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18.正妃が秘めていた熱情

 それから、私は時折さらわれ村に足を運ぶようになった。


 とはいえ、あそこに通じる隠し通路の入り口が王宮のどこらへんに位置しているのかは、未だにはっきりと分かっていない。


 行き方をフェリクス様に教わって、丸暗記してその通りに歩いているのだ。一度だけ王宮の奥で迷ってしまって、なぜか偶然通りがかったロルフに助けられた。


 そして、毎日フェリクス様の体調をチェックすることが日課になった。さらわれ村でしっかり特訓したおかげで、今では特に意識しなくても光る雲を見ることができる。


 でもその結果、とっても嫌なことに気づいてしまった。


 だいたい三日に一度くらい、フェリクス様の光る雲に影が差す。端っこのほうが、ほんのちょっぴりくもるだけだけど、放っておいたらきっとまた、フェリクス様は倒れてしまう。


「……やはり、まだ誰かが俺の命を狙っているようだな。少しずつ毒を盛っていくことで、自然に弱っていっているように見せかける、か」


 私の話を聞いたフェリクス様は難しい顔をしていた。今のところこれくらいくもっています、と私が書きつけた絵を見つめながら。


「ひとまず、俺の体を治してくれ。その上で、どれくらいの頻度で、どれくらい影が増えていくのか、細かく記録を取っておこう」


「オレがフェリクス様の身辺をきっちり警護して、おかしな動きをしている人間をあぶりだしたほうが早くないっすか?」


 ロルフも珍しく真剣な顔で、そう口を挟む。私との顔合わせが済んだからか、ロルフは気軽に姿を見せるようになっていた。


 というかフェリクス様とロルフによれば、ロルフはそれ以前から王宮内をうろつきまわっていたし、私のことも見守ってくれていたらしい。


 彼は「ヴィオレッタ様がエーリヒ様になびきそうになってた時は、さすがにフェリクス様を一発殴ってやろうかと思いましたっすよ。もだもだしてたら、エーリヒ様にかっさらわれますよ、って。まあその前に、フェリクス様がぶっ倒れたんですが」とも言っていた。


 そうして今、すっかりやる気になっているロルフを、フェリクス様はなだめている。


「いや、お前を使って相手の尻尾をつかんだとしても、そこからどう白状させるかが問題だ。だからここは、もう少し待とう。一応、策はある。……策と呼ぶには少しお粗末なものだがな」


 そんな話し合いを経て、ひとまずはゆったりと過ごすことになった。気になることは色々あるけれど、今は待つしかない。


 最近ではほぼずっとフェリクス様のそばにいるからか、ザンドラ様やエーリヒ様ともほとんど顔を合わせることはない。


 フェリクス様の体調が心配で、ついつい日に何度も光る雲を確認してしまい、心配性だなと笑われたりしながら、それでも私は平穏な日々を過ごしていた。


 ところがそんなある日、不可解なものを見かけた。




 それは、フェリクス様と一緒の夕食を終えて、客間に戻ろうとしていた時のこと。


 廊下の向こう側からやってきたザンドラ様とすれ違ったのだ。王太子の正妃だけあって、侍女をぞろぞろと引き連れて、しゃなりしゃなりと歩いてくる。彼女は気分でも悪いのか、顔色は優れないし、時々小さなため息をついている。


 脇によけて、彼女と侍女たちが通り過ぎるのを待った。軽く会釈したけれど、帰ってきたのはきつい流し目だけだった。


 気のせいか、彼女の態度はさらにかたくなになっている。たぶん、私がフェリクス様のそばに入り浸っているからだろう。


 ザンドラ様は、フェリクス様のことを愛してはいない。むしろ嫌っている。けれどフェリクス様が他の女をそばに置いていたらいたで、正妃の誇りを傷つけられたように思えてしまって悔しい。そんなところで合っているとは思う。


 そうしてザンドラ様が私のすぐ目の前を通過した時、それに気づいた。


 しんどそうなザンドラ様の胸元には、光る雲。少しもくもっていない。それだけでもおかしいのに、彼女のお腹の辺りに、もう一つ小さな雲があった。とびきり綺麗に、きらきらと輝いている。


 驚きを声に出さないように気をつけながら、ザンドラ様たちが去っていくのをじっと待つ。


 彼女たちが廊下の曲がり角の向こうに消えていくのを見届けてから、大急ぎでフェリクス様のところに取って返した。




「……君は、一人の人間に二つの雲が張りついているところは見たことがない、そうだな?」


「はい。そしてザンドラ様の雲は、どちらもぴかぴかでした。それなのに、ザンドラ様は妙にしんどそうで……」


 さっきあったことを、フェリクス様にそのまま話す。フェリクス様はしばらく考え込んでいたけれど、やがて「このことは他言無用に頼む」とだけ言った。


 なんだかもやもやしたものを抱えつつ、彼の言葉に従う。とにかく、王宮に巣くう彼の敵を見つけ、しかるべき罰を与えるまでは、うかつな動きはできないのだから。




 そんなあれこれがありつつも、一か月ほどが経った。


 そうして、フェリクス様がまた倒れた。




 前の時と同じように、大きな寝台に力なく横たわるフェリクス様。私とロルフしか知らないけれど、これはただの演技だ。フェリクス様は健康そのものだ。


 今までに記録しておいた光る雲の陰り方から、そろそろ倒れてもおかしくないくらいの毒を盛られているはずだと、私たちはそう判断したのだ。


 フェリクス様に毒を盛った誰かは、私が聖女であることを知らない。そろそろ毒が効いてフェリクス様が倒れる頃合いだと、そう思っているだろう。今日倒れるか、明日倒れるかと、その時を今か今かと待っているだろう。


