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エジプトへ愛を捧ぐ  作者: ロード猪2世
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第九章

第九章


 帰還したカビールとスフィルを待っていたのは、大勢からの視線であった。

 カイロに発生していた半球状の空間は、その純白の障壁を解除して跡形も残らなかった。

 消えた聖域の中から人影が二つ。

 カビールがスフィルと手を繋いで立っていた。

 聖域をめぐる闘いは、その消失と同時に勝敗が決していた。

 アヌビスの軍勢は砂となり、神獣達も幻の如く姿を消した。

 残りは兵力差の問題。

 導師達の少ない戦力では、【セベク社】の装備をフル活用したカノープスの戦闘部隊には敵わない。

 決着のついたカイロの街並み。

 おそらくこのカイロでの出来事のような事が、エジプト中で起こっているのだろう。

 決する勝敗。

 選ばれた未来。

 一秒後の未来が、一瞬前の過去へと変わっていく。

 カビールとスフィルはその結末を見つめながら歩き進む。

 そんな二人を待っていた男が彼らに声をかけた。

 「お帰り、坊主」

 帰還をねぎらうのは、セベク社長。

 セベク社長も、もしかしたら最前線で戦っていたのかもしれない。

 その手には【セベク社】製の武装が装着されている。

 そんなカビールの父親となった男が、その結末に嬉しそうな笑顔を見せた。

 その笑顔は少年の隣の少女にも向けられる。

 「それと嬢ちゃんも元気そうで何よりだ」

 スフィルはカビールと手を合わせながら静かにセベク社長の言葉を聞いている。

 まるで罪状を聞かされる罪人の様子で。

 だが、これにはセベク社長が話を続ける。

 「大丈夫だ。話はまとまっている。嬢ちゃんの身の安全は保証済みだ」

 社長曰く、スフィルの身の安全は彼の交渉術で【セベク社】の扱いになっているらしい。

 それを聞いたスフィルの肩から緊張が少しほどけたようにカビールは感じた。

 これにはカビールも喜びを隠せない。

 「良かったね、スフィル」

 「どうだ、現実に帰還した感想は」

 カビールの喜びの言葉とセベク社長の質問に、スフィルはお腹をさすりながら答える。

 「これからいっぱい美味しい物を食べられると思うと嬉しくて仕方ない」

 「そうでなくちゃ。さすがは俺の息子の嫁」

 「じゃあ早速何か食べにーー」

 「待て!」

 そんな彼ら三人に納得のいかない人間の声が周囲を木霊した。

 それは彼女の、スフィルの産みの親と呼べる存在。

 錬金術や数多の魔法に通じる大魔導士。

 一族の数千年に及ぶ悲願をあと一歩で台無しにされた男の声。

 闇の一族の指導者。

 導師その人。

 他の門弟達が捕まる中で、導師だけはまだ自由の身でいた。

 それは集団の長としての責務と、老人を敬愛する弟子達の働きがあってこその結果。

 終われない。

 終わらせる訳にはいかない。

 自分達はまだこれからだ。

 そのように導師は絶叫した。

 「返せ!」

 やり直しを求める老人。

 「スフィルは私の、私達の!」

 導師はスフィルの手を取ろうとして、一人の若者に邪魔される。

 「お前ッ」

 「やめろよ」

 その言葉には力が宿る。

 その身体には、神すら退けた精神が宿る。

 カビールの強い意思を秘めた瞳が、導師の前に立ち塞がる。

 「もう彼女とお前達は関係ない。それに」

 カビールは導師の物言いが気にくわなかった。

 今後、二度と彼女に近づけさせない目的で、カビールは導師を睨み付ける。

 その眼力は、少年が旅の中で鍛え上げた意思の強さを物語る。

 これまでの冒険で培われた少年の強い心。

 例え、どんな強力な魔法の使い手でも遅れを取らない強き魂。

 カビールは導師に宣言する。

 「彼女は、スフィルは誰の物でもない」

 これまで押さえてきた導師の怒りの感情が、ここで爆発した。

 枯れ木のような老体からは想像もつかない殺意がカビールへ注がれる。

 「ごめんなさい、導師様」

 その怒りの矛先が、スフィルにも向けられる。

 これまで上手くいっていたのに。

 現実の不条理を、導師は感じていた。

 導師は世界が憎くてたまらなくなる。

 「私、生きたいです。生きて、もっとお腹いっぱいになりたいです」

 それに対してスフィルは、届かないかもしれないけど、それでも自分の気持ちを正直に表す。

 だって、それは胸が暖かくなる感情だから。

 例え、届かなくても伝える事が大事だから。

