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エジプトへ愛を捧ぐ  作者: ロード猪2世
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第七章

第七章


 導師はその異変を察知した。

 場所はピラミッドとスフィンクスの像が見守る位置。

 純白の半球状の空間を発生させて維持し続ける魔術師の集団が浮き足立っている。

 指導者である導師は、混乱の原因をつぶさに認識していた。

 弟子の一人が導師の隣へ歩み寄る。

 「導師様」

 「どうした」

 「報告すべき事が」

 あの夜と同じ。

 一族の悲願を目前にして台無しにされた苦い経験が彼らに再び襲いかかる。

 彼らが維持する白い空間が、どこか揺らいで見えた。

 それは彼らの精神的な動揺がまねいた。

 「内部への侵入を許しました」

 「そのようだな」

 魔法と精神力は密接な繋がりを持つ。

 根源である精神に問題が発生すれば、それは魔法の効果にも影響する。

 加えて、彼らの行っているのは神の領域へ通じる道を開く大儀式。

 一つの不安が不備に直結する。

 この儀式が台無しにされれば、数千年の悲願が無に帰す。

 彼らの悲願は、神話の時代の復活。

 魔術師が容認される新たな世界。

 逆に彼らの絶望は、幾つもの夢と希望が叶わず、昨日と変わらない今日が訪れる未来。

 それだけは避けねばならない。

 なので、導師の弟子達はその不安を解消しようとする。

 禍根を断つべく首領である導師へ提案する。

 「我々も中に」

 「それはいかん」

 導師には彼らの気持ちが痛いほどわかる。

 わかるからこそ、集団をまとめる指導者として冷静に物事を認識する。

 導師は静かに反対の理由をのべる。

 「内部はスフィルと神による聖域と化している。これ以上、中へ不純物を持ち込めばどうなるかは私にもわからん」

 最悪、許容量を越えて内側から破裂する恐れすらあると導師は現状を察知していた。

 皆の不安をやわらげながら導師はなすべき事に思慮をめぐらす。

 導師は弟子達に告げる。

 「あともう少しだからこそ、失敗は許されない。いま出来る事を一つずつやるのだ」

 その言葉が今後の方針と化す。

 彼らに出来る事は一つ。

 現状の維持。

 確保した領域の保持。

 これ以上、聖域への侵入を許さない事。

 誰にでもわかる言葉で導師は弟子達へ告げていく。

 無論、導師自身もただ語るだけではない。

 「我らの力で、一族の悲願を守り抜くのだ」

 有言実行。

 怪しげな呪文が周囲に響く。

 すると、彼らの足場であった舗装道路にヒビが入る。

 言葉は力。

 魔力のこもった現実を改変する秘術。

 道路に生じた亀裂から沸き上がる黒い砂が、獣面人型のアヌビスの兵士へ変貌する。

 雄叫びが誕生したばかりの兵士の口から放たれる。

 他にも大蠍の神獣や神話に語られる大怪獣が何十、何百にも出現した。

 導師の言葉一つで、無限の兵力が大地の底から生じる。

 「導師様っ!」

 勇壮なる軍勢を眺めながら、磐石の布陣に顎を撫で下ろす導師に届く報告。

 それは今まさにこの軍勢が必要とされる場面の到来を意味していた。

 「カノープスと思わしき戦力がこちらに向かっているとの報告が別動隊から来ています!」

 「そうか、ならば撃退せねばな」

 「はい!」

 カノープスとの再激突は想定の範囲内。

 「アヌビスの軍勢を前面に押し出して、他は後方から援護にまわれ」

 「わかりました!」

 一族の長は、門弟達から先ほどまであった不安が拭い去られている事に気づかされる。

 それは当然の話。

 彼らにはアヌビスの軍勢がある。

 不完全ながら、その戦闘力は軍事力に匹敵する。

 一国どころか世界全てを相手にしても足りる神威の軍団。

 これが完全になった時こそ、魔術師達の繁栄する世界の到来。

 これは前哨戦に過ぎない。

 加えて、相手はすでに一度無力化した雑兵。

 なので、魔術師達にとってカノープスは敵ではない。

 その筈であった。

 「憐れなるカノープスの者共よ、今こそ土に帰る時なり!」

 黒き砂嵐と白亜の空間に彩られたカイロを戦場にして、世界の守護者と革命者の両方が真っ正面から激突する。

 「いけいけ! 滅ぼせ! 塵芥どもを一掃せよ!」

 鋭い牙が獲物を求めて疾走する。

