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7.ひとときの甘い夢

 エーリヒ様は私の手を引いて、王宮のあちこちを案内してくれた。すれ違う貴族の人たちが好奇と批判の目を向けていたけれど、彼はそんなことを気にしていないようだった。


「あの、楽しかったです。誘ってくださって、ありがとうございました」


 そうして送り届けてもらった客間の前で、そう言ってぺこりと頭を下げる。


「いや、僕のほうこそ楽しかったですよ。ありがとう、ヴィオレッタ」


 穏やかに微笑んでいたエーリヒ様が、ふと照れたように視線をさまよわせる。


「……ところで、一つ頼みがあるのですが。君さえよければ、また僕に付き合ってくれませんか」


「はい、喜んで!」


 今度はすんなりと返事が出てきた。たぶん、王宮を一緒に歩き回っているうちに、彼に対する警戒も解けてきたからだと思う。


「そう言ってもらえて嬉しいですよ。この王宮はとても広いですから、まだまだ面白いところがたくさんあるのです。それを君に、ぜひ見てもらいたくて」


 それからもうちょっとだけ扉のところで立ち話して、彼と別れる。思いもかけないほど、私の足取りは軽くなっていた。


「エーリヒ様かあ……素敵な方、かも」


 客間で一人、くすくすと笑いながらそうつぶやく。さっきまでの寂しさは、もうすっかり消え去っていた。




 それから私の生活は、大きく変わった。


 午前中は今まで通りにザンドラ様のところであれこれ学び、午後は裏庭でエーリヒ様と待ち合わせて、それから二人一緒に王宮の中を歩き回る。彼はとても親切に、色々なことを教えてくれた。


