19.真犯人は誰だ
ザンドラ様がフェリクス様の寝室に入ってから、どれくらいの時間が経っただろう。その場のみんなで固唾をのんで、寝室に続く扉をじっと見つめる。
と、扉がゆっくりと開いた。姿を現したのは、深刻そうな顔をしたフェリクス様。その後ろに立つザンドラ様は、なんと泣いているようだった。
「……尋問の準備を始めてくれ。ザンドラと、エーリヒだ」
それだけを言い捨てると、フェリクス様は大股に部屋を出ていってしまった。ザンドラ様を、戸惑う兵士たちに引き渡して。
尋問の場には立ち会えなかった。元々、女性が立ち会うようなものでもないらしい。そこはとっても怖い場所らしいのだ。
仕方なく、尋問室に向かう下り階段のすぐそばで、フェリクス様の帰りを待つことにした。いったい何がどうなっているのか、一刻も早く知りたかったのだ。
隣にはロルフもいる。私の護衛を務めるのだと、彼は大いに張り切っていた。そんな彼に声をかけてみる。ただ待っているだけというのも、落ち着かなかったから。
「……ねえロルフ、あなたはとっても身が軽くって、気配も消せるみたいだけど……どうやって、そんなことを覚えたの?」
他にいい話題も思いつかなかったし、ずっとそのことが気になっていた。なのでそう尋ねてみたのだけれど、彼は困ったように視線をそらしてしまった。
「いやあ、恥ずかしい話になるんすけどね……昔、オレ、盗賊だったんすよ。子供の頃に盗賊の頭に拾われて。色んな技術は、そこで身につけました」
「盗賊? そんな風には見えないわ、全然」
「はは、ありがとっす。でも、ずっと盗賊として生きていくのが嫌んなったんで、脱走したんす。ま、当然ながら他の連中は追いかけてくる、と。ああこれはもう絶体絶命だなってとこで、通りがかったフェリクス様が助けてくれました」
今まで聞いたこともないようなとんでもない話に素直に感心していると、ロルフがふっと暗い顔をした。
「ヴィオレッタ様は、人と関わらずにいたからか、ちょっぴり人を信じやすいところがあるっすよね。今の話も、どこまで本当か分からないとは思いませんか?」
「そう……かな? だって、あなたはフェリクス様の密偵なんだし、信じても大丈夫だと思うのだけれど」
思ったままそう答えると、ロルフは深々とため息をついた。
「純真なのはいいとは思いますし、たぶんフェリクス様もあなたのそういうとこがいいなー、って思ってるんでしょうが……もうちょっと、警戒心は身につけたほうがいいっすよ」
「警戒心……どういうこと?」
「はっきり言ってしまうと、エーリヒ様のことっす」
きょろきょろと周囲を見渡してから、小声でロルフは続ける。
「……エーリヒ様があなたに近づいたのって、ただの打算っす。フェリクス様の客人を奪って嫌がらせしてやろうとか、自分の陣営に引き込んで、フェリクス様に対するスパイや工作員として使おうかとか、そんな感じっすよ」
彼の言葉が信じられなくて、ただまばたきしながらじっと顔を見つめる。
「え、でも、エーリヒ様はいつも優しくて……」
「オレ、色々見聞きしてるんす。あの方は、見た目によらず結構非道なところがありますよ。そうっすね、例えば……」
「や、やだ! 聞きたくない!」
もうエーリヒ様への思いは過去のものになっている。でもやっぱり、彼のことを悪く言うような話は聞きたくなかった。
思わず声を張り上げたその時、目の前の下り階段からフェリクス様が現れた。とても疲れた顔だ。
「二人とも、こんなところにいたのか。……それも仕方ない話か。結果が気になるのだろう?」
ロルフと二人、こくこくとうなずく。フェリクス様はふうと息を吐いて、声をひそめた。
「俺の部屋で話そう。ついてこい」
フェリクス様の部屋に入ったとたん、フェリクス様とロルフは扉と窓にきっちりと鍵をかけてしまった。
