第32話 『自称騎士は嘘をつかない』
「そんで、最初はどこに行く?」
「まずは現在地の確認から始めましょう。えーとふむふむ、私達が今いるこの辺りはBフロアの前方……BフロアとAフロアを繋ぐ、渡り廊下に比較的近い位置ですね」
手元の紙になにやら視線を落とし、それを難しい顔で覗き込みながらエルシェがそう答える。
「たしかルフトヴァールには主に二つのエリアがあって、主に高級な方がAフロア、そうでない方がBフロア……だったか」
やや曖昧かつざっくり過ぎる認識な気もするが、だいたい合ってはいるんだろう。
「そうですね。AフロアはBフロアよりも構造的に良い景色が見やすいのと、Aフロアにはない乗務員の方によるサービスを受けることができるみたいです」
「へー、例えばどんな?」
「それはここにも詳しく書かれていないのでわかりませんが……多分、食事を用意してくれるとか、指定した時間に起こしてくれるとかそんなものだと思います。ちなみに船内には料理店もあるようですが、Aフロアの奥のほうにあるらしいので私達はおそらく利用できませんね」
「Aフロアの乗客しか入れないのか。残念だな」
「あるいは、Aフロアの乗客の付き添いとしてならいけるみたいです。まぁ、ただ……」
「俺たちにはそんな知り合い、いないもんな……」
そういうことです、と静かに頷くエルシェ。
まぁ、これは仕方ない。俺たちとて未だ終着点も目的地も曖昧な旅だ、できる限りの出費は抑えるに越したことはあるまい。
「ところで、お前がさっきから読んでるその紙はなんなんだ?」
ふとエルシェがずっと見ている紙のことが気になり、ひょいと後ろから覗き込んでみる。
すると紙には飛行船内のざっくりとした構造が書かれており、その区切られた空間の一つ一つに細かい文字で説明書きがされていた。
見るにエルシェが持っているものは、ルフトヴァールのガイドマップらしい。こんなものを一体いつの間に入手したのだろうか?
「これですか? ルフトヴァールの案内図ですよ。ベイルーニャを離れる前に、グスティロス空港でもらってきました。あっ、三枚もらっておくべきでしたか」
うっかりしていた、という顔のエルシェに俺はゆるゆるとかぶりを振る。
「ま、一枚あれば十分だろ。それで、こっからどこに行く? 操縦室の方まで行ってみるか?」
今地図を確認した限り、現在地はルフトヴァールのかなり後ろ側だ。先に後ろを見てから操縦室のある先頭の部分に向け歩き出してもいいのだが、これより後ろの方にはBフロアの客席とデッキ(多分、外に出られる場所のことだろう)しかない。
見てもあまり面白くはなさそうだった。
「いいですね。行きましょうか」
俺とエルシェは並んでBフロアから渡り廊下へと続く扉を開き、しばし歩く。
「しかし、本当に人がいないな。さすがに何人かはチラホラ席に座ってるのを見かけるけど」
「ですね。今私達が歩いている渡り廊下だって、私の知る限りではもっとたくさんの人とすれ違うはずなのですが……さすがに空きすぎているような気がします。セルビオーテへの渡航を控えるような呼びかけだって中央政府からは出ていませんし、何故でしょうか?」
やや怪訝そうな表情で首を傾げるエルシェ。
「でも、Aフロアに行けばもっと乗客がいるかもしれません。そう、これはそれを確認する意味も含めた探検ですからね!」
「ほんとに?」
「むっ! なんですか、その目は。本当ですよ。騎士はウソをつきません」
「……」
「うう、実は……じゃなくて! もういいです、さっさと行きますよ少年!」
そんなやり取りを交わしつつ、やがて俺たちは廊下を突っ切りAフロアへと入った。
「ここがAフロアか。いや、離陸前に通ってきたけど、あらためて見ると広いな。天井の家具や窓枠も豪華だし」
「Bフロアよりも料金はかさみますが、その分だけ贅沢になっているわけですね。と、乗客は……」
エルシェは辺り一帯をキョロキョロと見回すが、やはり人はそれほどいない。
「やっぱり、あんまり乗客はいないな」
「Bフロアよりかはやや多いような気もしますが、大して変わらない……といった感じですね。今日はどこかの国で人を集めるような大きいお祭りでもやっているのでしょうか? エルベラントの『大酒宴』や東桜と華翠での『薫風祭』は今の時期ではないはずですし、不思議ですね」
ううむ、と腕を組みサイズの合っていない背中のマントをゆらゆら揺らしながらエルシェは考えるが、これといってはっきりとした答えを出すことはできないようだった。
彼女はそうしてある程度唸ったあと諦めたのか、ぱちんと両手を合わせ、「さて、では次に行きましょう」と気持ちを切り替えるように歩き出す。
