第40話 『《魔獣殺し》vs《反逆者》』
「言っただろ? ───俺は金さえもらりゃなんでもやる主義だ、ってな」
「……ユーリエン……ッ!」
「ははは! いい顔だな、兄ちゃん───いや、アオイ、だったかな? 奇遇だな」
たった今、俺を軽々と蹴り飛ばした青年───ユーリエンはまるで番人のようにソフィアの前に立ち、相変わらず張り付いたような微笑を浮かべて片手を挙げていた。
それはまるで、親しい友人に話しかけるかのような態度で───だからこそ、違和感しかなかった。
「お前、何を……」
叩きつけられたダメージによって身体のあちこちがジンジンと痛みを主張し始める中、俺は必死に意識を強く保ちながら奴を睨みつける。すると、真っ向から俺の視線を受け止めたユーリエンは肩をすくめておどけてみせた。
「おおっと、待て待て。お前さんの言わんとしていることはわかる。先に当ててやるよ。それはスバリ『お前はこんな所で一体何をしているのか』だ。どうだ? 合ってるだろ。なにかご褒美に景品でもくれてもいいんだぜ? 金とか家とか女とかな」
そう手をひらひらと振り、爽やかな笑みを浮べるユーリエン。
「でもな、アオイ。そりゃ俺の台詞でもあるんだ」
ふっと、ユーリエンから表情が消失した次の瞬間───彼の片目だけが開き、じっと俺を見やる。奥に見える翡翠色の瞳は、先程までとは打って変わってまるで色を失っていた。
「お前はここに何をしに来たんだ? 何故───ここにいる?」
「───ッ」
瞬時、ゾワッと全身の毛が逆立つのを感じる。ベスタを前にした時とはまた異なる、別の『死』を前にしたような感覚。これまで戦ったことのあるベスタとも密輸業者とも賊とも違う、恐怖にも似た感情。
ユーリエン・ユヴァーレンと青年はそうデッキで名乗った。
「俺は……そこのソフィアと、ラスタを助けに来た」
「ふむ、なるほどな。そこの嬢ちゃんを、ね。ラスタってのぁ、どこのどいつだか存じ上げねぇが───ああ、そこに転がってる方の嬢ちゃんか?」
そうユーリエンが指さしたのは部屋の隅の暗がりだった。そこには、後ろ手に加えて両足まで何重にも縛られている状態で赤髪の少女が床に転がされていた。
「ラスタ!」
なぜかソフィアよりもずっと強く拘束されている様子の彼女に声をかけるも、しかし彼女はピクリとも動かない。よく見れば、わずかに胸が上下しているため息はあるようだったが───水かなにかを被せられたかのようにラスタの身体はびっしょりと濡れており、彼女の周囲には謎の液体の水たまりが出来ていた。
「お前ッ、ラスタに何をしたんだ!?」
「あー、やっぱりそこの嬢ちゃんのことだったか。いや、俺もあんまり詳しくは知らねぇぞ? ただそこの嬢ちゃんはちっとばかし腕が立つようなんで、早々に無力化させてもらったわけだ。よくわからん水みたいなもんを後ろからかけてたが……それが何なのかは知らねぇ。俺たちゃ雇われただけの賊だからな。ろくな情報を聞かされちゃいねぇ。酷い話だぜ、泣けてくるぜまったく」
「……ッ、お前はここで何をしてる。何が目的なんだ、ユーリエン・ユヴァーレン」
「げ、やっぱし俺の名前覚えてやがったか……まさかこんなことになるとは思ってなかったってのと、ついテンション上がって名乗っちまったが失敗だったな。……何をしてるも何も、ご覧の通りだ。俺は金か俺の探し求めてる情報さえもらえりゃなんでもやる主義の何でも屋さんなんだよ」
「……傭兵、か」
「ま、結果的に何が一番近いかって聞かれりゃそうなるな。俺に舞い込んでくる仕事は大半が傭兵のお仕事。そして今回の仕事はそこの嬢ちゃんの身柄確保。まぁ、つまりだ。お前らがこれ以上踏み込んでくるってんなら、俺も俺の仕事をしなくちゃならねぇ。そうなる前に出来れば引き返してくれるとこっちも楽なんだが、どうだ? その辺」
「ハッ、思いっきり人を蹴り飛ばしといて今更かよ」
「それについては申し訳ねぇ、悪かった。でも咄嗟だったしな、ちょっと手荒な立場表明とでも思ってくれ」
ちょっと手荒な、か。俺は蹴り飛ばされた腹をさすりながらゆっくりと立ち上がる。
「で、どうすんだ? 俺はただ雇われただけの傭兵だ。別にお前さんに恨みがあるわけでもなし、むしろデッキで知り合っただけ愛着がある。これも何かの縁だ、大人しく元の席に戻ってくれるってんなら手出しは……」
「───引き返してください、アオイ様! 私達は大丈夫です!」
「ソフィア……」
見れば、ソフィアがこちらに向けて必死の形相で叫んでいた。
「彼らの目的は、私です! 理由はわかりませんが……私を人質に、王国政府に何かしらの交渉をしようとしているようです。ですから私達の心配は必要ございません、アオイ様は戻って彼らの指示に従ってください……っ!」