 スフィルはそれをカビールの呼び掛けから学んだ。

 聖域の中で、少女を呼ぶ少年の声。

 そのお陰で、自身の小さな願いを知る事が出来たのだから。

 「そんな事の為に」

 案の定、導師は呆れた様子。

 その逆に、大きく頷くセベク社長。

 「生きる理由に貴賤なんてないだろ。お腹いっぱいになりたい……うん、立派な理由だ。三大欲求ナメんな」

 否定の導師と肯定のセベク社長。

 その時、他の呼び声が彼らの耳に届く。

 それは捕らえられた導師の門弟達。

 拘束されて地面に転がる弟子の一団。

 カノープスに負けて捕らえられても、その意思は燃え立つ炎の如く激しさを増す。

 魔術師達はまだ諦めない。

 彼らが大手を振るって喝采を浴びる世界の到来を。

 神話の時代の復権を。

 魔法が覇権を担う黎明を。

 「導師! まだです! まだ我々はやれます」

 「おおお、お前達」

 その熱意が指導者である導師にも宿った。

 そうだ、まだ終わりじゃない。

 理想は消えない。

 ここを始まりにすればいい。

 何度でも繰り返せば、必ず届く。

 いつか願いは叶う筈だと信じて。

 「今からでも遅くない! スフィルを生け贄にーー」

 導師が隠し持っていた儀式用のナイフを取り出す。

 表情をこわばらせながらカビールはスフィルの前に立つ。

 導師がスフィルの命を害そうとした。

 悲鳴が響く。

 命の叫びが鼓膜をゆする。

 鋭く、声高な、老人の絶叫。

 「導師!」

 「うごああああああ」

 闇が広がっていた。

 アヌビスの軍勢を構築していた黒い砂が小さな竜巻となって、導師を中心に暴れ狂う。

 そして大気から大地へ染み渡るように、その漆黒が地面に侵食していく。

 液状化していくカイロの舗装道路。

 沈んでいく老人の両足。

 底なし沼のようにはまった者を逃さない貪欲な奈落の底。

 「何故だ神よ! 神よおおお!」

 導師の悲鳴はどこにも届かない。

 ここで終わりと宣告されるように、結末は誰の目にも明らか。

 まるで黒い両手に引きずり込まれるが如く。

 導師は暗黒の砂の底へ飲み込まれていった。

 老人の全身を飲み込んだ黒い砂。

 それは風に揺れる水面のように振動した後に、漆黒の色が跡形もなく消え去ってしまった。

 「これが魔導に身をゆだねた人間の末路だ」

 セベク社長は、冷静に事態の終焉を語った。

 ーー後からわかった事だが、それはスフィルが生け贄とならなかった代償としてアヌビスが求めた死刑執行。

 かつてのアレクサンドロス三世と同じ間違いを導師は行ったと判断されたらしい。

 神は人の祈りを叶えると同時に、時としてその祈りを踏みにじる。

 カビールはそんな末路をたどった導師の姿を胸の内に刻みつける。

 もしかしたら、自分とスフィルがたどったかもしれない結末を見届ける。

 そしてスフィルはと言うと。

 「導師様」

 産みの親の消失を、スフィルはどんな表情を浮かべればよいのかわからずにいた。

 「スフィル」

 カビールはそんな彼女の肩を優しく抱いた。

 「泣いていいんだよ」

 カビールは少女につぶやく。

 少しの間を置いて、カイロの街並みにスフィルの嘆きが静かに紡がれる。

 こうして世界の命運を賭けた闘いは、指導者を失った魔術師達の敗北で幕を閉じた。



 時は流れる。

 人の記憶を風化させながら、傷を癒しつつ時の歯車は静かに回り続ける。

 闇の神アヌビスをめぐる闘争から一ヶ月が経過した。

 神は今も集合的無意識の海で眠っている。

 そんな事に少しも気づかずに人々は営みを謳歌する。

 神には神の、そして人には人の生きる世界がある。

 もしかしたら、そんな人のたくましさこそが世界を構築する重要なピースなのかもしれない。

 争乱で荒れ果てたエジプトの大地であったが無事に復興を遂げている。

 街には笑う子供達の姿。

 大人達は、自らの責務をまっとうする。

 裏社会の混乱も終息しつつある。

 復興の中で、【セベク社】の社名を背負った重機が縦横無尽の活躍を見せている。

 その中で、とある都市にあるカノープスのオフィスではこれまでと今後の事について話し合いがなされていた。

 「元気そうで何よりだ、部隊長殿」

 「セベク社長も大事なくて何より」

 あの闘いで負傷しながら、最前線で指示を行っていた部隊長は腕に包帯を巻きながらも健康そうにセベク社長と話している。

 「ははは、本部の指示で、これまで隠れて行わなければならなかった作業がほとんど表沙汰に出来るようになったから嬉しくて仕方ない」

 部隊長は嬉しそうに語る。

