17.森の中のさらわれ村
「隠れ村、ですか……?」
「ああ。ここにいるのはみんな多かれ少なかれ訳ありで、人目を避けて生きている者たちだ」
そんなことを話しながら、村のほうに近づく。村人たちも、にこにこしながらこちらに近づいてきた。
「フェリクス様、お久しぶりです!」
「最近体調が優れないとのことで、心配してたんですよ」
「こちらが、噂のヴィオレッタ様ですね? まあ、とっても素敵な方」
老若男女、様々な姿の村人たちは私とフェリクス様を取り囲み、一斉に声をかけてくる。にぎやかで、ちょっとうるさいくらいだ。でも何だか、楽しくなってきた。
それはそうとして、どうしてここの村人たちは、こんなにも色々なことを知っているのだろう。
フェリクス様の体調のことも、私が彼のそばにいることも、知ることのできる人間は限られているというのに。
「みな、心配かけてすまなかった。今日は、ヴィオレッタにここを見せてやりたくて来たんだ。ひとまず、仕事に戻ってくれ」
明るく笑いながら、フェリクス様がひらひらと手を振る。村人たちは分かりました、とさわやかに答えて、村の中に散っていく。
「では、行こうか」
フェリクス様に手を引かれ、村の中を見て回る。
村の人たちはみなとっても幸せそうで、村には笑顔があふれていた。そしてみな、フェリクス様に並々ならぬ親しみと敬意を持っているようにも思える。
こんな森の中に、隠れるようにしてぽつんとある村。それだけでも不思議なのに、フェリクス様はどうやってここの人たちと知り合ったのだろう。
首をかしげていたその時、子供が二人、私たちの前を通った。仲良くお喋りしながら荷物を運んでいる、年の近い姉妹。十歳くらいかな。
カテリーナ、どうしているかな。ふとそんなことが気になった。私は彼女に対して、姉妹として親しみを持ったことなど一度もないけれど。
幼い姉妹は私たちを見て、同時にはじけるように笑った。
「こんにちは、フェリクス様!」
「こんにちは、ヴィオレッタ様! ようこそ、私たちのさらわれ村に!」
そんなあいさつをして、二人はまた仲良く去っていく。
「さらわれ村……?」
確かフェリクス様は、ここを隠れ村だと言った。でも当の住人は、さらわれ村だと言っている。
どういうことなんですかとフェリクス様に目で問いかけると、彼は声をひそめてささやいてきた。
「ここの住人のほとんどは、俺があちこちで気まぐれにさらってきた人間だ。どうも、不遇な境遇にある人間を見ると、放っておけなくてな」
そう言って、彼は跳ねるように歩いている子供たちのほうを見る。
「あの姉妹は、両親を亡くし闇の人買いに売り飛ばされそうになっていたのを拾ってきた。……まあ、ついでに人買いどもを叩きのめす羽目になったが」
「それで、あんな話に……ようやく、納得がいきました」
「あんな話?」
「ザンドラ様とエーリヒ様が教えてくれたんです。フェリクス様は気まぐれに人をさらってきては、またどこかに追いやってしまう人だって。私もいつかは捨てられるんだからって、二人ともそんなことを言っていました」
あの時の寂しさを思い出しながらそう告げると、フェリクス様は大きな手をぽんと私の頭に置いた。
「俺は誰一人捨ててはいない。人をさらったのは認めるし、一時的に王宮で保護したこともある。だが、行きたいところがある者はそこへ送ってやったし、行く当てのない者はここへ連れてきた。追われている者もいたから、こうやって人目につかない場所に村を作った」
そうして彼はかがみ込み、目線の高さを合わせてくる。すぐ近くに迫る海色に胸がどきどきして、何も言えない。
「……きっと俺は、君が聖女の卵ではなかったとしても、あのパーティーから君を連れ去っただろう。そうして、この村に連れてきただろう」
