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31.大団円を目の前に

 反乱は鎮圧された。そして反乱の首謀者であるエーリヒ様は、隙をついてナイフを自分の首に突きつけていた。


 あまりに突然のことで、兵士たちも動けずにいたようだ。隣にいたロルフが一瞬身をこわばらせた後、エーリヒ様のほうに向かって駆け出した。


 でも、足の速いロルフでも間に合いそうにない。もうナイフの刃が、エーリヒ様の首の皮に食い込み始めた。


 誰かが止めてくれれば、生きてさえいれば、私が治す。もう立っているのもやっとだったけれど、歯を食いしばってエーリヒ様に近づこうとする。


「……そこまで追い詰めてしまって、すまなかった。だがそれでも、あなたを失いたくはない。懸命に生きていれば、いつかまた、流れが変わることもある」


 と、フェリクス様の静かな声がした。


 彼はエーリヒ様に一気に駆け寄ると、そのナイフの刃をしっかりとつかみ、エーリヒ様の動きを止めたのだ。フェリクス様のがっしりした大きな手から、ぼたぼたと血がしたたり落ちる。


 切なげな、うつろな目でエーリヒ様がぼんやりとフェリクス様を見る。


「……お願いだから、止めないでください、フェリクス。私はもう疲れてしまいました。これ以上耐えたところで、何があるというのです」


「希望だ」


「絶望の、間違いでは?」


「いいや、希望だ。……ヴィオレッタは他ならぬ家族の手によって、幼子の頃からずっと幽閉されていた。十八歳になって、ようやく屋敷の外に出られたのだそうだ」


 フェリクス様の指摘に、エーリヒ様はのろのろと目を動かして私を見た。フェリクス様もその海色の目で、まっすぐに私を見つめている。


「彼女は寂しさも辛さも忘れていた。それほど過酷な状況で、彼女はひたすらに生き続けていた」


 きっとここからは、私が自分の口で語るべきなのだろう。絶望の底でフェリクス様と出会い、その手を取って立ち上がった私が。


「……私、ただぼんやりと夢見ていました。いつかここから、誰かが救い出してくれるんじゃないかって。自分には何もできない、離れで本を読んでいることしかできないって、そう思っていましたから。私には、待つことしかできなかったんです」


 エーリヒ様にさらに近づきながら、そっと言葉を添える。


「そうしたら、フェリクス様が私をさらってくれました。突然、思いもかけないところから救いの手が差し伸べられたんです」


 足が重い。ただ前に進むだけでも息が切れそうだ。そうしていたら、誰かが背中を支えてくれた。さっきまで一緒にいた、あのメイドだった。


 彼女の手を借りて、エーリヒ様とフェリクス様の前にたどり着く。エーリヒ様はすがるような目で、ただ私を見ていた。


「……ヴィオレッタ。君はこの王宮で、とても寂しそうにしていました。だから私は、君に声をかけたのです。君をフェリクスから奪おうと、そう思って。けれど、もしかすると……」


 ふうと息を吐いて、エーリヒ様は目を閉じた。


「私は君に、自分と近い匂いをかぎ取っていたのかもしれませんね。……分かりました。君とこの強情な弟に免じて、もう少しだけ生きてみることにしましょう。もっとも、生きることが許されるのであれば、ですがね」


 その言葉に、玉座の間じゅうに安堵のため息が満ちた。フェリクス様はエーリヒ様を兵士に引き渡し、陛下とナディア様のもとに歩み寄っている。


 二言、三言話して、彼はまたゆっくりと私のほうに戻ってきた。その顔には、ほっとした笑みが浮かんでいる。


 ああ、やっと終わった。これでもう、戦いも争いも、怖いことは全部終わるのだ。


 エーリヒ様は罪を犯した。でもその罪をつぐなったら、また新たな人生をやり直してもいいんじゃないかな。さらわれ村の、元盗賊のみんなのように。


 そうして、ザンドラ様とどこか遠くで暮らすのはどうだろう。親子三人、ひっそりと。エーリヒ様もザンドラ様も、もう表舞台には立てない身だ。でも、別の名前で、別の場所で、別の人生を生きることなら。