 責務に忙殺されている筈なのに、その声に陰りのようなモノは見当たらない。

 むしろ、これまで秘密裏に行動を余儀なくされていたカノープスの全体の方針が大きく転換した事で彼にとっては嬉しい結末なのかもしれない。

 世界は以前と変わった。

 導師達が望んだモノとは違うが、明るい未来へ向けて進み始めている。

 対峙するセベク社長も、結末に納得な点は部隊長と同じで、今回の話し合いでさらなる飛躍を遂げようと乗り気である。

 二人は整えられたオフィスで話を弾ませる。

 「今回の復興は、【セベク社】の助力を得られたのも大きい」

 「別に誉めなくともいい。大事な商売の場所だからな。言われんでも手助けぐらいはするさ」

 二人は最低限の確認事項を済ませてから本題へ入る。

 世界が明るくなっても、そのために支払われた代償はなくならない。

 今回は、西暦に入って以来未曾有の大災害。

 人が起こした災害としては最高レベルになる事態の収拾には、これまでの秘密主義ではどうにもならない点が多々存在する。

 だからこそカノープスの首脳陣は重い腰を上げた。

 隠匿されていた事柄を、世間に伝える決心をした。

 これまで闇で隠れていた場所に光が当てられる。

 「今回の闘いで魔法やそれに連なる存在が公になった。今後はその対策にも駆り出される」

 例えば、死者の都。

 一般人には知られていなかったあの遺跡にも、政府の手が入る事が決定している。

 これまでエジプト政府とカノープスは、独自の距離感で接してきた。

 今回の件で、その距離感は一気に接近する事となった。

 そうなれば、今回の事件の一つであるカイロ国際空港の強奪事件のような事が起こった際には、より即応した行動が可能になる。

 もしかしたら、これから起こる類似した事件そのものを未然に防げるかもしれない。

 そんな可能性を活かすべくカノープスは保有する神秘の数々を白日の下に曝す。

 これには【セベク社】も協力している。

 魔法が広まれば、【セベク社】の商品も手広く扱われると判断しての決断。

 カノープスと【セベク社】、両方にとって利益となる取引だとお互い理解していた。

 そして話は導師の門弟達の件となる。

 闇の一族は、今回の争乱の中核。

 その取り扱いは、セベク社長にとっても興味深い。

 現在、闇の一族はカノープスの下で拘束・軟禁させられている。

 「連中の今後は、牢獄か我々に協力するかの二択になるだろう」

 世界を混乱に陥れた技術であろうと、使い方を間違えなければ世の為になるだろうと部隊長は語る。

 それは高名な電子ハッカーが、その技術を人のために使う事と似ている。

 すべてはコインの裏表。

 単純な善と悪、白と黒ではわけられない世界の仕組みがここにある。

 悪人が善行をなす場合もあれば、昨日の白が今日の黒に早変わりする。

 部隊長とセベク社長は、そんな世界の仕組みをよく理解していた。

 「貴方はどう考える」

 「俺かい? 俺はいつも通りに面白い方に、儲ける方に金を費やすさ」

 金は天下の回りもの。

 単純にわけられない要素を含んだ人間独自の幻想。

 ある意味、金は魔法の一種と呼べよう。

 価値があると人が、人類が信じるから存在する。

 それを巧みに操るセベク社長は、空想と現実の狭間で生きている。

 魔力を用いずに現実を改変する傑物。

 ある意味で導師以上の魔術師と呼べた。

 「今回はアンタらカノープスに出資したが、状況が違っていたら導師の方に力を貸していたからな俺は」

 「でも、それでも貴方は我々を選んだ」

 「今の世界の方が稼げる。そう判断しただけさ」

 素直に、今の世界を守りたかったと言わないところが商人であるセベク社長らしい発言である。

 そんなセベク社長の行動で、一つだけ突拍子もない点があった。

 全部を金儲けに繋げる商人の採算度外視の一手。

 だが、セベク社長にとってはまぎれもない王道の一手。

 「だからあの少年を養子にしたのかね」

 「ああそうだよ、坊主を見てピンと来たね。こいつは面白い。儲けそうだなってよ」

 カビールという少年がいる。

 少年は自分の思うがままに、祈りのままに今回の事件の中を突っ切っていった。

 恐れがあっただろう。

 苦痛もあっただろう。

 しかし、その少年自身に降りかかる災難を幼い恋心一つだけで切り抜けた。

 部隊長は、運命というモノを考える。

 今回の一件は、少しでもボタンをかけ違えていたらまったく異なる結末を迎えていたかもしれない。

 事象の中心はスフィル。

 だが、事態を引っ掻き回したのは孤児に過ぎなかったカビールという一人の少年。

 二人の出会いは、本当に偶然だったのか?

