26.寝耳に水
エーリヒ様が、反乱を起こされた。想像もしていなかったそんな知らせに、言葉が出てこない。
けれどフェリクス様は少しも焦った様子を見せずに、淡々とロルフに尋ねている。
「慎重なエーリヒが一人で事を起こしたとは思えない。背後に誰がついている?」
「はい。エーリヒ様の母君……今は亡き、第二王妃ツェツィーリエ様ですね、そのご実家がからんでるみたいなんすよ。あそこ、公爵家ってこともあって力は持ってますから」
「反乱の、名目は?」
「えーとですね、『王太子フェリクスは聖女を見つけたにもかかわらず、その存在を隠している。聖女が見つかったからには他国に戦を仕掛け、領土を広げなくてはならない。フェリクスはその義務を怠った、裏切り者だ』だそうです」
ロルフが言い出しにくそうな表情で、しかしよどみなく答える。フェリクス様は悔しげに歯を食いしばっていたが、やがて絞り出すような声で続けた。
「……状況は」
「陛下とナディア様は私室に軟禁。王宮の騎士及び兵士の約半数がエーリヒ様につきました。不意を突かれたこともあって、残り半数は監禁されてしまってます。実質的に、王宮は乗っ取られた形になってますね」
とんでもない内容を、ロルフはさらっと語る。彼は肩をすくめて、ちらりと上目遣いにフェリクス様を見た。
「この情報も、王宮にいたオレの部下が運んでくれたんすよ。結構命がけの脱出だったみたいで」
「ああ、助かった。この騒動が片付いたら、何かほうびを取らせなくてはな」
「ええ、よろしくお願いします。あいつも喜びますよ」
二人はそんなことを話していたけれど、私は私で別のことが気になってしまっていた。
「あの、その人……命がけだったって……大丈夫でしょうか? 会わせてくれれば、私、治しますけど……」
「ありがとうございます、ヴィオレッタ様。ま、ちょっと怪我はしてますけど、たいしたことないっすよ。そのうちどこかで合流できると思うんで、その時にでも治してやってくれたら、オレも嬉しいっす」
何だか大変なことになっているようだけれど、私も力になれる。そう思ったら、ちょっとだけ不安が和らいだような気がした。
でも、胸の中のもやもやが晴れた訳ではない。
反乱。それも、あのエーリヒ様が。あの方はとっても優しい人なのだと、今でもそう思っている。だからこそザンドラ様を慰めようとしてあんなことになったのだ。そんな確信めいたものを、私はひっそりと抱いていた。
「……状況は分かった。ひとまずあちらと合流しよう。王宮の兵があてにならない以上、それが一番だろう」
「やっぱり、そうなるっすよね! フェリクス様がそうおっしゃると思って、一足先にそちらに声かけてきちゃいました! オレたちが着く頃にはみんな準備万端っすよ」
「そうか、助かる」
戸惑う私をよそに、フェリクス様とロルフはいつもと大して変わらない。フェリクス様は落ち着いていて、ロルフはあきれるくらいに軽い。
どうしてこんな局面で、そんな顔をしていられるのだろう。
そもそもあちらとかそちらって、何だろう。私だけ置いていかれたように思えてしまって、うつむいて唇をかむ。
そんな私に、フェリクス様が呼びかけてくる。とても頼もしく、でも少し怖い声で。
「ヴィオレッタ、これから俺たちは別の道で国境を越え、味方と合流する。俺のそばを離れるな」
「はい。でも、あの……メイドはどうしましょうか。戦いになるのであれば、ここで待っていてもらったほうが……」
ヒンメルの王宮から、ずっと別の馬車に乗ってついてきてくれていたメイド。彼女はこの旅の間、私の世話をするために来てくれていた。
フェリクス様の妻となる、しかも聖女である私と違って、一使用人に過ぎない彼女はこの戦いとは関係ない。
しかし次の瞬間、部屋の扉がいきなり開いた。その向こうから、メイドがそろそろと部屋に入ってくる。顔色は真っ青で、かわいそうになるくらい震えている。
「も、申し訳ございません! あの、戦いというのは、本当……なのでしょうか?」
「ああ。そう長く続きはしないが、少しの間王宮とその周辺は危険だ。お前はここで待っているといい」
「お、お願いいたします、私も連れていってください……王宮に、家族がいるんです……」
その言葉に、思わずフェリクス様を見る。ロルフも同じように、フェリクス様を黙って見ていた。フェリクス様はしばらく考え込んで、小さくうなずいた。
