第39話 『ルフトヴァール奪還作戦』
「なるほど、私がうとうとしてしまっている間にそんなことが……驚きましたね。他の乗客にケガはありませんか?」
「ああ、今のところ少なくともBフロアの乗客は大丈夫そうだ」
倒れた男たちを自前のロープ(なんで毎回ロープを持ち歩いてるんだ?)でえっちらおっちら縛り上げながら、俺とレイナによる状況説明を受けたエルシェは目を丸くして驚いた。
聞けば彼女は帰り際デッキに行ったレイナと俺が戻るのを席で待っていたが、やがて旅の疲れからかつい船を漕いでしまったらしく、眠ってしまって気づけばこの状況だったという。Bフロアに侵入した男たちはエルシェに気が付かなかったのだろうか? との疑問が当然ながら頭に浮かび、俺は首をひねって考える。
しかし、このエルシェだ。寝息も静かだったし、もしかしたらその……体躯が小さかったことが功を喫して気づかれなかったのかもしれない。
「……いや、そんなことあるか?」
「え? なんですか?」
そんな俺の視線に気づき、きょとんとこちらを見るエルシェ。まだ幼さの残るその顔立ちを見るとあながちこの推測も間違ってはいないのかもしれないと思える。
……もっともそれを口にしてしまえば、ほんの数分後には俺の顔は木剣による殴打で腫れ上がっているであろうこと請け合いなので、胸の中だけに留めておくが。
「しかし、飛行船を占拠……ですか。彼らは一体何者なんでしょうか? ここまで大胆な犯行をなんのために……」
「それは今からこの男が答えてくれるわ」
「ぐうっ……! クソガキ共が……っ!」
首を傾げるエルシェに、レイナがちらりと足元を見下ろす。そこには先程敢えて意識を残されたと言われていた男がさぞ悔しそうな表情で簀巻きにされて転がっていた。
「クソガキ。そうね、その通りだと思うわ。でも貴方達の方がよほど『クソ』に近いと思うのだけど、さっさと本題に入りましょうか。───答えなさい。貴方達は誰? 目的は何?」
レイナの赤い瞳が細められ、詰められているのは俺でないにも関わらず思わず背筋に冷たいものが走る。彼女の冷涼な表情からは、まるで有無を言わさぬ凄まじい圧力が発せられていた。
「……知らねぇ」
「そう、残念。もっと痛い目を見ないとわからないのね」
「ち、違う! そうじゃなくて、俺は……俺たちは本当にほとんど知らねぇんだ! わかった、話せることは全て話す!」
男の答えを受け、腰に差しているらしいナイフをガチャと鳴らしてみせるレイナに、男が慌てて首を振る。
「俺たちは盗賊団でもなんでもねぇ、ただの雑多な寄せ集めのゴロツキなんだ。例えばそこに転がってるあいつもあいつも、別に俺の顔見知りってわけじゃない。今回の雇い主が美味い話があるってんで、仕事の誘いに乗っただけなんだよ。そこの上等な服着てる兵隊たちは知らねぇが……俺たちに雇い主が与えた指示は簡単なもんだ」
「指示の内容は?」
「ヒッ!? わ、わかってる! 言うから! だからその黒いナイフを納めろ、嬢ちゃん! ……俺たちへの指示は「乗客に成りすましてこの飛行船に乗った後、ただ合図に従って動き出せ」「占拠はまずAフロアから始める」「その後はそこの兵隊と協力して船を乗っ取れ」ってだけだ。だからこれ以上、俺はなんも知らねぇんだよ!」
「……不十分な情報ね。もし私に対して偽の情報を述べているのなら」
「ほ、本当だ! 頼む、信じてくれ! 俺の知ってることはこれだけだ!」
「……」
レイナは必死の形相の男をしばらく見下ろした後、やがてため息をつく。
「はぁ、これ以上は時間の無駄そうね。……この男の言っていることも嘘ではないかもしれないわ。もし今の話が本当なら、彼らは組織的な統率も取れていない寄せ集めの賊。現に、私達がBフロアに乗り込んたときもBフロアからAフロアに逃げていくような連絡役はいなかったし、今も占拠されているはずのAフロアからの追手が一向に来ない。どうやら随分とお粗末な計画のようね」