 「もしかしたら、カビール少年のスフィルに対する一目惚れはこの世の摂理がもたらした必然なのかもしれないな」

 すべては神のみぞ知る。

 その神は、高次元の奥底で眠っている。

 すべてを知る事が出来ない人間には、予想する事でしか事態を把握出来ない。

 「当たり前だ、俺も必然だと思うぜ」

 「ほう、貴方もそう考える理由は?」

 「単純な話さ」

 セベク社長は微笑する。

 その笑みには、セベク社長にとって重要な事柄が含まれていた。

 まるで商売の秘訣を語るように、セベク社長は口を開く。

 「人と人の出会いは、偶然という名の糸が織り成す必然さ」

 「……結構、ロマンチストなのだな貴方は」

 「よく言われる。だからこそ、ここまでのしあがれた」

 部隊長とセベク社長の会話は続く。

 エジプトの復興プランから、全世界規模の商業案と幅広く語られる。

 そして時折、会話の切れ目にカビールやスフィルの話題で花を咲かせる。

 その中には、現在の二人の状況を問うモノもあった。

 「それで、カビール少年とスフィルは今どうしているのかね」

 世界を滅ぼしかけた少女の今後。

 世界を救った少年の未来。

 二つの対照的な少年少女の現実に、部隊長は切り込んで質問してみた。

 セベク社長はもったいぶった様子で、部隊長の質問に笑顔で応じる

 「そんなに知りたいか? 二人の今後」

 「いいではないか。保護者の貴方なら話せる話題だろうに」

 「えーどうしよっかなー」

 セベク社長は楽しそうにはぐらかす。

 それでも部隊長はこの話題に食いついて離さない。

 少しの間、両者の間で舌戦が繰り広げられる。

 無限に続くと思わせる質疑応答は、すぐにその結末を迎える。

 「わかった、喋るよ喋る」

 先に折れたのはセベク社長。

 しかし、セベク社長もこの話をしたかったのか、どこか嬉しそうに口角をつり上げている。

 そして語られる少年少女達の今後。

 セベク社長は満面の笑みでこう答えた。

 「二人なら、新しい旅立ちの準備中だ」



 新しい朝がやって来る。

 地平線を昇った太陽が大地を照らす。

 セベク社長がカノープスと話し合いを終えた翌日。

 その場所には大勢の人間がいた。

 滑走路の大地に翼の影が落ちる。

 無数の旅客機が、空と大地を往復する。

 そこでカビールは、旅路の支度に没頭する。

 カイロ国際空港。

 空の玄関口で、少年は新たな旅立ちを迎えていた。

 大勢の旅行客がひしめく場内で、カビールはスフィルと一緒にとある目印として待合所に立っていた。

 カビールはまさか自分がここに立つとは思いもよらず、緊張で少し寝不足である。

 人生が交差する空の港。

 カビールとスフィルの人生が交わった運命の場所。

 そこで今度は少年が旗を振るう。

 今度は自分が他者の出会いを導く。

 「お客様ーこちらですよー」

 元気よく旅行客を導いていく。

 それは【フューチャートラベラーズ】の旗。 

 スフィルも会社の正装に身を包む。

 少女も同様に、ツアースタッフの旗を振っている。

 そこにセベク社長も同行していた。

 ある程度、先導を終えた二人にセベク社長は仕事の感想を聞く。

 「どうだ二人共、客じゃなくスタッフとして旅に参加する気分は」

 「お父さ」

 「坊主、仕事中は社長と呼べ」

 「すいません、社長」

 「それで、どんな気分だ」

 カビールとスフィルは話し合いながら、正直な感想をセベク社長に伝える。

