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29.王子と王子

 玉座の扉の前には、二人の騎士が並んで立っていた。私たちの姿を見て、ためらうことなく剣を向けてくる。


 勇ましい村人たちも一斉に武器を構え、騎士たちに突進していく。


 金属がぶつかり合う鈍い音、短い叫び声。戦いの音。聞きたくないと、心からそう思えてならなかった。


 相手が騎士ということもあって多少てこずっていたようだけれど、それでもみんなはあっさりと勝利を収めた。細かい傷をいくつも負っている彼らを、あわてて治す。


「……いよいよ、エーリヒとの対面だな。俺は彼と話しにいく。他の者は、会話を妨害されないように援護を頼む。具体的には、彼が連れている兵を抑えてほしい」


 全員でうなずきあってから、フェリクス様は扉に手をかけた。そうしてゆっくりと、押し開いていく。


 だだっ広い玉座の間、その真ん中に、エーリヒ様は立っていた。一人、ぽつんと。


「ああ、やはり来たのですねフェリクス。君のいない間を狙って、反乱を起こしたのですが……予想よりもかなり早く、ここまでやってきてしまいました。本当に、迷惑ですね」


 エーリヒ様は独りきり。対する私たちはたくさん。それなのに、彼はその数の差をまったく気にしていないようだった。


 いつもと同じ穏やかな雰囲気のまま、彼は私たちを順に見ている。そうして、大げさに眉をひそめた。


「それにしても、なんとひどい兵でしょう。まるで、ごく普通の村人……いえ、その身のこなし……まさか、賊のたぐいでは? ふふ、そんなはずはありませんね」


 微笑みながら肩をすくめるエーリヒ様に、フェリクス様が答える。とても静かな、しかし張り詰めた声で。


「……ああ。かつて俺が退治した盗賊たちだ。あくまで盗みに徹していたということもあって、まだやり直せると思った。いや、やり直してほしかった」


 その言葉に、周囲の村人たちが背筋を伸ばす。そっと様子をうかがうと、みんなとても神妙な顔をしていた。


「彼らには罪をつぐなわせた。そして今では、新たな人生を送っている。今はごくありふれた村人だ。だがあなたが起こした変事を収めるため、彼らに力を貸してもらったんだ」


「盗賊に、新たな人生……ああ、君は本当にお優しい。……お優しいといえば、隣の女性もそうですね」


 エーリヒ様が、私を見た。一緒に楽しく過ごしていた頃と変わらない笑顔が、今はとても怖かった。


「彼女は隣国ガッビアの、しかも子爵家の娘。そんなものをわざわざ連れ去ってきたというのが不思議でなりませんでしたが……聖女ということであれば、当然ですね」


 その声はやけに平坦で、そのくせわずかないら立ちを秘めていた。


「あと一歩で彼女を手なずけられたのですが、惜しいことをしました」


 私にエーリヒ様が近づいたのは、ただの打算だ。前にロルフが言っていた言葉が、ありありとよみがえってくる。


 あの時はその言葉を、受け入れることができなかった。でも今こうしてエーリヒ様と向き合って、理解した。ロルフの言葉は当たっていたのだと。


「ただ、どうやら彼女の実の姉と母が、詐欺に手を染めて投獄されたとか? ……歴代の聖女の中には平民も多くいましたが、そういった聖女と比べても、少々……犯罪者の娘というのは……おや、失礼。口が過ぎましたね」