「ほら、あの嬢ちゃんもそう言ってるぜ」
普通、こういう場合は人質が下手なことを口走らないように口を塞ぐものだと思うのが───そんなことには微塵も興味もない様子で、至極どうでもよさそうにソフィアを指指しユーリエンは俺に判断を迫る。
「さぁ、どうする? 一応俺からのアドバイスだが、お前さんは引き返すべきだと思うぜ。さっきの一撃───我ながら随分いいとこに入っちまったが、あの蹴り一発でお前さん、結構効いてるだろ? それに見たとこその身体には筋肉も大して付いてない。戦闘に縁がない、場馴れしてない素人だ。言っちゃ悪いが、俺に勝てるとは思えない。これ以上怪我する前に帰ったほうが誰にとってもいい結果になるぜ」
「俺、は……」
ユーリエンは俺を見下ろし、右手の指をポキ、と鳴らす。彼がやったのはそれだけの動作に過ぎないが、しかしこの場にいた者の全員が察しただろう。これは、警告だと。
「俺は? ん? どうすんだ?」
「俺は……」
逃げるべきか、戦うべきか。二つの選択肢がある。
俺には、力も知恵も何もない。『神格』抜きの、素の戦闘力ではまるでエルシェにも及ばない。
加えて先程の一撃で俺は相応のダメージを負っている。こいつに勝てるとは思えない。『神格』を解放して戦えば戦いにはなるかもしれないが、『神格』には様々なリスクがある。
ここはソフィアとユーリエンの言うように大人しく下がり、成り行きを静観するべきなのかもしれない。
だが、それでも。それでも、俺は。
「───一人じゃない」
「───黙って聞いていれば貴方、随分お喋りなのね」
「ッ!?」
瞬時、驚いた表情のユーリエンが振り向いた途端───。
「雇い主に怒られるわよ?」
「ちッ!」
首元目掛けて拘束で飛来する鞭の一撃を、ギリギリのタイミングでユーリエンは右腕で受け止める。バチンという音が空間に響き、次いでユーリエンが舌打ちする音が聞こえた。
着地と同時に鞭を引き返しユーリエンの目の前に降り立った、黒いコートの少女───レイナは、俺とユーリエンを前後で挟み込むような形でそこに立っていた。
「なんだ? もう一人いやがったのか……それも気配を完璧に消して、このタイミングを……クソ、さては黒い嬢ちゃん、只者じゃねぇな? どこかで名前でも聞いたことあるんじゃねえか?」
「名乗るつもりはない。でも私は貴方のことを知っているわ、少しだけだけどね。私と同じくスフィリアの各地を周り、高い能力を持ちながらもその仕事への姿勢から良くも悪くも名の知れた、ボロボロの衣装の傭兵───《反逆者》ユーリエン・ユヴァーレン」
「へぇ、俺も随分有名になったもんだな。あんまり有名になりすぎると、奴らに嗅ぎつけられて面倒なことになるんだが……ま、悪いことばかりでもねぇか。んで? 嬢ちゃんはそこの兄ちゃんと組んで俺をブッ倒そうってわ───」
ユーリエンが言い終わるよりも早く、しなるレイナの鞭が奴の後頭部に迫る。ユーリエンがそれをギリギリのところで回避すると、レイナは大きく後方へと飛んで距離を取る。
「冗談は顔だけにしてくれる? 組む? 私が、誰と。私はいつも一人よ。貴方をこれから縛り上げるにしても、私一人だけで十分───むしろ、その方が好都合よ」
吐き捨てるようにそう言うと、レイナはユーリエンに向かって走り出す。コートが空気に乗って一陣の黒い風となり───目で追うのもやっとという速度で加速した。
「チッ、速いな。嬢ちゃんますます只者じゃねぇだろ」
「……」
一瞬でユーリエンの側面へと回り込み、レイナは再び鞭を振り回す。彼女の手元を起点として生じる鞭の乱打は嵐の如く荒れ狂う烈風と化し、もはや視認することすら困難な速度でユーリエンを襲う。
「うおおおッ!?」
変則的に襲い来る鞭の乱打。それを回避することは、真っ当な人間には極めて難しい。にも関わらず俺には軌道すら見えない烈風の中、ユーリエンは身を交わし───時には左手に装着している手甲で弾き返していた。あの速度に対抗している。
「やってくれる……じゃねぇか、嬢ちゃん!」
ユーリエンは腕を振るい、鞭の乱打から強引に抜け出すと同時に一瞬で前方のレイナとの距離を詰める。手甲を装着した左手で拳を作ると、彼女に向けて重々しく振りかぶり───。
「レイナ!」
だが、彼女も遅れは取らない。わずかに身を捻ってユーリエンの拳を回避すると、流れるような動作で腰から黒いダガーを抜き放つ。そしてがら空きになったユーリエンの喉元へと容赦なく、
「おっと、こりゃまずい」
しかし刃が到達する寸前で、ユーリエンが右拳を出してナイフの軌道をずらす。
だが完全に回避することはできなかったようで、浅く斬られた右拳からわずかに血が飛ぶ。真っ赤な鮮血が宙に浮かび───しかしその血が地面に着くよりも早く、二人は次の攻防を展開していた。
