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第17話 『楽園とパンと、怪しい影と』

「ふぃ~~~~~っ……」


 上半身まで浸かったお湯の温かさについ情けない声が漏れ出し、壁に大きく反響する。今のを誰かに聞かれていたら恥ずかしいな、なんて思ったが、そもそもこの建物には俺とレイナを含めても四人しか住んでいない。

 他のメンバーの私室(と俺たちの共有しているあの部屋)と地下にあるこの浴場とはかなり離れているし、心配はいらないだろう。


「やっぱりいいよなぁ、コレ」


 俺は湯船に浸かり一日の農作業でかいた汗を流していた。私服のひとときだ。


 全身に張り付いたベタベタを洗い流していく感覚、そして冷えた身体を温めるこの感覚はなんといっても気持ちがいい。お湯が俺をまるで聖母のように包み込んでくれる。


 まさに天国だ。だがしかし、気持ち良すぎるがあまりに気を抜いてはいけない。

 浴槽でうっかりうとうと船でも漕ぎ出そうものなら大変だ。俺がやったらエルシェあたりが顔を真っ赤に染め上げて怒り出しそうである。


 そうならないよう最大限の注意を払いつつも天井をぼんやり見上げると、浴槽から立ち上がった湯気が木目の天井に登っていっていた。


 俺は先ほどのエルシェとの会話を思い出し、


「いつかあいつと、レイナと……一緒に飯を食える日なんてのは来るんだろうか……」


 そんなことを呟いてから、いや、ある訳ないなと首を横に振る。

 あのレイナだ。自分とは今の関係以上に関わろうとはしないだろう。何かの機会があればあるいは有り得なくはないかもしれないが、その可能性は現状著しく低いと言わざるを得ない。


「ま、ないか」


 俺は浴槽から上がり、立ち上がって長い息を吐く。ルームシェアをしている間に、せめて彼女が食事をしているところぐらいはお目にかかりたいものだ。それが見られればラッキーくらいの心持ちでいればいいだろう。


 脱衣所に戻り、服を着替えて俺たちの部屋がある階の廊下を歩く。


 ちなみに俺がエルシェに発見された時、身に着けていた服は当然ながら一着しかなかったため今着ているのは《騎士団クラン》本部のクローゼットにあったとされている男物の服だ。


 誰が着ていたかわからない服を身にまとうのに正直な話、最初は抵抗感があった。

 けれどそれを言うなら俺が最初から着てた服も似たようなものだし、間違っても贅沢を言える立場ではない。すっかり着慣れた今となってはこれも結構気に行っている。


 ───などと、考えている間に部屋の前までたどり着いていた。


 そろそろレイナも帰ってきている頃だろう。ドアノブに手をかけると、ガチャリと音を立てて扉は開き───、


「……ん?」


「……」


 そこには、両手でパンを持っているレイナの姿があった。


「……」


「……何よ?」


 口をぱっくり明け、バカみたいな顔で直立不動になっている俺を不審に思ったのだろう。レイナは眉をひそめ、その鉄面皮にかすかに怪訝そうな表情を浮かべて聞いてくる。今回ばかりは彼女の反応は至極真っ当なものだ。


「いや、悪い。その……お前が何かを食ってるのを見るのは、これが初めてだったからびっくりして」


 まさかあの直後にレイナが食事している光景をこの目で見ることができるとは思わなかった。


「?」


 彼女はいまいち腑に落ちない様子で眉をひそめる。


「貴方、もしかして私が食事を摂らないととでも? 貴方が私をどう思っているのか知らないけれど、私も生物学上一人の人間である以上生きていくにあたって栄養摂取は必要不可欠よ」


「……だよな。いや、当たり前なんだけどさ。お前が人間だってことくらい。けどこう、もしかしたら人間じゃない可能性もあったわけじゃん? 例えば……人型の殺戮マシーンとか」


「そう、想像力が豊かなのね。私にはないものだわ。羨ましい」


 せっかくだから無駄話ができるか試してみようと軽口を叩いてみる。勿論殺戮マシーンのくだりは冗談だ。しかし正直怒った先方から投げナイフが飛んでくる覚悟も軽くしていたのだが、幸いそれはなかった。


