第36話 『半神に友達はいない』
───ソフィア主催の食事会が終わった後、俺はまた船内をあてもなくうろついていた。
特に行きたい場所があるわけじゃない。けれどなんだかまた席に戻る気にはなれなかった。寝るには惜しいような気がした、ただそれだけの話だ。
「って言っても、結局こうしてブラブラしてるだけなんだけどな……」
ルフトヴァールの船内、とりわけAフロアの客席がないエリアには何やら見慣れない壺や絵画などがででんと飾ってある。スフィリアの文化についての知識に乏しい俺には何を見てもさっぱりわからないが、多分そこそこ位の高い芸術品なのだろう。
一つ一つ見て回るだけでも時間つぶしには十分になる。ちなみに、シスタと話が盛り上がっていた様子のエルシェはあの後席に戻っていく際に親愛の証としてかシスタに干しベレンを渡しており、それを受け取ったシスタの表情はそれはもう明るく輝いていた。
美味しいものを食べられたし、エルシェには友達もできたし、まさに至れり尽くせりだったな。
レイナ曰くセルビオーテにこの船が到着するのは夜明け頃らしいし、まだまだ時間はある。あの二人はもっと距離を詰め仲良くなることだろう。なんかいいよな、こういうの。
そんなことを思っていると、ふと気づく。否、気づきたくなかった。残酷な事実に気づいてしまう。
「あれ……もしかして俺って、まだスフィリアに友達、いないんじゃないか……?」
───気づきたくなかった。気づいたとしても口に出すべきではなかった。
言語化されてしまったことによりその一言はストレートに俺の胸へと突き刺さる。
俺には友達がいない。いや、どこからどこまでを「友達」として判断すべきか、その定義の線引きにもよるが、ともかく俺にそう呼べる人間は現状いないように思える。
例えばエルシェは俺がスフィリアに来て最初に出会った奴で、恩人だ。けど、友達とも言えるかもしれない。今のところ友達に一番近い人な気がする。でも、そう呼んでいいのかはわからない。
レイナは……違うな、うん。友達という関係性は、少なくとも俺とレイナのそれとは大きく異なるように思える。俺とレイナがどんな関係なのか? ということを改めて考えてみると非常に難しい。隣人か? あるいはベスタから助けてもらった恩人か? 間違ってはいないけれど。
「知り合い……では、あるよな」
一応レイナも俺も、互いの存在を認知してはいる。さすがのレイナも俺を見て「その、貴方……誰かしら?」とは言わないだろう。
……いや、言いそうだなアイツ。普通に言いそうだわアイツ。でもとりあえずは話を本題に戻そう。
ともかくエルシェもレイナも違うというのであれば、あの二人以上に俺と深く関わっている人物はスフィリアにはいない。ということは、やはり今のところ俺に友達はいないのかもしれない。
そういえばあの金髪の青年、ユーリエンと名乗った彼とはなんだか仲良くなれそうな気がする。
彼は別れ際「また会おう」と言っていたし、何ならまだこの船に乗っているはずだ。
また仲良くなる機会があるかもしれない。それに、これからの人生で俺にもいつかまだ見ぬ友達ができるかもしれない。そう考えると少しだけこの先に続く旅路が楽しみに思えてきた。
「ま、あと三年間で滅ぶらしいけどな、スフィリアは」
もし近くで誰かが聞いていたらギョッとすること間違いなしの発言だと我ながら思ったが、正直俺はシロの例の宣告に対しては未だ半神……じゃなかった、半信半疑だ。
あまりにも突拍子もない話すぎて受け入れがたいというのもあるが、それ以上にシロが何を考えているのかよくわからない部分という点が大きい。けれど現状俺の記憶を取り戻す目処がそれにしかないから《神》とやらを今日も一応探しているわけだけれど。
「にしても……そろそろ壺と絵にも飽きてきたな」
俺が今見ているのは、『爆発』というタイトルの壁に掛かった絵画である。カラフルな彩りで乱雑に線が引かれ、それらがいくつも折り重なっている。一切の語彙力を放棄して説明すれば、なんかぐしゃぐしゃっと適当に線が描き殴られたような感じのよくわからない絵だった。作者は……ベレニス・F・シャルロット? 聞いたことのない名前だ。まぁ、記憶を失っているせいで大半の人名は聞いたことのない名前になるんだけれど。
「……芸術ってのは難しいんだな」
俺にはよくわからない。と、俺はその場から離れ、再び当てもなく船内を徘徊する。
いよいよ他に見るものもなくなったしそろそろ席に戻って寝るか? と考えた結果───、
「最後にもう一度、あそこ……外に行ってみるか」
別に理由があったわけではない。ただ寝る前に、また少しだけ夜風に当てられてくるかと、そう思っただけだ。
そして俺はAフロアへと戻り、そこを通り抜けてデッキに出るスライド式の扉を開いた。
すると、そこには。
「……どうしたの?」
先客がいた。一面に広がる壮大な星空を背景に、黒の少女は一人静かに天を見上げていた。
★
「……どうしたの? そんな凛々しい顔をして」
黒いコートに黒い髪。見る限り全身を深淵の如く深い黒一色に染め上げた少女が、振り向いて俺にその飛び散った鮮血のように赤い瞳を向けた。
「凛々しい、とはまたご挨拶だな」
