第49話 『立て続けの訪問者』
「う、うぉぉぉぉぉおっ!?!?」
「わ、わぁぁぁぁぁぁぁあっ!?!?」
───目が合ったその瞬間、俺たちはほぼ同時に大声をあげた。
俺はがばっと起き上がり、目の前を見る。するとそこには俺の顔をベッドの上から覗き込んでいた、赤い髪に眼帯が特徴的な少女───ラスタがこっちの反応に驚いたように仰け反っていた。
「ラ、ラスタ!? どうしてここに……ていうか、いつから居たんだ⁉ 全然気づかなかったぞ!?」
「あ、あのあの、えと、ご、ご、ごめんなさい! ラスタ、いきなりびっくりさせちゃった……よね、アオイ様。い、一応さっきノックはしたんだけど、返事がなくて……でも部屋の中から物音がしたから、確認しようと思って……」
ラスタは慌てた様子で両手をあたふたと動かし、視線を彷徨わせている。どうやらノックをしていたらしい。俺が思考に夢中で気づけていなかったのか?
「そ、そうか……気づけなくてごめん、ラスタ」
「う、ううん、謝らないでアオイ様。これはラスタが悪い、から……大丈夫」
俺が謝るとラスタはぶんぶんと手を振り、下を向く。その表情は普段よりわずかに曇っていた。
俺は立ち話も何なので、とりあえずラスタに座ってもらい、机を挟んで話をすることにした。
出来ればここでお茶の一杯でも出してもてなしたいところだが、生憎俺には茶葉の持ち合わせもお茶の淹れ方もわからない。
王宮にいるうちに今度誰かに教わろうかななどと思いつつ、対面に座るラスタに「それで」と話を切り出した。
「どうしたんだラスタ? わざわざ俺の部屋まで来て」
こうして一対一で向き合ってみると、いつも髪に隠れて見えづらいラスタの顔がよく見える。赤い髪の向こう側でこちらの様子を伺う、弱々しい瞳は俺と目が合うなり「あう……」とそらされてしまう。
が、ラスタは一旦すーはー、すーはーと深呼吸して息を整えると、やがてしっかりと真正面から俺の顔を見据えて話し出した。
「じ、実はね実はね……アオイ様にどうしても伝えたいことがあって、ここに来たの。聞いて、くれるかな」
はて、と俺は首をひねる。ラスタが俺に伝えたいこと? なんだろう。あまり予想が出来ない。俺はひとまず「うん」と頷き、続きを促した。
「ええと……まず、ソフィ様を助けてくれて、あ、ありがとう!」
その途端ラスタは、ブォンとかすかに音が聞こえてくるくらいの勢いで頭を下げた。
───深く深く、そして長いお辞儀だった。その時間がそっくりそのままラスタの気持ちを示しているようで、俺はついなんて言葉を返そうか言い淀んでしまう。
「ラスタ、何も出来なかった。だから、アオイ様達がいなかったら今、ソフィ様もシスタもどうなってたかわからない。ほ、ほんとにほんとにありがとう……カンパニュラ!」
最後の単語の意味はいまいちよくわからなかったが、ともかくラスタはぎゅっと目をつぶって頭を下げた。だが、別に俺はそれほどの感謝を向けられるようなことはしていない。
「俺は対して何もできてないよ。ソフィアの救出に活躍したのはほとんどレイナだ。礼はあいつに言ってやってくれ。まぁ、あんまりここには姿を見せないかもしれないけど」
ルフトヴァールでの戦いで俺がしたことなど、ただ敵の気を引いて視線を誘導したことぐらいだ。
唯一ユーリエンとは『神格』を用いて戦いこそしたが、感謝されるほどの活躍はしていないといっていい。というか、この王宮での生活で十分感謝の意は受け取っている。
「で、でもソフィ様言ってた。アオイ様とレイナ様が一生懸命戦って、敵を退けて自分を助けてくれたって。もうラスタが眠らされてなかったら一緒に戦えた、アオイ様にそんな怪我させずに済んだのに……ラスタが眠らされたせいで、アオイ様が」
申し訳なさそうなラスタの視線は、俺の身体に注がれていた。きっと軽い怪我を負ったことをソフィアから教えられたのだろう。
「あー、こんなの気にしないでくれ。かすり傷だからすぐ治るよ」
俺、これでも一応人間じゃないらしいしな。治癒力とか調べたことないけど、少なくとも人間の標準的な機能はあるはずだ。たぶんすぐに治るだろう。
「それよりも二人、ラスタやソフィアに怪我がなくて良かった。ラスタはたしか頭から変な水みたいなもんかけられたんだっけか。大丈夫だったか?」
ユーリエンと戦ったあのVIPエリアで、水たまりの近くでびしょ濡れになって横たわっていたラスタの姿が思い起こされる。ソフィアは毒性のある薬品をかけられたのではないかと言っていたが、あれは大丈夫だったのだろうか?
