第50話 『東の王国・ハーツメルトへ』
───ガタン、ガタンと揺れる車内。
道があまり舗装されていないのか、俺が知らないだけでそもそも馬車とは本来こういうものなのか。
真実のほどはさておき、ともかく俺たちは今二対二で互いに向かい合う形で座り、わりと揺れる馬車の中に腰を降ろしていた。
「本来であれば、エンブリアからハーツメルトまでの移動にはスフィリアの旧列強間で運行している連邦横断鉄道を利用するのですが……なにせ、あのような事件が起こった直後ですので今回は馬車での移動となりますわ。まぁ、列車や飛行船と比べてしまえば乗り心地はあまり良くないかもしれませんが……お許しくださいませ」
俺のすぐ目の前に座るソフィアは小さく肩をすくめると、そう言って苦々しく微笑む。だが、俺としては全く問題なかった。
馬車と言えば俺は荷車を馬に引かせるようなお世辞にも立派とは言えないタイプのものを想像していたのだが、この馬車は車輪が付いている一つの部屋を馬が引いている、という感じのものだ。
馬車の内部には外とは隔絶された一つの部屋が広がっていて、二つのソファが並んで配置れている。馬車というか、移動する大きなお部屋……みたいな感じだ。
中の空間は広すぎず上等すぎずな雰囲気で、何だか落ち着く。いわゆる庶民の感覚というやつだろうか。
隣のエルシェは窓に張り付いて何やら外を眺めているが、時折「おお……」だとか「わぁ……」だとか、かすかな歓声を漏らしており、むしろテンションが大いに上がっている様子だ。下手したらルフトヴァールよりも楽しんでいるかもしれない。
「なるほどな、これが馬車か。馬車っていうとこう、馬に台車を引かせてその台車の先に乗る場所がある、馬に引かせる荷車みたいなのをイメージしてたんだが……こんなのもあるんだな。勉強になった」
「たしかにスフィリアでは、アオイ様の仰っているそのタイプの馬車が一般的ですわね。シティ・オブ・エンブリアや他の連邦加盟国の大きな街でも良く見かけます。ですが当家では専用の馬に専用の荷台を引かせておりますのよ」
「へぇ、だからこんなに大きいのか」
さすがにスフィリアでも、このくらいのレベルの馬車が一般に普及しているわけではないらしい。
しかし───窓の外の景色が線となって流れていくのを見るに、結構速いんだな、馬車って。
俺たちの重量もあるだろうにここまで走れるなんて、馬ってすごいんだな……そんな事を思い、馬車を引く馬に陰ながら尊敬の念を向けていると、
「わぁ、馬! 馬ですよ少年、ほら見てください!」
「おっと」
不意に隣に座っているエルシェから、袖をぐいっと引かれる。
「なんだ?」 と見てみれば、彼女が目を奪われているのはこの馬車と並走しているもう一台の馬車……を引いている馬のようだった。ソフィア曰く、並走しているあれらいくつかの馬車には全て衛兵が乗り込んでいるらしい。
ああ、だからこの馬車を取り囲むようにして走っているのか。
そしてエルシェはそんな馬車を引く馬を眺め、窓に張り付いてキラキラ目を輝かせていた。
「あの馬、かっこいいですね……! あ、あの馬も! すごい、脚が細いのに筋肉質です!」
「ん、そんなに馬が珍しいのか? でもたしか馬ならレーヴェにもいたよな」
たしかレーヴェで《騎士団》のお世話になって働いていた頃、レーヴェの中央区である水上都市で何度か馬を見かけた経験がある。さすがにエルシェが馬に見慣れていない、ということは無いように思えるが、
「たしかにレーヴェでも馬は珍しくありませんが……こんなに身体がしっかりしている馬が全力疾走しているところは初めて見ました! かっこいいです……!」
エルシェの答えに俺はなるほど、と納得する。言われてみればレーヴェにも馬はいたが、脚の短いタイプの馬ばかりで、しかも見かけるのはもっぱら荷台を引いている姿ばかりだった。
こんな風に馬が風を切って駆けていくのを見るのは、エルシェも初めてなんだろう。
「にしても意外だけどな。お前が馬にこんだけテンション上がるとは」
「ふふん、何を言っているんですか少年。馬は騎士の大事な大事なパートナー……そう! つまり私の前にも、いずれ純白の毛並みの白馬が現れるということです!!」
バッと窓の外を指差しドヤ顔を浮かべるエルシェ。背後からどーん、という効果音が聞こえてきそうだった。
ああ、そういう事か。
騎士ってことで好きなのね。白馬にこだわる理由はわからないが、ともかくエルシェが馬が好きなことは確実なようだった。
「いつかは私もあんな馬にまたがって連邦を駆けたいものです。少年も、立派な騎士になるなら乗馬技術も勉強しておかないとだめですよ」
「いや、俺は騎士になるつもりはこれっぽっちもないんだが……」
ていうかコレ、前にも言わなかったっけか?