当然皮肉である。俺はさきほどまさかの先客───いや、先客がいること自体はなんらおかしいことではない。ただその先客が見知った人物であったことに驚いていたのだ。きっと、呆けた面をしていたのだろう。
レイナは俺の答えに興味など全くないようで、すぐに小さく鼻を鳴らして俺から視線を離すと、再度空に広がる無数の星々を見上げる。
「星を見てたのか?」
俺は彼女の隣に行く形で柵へと近寄り、同じく空を見上げた。
「おお、綺麗だな……!」
夜空という広大な暗闇の中にキラキラと瞬いてその存在を主張する星々は、まるで空にぶちまけたいくつもの宝石のようだった。レーヴェにいたころも何度か夜空を見上げたことはあったけど、きっと灯りのおかげで夜でも明るいレーヴェの街と飛行船とでは、見える景色も違うのだろう。
「……私が星を見ていたら悪い?」
風景に見とれていると、横から不満げな様子でレイナが語りかけてくる。相変わらず表情は全く変わっていないけれど、だんだん声音で感情を読み取れるようになってきた。
「いいや? 全くそうは思わないぞ。ただ……正直ちょっとばかし意外ではあったかもしれないけれど」
「はぁ、貴方は本当に……私をなんだと思っているのよ」
「まだわからないな。お前についてよく知らないからな」
「そう。でも、私も一応星くらいは見るのよ」
「そうか。綺麗だもんな、ここから見える星空。俺もさっき見上げて思わず見惚れたよ」
「ええ」
彼女にしては珍しく素直な相槌だ。レイナは感情の読み取れない赤い瞳に満面の星空を写し出し、ぼそりと呟く。
「……それに、いつまでも星空は変わらないから。いつ見上げても、美しいから」
「変わらない? それはどういう……」
「何でもない。お喋りしすぎたわね、反省するわ」
「反省はしないでいいと思うぞ……?」
「そうね」
レイナはため息混じりに適当な返事を返すと、話はここまでだと言わんばかりに何やら懐から紙を取り出し、それを広げて眺め始めた。
「なんだ? それ」
「新聞」
「こんな暗がりじゃ読めなくないか?」
「平気。私、人より夜目が強いから」
すげぇなこいつ。人間か? いや、実は俺が知らないだけで案外スフィリアの人間は皆このくらいできるのかもしれない。エルシェも読めるんだろうか?
「新聞はベスタの貴重な情報源。これから行くセルビオーテに関してのニュースもあるし、貴方も新聞くらい読んでおいたら?」
レイナは投げやりに、ばさりと俺に新聞を渡す。が、いかんせん暗いせいであまり見えない。明るいところに行けば読めそうだが、この場から離れなければならないのはなんだか嫌だった。
頑張って目を凝らしていると少しずつ読めるようになってくる。
「えーと……ああ、セルビオーテの情報はこの辺りか……」
「そういえば貴方、スフィリアの文字は読めるのね」
「ん? ……本当だ」
「はぁ……気づいてなかったの?」
言われて見れば、たしかにそうだ。俺はこの世界の文字を読むことができる。
それに文字だけでなく、常識的な概念……言語やほとんどの単語の意味も俺にはわかる。記憶を失っているにも関わらず、なぜだろうか? 誰に教わったのかもわからない。不思議だ。
「ま、それはそれとして、だ……」
俺は黙々と渡された新聞を読み進めていく。すると、途中で気になる見出しを見つけた。
「なぁレイナ、この『ハーツメルト独立派の過激派がロズメルト首都で暴動』ってセルビオーテの記事だよな? ハーツメルトとかロズメルトとかってのはこの国の地名なのか?」
「……セルビオーテというのは、王国の連合を総称した名称。セルビオーテは中央部のエンブリア王国、北部のロズメルト王国、東部のハーツメルト王国に西部のメンティス王国の四つの王国から成る連合王国なのよ。東のハーツメルトは連合王国からの独立を望む動きが一部の過激派にあって、セルビオーテが抱える問題の一つになっているの」
「な、なるほど……」
あまりにレイナがすらすらと答えてくれたもので頭が混乱しているが、つまりは東西南北の四つの王国から形成されている連合体……連合王国がセルビオーテ。そして東の王国であるハーツメルトには、セルビオーテからの独立を掲げる人たちが一部いる……と、そういうことでいいのだろうか。ううむ、ちょっと難しいな。
「私達がこれから降りる空港はエンブリアの大きな空港だから、こういうのに巻き込まれる可能性は低いけど……デリケートな問題でもあるから、知っておいて損はないわ」
「わかった。ありがとな」
やっぱりこういうことについては彼女、教えてくれるんだよな。なんだかんだ言って、悪い奴ではないんだろうと思う。
ともあれセルビオーテについての記事は読み終えたので、ひとまずは十分だ。新聞を折りたたみ、隣のレイナに手渡そうとしたその瞬間───突如、船の前方で爆発音が鳴り響いた。
「なッ!?」
「……!」
と、当時に声が聞こえる。それはおそらく、デッキの向こう側───Bフロアの入口あたりから響いてくる声だ。じっと耳をすますと、男の張り詰めた声が風に乗って聞こえてくる。
「この船は我々が占拠した。乗客は我々の指示に従い、無駄な抵抗は止せ。繰り返す。この船は我々が───」
───飛行船ルフトヴァール。この逃げ場のない上空で、巨大な飛行船は一瞬にして監獄と化した。