その後も俺たちはAフロア奥にある高級そうなオーラの漂う料理店やその横にある大人な雰囲気の酒屋、操縦室前、時計やトランプなどを販売する売店にVIPエリア(エルシェ曰く、Aフロアの中でも別料金となる上級のエリアらしい)などを周り───。
Bフロアにある自分たちの席へと戻ってきた頃には、すっかり日が暮れていた。
「ふぅ、これで一通り中は見ましたかね。意外に広くて疲れましたね……精神的に……あ、いえ、ウソです。疲れてません。騎士は疲れません」
「お前さっき、騎士はウソつかないって言ってなかったか? まぁそれはさておき、たしかに大きかったな……端から端までどんだけあるんだよコレ」
こうして自分の足で船内を歩き回ってみて改めてわかったが、これが『船』だとはやはり驚きだ。これは船というよりも、もっと巨大で、圧倒的な───例えるならばそう、鯨。
まるで大空という大海を悠然と泳ぐ、一匹の鯨だ。
「外も随分と暗くなりましたね」
窓の外の暗い景色を眺め、エルシェは呟く。
「もう夜、か」
今朝の早朝にレーヴェを小舟で出発したことを思えば、あっという間の一日だった。
旅の初日でまだ慣れないことばかりというのもあるのだろうが、それでも短かったように感じる。
「そういえば、目的地のセルビオーテにはいつ着くんだ?」
「あと数時間後。遅れても概ね明日の朝あたりには着くはずよ」
俺は一瞬驚いた。今の質問は、主にエルシェに向けて聞いたものであり、まさかレイナが答えてくれるとは思っていなかったからだ。
俺とエルシェが戻ってきてからも会話には参加せずに一人ぼんやり景色を眺めていたし、てっきり今のもレイナにはスルーされるものかと。
「え? そ、そっか、ありがとう。ってことは、今夜はここで寝ることになるのか」
「みたいですね。ふぁぁ……なんだか……眠くなってきました」
エルシェが大きな欠伸をし、目をこする。農業という業務上、《騎士団》───というか彼女の生活リズムは早寝早起きが基本だ。
真面目なエルシェのことだから、毎日必ず決まった時間には床についていたのだろう。
「今夜は私がずっと起きているから、貴女は……あとついでに貴方も、安心して寝てくれて構わないわ。それともし寒かったら、案内所に行けば毛布がもらえるから」
「……」
「……何? 二人してその呆けた顔は」
「あ、ありがとうございます。その、びっくりして……」
「なんか急に優しい所が……いや、なんでもない。悪い」
余計なことを言いそうになった口を、慌てて閉じる。これもレーヴェで短い同居の間にわかったことだが、レイナは多分、悪い奴ではない。何かの理由があって───あるいは単に不器用なだけかもしれないが───人との関わりを拒絶しているのだ。
不用意な発言は慎むべきだろう。
エルシェはすっかり眠くなってしまった様子で、目をトロンとさせている。
「では私は、お言葉に甘えて少し寝ます……あ、でも見張りは交代にしましょう。レイナもちゃんと寝なきゃだめですよ。いいですか?」
「……そうね」
レイナのやや曖昧な返事に頷くと、エルシェは「ではおやすみなさい」ともぞもぞ羽織っている大きなマントを外し、それを頭からかぶり包まってとんがり屋根のような状態になった。なんだこの変形。そのマントこういうときに役立つのかよ。
「……さなぎ?」
レイナも眉をやや潜めてさなぎと化してしまったエルシェを見ている。
「すぴー……」
「それで寝るのめちゃくちゃ速いな、コイツ……」
マントに包まるや否や、もう寝息を立て始めたさなぎエルシェ(仮)。レーヴェにいた頃から常々思っていたが彼女はサバイバル能力が高そうである。
「さて、俺もそろそろ寝るか」
時刻はまだ夕方と言ってもいいほど早いけれど、他にやることもない。
横のさなぎを横目に俺も席に深く座り直し、意識を落とそうと目を瞑る。しかし───。
「……あんまり眠くないな」
慣れない環境で、さらに間近(それも左右)に二人の少女がいるというシチュエーションに緊張しているのか、やけに頭が冴えている。
「なぁレイナ、お前は眠くないのか? もし眠いなら俺が見ておくから、お前も寝ても……」
「別に」
俺とレイナの会話は例のごとく一瞬で終わる。この分ではちょっとした話し相手にもなってくれないだろう。そもそも彼女が俺と他愛もない雑談に興じたことなどない。
うーん、どうしよう。このままここにいても眠れそうにないし、気晴らしに夜風にでも当たれればいいのだが……と。
「あっ」
そこまで考えて、俺はまだルフトヴァールで行っていない場所があることに気づく。
そういえば船の最後部にはデッキ───外に出られる場所があったはずだ。
「……行くか」
俺はやおら立ち上がり、外の空気を吸いにデッキへと向かった。