「……分かった。ただし、身の安全は保障できない。それでもいいか」
「はい!」
フェリクス様の返事を聞いて、メイドはぱっと顔を輝かせた。その表情に、うらやましいと思ってしまった。血のつながった家族たちに別れを告げてきた、そのことを思い出してしまったから。
そうして、フェリクス様は出立の準備のために、メイドは荷造りのために部屋を出ていった。私にできるのは、ただ待つことだけだ。
と、ロルフがきょろきょろしながら近づいてきた。
「あ、ヴィオレッタ様、ちょっといいっすか」
やけに声が小さい。それに入り口の扉のほうを警戒しているようにも思える。
「今のうちに、解説しておこうと思って。フェリクス様の悪い癖が、また出てるんで」
「ええっと……悪い癖?」
「ほら、前に言ったあれっす。フェリクス様が、どういう訳か大切な相手には無愛想で口下手になるっていう」
そういえば、そんなことを言っていたような。こくりとうなずくと、ロルフはもう一歩近づいてきてひそひそ声で言った。
「それで、さっきのことですが……フェリクス様、かなり焦ってます。反乱がどうとかこうとかいうよりも、ヴィオレッタ様を守り切れるのかって。なんせ反乱の名目として、聖女の存在が名指しされてますから」
「そう……なんだ」
「ええ。顔がこわばってましたからね。『俺から離れるな』の言葉が出てきた時はほっとしましたよ。ちなみにあの言葉には、『俺が絶対に守ってやる』が続いてますから」
「おい、何を勝手に解説している」
ひときわ不機嫌な声が入り口のほうから聞こえてくる。
おそるおそるそちらを向くと、眉間にくっきりとしわを寄せたフェリクス様がそこに立っているのが見えた。しかしその頬は、かすかに赤みを帯びている。
しかしロルフは動じていない。にやりと笑って、すぐに言い返している。
「配下からの、ささやかな気遣いっすよ。ここでちゃんと説明しておかないと、ヴィオレッタ様が勘違いしてへこんじゃいそうなんで」
明るく話していたロルフの顔から、笑みが消えた。彼がとても鋭い顔立ちをしていることに、今さらながらに気づく。
「……それに、あなたが結局ザンドラ様とは歩み寄れなかった理由の一つに、あなたのその癖もあると思います。オレ、もうあなたに失敗してほしくないんす」
突然飛び出たザンドラ様の名前に、私とフェリクス様は同時に顔をこわばらせた。けれどロルフは気楽な足取りで、ふらふらと歩き出す。
「さーってと、オレも準備しないと。国境を越えるには、オレの偵察能力がとっても必要になりますからね」
そうして彼はフェリクス様の横をすり抜けるようにして、するりと部屋から出ていってしまう。後に、気まずい空気を残して。
「……あの」
「……その、なんだ」
同時に口を開いてしまい、また黙り込む。
「……私、ロルフがうらやましいです」
ぽつりとつぶやくと、フェリクス様が目を丸くしてこちらを見た。
「私も彼みたいに、フェリクス様のちょっとした表情の違いを見分けられるようになりたいです。何を考えているのか、何を感じているのか、ちゃんと分かるようになりたい。そうしたら、勝手に落ち込んであなたに迷惑をかけなくて済みますから」
「ヴィオレッタ……」
「ずっとあなたのそばにいれば、いつかはかなうのでしょうか?」
そう尋ねると、彼はくしゃりと微笑んだ。泣き笑いのような、そんな笑顔だった。
「ああ、きっと。……俺はこの通り不器用で、愛想も悪い。妻に嫌われ、裏切られるような、そんな男だ。君にも、苦労をかけるだろう」
「いいんです。フェリクス様のためですから、苦労なんて思いません。……寂しいな、とは思ってしまいますけど」
彼の様子をうかがいながら、そっと本音をもらしてみる。未来の王妃として、こんな気弱なことじゃいけないのだろうと思いつつ。
「君が寂しくならないよう、努力する。だからどうか、俺を見捨てないでくれ」
「見捨てたりなんて、絶対にありません」
勇気を出して、フェリクス様のそばに歩み寄る。そうして思い切り、抱き着いた。フェリクス様の大きな体は、私が体当たりしてもびくともしなかった。彼の腕が伸びてきて、私をしっかりと捕まえる。
そうして二人で、寄り添っていた。これから立ちはだかっている困難に立ち向かうための力を、互いに与え合うかのように。