「へっ……だが、それも時間の問題だ。もうすぐ異常を察した味方がAフロアから来るだろうよ。その時がお前らの最期だ、ハハハ……ぐッ!? や、やめろ! 強く縛り上げるな! わかった、俺が悪かったから!」
「全体の配置と人数は?」
「配置はわからんが、ざっと二十か、そのぐらいだ……だ、だから……少し拘束を緩めて……ぐへェッ!?」
「……Aフロアで何かが起こっている。今のところそれは確実みたいだな、レイナ」
再びきつく縛り上げられ、悲鳴をあげる男。そんな奴を他所に俺は前へと一歩進み出た。
「ええ」
「あそこにはソフィアとラスタがいる。もしかしたら巻き込まれているかもしれない」
「巻き込まれているというよりも、当事者であるような気がするけれど。それで、何が言いたいの?」
「俺はこの先に行こうと思う」
「……本気なの?」
「ああ。それで、よければお前にも来てほしい。俺一人だと……悔しいけれど、力が足りない」
信じがたいといった様子で目を細めるレイナ。俺はそんな彼女の前で、ぎゅっと拳を握りしめて手元を見つめる。俺には、文字通り何もない。力も、知恵も、記憶も何も。
唯一与えられた武器である神格はリスキーで、まだ十分に自ら制御できない。制御できる代物なのかも現状不明瞭だ。
「……」
「な、なら私も行きます! 私はスフィリアの平和を守る、誇り高き騎士です! こんな罪なき民衆を危険に晒すような大犯罪を見逃すことはできません! それに少年はレーヴェで私が助けたんです! 助けた者として、私はその責任を果たします!」
何も言わないレイナに代わり、エルシェがあわてて俺の側へと近寄ってくる。
「エルシェ……だけど、お前……」
気持ちは本当に嬉しい。だが、この先は何が待っているのかわからない未知の領域だ。きっと武装した敵が何人も待ち構えているはずだ。
俺よりもずっと強いとはいえ、場馴れはしていないであろうエルシェを連れて行くのは気が引ける。恩人だからこそ危険に晒したくはない。
「わ、私だって戦えます! 『神格』を使った少年と、レイナほどではないかもしれませんが……でも!」
「……しょうがないわね。私がついて行く」
「レイナ!?」
恩人だからこそ危険に晒したくはない───俺と同じ恩人を持つ隣人も、考えることは同じだったらしい。
「私がここで止めてもきっと、貴方はAフロアへと行くんでしょう。そして私が行かなければ、今度は騎士さんが貴方について行く。……なら、私が貴方と行くわ。それが一番安全な策だから」
「来てくれるのか?」
「勘違いしないで、貴方に力を貸すのは騎士さんを守るための選択。騎士さんには借りがあるから、それを返すための一つの手段。それだけよ。あと、貴方にもまた一つ貸しだから」
「……ありがとう」
俺は静かに頭を下げる。レイナにも気づけば随分借りができてしまった。いつかこの借りを返せる日がくればいいのだが。すると、なおも納得がいかない様子のエルシェが食い下がる。
「……わ、私も行きます! 二人だけ危ない場所に行かせるなんて、それこそ《騎士団》の一員として……!」
「この場にはこの男達を見張って、乗客の安全を守る役割の人が必要よ。騎士さんには、それをお願いしたいの」
「……! たしかに、それも大事な役目ですが……」
レイナに言葉にエルシェは俯く。彼女は、揺れ動く気持ちの中で葛藤しているようだった。
だが悩んでいる時間はない。男の言ったとおり、いつ次の増援がBフロアにやって来るのかわからないのだ。彼女は一度こくんと頷くと、俺とレイナを交互に見やる。
「わかりました。でも、大きな怪我はしないでくださいね。それだけ約束してください。いいですか」
「ん、了解」
「……善処はするわ」
俺とレイナは頷きそれぞれそう答えると、船の前方へと繋がるドアの前に立った。
「一応聞いておくけれど、本当に行くのね?」
「ああ。ソフィア、そしてラスタ……二人のことが気になる。ソフィアの護衛の兵士がなんでここにいるのかも含めて、だ」
「自分の身は自分で守りなさい。私は貴方のこと、守るつもりはさらさらないから」
レイナはそこまで言うと、ドアを開け放つ。と同時に、俺たちはついにAフロアへと侵入を開始したのだった。