 私が動揺していることに気づいているだろうに、エーリヒ様は涼しい顔でそんなことを付け加えている。とても無情に、私をおとしめようとしている。


 虐げられることも、蔑まれることも、慣れていたはずなのに。十八年、ずっとそんな中で生きてきたのだから。それなのに、やっぱり辛かった。


「身分がどうした。家族がどうした。聖女だから、何だというんだ。俺は、彼女と共にありたい。ただそれだけだ」


 泣きそうになっていると、フェリクス様の声が響いた。冷え切ったこの場の空気を切り裂くように。


 そうして、沈黙がやってきた。みな戸惑いを顔に浮かべて、じっとフェリクス様とエーリヒ様を見つめている。


 フェリクス様は、じっとエーリヒ様だけを見ていた。鋭い、けれど悲しそうな目で。


 エーリヒ様は目を伏せて、あらぬ方を見ている。その顔には、張り付けたような笑みが浮かんだままだ。


「……そうやって、君は欲しいものを手に入れていく」


 そんな言葉が、エーリヒ様の唇からもれた。ひどく穏やかなのが、かえって恐ろしかった。


「王太子の座も、信頼できる配下たちも、望んだ妻も」


 彼の声は、どんどん大きくなっていく。かすかに震え、激しくなっていく。


「私には何もない! 私だって確かに王の血を引いているのに、ただの王子、王兄でしかない!」


 エーリヒ様の叫び声が、玉座の間に響き渡る。けれど次の瞬間、彼はまた元通りの穏やかな声に戻る。


「だから、たわむれにザンドラに近づいた。君の妻である彼女をかすめ取ってやろうと思ったんですよ。……君は、彼女を放置しているようでしたから」


 その言葉に、フェリクス様がうつむいた。絞り出すような声が、その唇からもれる。


「……近づくことすら、許されなかったんだ。彼女は俺のもとに嫁いできたその日からずっと、俺を近づけなかった」


 俺は彼女に指一本触れていない。フェリクス様は初めて会ったその日に、そんなことを言っていた。


 あの時は、そんなこともあるのかぐらいにしか考えていなかった。でも今は、きっと二人の間には色々な思いがあったのだろうと、そう想像がつく。


 ザンドラ様は政略結婚で嫁がされたことへの精いっぱいの抵抗として、夫を拒んだのだと思う。お飾りの正妃の座にあることが、自分で選べる唯一の道だったのだろうな、とも。


 フェリクス様はそんな彼女に近づこうとして、心を開かせようとして。でも彼は優しいから、自分を拒むザンドラ様に強引に近づくことができなくて。


「できることなら、彼女の夫として、彼女を守り、愛したかった」


 答えるフェリクス様の声には、はっきりとした後悔の響きがあった。それを聞き取ったのか、エーリヒ様が得意げに笑う。


「ああ、でしたらその点については、私のほうが上ですね。少なくとも私はザンドラの心を手に入れたのですから」


「上とか下とか、そういった問題ではありません!」


 そんな二人のやり取りを見守っているうちに、ついそんなことを口走ってしまっていた。


 出しゃばってしまったなと思いながら、必死にエーリヒ様に問いかける。


「……ザンドラ様は、あなたのことを愛していました。密通という罪を犯すほどに。あなたは、ザンドラ様のことを……少しも、愛していなかったのですか? そんなことないですよね?」


「……ヴィオレッタ、それこそどうでもいいことなのですよ。私とザンドラが共にあることはできない、それは最初から決まっていたことなのですから」


 けれど返ってきたのは、答えになっていない答えと、妙に静かな笑みだけだった。


 この表情には見覚えがある。かつてリッツィの屋敷の離れで暮らしていた頃、鏡の中の私はあんな顔をしていた。あきらめの顔だ。


 胸がつまって、それ以上何も言えない。エーリヒ様は私から視線をそらして、優雅に言葉を続けている。


「ザンドラの心は手に入れました。でも、それだけです。だから私はこうして、別のものを手に入れようと思いました。どうせなら、私がずっと、欲しかったものにしよう。そう思ったのですよ」


「……王太子の座か」


「ええ。私だって、そこそこいい王になる自信はありますよ? 君のように、盗賊を手なずけるなんて芸当は無理ですが」


 明らかにフェリクス様を馬鹿にした顔で、エーリヒ様はそんなことを言っている。


 私たちの周囲のみんなが、一斉に身じろぎした。なんだろう、この背中がそわそわする感じ。もしかして、殺気、かな。


 フェリクス様は小さく息を吐いて、静かに言った。


「俺は権力には興味がない。できることなら、あなたに譲りたかった。だが、まだやるべきことがある。それをなすまでは譲れない」


「参考までに、聞かせてもらえませんか? ことと次第によっては、私が代わりになしてあげなくもないですよ?」


「聖女を守る、そのための法だ」


 軽妙に喋っていたエーリヒ様が、目を見張って口をつぐむ。フェリクス様はそんなエーリヒ様をまっすぐに見返して、堂々と続けた。


「聖女を戦の道具として用いることを禁ずる、聖女もまた一人の人間であり、王族の所有物ではないのだということを定める」


 どうやら、エーリヒ様はあっけに取られているらしい。さっきまでの優雅な雰囲気も、時折見せていた激しさも消え失せていた。


「ずっと前から思っていた。我らがヒンメルは、もう十分に大きく豊かだ。聖女を犠牲にして戦をせずとも、問題なくやっていけるくらいに」


「……馬鹿馬鹿しい。何を言い出すかと思えば。君はそこのヴィオレッタをさらってきたのでしょう?」


「ああ。彼女が聖女の卵だと気づいたからな。だが、俺は彼女を一人の人間として扱おうと、そう努力してきた」


「結局、こうして戦いの場に連れてきてしまったというのに?」


「そ、それは私が自分で望んだことです!」


 フェリクス様とエーリヒ様の言い争い、ちょっぴりフェリクス様のほうが不利かなと思った拍子に、また口を挟んでしまった。あわてて口を閉ざして、目を伏せる。


 と、すぐ隣のフェリクス様が小さく笑った気配がした。そして、とても優しい声が聞こえてくる。


「震えながら、おびえながら……それでも彼女は懸命に、怪我人を癒していた。その姿を見て、改めて思った。聖女を守る法を、一刻も早く作り上げねば、と」


 エーリヒ様は何も言わない。どうしたのかな、とそろそろと上目遣いにそちらをうかがったその時、くつくつという笑い声が聞こえた気がした。


「……ああ、本当に君は甘いですね。人を信じ、善意を信じ、理想に向かって進み……甘すぎて、吐き気がします」


 そうして彼は、すっと片手を挙げた。


 同時に、あちこちから兵士がわいてくる。しかも背後の扉が開いて、そこからさらにたくさんの兵士たちがなだれこんできた。

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