」
すっかり辺りは暗くなり、夜空には明るいお月さまがぼんやりと浮かび始めた頃。俺アオイは一人、東王宮をフラフラと彷徨っていた。
「うん……暇だ」
あまりにもやることがなさすぎて、今口にした台詞をもう一度声に出してみる。
だが、当然のことながらそれでやるべきことがポンと天から降って湧いてくるようなことはない。
むしろ真逆、現実をより鮮明に認識してしまっただけますます退屈になってくるような気がしてくる。
ソフィアとハーツメルト国王との会合が終わってから数時間後。ひとまず捜査の大まかな方向性は決定したらしく、ソフィアは俺たちに「また明日から忙しくなりそうですので、今日のところはお休みになってくださいませ」と解散を命じた。
そしてその結果、手持ち無沙汰となった俺は特に行くアテもその後の予定もなく、ただこうしてやたらとだだっ広い東王宮の館内を散歩していた。
当然せっかくここまで来たのだからハーツメルトの街にぱーっと繰り出してみようとも考えたが、土地勘もないこの国だ。
下手にこの王宮から離れてしまうと迷子になってしまいそうで、やめてしまった。
故に俺は今一人で王宮の散策も兼ねた散歩に興じている。一人で。
「はぁ、ラスタはソフィアの護衛として彼女と常に行動を共にしてるらしいけど……」
一体、エルシェはどこに行ったというのだろう……。会合の後解散してから彼女の姿を見ていないが、正義感の強い彼女のことだ。もしかしたら、《騎士団》の任務だなんだといって独自に動いているのかもしれない。
どこか危ない領域に首を突っ込んで無用なトラブルになってなきゃいいのだが。
そんなことを考えながらとぼとぼ歩いていると───ふと、俺の前方にまるで森のように豊かな緑が存在している空間が広がっていることに気づいた。
俺は突然現れた森のような風景に反射的に仰け反り、素っ頓狂な声を出してしまう。
「うおっ!? も、森!? いや、ここは……中庭、か?」
王宮の中にありながらそこには天井がなく、月光が絶え間なく降り注いでおり、立派な木々が整然と並んで生えていた。
エンブリアの王宮で目にした庭園のような彩り豊かな花々の数々こそ見られないが、しかしそれらは夜という時間帯も手伝って、全体的に神秘的な空間を演出している。
───まさか、ここは中庭だろうか? 王宮の中にこんなちょっとした森を作ってしまうなんて、やはり王族の持つ力というのは恐ろしいな。
だが、月光浴にはちょうど良さそうな場所だ。俺は少しの逡巡の後、ゆっくりと中庭の方にに近づくと適当なベンチに寄りかかって休憩する。
「ふー……」
夜の冷たい風が頬を撫でる感触を心地よく思いつつ、両足を伸ばしてひと息。
ちょうど王宮の中を歩き回って疲れていたところだったから、いい具合に休めるこの中庭を見つけられたのはラッキーだったかもしれない。
このままここで少し休んでから、自分の部屋に戻ろう───そんな悠長なことを考えていた、その時。
「───アオイ様!!」
「ソフィア!?」
廊下側から走ってきたのは、血相を変えたソフィアだった。
彼女は長い長い廊下を、向こうから数秒かけて俺のもとへとたどり着く。「はぁ……はぁ……」と肩を上下させながら、息を切らしていた。
「ど、どうしたんだよソフィア。そんなに慌てて……何かあったのか」
「アオイ様、ラスタが……ラスタが……!」
ひどく取り乱した様子のソフィアに果てしなく嫌な予感を覚えつつも、静かに先を促す。
「……ラスタが?」
この先のことを聞きたい、いや、聞かなければならないという気持ちと、聞きたくないという気持ちが隣り合っていた。ソフィアは、唇をきゅっと噛み締めた表情で告げる。
「……ラスタが、いなくなりましたの」
今宵───事件は、次のステージへと進んだ。