さらにフェリクス様は私を長椅子に座らせて、自分も隣に腰を下ろす。ロルフは向かい合うようにして、壁際に立っている。
私はおとなしく座ったまま、じっとフェリクス様の言葉を待つ。彼は私とロルフから目をそらしたまま、ぽつりとつぶやいた。
「……取り立てて、収穫はなかった。二人とも密通については認めたが、俺に毒を盛ったことについてはかたくなに否定した」
「でも、確かに誰かが、フェリクス様に毒を盛った……んです、よね……どうしよう、犯人が見つからなかったら……」
三日に一度くらい、フェリクス様の輝く雲には影が差す。それが毒のせいなのだと、フェリクス様はそう断定していた。
毒を盛られるのは、王族、特に王や王太子にはよくあることらしい。「王族は子供のうちから少しずつ毒を飲んで慣らしておくから、普通の人間よりは遥かに毒に強いし、毒についての知識も豊富だ」と、フェリクス様は涼しい顔でそんなことを言っていた。
けれど陛下は離宮での静養を余儀なくされ、フェリクス様は死ぬ一歩手前までいった。そして今も、誰かがフェリクス様に毒を盛っている。
今なら、私にも分かる。そうまでして、陛下を、フェリクス様を消したい人間がどこかに、おそらくはとても近くにいるということが。
でもやっぱり、そんなことを信じたくはなかった。
家族の手によって離れにずっと押し込められていた私だけれど、だからこそ信じたかった。私がたまたまこんな目にあっているだけで、外の世界にはきらきらとした綺麗なものがいっぱいあるのだと。
いつかこの離れを出て、優しくて素敵な世界に飛び出すのだと、子供の頃はずっとそう夢見ていたから。
でも、外も同じだった。形が違うだけで、悲しみも苦しみもいっぱいある。
涙がこみあげてきて、それ以上何も言えない。困っていたら、フェリクス様がそっと手を握ってくれた。
「……俺が毒殺されることで真っ先に利益を得られるのはザンドラだ。望まぬ結婚からは解放されるし、愛しい男との子を堂々と生むこともできる」
いつになく深刻な顔で、ロルフが付け加える。
「それに、エーリヒ様もっす。おとなしくしていれば王位継承権第一位がもらえますし、うまいこと立ち回れば愛しいザンドラ様を妻に迎えることだってできちゃいますから……うわ、愛と権力、あとたぶん金とか名誉とか、そういうのが丸ごと手に入りますよね」
ロルフの言う通りだと思う。でもやっぱり、エーリヒ様がそんな風にひどいことを考えているだなんて、思いたくない。
それにザンドラ様だって、とても冷たかったけれど、それでもちゃんと必要なことを私に教えてくれた。あの人が悪人なんて、やっぱり……嫌だ。
「でも、その二人はどうやら違うみたいです……よね」
ちょっぴり涙のにじんだ声で、そろそろと二人に問いかける。二人は難しい顔をして、視線をそらした。
「となると、次の容疑者は……すんません、オレにはさっぱりです」
「俺にも分からん。そもそも、あの二人が犯人である可能性も……仕方ない、あぶりだすか」
ちょっと散歩にでも行く時のような軽い口調で、フェリクス様がそう言った。
けれど彼の手は、私の手をぎゅっと握りしめていた。かすかに震えるその手は、彼の苦悩を表しているようだった。
その三日後、こんなおふれが王宮中に出された。
『王太子妃ザンドラ、王兄エーリヒ、この両名は共謀して王太子フェリクスを毒殺しようとした。よって、死刑となることが決まった』と。
王宮はすっかりざわついてしまった。ザンドラ様とエーリヒ様は、王宮のそれぞれ別の場所に幽閉されている。二人に仕えていた侍女や小姓たちも、みな王宮の別棟で軟禁されることになった。
これが、フェリクス様の次の策だった。今回の件の真犯人をあぶりだすための。
もし本当にザンドラ様とエーリヒ様が毒を盛っていないのであれば、他に真犯人がいる。もしその誰かが二人の味方であれば、この状況をどうにかしようと急ぎ動くだろう。そこに、きっと隙が生まれる。
