10.目覚めたもの
そうしてフェリクス様の部屋の前にたどり着いた私を出迎えたのは、ものものしく武装した二人の兵士だった。
「ヴィオレッタ様、今はお通しできません」
「お願い、通して!」
兵士たちはその大きな体で通せんぼをしている。
彼らには突然倒れた王太子を守るという役目があるのは分かっているけれど、お構いなしに食い下がった。胸の中で暴れている不安に突き動かされるように。
「ちょっと顔を見るだけでもいいんです、離れたところからでも! 私、誓って何もしませんから!」
「いいえ、なりません」
そんな押し問答を続けながら、兵士たちをどうにかどかせないかと彼らの腕に手をかけて引っ張ってみる。当然ながら、分厚い鋼の鎧に包まれた腕はびくとも動かない。
兵士たちが小さくため息をついて、顔を見合わせた。一人が進み出てきて、失礼しますと言いながら私の肩をそっとつかんだ。もがいたけれど、その手はびくともしない。
ああ、結局何もできずに追い払われてしまうんだ。涙がにじむのを感じながら唇をかみしめたその時、兵士たちの背後の扉がゆっくりと開いた。
「……ヴィオレッタ様を、お通ししてください」
姿を現したのは、おそらく医師か薬師らしい男性だ。げっそりとやつれていて、顔色も悪い。兵士たちが戸惑いながら、道を空ける。
中に入ると、そこには真っ青な顔をした人たちがたくさんいた。彼らもまた、医師や薬師のようだった。
みんなうろたえながら、机の上に広げた本や薬を前に、何やら小声で話し合っている。
私が入ると、彼らはちらりとこちらを見た。けれどまたすぐに、元の話し合いに戻ってしまう。明らかに必死なその様子に、フェリクス様の容体が思わしくないことを悟ってしまう。
部屋に通してくれた男性が、奥の扉へと案内してくれた。その奥が、フェリクス様の寝室らしい。
「ここからはお一人でどうぞ、それがフェリクス様の命ですので」
その言葉に、はっと目を見開く。そんな命令を出せるということは、きっとフェリクス様は目覚めたのだ。
「は、はい! ……フェリクス様、ヴィオレッタです。入りますね」
大急ぎで寝室に入り、扉を閉める。広々とした部屋に、豪華な天蓋のついた大きな寝台が置かれている。そちらから、弱々しい声がした。
「……ヴィオレッタ、か……こちらへ、来てくれ」
寝台に駆け寄ると、そこにはフェリクス様がぐったりと横たわっていた。
生き生きとして力強かったはずの彼は、真っ白な顔をしていた。熱でもあるのか、こちらに向けられた青い目はひどくうつろで苦しげだ。ミルクティー色の髪が、乱れて枕の上に流れている。
目を開けているのもやっとといった様子で、フェリクス様はそれでも微笑みかけてくれた。
「君に、言っておかなくてはならないことが、ある……俺の命が尽きる、その前に」
いきなり告げられた言葉に、血の気が引いた。また一気に涙が浮かんでくるのをこらえながら、すぐに言い返す。
「そんな……あきらめないでください……あきらめるなって言ったのは、フェリクス様のほうです……」
「そう、だったな……」
懐かしそうな声で、フェリクス様がつぶやく。けれど彼はすぐに顔を引き締めて、重々しく言った。
「ヴィオレッタ、俺が死んだら、父上のもとへ行け。そこで、話を聞くといい。俺が君をさらった、その裏にある真相を。他の誰にも、このことは言うな」
「嫌です、フェリクス様が教えてください。隠し事ばかり残していなくならないでください」
まただ。またフェリクス様は、何かを隠している。
ここヒンメルの王宮に来る前に、彼はあの鈴のことを口止めした。
幸い、あの鈴と同じものを持っていたのはエーリヒ様一人だけだったから、フェリクス様の言いつけを守るのは難しくなかったけれど。
きっとこの二つ目の隠し事は、最初の隠し事と関係がある。そう感じた。
だから必死で尋ねたのだけれど、フェリクス様はすっと目をそらしてしまった。
「……俺は、君を……守りたかった。ただ、それだけだったんだ……」
うわごとのようにつぶやいて、フェリクス様はゆっくりと目を閉じる。その眉は苦しげに、悲しげにひそめられていた。
「フェリクス様、フェリクス様!!」
必死に呼びかけても、閉じられたまぶたが開くことはなかった。息をしているのか心配になって、そろそろと寝台の上に座り、顔を近づけた。
まだ、生きている。でも呼吸が弱い。人と関わらずに生きてきて、人の生き死にをろくに知らずにきた私にだって、今のフェリクス様がただならぬ状態にあることくらいは分かる。
どうしよう。医師の人たちを呼ぶべきなのかな。でもあの人たちも、どうしていいか分からないようだった。
それでも、私がただここでうろたえているよりはずっとましだ。
そう考えて寝台を降りようとした時、うっかりフェリクス様の枕元の棚に置かれた何かに手が当たってしまった。
ちりん、という聞き覚えのある音と共に、あの銀の鈴がスカートの上に転がり落ちてきた。
私とフェリクス様が初めて出会ったあの悪夢のパーティーで、この鈴の音が私を彼のもとに導いてくれたのだ。
そうして、私は救い出された。一人きりの離れからも、恐ろしい婚約からも。
「あなたが、助けてくれたのに……私も、あなたを助けたいのに……」
ぎゅっと鈴をにぎりしめて、震える声でつぶやく。その私の手に、ぼたぼたと涙がこぼれ落ちていた。医師を呼びにいくことも忘れて、寝台に座ったまま声を殺して泣き続けた。
その間も、ちりんちりんという音は聞こえ続けている。そんなはずはないのに、どんどん音が大きくなってきたような気がする。
戸惑いながら、手を広げて鈴を見る。私の手の温もりが移ったその鈴は、驚いたことに淡く光っていた。
ちりん。
ひときわ大きく、鈴が鳴る。その時、急に胸が熱くなった。びっくりして身じろぎしたとたん、さらに不思議なことが起こった。
意識を失ったフェリクス様の胸の辺りに、もやもやとした雲のようなものが浮かんでいるのが見えたのだ。
嵐の時のように重苦しい灰色をした、両方の手のひらを合わせたくらいの大きさの雲の塊だ。端っこのほうだけが、かすかに白く光っている。
それが何なのかは分からなかった。ただ、この雲をそのままにしておくのは良くない。そのことだけは、はっきりと確信できた。
手を伸ばして、おそるおそる灰色の雲に触れてみる。と、私が触れたところの雲が色を変えた。灰色が消え去って、柔らかな光を放ち始めたのだ。
もしかして、この灰色を全部消してしまえば。
そんな思いがわき起こる。それからはもう無我夢中で、雲に触れ続けた。やがて灰色は全て消え去り、雲は暖かな光を放っていた。
気づくと、フェリクス様の呼吸が変わっていた。弱々しくとぎれとぎれのものから、深く力強いものに。
さっきまで真っ白だった顔にも、血の気が戻っている。彼は穏やかな表情で、静かに眠っていた。
もしかして。期待を込めて、じっと彼を見つめる。その枕元に座り込んだまま。
やがて、彼のまぶたがゆっくりと開いていく。生き生きとした海色の目が、まっすぐに私に向けられた。
「……ああ、結局目覚めてしまったのか」