遠くを見るような目で、フェリクス様が続ける。
「……君もこの村で暮らすか? ここは贅沢こそできないが、とてもいい場所だ。王太子でなければ、俺も住みたいと思うくらいには」
「いえ、私はフェリクス様のおそばにいたいですから。まだちょっと、色々慣れませんけど……いつか、フェリクス様の妻として恥ずかしくない女性になれるよう、頑張ります」
「そうか、少々複雑だな。俺のために努力してくれているのは嬉しいが、かといって無理をされると心苦しくもある……どうしたものか」
そうして道端で話していると、いきなり知らない声がフェリクス様の後ろから聞こえてきた。やけに明るく、調子のいい声だ。
「相変わらず、フェリクス様は不器用っすね。どうでもいい相手には愛想よくふるまえるのに、大切にしたい相手ほどぎこちなくなるって、もはや何かの呪いっすよね、それ」
「……ロルフ。ヴィオレッタに姿を見せてもいいとは言ったが、やりかたを考えろ。彼女が驚いている」
額を押さえるフェリクス様の後ろから、ほっそりとした青年が一人姿を現す。
短く刈り込んだ暗い灰色の髪をした、妙に人懐っこそうな青年だ。年の頃は私と同じくらいかな。
「いやあ、すんません。ちょっと驚かしてみたいなって、そう思っただけなんっすよ。あ、ヴィオレッタ様。オレ、ロルフっていいます。フェリクス様の密偵で、この村の住人っす」
ロルフと呼ばれた青年は、胸を張って得意げに笑っている。
「実は、陰ながらヴィオレッタ様を見守ったり……なんてこともしてました。ずっと寂しそうにされてて、もう慰めてあげたいなーってずっと思ってて。でも、姿を現すなって言われてましたんで。本当にもどかしかったんっす」
「は、はあ……」
どうやらロルフは、相当に調子のいい、軽い人物らしい。どうしよう、こういう人ってどんな風に相手をすればいいのかな。
ひっそりと悩む私にもう一度にっこりと笑いかけて、ロルフはくるりとフェリクス様に向き直る。
「ところで、フェリクス様。あなたが来た理由ですが……彼女に練習させたい、そういうことっすよね」
「まあな。さすがにお前には、見当がついていたか」
「そりゃあまあ。この村で、フェリクス様とヴィオレッタ様の事情について一番詳しいのは、間違いなくオレっすから」
「確かに、お前は手練れの密偵だからな。一度もヴィオレッタに気づかれずに王宮をうろつき、彼女を見守るなどという芸当は、俺にはできん」
「お褒めいただき光栄っす! んでさっそく、めぼしいのを調べときました。ちゃっちゃといっちゃいましょう」
私が何を練習するのか。めぼしいの、とは何なのか。どうやらロルフは、説明するつもりがないらしい。はしゃいだ様子で、私たちをどこかに案内しようとしている。
困っていたら、フェリクス様が助け舟を出してくれた。
「君には、聖女の力を使う練習をしてもらおうと思う。俺は君を戦の道具にするつもりもないし、無茶をさせるつもりもないが、その力を眠らせておくのももったいないだろう。いざという時、きちんと力を使えるようになっておいたほうがいい」
「でも、そこらへんの人間で練習するわけにもいきませんからねえ。ヴィオレッタ様は、聖女であることを伏せておられる訳ですし」
ロルフも上機嫌で、説明に加わっている。この人のこの軽さ、ちょっとついていけないかも。
「それに、健康な人間相手には聖女の力は効きませんよね? つまり練習するには、怪我人か病人が必要、っと。しかも、口のかったーい人物でないと」
いちいち大きな身振り手振りを交えながら、ロルフが説明を続けている。あんなに動いて、疲れないのかな。