逆にその誰かが二人の味方でないならば、これはこれで動いてくれる可能性がある。
二人を捕まえたことでフェリクス様の気が緩むかもしれないし、あるいは余計に監視が厳しくなるかもしれない。仕掛けるなら今しかないと、そう思ってくれれば。
ちょっと不確定な要素が多すぎるとは思ったけれど、今はこうやってひたすらに待つしかない。真犯人が引っかかるのを期待して、また別の罠を張って。
そうして今夜も、私はフェリクス様の部屋に泊まり込んでいた。正確には、彼の寝台のそばに作られた隙間に、毛布と一緒にもぐりこんでいるのだ。
入り口側から入ってきた人間には、私の姿はまず見えない。寝台とタンスがうまい具合に私の姿を隠してくれているからだ。
私は毛布を敷いただけの床に寝転がっている訳だけど、そちらは別に辛くはなかった。
ここはあの離れとは違って隙間風一つ吹かないし、毛布は信じられないほどふかふかでさらさらだから。何日だって、ここに泊まっていられる。
だから問題は、もっと別のところにあった。
「……本当に、大丈夫でしょうか……犯人が、思い切った行動に出てしまったら……」
「そんな事態に備えて、君にここに来てもらった。なに、君さえいれば大丈夫だ」
「……自信がありません……」
「君はこれまで、聖女としての力を磨いてきた。たくさんの人を一度に癒すことができずとも、君はやはり聖女だ。そんな自分を、信じてやれ」
寝台の上に横たわったフェリクス様と、小声でそんなことを話し合う。
よりにもよってフェリクス様は、自分自身を餌としてしまったのだ。私がいるのをいいことに。
昼の間は、フェリクス様の警護を思いっきり強化してある。けれど夜だけはいつも通りにして、代わりに私がそばについているのだ。
もちろん、毒を盛るなら今だ、と真犯人が思うように。そうして実際に毒が使われても、すぐに治せるように。
幽閉されたザンドラ様とエーリヒ様の周囲にも、同様に罠を張ってある。警備に、わざと一か所だけ穴を作っているのだ。こちらについては、ロルフとその配下の密偵たちがひそんでいる。
この罠を仕掛けて、はや四日目。私は緊張のせいで夜の間中眠れずに、すっかり昼夜逆転してしまった。昼間はずっと、客間で寝こけている。
一方のフェリクス様は、夜も大体起きていて、昼もきっちりと執務をこなしている。いつ寝てるのかなあ。早く真犯人が罠にかかってくれないかなあ。
と、フェリクス様の気配が変わった。さっきまでくつろいでいた彼が、急に口を閉ざした。同時に、やけに張り詰めた空気が部屋に満ちる。
「……誰か、来た」
その言葉に、私も口をつぐんで小さく丸まり、毛布をかぶる。やがて、かすかな靴音が聞こえてきた。そろそろと扉が開く音、さらに近づいてくる足音。
そうして、ぱしゃんという水音が聞こえた。
「ヴィオレッタ!! 来てくれ!!」
フェリクス様の叫び声に、隠れ場所を飛び出す。目の前には、全身をローブで覆った誰かの腕をしっかりとつかんでいるフェリクス様の姿。
どうやらその誰かは、フェリクス様に毒を浴びせたらしい。彼の胸元の雲は半分ほどくすんでしまっているし、見る見るうちにその陰りが広がっていく。でも今すぐに力を使えばきっと治る。いや、治してみせる。
彼にすがりつくようにして大急ぎで治療を始めると、ローブの人間がびくりと肩を震わせた。顔は見えないけれど、驚いている気配がする。
「さて、お前が真犯人か。こちらに来てくれて手間が省けた。俺に毒を盛った、まさにその現場を押さえられた訳だからな」
怒りをにじませた声で、フェリクス様が言い放つ。そうして空いたほうの腕で、真犯人がすっぽりとかぶっていたフードをはねのけた。
今度は、彼が驚く番だった。
「……第二王妃、ツェツィーリエ……」
フードの下から出てきたのは、背が高くしっかりした骨格の中年女性の顔だった。