 代わりに皮肉のカウンターを発し、くいっと優雅にお紅茶をおキメになられるレイナさん。


 相変わらずブレない人物である。その姿はいつもと全く変わらぬ落ち着きと品に満ち溢れていた。いつも思うが、彼女は随分と育ちが良さそうだよな。いや、態度はめちゃくちゃ悪いけど、動作一つとってもよく洗練されているというか。案外名家の出身だったりするのかもしれない。


「そういえばここでお前がなんか食ってるとこ見たことないけど、栄養摂取が必要不可欠ってことは別のどこかでちゃんと飯食ってるのか? まさか全く食べてないわけでもないだろうし」


「いつも外で済ませてるだけ」


「そっか。ところで今食ってるそのパン、美味いのか?」


「……それ、貴方に関係ある?」


 レイナは心の底から鬱陶しそうな目でこちらを見る。彼女に限ってしないだろうが、

 相手が相手なら舌打ちでもしそうな勢いだ。……いや、舌打ちとか普通にしそうだなこいつ。


「ないこともないさ。この島に美味いパン屋さんがあるんだったら知りたいしな」


「はぁ……まぁ、悪くはないと思うわ」


「へぇ、それどこで買ったんだ?」


「……」


 ついに全く返事が帰ってこなくなった。

 俺は最近、彼女は一日にできる会話の数が多分決まってるんだろうなと思い始めた。日付を挟んでリセットされる数値みたいなのがあって、会話をする度に減っていく。それが今ゼロになったんだろう。


 こうなるとだいたいもうダメだ。話しかけてもまるで応答してくれなくなる。

 俺は諦めてベッドのほうに向かおうとするが、


「ん、どこか行くのか?」


 いつの間にかパンを食べ終えていたレイナが、立ち上がって扉の方向へ向かっていた。

 外出するのだろうか? けど、外で出会った時は必ず被っているいつものフード付きのコートは壁にかかったままだ。


「身体を洗い流してくるわ。先に寝てくれて結構だから」


 扉がバタンと閉じられ、一人になった俺は自分のベッドに腰を下ろす。

 シーツに腰がふわっと沈み込む感覚が心地よかった。


 この状態になっても、どうやら必要な会話ならやはりレイナはしてくれるらしい。


 なんだかんだ優しいところもあるよな。……あれを優しいと受け取るのもどうかと思うけど。


『───貴方、次からベスタと接触した時は私にすぐに私を呼びなさい』


 ふと、彼女のそんな言葉を思い出す。


「呼びなさいっていったって、どう呼べばいいんだろうな」


 まぁ、彼女ならベスタの気配を嗅ぎつけて勝手に飛んできそうな気もするが───なんてことを考えているうちに、だんだんうとうととした睡魔が俺を襲ってくる。


 なんとか最後の理性を働かせ、ぼふんとベッドのほうに倒れ込むとそこから先の記憶はもうなくなってしまった。

 結局、この日も彼女のことはよくわからないままだった。


 ◆レーヴェ 中央区◆


「うんしょ、よいしょ……っと」


「ほら、もう少しですよ少年! 頑張ってください! この程度でへばるようでは立派な騎士にはなれませんよ! いいんですか!」


「はぁ、はぁ……別に騎士になるつもりはねぇよ……」


 あれからまた丸一日が過ぎた。


 ここで割愛した昨日という一日について何かしら言及するのであれば、特に何もなかったと言わざるを得ない。

 相変わらず俺とエルシェ、そしてロアさんは農園や中央区に出て働き、レイナもまた相変わらず夜更けからどこかに出ていて、夕暮れ時に帰ってきた。それだけだ。


 やはり俺たちの間に大した会話はなかったし、その後特にベスタ絡みでの会話もなかった。


 そして話を今現在に戻せば、俺はエルシェとともに木箱を抱えて中央区へと向かっていた。


 目的地はメインストリートに店を構える得意先の青果店さんである。せっかく街中に素敵な運河がたくさん通っているのだから、あちこちに停泊してる小舟(ゴンドラと言うようだを使って運搬すればいいじゃないとは思うものだが、ロアさんが言うところによれば費用や運河の流れ的に難しいらしい。