「そういう意味では、この村が一番! 普通に生活してると怪我をしたり病気をしたり、ちょいちょいありますし、みんなフェリクス様に恩義があるから口も堅い! ですので、まずはそちらの家にどうぞ! ちょうど昨日爺さんが腰をやらかして、寝込んでますから」
そうして、調子のいい密偵に案内されながら、私は村人を次々と治療して回った。ぎっくり腰にちょっとした風邪、ねんざに眼病、骨折なんてのもいた。
そうしているうちに、何となくこつをつかんできた。まず、人をじっと見て意識を集中する。そうすると、胸の辺りに光る雲が見えてくる。
雲の輝きは、そのままその人の命の輝きを表しているようだった。病気や怪我をするとその度合いに応じて、雲が輝きを失い灰色になる。私が触れることで、その灰色を消すことができる。
地道に触り続けていくしかないから時間はかかるけれど、みんなの雲をぴかぴかにすることができた。そのことが嬉しい。
「ふう……ひとまず、これで全部ですね」
けれど全員を癒し終わった頃には、さすがに少し疲れてしまっていた。空いた小屋を借りて、休憩する。
「頑張ったな。どうだ、少しは慣れたか?」
甘いワインの入ったコップを差し出しながら、フェリクス様が心配そうに問いかけてきた。
「はい。光る雲を見つけるのも、その雲をきれいにするのも慣れました。これなら、フェリクス様の体調が悪くなっても、すぐに気づいて治すことができます」
胸を張ってそう言い切ると、横から小さな拍手が聞こえてきた。ロルフだ。
「ヴィオレッタ様、かっこいいっす……オレ、惚れちゃいそう」
「やらんぞ」
フェリクス様が即座にばっさり切って捨てている。
どうもフェリクス様は、ロルフと話していると少し雰囲気が変わるようだ。いつもの堂々とした感じではなく、もっと肩の力を抜いた、そんなくつろいだ様子を見せている。
「でも、やっぱり二人以上を同時に癒すのは無理でした。片手で一人ずつ、つまり同時に二人ならできるかなって思ったんですけど……集中が途切れると、全然うまくいかないんです」
「そのことが分かっただけでも収穫だ。一人ずつであっても病や傷を癒すことができる、それは素晴らしい力だ。自信を持つといい」
「は、はい!」
「ヴィオレッタ様、けなげで可愛いっすね」
「だからやらんぞ」
そんな風に笑い合っていたその時、入り口の扉がばたんと開いた。様々な料理の皿を手にした村人たちが、ぞろぞろとやってくる。
「ヴィオレッタ様、ありがとうございました。感謝のしるし……という訳でもないんですけど、食事を持ってきましたよ」
「フェリクス様も久しぶりなんですし、少しゆっくりしていってください」
中年の女性たちが、そう言って料理の皿をテーブルに置いた。見たことのない料理だけれど、すっごくおいしそうな匂いがする。
「ああ、そうさせてもらおう。今日は一日留守にすると、そう王宮には伝えてあるしな」
フェリクス様の返事に、村人たちが一斉に歓声を上げた。もちろん、ロルフも。フェリクス様って慕われてるんだなあ、と胸がいっぱいになる。
と、みんながやけにてきぱきと動き始めた。
男性たちはテーブルや机をさらに持ち込み、女性たちがその上に次々と料理の皿を並べていく。なんと、酒だるまでが運び込まれてきた。
これってもしかしなくても、宴の支度だ。みんなが喜んでいたのは、フェリクス様がいてくれるからか、それとも彼をもてなす名目で堂々と宴が開けるからか。どちらなのだろう。
目を丸くしていると、フェリクス様がくすぐったそうに、心底嬉しそうに笑っているのが見えた。とても優しい目で、はしゃぐ村人たちを見守っている。
もしかして彼にとって、王宮はきゅうくつなのかな。この村で、村の人たちと一緒に暮らしたいとか、そんなことを思っていたりするのかな。
いつになくくつろいだ彼の表情に、そんなことを思わずにはいられなかった。