 「まだ慣れない事ばかりです」

 「ははは、最初はそんなモンだ」

 二人はセベク社長の指導の下、【フューチャートラベラーズ】のツアーコンダクターとしての道を歩み始めていた。

 何故、彼らがこんな事をしているかと言うと。

 すべてはセベク社長の教育方針にあった。

 大企業の御曹司になったカビールとその連れ合いのスフィルは、遊んでいるだけでも暮らしていける筈なのだが。

 「働かざる者、食うべからざる」

 以上の理由と、カビールとスフィル二人の希望があっての事。

 二人はこう宣言した。

 「新しい世界をもっともっと見てみたい」

 そのような事があって、カビールとスフィルはセベク社長が趣味でやっている旅行事業の【フューチャートラベラーズ】にスタッフとして加入した。

 この一ヶ月で幾度かの研修は済ませたが、実働は今回が初めて。

 カビールは慣れないながらも確かな実感をもたらす作業諸々にやりがいを感じながら相方であるスフィルに目配せで合図を送る。

 スフィルも同じくカビールへ応答する。

 この一ヶ月で、二人の仲は進展していた。

 「お疲れ様、早く仕事になれないとね」

 カビールは同じツアーコンダクターであるスフィルをねぎらいながら、これからの事に思いを馳せる。

 スフィルとの仲は、まだ恋人とは言えない。

 ただ、同じ苦境と時間を過ごした間柄は、友達以上の関係を互いに構築していた。

 いつかは結ばれたいと願うカビール。

 独特の空気で、内面がわかりづらいスフィル。

 どこか凸凹で、だからこそ噛み合った際は抜群の相性を発揮する二人に、怖いモノは何もない。

 少なくとも、この一瞬においてカビールとスフィルは無敵のコンビと言えよう。

 「カビール」

 スフィルがカビールの名を呼ぶ。

 美しい白髪。

 赤い瞳。

 カビールが世界の広さを知るキッカケとなった彼女の美しさが、闇の一族の暗闇から抜け出て花開く。

 スフィルは綺麗だ。

 その笑顔を、守りたい。

 いつまでも隣で見ていたい。

 それは神様にだって叶えられないカビールだけの祈り。

 そんな少女は問う。

 花のような笑みをほころばせながら。

 お腹を押さえて。

 「またお腹いっぱいにしてくれるんだよね?」

 「うん、もちろん!」

 カビールが元気よく応えると、丁度空港内のアナウンスでカビール達の乗る旅客機の出発準備が完了したと告げられる。

 「行くぞ二人共、その仕事っぷりを俺に見せてくれ」

 セベク社長の呼び掛けにカビールとスフィルはうなずく。

 これからこの国を離れる。

 新しい世界が二人を待っている。

 そう考えたカビールは、一度後ろを振り返る。

 そこにあるのは灼熱と砂の国。

 少年が生まれ育ち、スフィルと出会い、駆け抜けた熱砂の大地。

 苦しい事もあれば、楽しい事もあった。

 今はそのすべてがキラキラに輝く宝石のように、思い出の中で煌めいている。

 これから旅立つ場所。

 いつかは帰ってくる場所。

 カビールは様々な想いと一緒に、母なる大地へ言葉を口にする。

 「またねエジプト」

 そして振り返っていた視線を前に戻して進んでいく。

 そこにはセベク社長がいる。

 同じ旅路を行く旅行客の姿がある。

 何よりスフィルが待っている。

 少年の望むモノがすべてそこにはある。

 カビールは限りない未来へ向けて駆け抜けていった。

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