「う、うん! ラスタはなんの怪我もないし、体調も変わらずずっといい感じだよ。ただ……」
そこでラスタは話を区切ると、どこか思うところがある様子で顎に手を乗せる。
「ただ?」
「ラスタがかけられたあの水ね、あの後憲兵さんたちが色々調べたみたいなんだけど……特に眠気を誘うような成分はなかったって言われた……んだ。毒性もないし、なんであれでラスタが寝ちゃったのかわからないって」
「眠気を誘う成分はなかった、だと?」
思わず聞き返してしまった。
「そう。えと、アオイ様も記憶喪失だったよね。このスフィリアには色んな目的に使われてる、人を一定時間眠らせるような薬が一応はあるんだけど……その薬の材料に使う植物の成分は、あの液体からは検出されなかった……んだって。でも今のところラスタの肌とかに変化が起きた様子もないし、本当に何の液体なのかは謎……みたい」
「まるで普通の水みたいだな。でも、ラスタが一瞬で意識を失ったのは間違いなくあの液体をかけられたからだよな? うーん、気味が悪いな。本当に大丈夫なのか?」
ソフィアの話では頭から謎の液体をかけられたその瞬間、ラスタは気絶するように倒れてしまったとのことだった。原因がその液体にあるのは間違いないと考えて良さそうだが。
「で、でもでもラスタはこの通り元気だから大丈夫、だよ! 心配しないで、アオイ様……!」
ラスタは両手を握って拳を作り、ぶんぶんと上下に振って健康であることをアピールする。
うーん、確かにラスタは元気そうではあるのだが。
彼女にかけられた謎の液体の正体が果たして何だったのか気になる。しかし、気がつけばラスタは次の話題に移ろうとしていた。
「あ、あとね、実は言いたいことはもう一つあるの……! あのっ、ごめんなさいっ!」
さっきよりも増して深くラスタが頭を下げる。風圧によって真っ赤な髪がふわりと揺れた。
「えっ、なんで謝るんだ?」
だが俺はと言えばこれといって心当たりの見当たらない謝罪に戸惑っていた。なんかあったっけ? もしかして、眠らされていたからユーリエンとの戦いに加われなかったということを謝っているのだろうか。
「あの時、ソフィ様達に起こしてもらった時……ラスタ、アオイ様に酷いこと言った。触らないで、って。なんであんなこと思っちゃったんだろう、言っちゃったんだろうって……あれからずっと思ってた……」
そう言うとラスタは目を伏せ、俯いてしまう。
「……ああ、あの時のことか……」
『───触らないでッ!!』
ラスタらしからぬ鬼気迫る表情と声音とともに、払われた手。
ルフトヴァールでの戦いで意識を取り戻したラスタがなぜ突然あのようなことになったのか、その原因は未だにわかっていない。
ただ状況から、おそらく先程の話題にも挙がった謎の液体が関係しているのだろうとされていた。
「あれもさっき話した液体が関係してるんだろ? 気にしなくていいよ。むしろ、俺がなんかやっちゃったんじゃないかっていまだにちょっと考えてるくらいだ」
俺にはまだまだこの世界───このスフィリアに関する知識と理解がない。
だから、俺の知らない一般常識やルールが存在していたとして、自身が知らず知らずのうちにそれを破って他人を傷つけてしまっていたりしないのか時々怖くなる。
だが、ラスタはあわてて首を何度も横に振って否定した。
「そんな、アオイ様は何も……! ……うん、たしかにあの時のラスタはちょっと変だった。目覚めてからなんだかすごく気持ちが悪くて……自分の近くの何かが、なんだか敵に思えるみたいな、そんな気持ちになってた。おかしかった。でもあの液体からはそんな気持ちにさせる成分もないみたいで、だから謝りたかったの。ごめんなさい……」
ラスタはどうやらかなりあの事を気にしているようだった。なんだか申し訳ない気分だ。
「大丈夫だよ、ラスタ。ラスタがあんな事言うはずがないってソフィアも言ってたし、あの変な水のせいだってちゃんとわかってるから大丈夫だ」
「うん……でも……」
ラスタは下を向いたまま一向に顔を上げようとしなかった。
どうしようか俺が悩んでいると───またもや部屋の扉がコンコンとノックされた。
「失礼。ラスタ? ここにいますの?」
「あ、ソフィ様にエルシェ様……」
「おはようございます、ラスタ」
部屋に姿を表したのは美しい金髪をロングヘアにした少女、ソフィアだった。その傍らにはなぜかエルシェの姿もある。
「お、今日は来客が多いな。二人してどうしたよ」
ラスタのみならず、まさかソフィアとエルシェまでこの部屋に現れようとは。何か切羽詰まった大事な用でもあるのか? ソフィアは交互に俺とラスタの顔を見ると一度頷いてから、
「やはりここにいましたのね。ラスタ、それからアオイ様。外出の準備をしてくださいまし。三十分後には出発しましょう」
「え!? い、今からか!?」
「当然ですわ。時は金なりとも申しますでしょう? どうぞアオイ様も支度を」
「別にいいけど……これまたいきなりだな。外出ってことは、どっか行くのか?」
「ええ、少し遠出になりますわ。エンブリアに到着したばかりのアオイ様方には申し訳ないのですが、少々付き合っていただければと」
そこでソフィアはふっと微笑みを浮かべる。俺は今の彼女の言葉の、『エンブリアに到着したばかり』という部分が気になった。
「───その言い方だと、もしかして目的地はセルビオーテの他の国か?」
「さすがアオイ様、お察しの通りですわ」
俺の言葉にソフィアは目を細めて頷くと、ゆっくりと部屋の壁を指差した。
それから、真っ直ぐな瞳で続ける。
「さぁ、今回の事件の手がかりを探しに向かいましょうか───《連合王国》セルビオーテ東の王国、ハーツメルトへ」