 故に荷物はこうして抱えて徒歩でメインストリートまで運んでいかなくてはならないとのこと。


 俺はヒィヒィ言いながらもエルシェに引っ張られ、なんとか運搬をやっていた。すると。


「ちょいと失礼。お嬢さん方はこの辺の人ですか?」


 メインストリートまでの道のりで、それなりに身なりの整ったとある初老の男性に声をかけられた。男性の周りには仲間らしき数人の男がおり、どうやら団体のようだ。


 いずれも男性と同じような服装に身を包んでいたが、その中でも一際特徴的で目を引いたのは彼らが引いている軽い屋台ほどはあろうかという大きさの荷車だった。


 こんもりと膨らんだ、まるで山のようにギシギシを音を立てる荷車の上の荷物は、しかし厚い布が被せられているため内容はわからない。

 エルシェはその場にドスンと一度荷物を置くと、男たちの前に一歩進み出た。


「はい、そうですよ。何かお困りですか?」


「ええ、実は……わたくし共は連邦を旅する行商人の一座なのですが、あいにく来たばかりのレーヴェでは土地勘がなく、道に迷ってしまいまして……この辺でどこか大きな宿はありますかな?」


 へぇ……すごいな、スフィリアの行商人っていうのは。こんな大荷物を引いてあちこち旅するのか。とてもじゃないが俺にはできそうにない。大したものだ。

 エルシェは頷くと、前方を指さして道を指し示す。


「はい、ありますよ。あちらの十字路に進んで、角を曲がった先に……よかったら案内しましょうか?」


「いえいえそんな、とんでもない。お気持ちだけで十分ですとも。我々でどうにかします。ありがとうお嬢さん」


「いえ、このくらいは騎士として当然ですので。あっ……それと、良ければその荷車の中身をお聞きしても構いませんか? もし私たちにお手伝いできるようなことがあれば、力になれるかもしれませんし」


「コレを、ですか? ふむ、そうですね───」


 男は一瞬顎に手をやり考えるような素振りを見せたが、すぐに答える。


「申し訳ありません。ご厚意は大変ありがたいのですが、これは私どもの商売道具でして。おいそれと部外者に見せられるようなものではないのです」


「そうですか……わかりました。道中、お気をつけて」


 エルシェの言葉に男は申し訳無さそうに頭をかき軽く会釈すると、再び仲間に指示を出して荷車を引き始めた。


「本当にありがとうございました。それではご機嫌よう」


 ガラガラと遠ざかっていく荷車と行商人一行を見送ると、俺はまた荷物を抱える。すぐに運搬を再会するだろうしな。


「いやー、それにしてもすごいんだなエルシェ、スフィリアの行商人っていうのは。あんなでっかい荷物持って旅するなんてさ。俺なら絶対無理だよ」


「……」


 あれ?エルシェからの応答がない。まさかついにエルシェさえも俺に対して同居人であるどこかの紅茶狂いのような態度をとり始めたのかと一瞬不安になったが、彼女はなにやら厳しい面持ちで顎に手を当てて思案している様子だった。


「エルシェ?」


「……少年、今の人たち見ましたか?」


「今の人たち、ってあの行商人たちだよな。そりゃ見たけど……どうかしたのか?」


「彼ら、なんだか怪しいですね」


「怪しい、か。でも悪い人たちには見えなかったけどな」


 あの人たちが? でも言われてみればなんというか、たしかにある種の違和感のようなものはあったかもしれないが、見たところそこまででもなかったような。


「後をこっそりつけますよ、少年。騎士として見逃すことはできません。着いてきてください」


「えっ!? ちょっ、追うのか!? あの人たちを!? 今!?」


 エルシェはいくらなんでも突然すぎると慌てる俺をよそに、腰に挿した鞘をかちゃりと鳴らすと静かに呟く。


 その声音は、いつになく真剣で確かな確信を持った響きだった。


「ええ───何やらこれは、かなり重大な事件の香りがします」

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