左手から出血しているにも関わらず、全く傷を気にする素振りを見せないユーリエン。
レーヴェではベスタのみに使用を限定し、対人には決して使ってこなかったあの黒いダガーを抜き、とんでもない身のこなしでユーリエンと戦うレイナ。
現状レイナが優勢には見えるが、まるで次元の違うレベルの攻防が眼前では繰り広げられていた。
何が起こっているのかすら素人目には曖昧にしか測れない、人外の戦い。
レイナとユーリエン、互いに“戦闘”を生業とする者同士でしか到達できない領域がそこには存在していた。
「っ、と」
「……」
気がつけば両者の展開していた激しい攻防は一度落ち着いたらしく、レイナとユーリエンは互いに距離を取ってにらみ合っている。
少し離れた場所でユーリエンは血が垂れた自身の右手を見やり、それから俺の近くにいるレイナを見るとわずかに口角を上げた。
「ふっ……嬢ちゃん強ぇな。それに、その黒い刀身の短剣と鞭……もしや嬢ちゃん、噂に聞く《魔獣殺し》か」
「……どうやら貴方も、噂通りの実力のようね」
彼と相対するレイナは否定も肯定もすることなく、黒いダガーを構え直す。
「見なさい」
「え……?」
突如レイナがユーリエンを指差し、俺に対して奴に注目するよう促してきた。
「彼の右手」
右手? 言われてユーリエンの右手に注目してみるが、特に何もない。ただ先程の傷によって、手の甲からはじくじくと真っ赤な血が痛々しく流れていた。
「負傷してるな」
「よく見て」
「え? それってどういう意味で───なッ……!」
次の瞬間、俺は目を見張る。
驚くべきことが起きていた。
ユーリエンの右手からはよく見ればだんだんと───血が消えつつあったのだ。
まるで蒸発していくように、血が引いていく。それだけではない。血が消えたことによって顕となった傷口、それもゆっくりと塞がっていき───やがて、傷そのものがはじめからこの世に存在しなかったかのように塞がり、無くなる。
ユーリエンは完全に傷の消えた右手を顔の前まで持っていくと、綺麗になった手の甲をぺろりと舐めた。
「はは、その感じだとこっちのタネもすっかりバレちゃってる感じか? こりゃ長引きそうだな」
「なんだ……今の……」
「詳細はわからない。けれど、噂によればユーリエン・ユヴァーレンは人並み外れた身体能力と───耐久力、治癒力を持っている。あの右手にしたって、普通の人間なら骨まで到達していてもおかしくなかった。けれどダメージは浅い」
どういうことか、ユーリエンはどうやら普通の人間ではないらしい。あのレイナとここまでやり合っている時点で只者ではないが、実際かなり強い───と、いうよりも硬いようだ。
「現状単純な戦闘力でなら、私のほうが上。だけど長期戦となれば、こっちがジリジリ追い込まれていくわよ」
「クソ、まずいな……どうしたら」
「だから」
その途端、足元にカランカランと一本の槍が転がってきた。それはよく見ればソフィアの護衛が持っていた槍だ。戦闘の最中その辺に落ちていたものをレイナが鹵獲していたのだろうか。
「……槍?」
俺が槍を拾い上げると、レイナは振り向いて言った。
「貴方も戦いなさい。『神格』を使って」
「『神格』を……」
「……何だと?」
その言葉を聞き、ユーリエンがわずかに眉をひそめる。だがそんな彼には構わずレイナは続ける。
「このままでは、アレに勝てない───いえ、いつ勝てるのかわからない。時間がかかればかかるほど、増援が来る確率が高くなって私達は不利になる。だから、戦って」
レイナの言葉を飲み込み、俺は考える。
『神格』を使う。それは後に代償を払うことによって、時限式で強力な力を得るということ。
ここが本当に使うべき所なのか、ここで使ってしまっていいものなのか。
俺は目をつぶり───そして、なおも椅子に縛られ、俺を心配そうに見つめるソフィアを見た。床に転がされているラスタを見た。レイナもまた、俺を見ている。
皆、俺が決断するのを待っている。俺の決断を、必要としている。
ならば俺が取るべき選択は一つ。
「……わかった」
覚悟を決め、服越しに右腕の痣を押さえ、祈る。
すると次第に右腕から全身へと熱が広がっていき、やがて世界から無駄な音がシャットアウトされ───俺の身体に『神格』が宿る。
できることなら、使いたくはない力だが───この際仕方がない。やるならば、とことんやってやるしかない。
右腕から手を離し、俺は向こうのユーリエンを見る。隣のレイナもまた、鞭をしならせ俺たちは同時に臨戦態勢に入った。
「───よし、行くぞレイナ!」
「───勝負は短期決戦。短時間で決着を付けましょう」
半神に殺し屋、そして傭兵。この大空の上で、今飛行船ルフトヴァールの命運を分かつ決戦の火蓋が切って落とされた。