 うん、後でフェリクス様と陛下にそうお願いしてみよう。愛し合う人たちが、親と子が引き離されたまんまなんて、寂しすぎるもの。


 家族の温かさを知らないで育つ、その辛さはよく知っている。そんなものを味わう人は、少ないほうがいい。


 そんなことを考えながら、ほうと息を吐く。次の瞬間、背中にどんという衝撃を感じた。


「あ……れ……?」


 背中が熱い。足に力が入らない。踏ん張ったけれど、結局床に崩れ落ちてしまう。


 こちらに駆け寄ってくるフェリクス様の姿が見える。悲痛な顔をして、何か叫んでいる。音が幾重にも反響して、うまく聞き取れない。


 立たなきゃ。大丈夫ですって、フェリクス様に言わなくちゃ。


 でも、なんだかとっても眠い。指一本動かすのもおっくうなくらいに。


 まぶたが自然と下がってきて、目が開けられない。フェリクス様の叫び声が、近づいてきたような気がする。


 辺りが妙に騒がしい。あの狂ったような女性の笑い声は、誰のものなのかな。


 温かな腕の感触を最後に、私の意識はぷつんと途切れた。





「ヴィオレッタ、ヴィオレッタ、目を開けてくれ!」


 玉座の間はまた騒然としていた。王兄エーリヒが捕縛され、ようやく全てが終わったとみながそう思った瞬間、聖女ヴィオレッタが崩れ落ちたのだ。王太子フェリクスは彼女に駆け寄り、必死に声をかけている。


 そしてそんな中、ただ一人落ち着き払っている者がいた。ずっとヴィオレッタに付き従っていた、あのメイドだった。


 フェリクスの配下である密偵ロルフがメイドに詰め寄り、声を荒らげる。


「おい、あんた何笑ってんだ!? さっきヴィオレッタ様を刺したの、お前だろう!? どうして、こんなことをした!?」


 すっかり頭に血が上ってしまっているロルフとは対照的に、メイドは落ち着き払って答えている。


「私は主のかたきを取っただけです。この中途半端な聖女さえいなければ、フェリクス様は毒に倒れ、エーリヒ様が王太子となられたでしょう。それこそが我が主、第二王妃ツェツィーリエ様の望みでした」


 そうしてメイドは、狂ったように笑い出す。その調子はずれの異様な声に、その場の全員が凍りついた。


「ツェツィーリエ様のかたきを取るため、ただそれだけのために私はヴィオレッタ様づきのメイドになりました。ツェツィーリエ様はなんて恐ろしいことをしたのだろう、あんな方を主と呼んでいたことが恥ずかしい、そんな演技をして、周囲を油断させたんです。演技とはいえ、苦しゅうございました」


 せきを切ったように語っていた彼女が、不意に柔らかく笑った。その優しい笑みが、戸惑っているエーリヒに向けられる。


「そうしたら、エーリヒ様が反乱を起こされたという知らせを聞きました。これはきっと、天が私に与えてくれた好機に違いない。そう思いました」


 エーリヒが息をのむ。けれどメイドは彼には構わずに、フェリクスに一礼した。


「眠りの毒、昔ツェツィーリエ様からいただいた特別な毒を塗ったナイフを忍ばせて、ヴィオレッタ様を襲う機会をずっとうかがっていたんです。本当は刺し殺すことができればよかったのですが……やはり、私の腕力では足りなかったようです」


「君は王宮に、家族がいると……だからこそ、こうしてここまで連れてきたのだが……あれは、もしかして嘘、だったのか?」


 ヴィオレッタを抱きしめたまま、呆然とフェリクスがつぶやいた。メイドはさっきまでのおびえようが嘘のように、きっぱりと言い切る。


「もちろん、嘘です。ああ言えば、お人よしのフェリクス様はだまされてくれるかと思いました」


 彼女の顔に浮かびっぱなしの笑みが、ひときわ深くなる。いっそまがまがしいほどに晴れやかな笑顔で、彼女は高らかに言った。


「聖女は、同時に二人現れることはない。そして意識のない聖女は、自分自身を癒すことはできない。だからヴィオレッタ様は、もうずうっと眠ったままになるんです。そうして衰弱して、死んでいくんです」


 兵士たちに引きずられるようにして、メイドは玉座の間から連れ出される。その間も、彼女は楽しそうに笑っていた。


 ぞっとするような笑い声が、この場の全ての者を圧倒していた。

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