しかしエルシェはもはや俺の言葉など届いて居ない様子で「~♫」と外の景色に夢中だ。……いや、聞こえてないふりをしているのかもしれない。俺が懐疑的な眼差しで奴を眺めていると、前でソフィアの隣に座るラスタが両手を握りエルシェに羨望の目を向けていた。
「エ、エルシェ様すごいね、本当に騎士様なんだね……!」
「と、当然ですラスタ。私はレーヴェ……いえ、連邦全土の平和と秩序を守るそう、誇り高き騎士ですから!」
エルシェは平静を装いラスタに向かってポーズを決めている(一方のラスタはそれにパチパチと拍手を送っている。いい子である)が、俺にはわかる。エルシェの鼻が普段よりも明らかに膨らんでいることが。
きっとエルシェ、普段は「騎士です!」と自称するばかりで他人からそう呼ばれることには慣れていないのだろう。レイナはエルシェのことを「騎士さん」と呼んでいるけれど、あれは察するに愛称みたいなものだし。
同じ《騎士団》に属していたロアさんでさえ、エルシェのことを「騎士」とはあまり呼んでいなかった。だから嬉しいんだろうな。
彼女はすっかり機嫌が良くなった様子で、「そうだ、ラスタも騎士になりませんか? 今なら《騎士団》のメンバーになればなんと木剣が一本タダで……」とラスタ相手に詐欺みたいな勧誘をし始める。
エルシェとラスタが二人で話し始めてしまったので、俺はそんな二人をまるで母親のように微笑ましく見つめているソフィアに「そういえば」と声をかけた。
「そういえばソフィア。今この馬車が向かってる目的地って、セルビオーテ東部の王国……ハーツメルトで間違いないんだよな」
「ええ、そうですわ。今日は雨が振ることも無さそうですし、この調子で行けばあと二時間もすれば着くかと」
「ハーツメルトには事件の手がかりを探しに行くんだよな。たしか……今回の事件にはハーツメルトの『独立派』が関わってる可能性が高いんだったか。ハーツメルトの『独立派』って、そもそもなんなんだ?」
この際だ、俺は気になっていることを思い切って聞いてみることにする。ソフィアは俺の質問に少しだけ頬を固くすると、じっと目を見て真剣な表情になった。
「セルビオーテがエンブリアを中心とした、四つの王国から構成されていることはご存知でしょう?」
「ああ」
確か、東西南北に位置するハーツメルト・メンティス・エンブリア・ロズモントの四つの王国から成る連合王国。それがセルビオーテだったはずだ。
「元々セルビオーテという連合王国はエンブリア王国が中心となって結成されました。当時エンブリアとメンティス、それからロズモントは文化的にも地理的にも距離が近い友好国であり、連合王国の結成にも極めて好意的だったのですが……東の王国ハーツメルトだけは幾度となくエンブリアと争いを繰り広げてきた歴史があり、セルビオーテ結成に至るまで非常に揉めてしまったそうです」
「なるほどな……そういう経緯があって、今でもハーツメルトには連合王国からの離脱を臨む声がある、ってことか」
「簡単に言えばそういうことですわね。まぁ、最終的には国益の利害関係の一致から連合王国に加盟し長い月日が流れ、今ではハーツメルト国内でも『独立派』の国民はかなり少ないです。ただ、だからこそか近年は過激さを増し犯罪行為に走る『独立派』勢力も現れはじめており……政府も手を焼いているのです」
ため息をついたソフィアの表情が、わずかに曇る。
「今回ルフトヴァールを襲った犯人グループは操縦室を占拠し、船の行き先をハーツメルトに変えるよう船長に指示しました。私をハーツメルトに拉致し、交渉材料として王国政府に何らかの要求をするつもりだったようです。彼らの“要求”の内容は定かではありませんが、おそらくハーツメルトの独立を要求する『独立派』勢力に属する者たちであったと思われます」
「それで今ハーツメルトに向かってるわけだな」
「ええ。しかし───私が懸念しているのはこれが国内の『独立派』勢力によるものなのか、あるいはさらに強大な国家権力によるものなのか、ということです」
その時、ソフィアの声のトーンが一層下がる。
「単なる一犯罪組織による犯行であればいいのですが、最悪の可能性は……ハーツメルト政府や王家が、この問題に絡んでいるかもしれないということ」
「お、王家が⁉」
「アオイ様、あまり大声を出されないように」
「ご、ごめん……そ、そんなことがあるのか? だってまさか、王家が連合王国の王女を狙うだなんてこと……」
「無論、最悪の話であってその可能性は限りなく低いですわ。ですが、可能性を完全否定することもできません。───もし仮にそれが事実であった場合、ハーツメルトとその他三国の武力衝突すら起こりかねない」
俺は思わず唾をゴクリと飲み込む。連合王国の構成国間での武力衝突。それはつまり───セルビオーテの内戦に発展するかもしれない、ということ。額に冷や汗が流れる。
だがソフィアは、
「ですから、真偽の程を確かめるためにもこうしてあちらに向かっているわけですわね」
そして話は終わりだ、と言わんばかりにぱちんと指を鳴らし微笑んだのだった。
★
それから二時間後。
「おい、エルシェ起きろ。いつまで寝てんだ、お前」
俺は背もたれに全体重を預けてぐーぐー寝ている青い髪の隣人を揺り起こす。起こされたエルシェは目を見開いてがばっと起き上がると、慌てて辺りを見回した。
「……はっ!? い、いえ寝てなんていません! ただちょっと目を瞑って、うつらうつら夢の世界に向かっていただけです! 寝てませんよ!」
「寝てるじゃねぇか!」
「瞑想ですよ、瞑想! ふわぁ……どうしたんですかいきなり起こして。騎士の睡眠時間は貴重だというのに」
「おい、それもう完全に寝てたって認めてるからな? じゃなくて! 着いたっぽいぞ、ほら降りるぞ」
俺は未だに眠気が抜けきっていない様子のエルシェ(彼女にしては珍しい。昨夜眠れなかったのか?)を連れて、馬車から降りる。
すると、そこには───。
「……こりゃまたデカい宮殿だな。言葉が出てこない」
「……ですね」
───エンブリアの中央宮殿に勝るとも劣らぬ大きさの巨大な白塗りの宮殿が、まるで侵入者を拒む城壁のように圧倒的な存在感を放っていた。




