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14.はずれの聖女

 そうこうしていたら、陛下と話し込んでいたフェリクス様がすっと背を伸ばした。そうして、部屋の片隅にいる私たちのほうを向く。


「あら、お話は終わりました?」


 おっとりと微笑みながら、ナディア様がそちらに近づいていく。私も彼女のすぐ後ろをついていった。


「ええ、ナディア叔母上。やはり何者かが俺たちに一服盛ったのだろうと、そう結論が出ました」


「だが、犯人が誰かまではまだ特定できん。もしかしたら、複数の者の犯行かもしれないしな」


 眉間にくっきりとしわを寄せて、陛下が困ったようにつぶやく。しかしすぐに胸を張って、堂々と言い放った。


「という訳で、私はこのままここで静養を続ける。フェリクス、王宮は任せたぞ。それと、私がすっかり健康になったことは、ここにいる四人だけの秘密だ」


 その言葉に、フェリクス様とナディア様が同時に苦笑する。


「さて、父上がおとなしく病人を演じていられるか……体調の悪い間でさえ、動き回ろうとしていたお方だからな」


「窓から脱走されてしまいそうですわねえ。ちょっと釣りにいってくるとか、そんなことをおっしゃられそうだわ」


「ええい、フェリクス、ナディア、二人してひどい言い様だな」


 すねた子供のような陛下の言葉に、フェリクス様とナディア様が同時に笑い出す。私も、つられるようにして笑ってしまっていた。


 一国の王を笑うなんて無礼にもほどがあるはずだ、そんなことを思いながらも、この場の楽しげな空気にのまれてしまっていたのだ。


「まったく、ヴィオレッタまで……まあ、こうして心置きなく笑っていられるのも彼女のおかげだからな」


 そうして、陛下まで笑い出してしまった。


 もう何がおかしかったのか、どうして笑っているのか忘れてしまいそうだったけれど、それでも私たち四人は明るい声を上げて、幸せいっぱいに笑い続けていた。




 その日、私たちは離宮に泊まることになった。深夜に一人きり、静まり返った廊下を歩いていると、何だか離れにいた頃を思い出す。


 ここ離宮は、夜の間はほとんど人がいなくなる。掃除なんかを担当している使用人たちは、少し離れた別棟に帰ってしまうからだ。ここには最低限の警備の兵士だけが残される。


「どうした、ヴィオレッタ。こんな時間にこんなところをうろついて」


「あ、フェリクス様」


 呼ばれて振り返ると、寝間着姿のフェリクス様が立っていた。


 前に彼の寝間着姿を見た時、彼は死ぬか生きるかの瀬戸際にあった。でも今はすっかり健康で、初めて会った頃と変わらない生き生きとした雰囲気をまとっている。


 そんな姿を見ていると、大切なものを守れたんだなあという思いがしみじみとこみあげてくる。達成感と、ほっとした思い。


「ちょっと眠れなかったので、外の空気を吸いにいこうかなって思って……確かここ、海に面したテラスがあるんですよね? 海って、実物は見たことがないので気になってたんです」


 そう説明すると、フェリクス様は切なげに笑い、私の手を取る。


「ならばこちらだ。テラスよりも、もっといい場所があるぞ」


 手を引かれて、離宮の裏口へ。そちらは切り立った崖になっているようだった。


 フェリクス様はそのまま、崖の端に向かってずんずん進んでいく。このままだと落ちちゃうんじゃ、と冷や汗をかきそうになったその時、フェリクス様が立ち止まって下を指した。