★
「おい! 敵だ! 速いぞ、気をつけ───ぐあッ!?」
「総員警戒! これ以上一歩も先に進ませるな! このエリアで食い止めるぞ!」
「奴は死角から襲いかかってくる! 周囲を見渡すんだ!」
野太い声と、鋼同士が擦れあって生じるガチャガチャという音に空気を切り裂いて飛来する鞭の音、直後の悲鳴に断末魔。飛行船の中だと言われてもまるで信じがたいような大騒ぎの中、俺はただ最奥部を目指して走り抜けていた。
「うおぉぉぉぉぉぉぉ───!!」
「うおッ、なんだこのガキ! 叫びながらこっちに向かって来るぞ! こ、殺せッ……ガハッ!?」
「……命のやり取りをする環境では、その一瞬が生死を分けるのよ」
さてそんな大騒ぎの中での俺の役割はと言えば、さっきと全く変わらない。ただとにかく彼らの気を引いて、その隙を突いてレイナが倒す。念のため右腕に手を当て、いつでも神格を発動できるようにはしているが……今のところ、使う機会はない。
この作戦(作戦と呼んでいいのだろうか?)は案外有用で、現状レイナ任せになってしまっているとはいえすでにかなりAフロアの奥の方まで浸透できていた。
敵の練度や連携がかなりお粗末だからこそ成り立つ作戦ではあるが、まさかここまで───Aフロアの最前部、VIPエリアまで順調にたどり着けるとは思っていなかった。
「意外とすんなり通れたな……十人くらいは倒してこれたか?」
振り返ると着地したレイナが、両手で獲物である鞭の張り具合を確認しながら横に並び立ってくる。
「正確には九人ね。敵の半分くらいは間違いなく無力化できた」
「うまく行き過ぎて逆に怖くなってくるな。これ、ひょっとして罠の可能性とかないか?」
「相手側の人的損失が多いからその可能性は低いけれど、否定はしないわ」
「おおう、怖っ……と。たしかソフィアがいたのはたしかVIPエリアのこの辺りだったと思うが、いないか?」
ソフィアとラスタを探し、周囲を見渡してみる。だがVIPエリアには客の姿は見えず、ただ辺りには真っ白なテーブルとその上に並べられた蝋燭や盛り付けられた果物があるだけだ。
すると、ふと横から袖をちょんちょんとつつかれる。
「ん?」
「あれを見て」
そうレイナが指差した先。そこには、VIPエリアでも一際大きく目立つ金色の椅子が設置されていた。
まるで玉座のように背もたれの広い見目麗しきその椅子は、しかし今はロープを利用して対象を拘束するための柱として利用されていた。
そしてそこに縛られ俯いているのは、しなやかな金髪のロングヘアが特徴的な少女───、
「ソフィア!!」
「……ッ! アオイ様……にレイナ様⁉ どうして、ここに……っ」
顔を上げたソフィアは、まるで幽霊でも見るかのような顔つきで俺たちを見た。
「待ってろ、今すぐに───」
「駄目です、これ以上来てはいけません! すぐに戻って……」
「おっと、そうは問屋が降ろさねぇぜ? 兄ちゃん」
男の声が聞こえた気がした───次の瞬間、視界が180度回転していた。
え?
腹部に凄まじい衝撃を感じた俺は、いつの間にか宙を舞っていた。まるでキャッチボールで投げられたボールのように、ゆるやかな弧を描き、空を舞っていた。
ソフィア、レイナの顔が瞬く間に遠ざかり、その数秒後───地に叩きつけられた衝撃が全身を襲う。
「ぐ、がッ……!」
口の中から血の味がする。
「アオイ様!?」
何が起きた? 蹴られた、否、蹴り飛ばされた? 誰に?
「ん? こりゃ驚いたな。なーんか船内が騒がしいと思ったら、お前さんだったか。ははは、こりゃ愉快! やっぱり面白いな、お前さんは! でもな、言っただろ?」
緊迫した船内の雰囲気には全く似合わない、軽い調子の男の声が響く。
男、それも青年は、気づけばそこに立っていた。
「お、前は……」
「───俺は金さえもらりゃなんでもやる主義だ、ってな」
くすんだ金髪に、翡翠色の瞳の青年───ユーリエン・ユヴァーレンは、ほんの数時間前、あのデッキで出会った時となんら変わらない微笑を浮かべていた。