 そこを狙って、フェリクス様が寝込まれたという知らせを流す。そうすれば犯人は油断して、何らかの動きを見せるかもしれない。


 今ロルフとその配下は王宮中にひそんで、色んな人たちを監視している。ちなみに彼の配下もみんな、あのさらわれ村の住人らしい。ただの村人だと思っていたのに。


 これが、フェリクス様の策だった。うまくいくかは微妙だけれど、失敗したところでさほど痛手にはならない。フェリクス様はぴんぴんしているのだから。


 ただ私が聖女だとばれてしまいかねないので、何回も繰り返す訳にはいかない。それが、この策の難点だった。


 私はフェリクス様の寝室の手前の部屋、前回医師と薬師が控えていた部屋にいた。


 万が一ということもあるし、できるだけフェリクス様の近くにいたい。それに私はこのところずっとフェリクス様の近くにいたから、この部屋にいても不自然ではなかった。


 犯人、誰なのだろう。私の知らない人だといいな。知っている人が罪人として裁かれるのはちょっと怖いし、悲しい。


 そんなことを思いながら、ひたすらに待つ。周囲では医師たちと薬師たちが、あわてふためきながら話し合っていた。しかしどうも仮病に気づいているのか、何だか微妙な表情をしている。


 申し訳ないとは思うけれど、彼らが犯人、あるいは犯人とつながっている可能性もあるから、本当のことを明かすことはできない。


 そうして待っていたら、やがてザンドラ様がやってきた。彼女は連れてきた侍女をこの手前の部屋に待たせると、自分一人で奥の部屋に行ってしまった。


 中で何が話されるのか、とっても気になる。けれど侍女たちや医師たちの目もあるし、さすがに扉に耳を当てる訳にはいかない。


 後で、フェリクス様が教えてくれるかな。そう思いながら、部屋の片隅の椅子におとなしく座っていた。





 ザンドラは、眠るフェリクスの枕元に立っていた。彼の眉は苦しげにしかめられ、呼吸は浅く速い。


「やっと……やっと、わたくしの願いがかなうのですね」


 彼女は無意識に手を腹に当て、夢見るような声でつぶやく。


「あなたさえ、あなたさえいなくなればとずっと願っておりました。まさにこの時、あなたが再び倒れられたとは……きっとこれは、神の救いの手なのでしょう」


 そう言って、彼女はにっこりと笑った。普段の悠然とした古めかしい笑みではなく、年相応の愛らしい笑みだった。


「これでようやく自由に、幸せになれる。どれだけこの時を、待ったでしょうか」


 その時、いきなりフェリクスが動いた。さっきまで死にそうな顔をしていた彼はいきなり跳ね起きると、ザンドラの手首をしっかりと捕まえたのだ。


「俺がいなくなれば、か。ずっと俺に毒を盛っていたのは、君か?」


 瀕死の病人がいきなり飛び起きたことにも、歯に衣着せぬ物言いにも動じることなく、ザンドラはゆったりと答える。その顔からは笑みが消え、またいつも通りの無表情になっていた。


「いいえ。わたくしは、ただあなたがいなければいいと思っていただけです。あなたを積極的に消す理由など、ございません」


「理由ならある」


 フェリクスは少し言いよどんで、それから何かを振り払うかのような声で言い切る。


「君の腹には子が宿っている。だが俺は、ずっと君には指一本触れなかった。君がそう望んだからな。今こうして君の手首をつかんでいるが、これが君に触れた最初だな。だからそこにいるのは、俺の子ではない」


 ザンドラの顔が、ゆっくりと青ざめていった。普段表情を変えない彼女は、今はっきりとうろたえ、おびえていたのだ。


「おそらく父親はエーリヒか? 君とエーリヒが密会していたのを、俺の手の者がつかんでいる。寂しさのあまり火遊びに走ったのだろうと、大目に見たのは間違いだっただろうか」


 ほんの少し申し訳なさそうに、フェリクスが目をそらす。


「俺と君が指一本触れていない形だけの夫婦だと知っているのは、俺と君と、あとヴィオレッタくらいのものだ。君の腹が目立ってくる前に俺を消せば、素知らぬ顔をして俺の子だと言い張れる。だから君は、焦って俺を毒殺しようとした。違うか?」


 ザンドラは震えていた。いつも王太子の正妃として、古風で優雅な、落ち着いた雰囲気を崩さなかった彼女が、今はオオカミににらまれたウサギのように震えていた。


「……い……ます」


 彼女はうつむき、小声で何かを言っている。


「違います! わたくしはあなたをうとましく思っていました! けれど、あなたに手を下そうとは思いませんでした!」


 フェリクスは目を丸くする。古風な正妃が、こんな風に声を張り上げたところを見たのは初めてだったのだ。


「それに……火遊びでも、ありません。わたくしは……エーリヒ様を、本当に……愛していました……」


 床に崩れ落ちてただ泣きじゃくるザンドラを、フェリクスは真剣な目でじっと見すえていた。

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