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25.帰り道の約束

 古い絵本を大切に抱えて、また馬車に乗り込む。私がリッツィ子爵家から、私が生まれ育った場所から持ち出したのは、その絵本だけだった。


 そうして、また馬車に揺られて来た道を戻っていく。ほっとした思いと、ぽっかりと胸に穴が開いたような感覚を抱えて。


「ともかくも、こうしてはるばる国境を越えてきた目的は果たせたな。色々と腹立たしいこともあったが。……多少なりとも、君の心にわだかまっていたものが軽くなっているといいと、そう思う」


 隣に座るフェリクス様は、いつになく自信なげな声をしていた。


 そちらを見上げると、彼は困ったような顔をして目をそらしている。時折ちらちらと、私の反応をうかがうようなそぶりを見せていた。ちょっと、可愛らしいかもしれない。


「軽くなりました。やっと、解放された気がします。……そのせいか、ちょっと胸の中に隙間風が吹いているようで……そのうち、この感じにも慣れるとは思いますけれど」


「胸の中に隙間風、か。それも無理はないな。俺から見てもあの家は異常だった。予想していた以上に」


 そう言って、フェリクス様はぎゅっと抱きしめてくる。


 リッツィの屋敷を発ってから、彼はしょっちゅう私に触れていた。まるで私を、捕まえておこうとするかのように。でも私も、こうされているのは好きだ。


「君の胸の空白は、俺が埋めてやる。嫌というくらいに幸せにしてやるから、覚悟しておけ」


「嫌というほど幸せにって……ふふ、お手柔らかにお願いしますね」


 フェリクス様の物言いが面白くて、ついくすくすと笑ってしまう。フェリクス様はさらにしっかりと腕に力を込めて、私の頭に頬を寄せた。


「どうだろうな。俺はもとより手加減は苦手だ。……それに生まれて初めて、手放したくない、愛したいと思える相手に出会えたのだから。思う存分甘やかして幸せにしたいと思うのは当然だろう?」


 堂々と語る彼の声は、しかしどことなく寂しそうだった。


 フェリクスにも、心の支えが必要だから。かつてナディア様が語った言葉が、ふっと胸をよぎる。ザンドラ様にも、支えになる人はいるのかな。あの時私はそうも思った。


 ザンドラ様の冷たい目が、ナディア様の優しい笑顔が、ツェツィーリエ様の怨念がこもった視線が、次々と胸によみがえってくる。


 それらの面影に背を押されるようにして、口を開いた。


「……フェリクス様、その……一つ、お願いをしてもいいですか?」


「何だ?」


「側室の制度を、廃止してほしいんです。ヒンメルでは珍しくもないと、そう聞いてはいますけど……」


 私の言葉が意外だったのか、フェリクス様の腕がこわばる。言わなければよかったかなという弱気な心をぎゅっと胸の奥に押し込んで、さらに話し続ける。


「……側室の制度がなかったら、第二王妃ツェツィーリエ様の悲劇は、きっと起こらなかった。それにまつわる、数々の悲劇たちも。私には、そう思えてならないんです」


 陛下は正妃アガーテ様を愛していた。そうして、フェリクス様が生まれた。それだけでよかった。


 アガーテ様を亡くされた陛下は悲しみに暮れただろう。でも、それから改めて誰かと再婚すればよかったんだ。そう、ナディア様とか。


 そうすればツェツィーリエ様も、王家とは関係のない別の誰かのところに嫁いで、そこで幸せになれたかもしれない。そこで生まれたエーリヒ様も。


「そ、それに……私は、フェリクス様が他の女性を妻と呼んだら、たぶん嫉妬で寝込みます……それが側室でも」


 最後に、自分の嘘偽りない思いをそのままぶつける。ずっと固まっていたフェリクス様が、大きく息を吸った。


 けれど彼は、何も言わない。どうしよう、怒らせちゃったかな。


 王太子の妻になるとはいえ、私は隣国ガッビアの、しかも子爵家の娘に過ぎない。ヒンメルの決まりに口を出せる立場ではないような気もする。


 がたごとと、小気味いい音を立てて馬車は進んでいる。けれど私もフェリクス様も、ずっと黙ったままだった。


「……ふ」


 不意に、フェリクス様が小声で言った。


「……ふふ、そうか……嫉妬で寝込むか……俺も、愛されたものだ……」


 あれ? 怒ってない? とほっとした次の瞬間、今度は思いっきり抱きしめられてしまった。く、苦しい。


「よし、王宮に帰ったらすぐに、そうしよう。父上や大臣たちと相談して文言を調整する必要があるが、俺たちが婚約するより前に、新たな制度ができるだろう」


「えっ、いいんですかそんなに簡単に!?」


 自分で頼んでおいて何だけれど、あまりにあっさりと解決してしまいそうな気配に驚いてしまって、ついそんな声が出てしまう。


 フェリクス様は私をがっちりと抱きしめたまま、朗らかに笑っている。


「忘れたか? 俺は父上と共に、より困難なものに立ち向かっている。聖女が戦に駆り出されないように法を整備する、というものだ。それに比べれば、王家の側室制度を変えることなど、簡単だ」


 そこまで言って、ふっと彼の腕が緩んだ。彼は私の肩に頭を乗せるようにして、静かに続ける。


「……俺も父上も、おかしいとは思っていたんだ。過去にも幾度となく、正妃や側室たちの間でいがみあいが繰り返されてきた。王家の血を絶やさぬための制度だったのだろうが、そのためだけに、あまりに多くの者たちが犠牲になりすぎた」


 そっと手を伸ばして、彼の肩に触れる。辛そうな彼を支えてあげたかった。


「それを分かっていてなお、俺たちは声を上げることをためらっていた。この制度がおかしいと主張すれば、俺たち王族の男が加害者側、女たちを苦しめる側の者なのだと、認めてしまうような気がして」


「……加害者じゃないですよ。陛下もフェリクス様も、あれこれと気を配っておられましたから」


「気を遣わせたな、すまない。だが、君の願いは必ず聞き届ける。約束だ」


 フェリクス様がそう言いながら、小指を差し出してくる。自分の小指をからめて、うなずきあった。




 それからの帰り道は、とても順調だった。もう何も気がかりはないし、行きよりものんびりできたのだ。丸一日町を見て回ったり、ちょっとしたおみやげを買ったり。


 すっかり観光気分で楽しんでいたある夜、ロルフが音もなく宿の部屋に入ってきた。しかも、窓から。メイドはもう下がっていて、そこにいたのは私とフェリクス様だけだった。


「フェリクス様、ヴィオレッタ様、少々まずいことになってるっす」


 前置きもなく、ロルフは小声で言った。やけに真剣な表情だ。この旅の間、彼は少し離れて私たちを追いかけてきていた。いざという時の護衛兼、王宮との連絡役として。


「行きと同じ道を通って帰るのは危険っす。もっと南の、荒地を走る街道から国境に向かいましょう。あそこなら罠も張れませんし、不意打ちも難しい」


「……誰か、俺たちの命を狙う者が待ち伏せしている可能性があるとか、そういうことか?」


 フェリクス様は納得したという顔でうなずいている。ロルフはちょっとためらってから、やけにゆっくりと答えた。


「はい。……エーリヒ様が、反乱を起こされました」

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