 そちらをよく見ると、崖の一部が刻まれて階段のようになっていた。今夜は月が明るいから、明かりがなくてもどうにか降りられそうだ。


 二人しっかりと手をつないで、階段を下りる。その一番下の段は、砂で埋め尽くされていた。


「うわあ……砂浜、だあ……」


 入り江の崖にぐるりと囲まれた、小さな砂浜。そこに、私たちは立っていた。


「ほら、こうすると面白いぞ」


 そう言いながらフェリクス様は靴をぬぎ、はだしで砂浜に降り立っていた。そのまま、波打ち際まで歩いていく。


 大急ぎで靴をぬぎ、彼を追いかけようと進み出る。一歩進むごとに、砂に足がもぐりこんでいく。絨毯の踏み心地とはまた違う、不思議な感触だ。


 砂の不思議な感触にはしゃぎながら、どんどん進む。いよいよ、波がすぐ近くまで迫っていた。


「転ばないように気をつけろ。まあ濡れたところで、それはそれで楽しいものだが」


 二人並んで、波打ち際に立つ。波が押し寄せてきて、また帰っていく。波が足をなでていくたびに、足の下の砂が動いてくすぐったい。


「どうだ、面白いだろう? ……その、君はずっと屋敷の離れに押し込められてきたという話だから……こういった体験は初めてだろうと思ったのだが」


「はい、初めてです! ふふ、足がむずむずします」


 はしゃぐ私を見て、フェリクス様はようやくほっとしたようだった。


 彼がそんな風に気を遣っている理由に、ひとつ心当たりがあった。昼間あの後、聖女についての話になったのだ。


 過去の聖女たちは、傷ついたたくさんの兵士たちを一度に癒すことができたらしい。それも、一瞬で。


 ところが私は、一人ずつ、それも時間をかけて治すことしかできない。まずはあの灰色の雲を見つけて、地道にそれに触れていくことしかできないのだ。


 どうやら私は過去の聖女たちとは、結構違ってしまっているらしい。


「……私、『はずれの聖女』なのかもしれませんね。ずっと『はずれの子』って呼ばれていましたし」


 昼のやり取りを思い出しながら、そんなことをぼそりとつぶやいた。きっとこの声は、波の音がかき消してくれるだろうと、そう期待しながら。


「俺は、君がはずれでよかったと思っている」


 しかしフェリクス様には聞こえていたらしい。彼は恐ろしく真剣なまなざしをこちらに向けていた。


「君がはずれの子でなかったら。たくさんの、親密な人たちに囲まれて育っていたなら。君はずっとずっと前に、聖女の力に目覚めていたかもしれない」


 フェリクス様の目が、切なげに細められている。いつも鮮やかな海の青の色をしたその目は、そばにある夜の海と同じ暗い色をしていた。


「もしそうなっていたら、さすがの俺も君をヒンメルに連れてくることはできなかっただろう。君の祖国ガッビアでは聖女の存在はほとんど知られていないが、それでも君は『奇跡の癒し手』とか何とか名付けられて、あがめられてしまっていただろうから」


 確かに、さらわれる前の私はただの貴族の婚約者に過ぎなかった。だからこそ、少々強引にさらうこともできたのだろう。


 実際、あれ以来ガッビア側には何の動きもない。隣国との関係を悪くしてまで、取り戻す必要のない人物。私はそんな存在でしかなかったのだ。


「それに君がはずれの聖女だというのなら、君を戦に連れ出される危険性も低くなるだろう。君はかつての聖女たちのように、多数の負傷兵をまとめて癒すことはできないのだから」


 フェリクス様は本気で、私が『はずれ』で良かったと思っている。彼の表情も声も、そのことをありありと物語っていた。


「……そうですね。私も、そう思います……」


 どうにかこうにかそれだけを答えると、フェリクス様はいきなりこちらに進み出てきた。抵抗する暇もなく、しっかりと抱きしめられてしまう。


 前に馬車の中で抱きしめられた時は、お互いふかふかの床に座っていた。だから、そこまで体が密着することもなかった。


 けれど今、私たちは立ったまま向かい合っている。その状態で抱きしめられてしまっているのだ。フェリクス様にくっつきすぎて、心臓がばくばくいっている。


「……やっぱり、待てない。もう無理だ」


「何が、無理なのですか?」


「ヴィオレッタ。俺に、大義名分をくれ。君を守る、そのための」


 どう答えればいいのだろう。そもそもフェリクス様は、何についての話をしているのだろう。


「……俺の妻にならないか。俺は以前、君にそう言った。その返事が聞きたい。今すぐに」

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