「ヴィオレッタ、君はフェリクスの客人ということになっていますが……本当は、彼にさらわれてきたのではないですか?」


 ある日、エーリヒ様は心配そうな顔でそう尋ねてきた。


 その通りです、でも私はさらわれてよかったです、それまでの暮らしはひどいものでしたからと答えると、彼はさらに心配そうな顔になってしまった。


「……君は、苦労してきたのですね。私でよければ、力になりますよ。もしフェリクスに放り出されたら、遠慮なく僕を頼ってください」


 そうしてエーリヒ様は苦笑する。


「彼は本当に気まぐれで、さらってきた人間をしばらくそばに置いて、そして突然どこかにやってしまう悪癖がありますから」


 ザンドラ様に続き、エーリヒ様までそんなことを言っている。


 やはりフェリクス様は、私をどこかにやってしまうのかな。そんな人には、見えなかったのにな。


 誰を信じたらいいのか、分からなかった。ただ一つ、エーリヒ様は私にとても親切にしてくれている、それだけは確かだと思った。


 ザンドラ様は、相変わらずよそよそしい。私と親しくなるつもりはこれっぽっちもないのだという態度を少しも崩すことなく、視線を合わせることもない。


 それだけならまだしも、淑女らしくつつましいそのふるまいの中に、時折いら立ちのようなものが見え隠れするようになった。


 彼女はよほど、私のことが気に入らないらしい。それも無理はないのかなとは思うけれど、でもやっぱり寂しい。どうせなら、彼女とも仲良くなりたかった。


 フェリクス様は、あれから一度だけ会いに来てくれた。


 中々顔を出せなくてすまない、伝えたいことがあったらザンドラなりメイドなりにことづけてくれ、そんなことを手短に言ってすぐに出ていってしまった。


 そうやってフェリクス様の顔を見たせいか、余計に寂しさがこみあげてしまった。しょんぼりしている私を慰めてくれたのは、やはりエーリヒ様だった。


 そんなあれこれを思い出しながら、ためらいがちに口を開く。


「……もし、行く当てがなくなってしまったら……その時は、エーリヒ様のところに行ってもいいですか」


 返ってきたのは、とびきり嬉しそうな笑顔だった。


「ええ。もしそうなったら、今度は僕の客人としてここに滞在すればいい。歓迎しますよ」


 歓迎。今までかけられたことのない言葉に、じわりと涙が浮かんでくる。あわててそれをごまかすように、にっこりと笑った。




 そうしてヒンメルの王宮で過ごすうちに、不思議なことが起こるようになった。


 数日に一回くらい、窓辺に色々なものが置かれるようになっていたのだ。


 今日も目が覚めてすぐに、寝間着のまま窓に向かった。窓ガラスの向こう、外側に突き出した窓枠に、きらりと光る小石が置かれているのが見える。


 小石を落とさないように気をつけながら窓を開けて、手を伸ばして小石をつかむ。


 複雑なカットがされた、小石というよりも宝石のような石だ。透き通っていてきらきらしていて、とっても綺麗だ。


「……ふふ、今日も素敵なものをもらっちゃった」


 浮かれながら棚に向かい、そこにおいてある箱を手にした。箱の中には、今まで窓辺に置かれていたものが詰め込まれているのだ。


 可憐な花や綺麗な葉っぱは押し花にして。いい香りのハーブの小枝は陰干しにして。他にもつやつやの木の実や、綺麗な小石など。ささやかな、でも素敵な贈り物たちだ。


 これを持ってきたのが誰なのか、それは知らない。たぶんエーリヒ様かなとは思うのだけど、まだ本人に確認していない。


 贈り主は誰なのだろう。次はいつ、何がやってくるのだろう。そんなわくわくした気持ちをそのままにしておきたかったから。


 箱に小石をしまい、蓋を閉めて棚に戻す。窓の外に目をやると、雲一つない青空が見えていた。


 きっと今日は、いい一日になるだろうな。鼻歌を歌いたくなるような明るい気持ちで、身支度を始めた。




「ヴィオレッタ、ちょっといいか」


 そろそろザンドラ様の部屋に行こうかなと思ったまさにその時、フェリクス様が私の客間にやってきた。とても、申し訳なさそうな顔で。


「おはようございます、フェリクス様。……その、お久しぶりです」


「すまない、近頃忙しくてな。君のことはずっと気にはなっていたんだが……元気そうで、ほっとした」


 そう言うフェリクス様の顔には、疲労の色が濃かった。彼に会えなくて寂しいといじけていたことが、ちょっと申し訳なく思えてしまう。


「明日の夜、ちょっとしたパーティーが開かれる。遠国より来訪していた使者がそろそろ帰るから、彼らを送り出すためのものだ。俺は王太子として、それに出なくてはならない。面倒ではあるが」


 額に手を当てて、フェリクス様は疲れたように息を吐く。


「俺は正妃であるザンドラをエスコートしなければならない。パーティーの間、君の相手をしている余裕はないんだ。できることなら、君にきちんとしたパーティーを見せてやりたかったが」


 生まれて初めて参加したアッカルド伯爵のパーティーでは、私はぼろぼろのドレスを着て壁際でおとなしくしているだけだった。 


「またいずれ機会を設けるから、今回はここで留守番しているといい」


 その言葉を聞いた時、ふと思いついたことがあった。 


「……あの、そのパーティーは一人で参加しても大丈夫ですか?」


「あ、ああ。構わない。多少目立ってしまうかもしれないが。略式の気軽なパーティーだから、ドレスはどれでもいい」


「分かりました。だったら、あの薄紫のドレスにしようかな」


「そうだな、あれは一番君に似合っている」


 それからもう少し話して、またフェリクス様は帰っていった。ほんの少し足をもつれさせて、ふらりとよろめいていたのが心配だった。




 そうして、パーティー当日。私は薄紫のドレスを着て、メイドたちに手伝ってもらって髪を結った。それに、薄く化粧も。


 支度を済ませ、会場である大広間に向かう。エーリヒ様に、手を引かれて。


 私たちが大広間に足を踏み入れると、周囲から一斉にざわめきが起こった。


 王太子であるフェリクス様の客人たる私が、同じく王子であるエーリヒ様にエスコートされている。


 それだけでも中々にないことなのに、私は隣国ガッビアの子爵家の娘に過ぎない。ここヒンメルの王宮では、少々場違いな存在なのだ。


 でも、私はひるみはしなかった。みなの視線を一手に受けて、堂々と歩いていく。


 綺麗で素敵なドレス。エスコートしてくれる王子様。どちらも、今までの私には望むべくもないものだった。


 これもみんな、フェリクス様が私をさらったから。そう考えると、何だか不思議な気分だった。


 そしてそれ以上に私を強くしてくれているのは、フェリクス様の言葉だった。アッカルド伯爵の別荘からこのヒンメルの王宮に向かう馬車の中で、彼が私に言った言葉。


 私は一人の人間だ。自分の道は自分で選べる。理不尽には怒れ。辛いなら声を上げろ。もうこれ以上、あきらめるな。


 ここヒンメルの王宮で様々なことを学び、ザンドラ様やエーリヒ様、メイドたちと交流していく中で、フェリクス様の言葉がより心の中で重みを増していくのを感じていた。


 最近ではすっかりエーリヒ様とばかり一緒にいるけれど、やっぱりフェリクス様とももっと会いたいし、話したい。


 そんなことを考えているうちに、私たちはフェリクス様の前にたどり着いていた。フェリクス様は豪華に着飾っていて、隣には同じようにしっかりと装ったザンドラ様がいる。


 フェリクス様はやはり疲れた顔をしていたけれど、それでも私とエーリヒ様が仲良くなっているのを見て、ちょっと困ったように笑っていた。ほんの少しよそよそしい態度なのは、気のせいかな。


 そしてザンドラ様は、今までに見たことのない顔をしていた。


 いつも通りの無表情で横を向いていた彼女は、その緑の目だけをゆっくりと動かして、私をきっとにらみつけたのだ。


 そこには、憎悪とでも呼ぶべき激しい炎が揺らめいていた。

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