 巨大な神獣達が大地を揺らして突撃する。

 破壊と殺戮の宴が、戦場を支配する。

 魔術師達は勝利を確信した。

 彼らは目の当たりにする。

 吹き飛ばされたのはアヌビスの軍勢側。

 「…………は?」

 闇の一族の口から、疑問の吐息が漏れる。

 信じられない。

 目の前の現実が受け入れられない。

 吹き飛ばされる軍勢。

 押し返してくるカノープスの一団。

 ここに予想は覆される。

 「な、なぜだ。なぜ、こうなる」

 「わからない、どうして」

 「導師に報告を!」

 アヌビスの軍勢の背後から状況を見守る魔術師達の集団は恐慌する。

 予想を外れた展開に、怖じけずく門弟達。

 魔術師達は気づく。

 相手が、カノープスが鋼鉄の武装を身にまとっていると。

 携えた武器は最新鋭。

 それはカビールが装着した人型機動兵器と同系列の技術を用いた量産品。

 カノープスと【セベク社】が手を結んだ証。

 「おのれ、【セベク社】め!」

 「商売で魔術を食い物にする罰当たり者の集まりが!」

 「負けるか、負けてなるものか!」

 戦闘はすぐに膠着状態に移行する。

 時間稼ぎの目的には叶う展開だが、焦る心が事態の打開を拙速に望む。

 「スフィルうううう!」

 魔術師達の誰かが絶叫した。



 その悲鳴をスフィルは空間を越えて認識した。

 彼女が浮かぶ白い海は、時空を超越して人の意思が物理的に錯綜する。

 それら全人類規模の人の想念が渦巻く嵐の中心は、だからこそ静かに凪いでいる。

 (……大きい)

 虚ろの中央に神はいた。

 闇の神アヌビス。

 導師達が崇拝する存在。

 正真正銘の本物を、スフィルは目の当たりにしている。

 (まだ、大きくなる)

 今、神は現世へ降りる為の準備段階。

 不確かな霊体から確固たる実像へ至る中間。

 例えるなら、卵の中で雛が形作られる最中。

 不定形な魔力を、骨子として肉体を構築中。

 これが叶えられた時に、導師達の計画は最終段階を迎える。

 卵の中に雛が誕生すれば、揺籃である卵の殻は割れて外界と通じる。

 雛は神。

 卵の殻はこの聖域。

 殻の外に広がる現実は、この偉大なる神の到来を待っているのか否か。

 少なくとも導師達はその到来を心待ちにしている。

 いずれ到来するであろう未来にスフィルは祝福を歌い上げる。

 唇から紡がれる音色が、神の意識をさらに現実へ浮上させる。

 ふと、スフィルは考えを巡らせる。

 この神が現実へ孵化したらどうなるか。

 未来に想いをはせる。

 (まず間違いなく現実世界の法則がねじまがる。おそらく魔法が全盛を誇った神代が復活する)

 叶うのは、導師達の願い。

 数千年の悲願。

 おそらく神話に語られる神獣や精霊が、現代の地球上に溢れかえる。

 現出する存在は、様々におよぶ。

 ユニコーン。

 ゴブリン。

 オーク。

 スフィンクス。

 それら神獣達の魔力は、現代兵器では束になっても傷つかない防壁となって機能する。

 魔法には魔法。

 それは過去の遺物となった魔法を現代へ価値あるモノとして甦らせる。

 最初の混乱期も、魔法の台頭で数十年と経たずに収束を見せる。

 世界は魔法を使える魔術師達を中心とした社会へ再構築される。

 その試みは、大偉業と呼んで差し支えない。

 自分達が変わるのではなく、それを取り巻く世界そのものを変えてしまう企て。

 この試みに参加した魔術師達の全員が、おそらく自身の行動に誇りを持って挑んでいる筈だ。

 その中核となった彼女一人を除いて。

 (……私には何もない)

 そこにスフィルの願望はない。

 それもその筈、彼女は無垢なる生け贄。

 フラスコの小人。

 ホムンクルス。

 彼女に未来はなく、ここで終わる命。

 普通なら恐怖に押し潰されてしまう大役を担っても、その心に波紋一つ生じない。

 スフィルには何もない。

 何も持たず、何も欲さず。

 予め決められた使命のみを行う無垢の魂。

 空虚故に何者にも侵されない。

 私心なき無垢なる言葉だからこそ、偉大なる神の魂にも響き渡る。

 (でも……なんでかな)

 スフィルには疑問があった。

 存在してはならないモノがあった。

 スフィルにはわからない。

 彼女の内側で渦巻く、内臓を強く握り締めたような感覚。

 今まで経験にない症状。

 それは人間が、不調と呼ぶ代物。

 自分の不調が、何であるか。

 肉体に問題はない。

 だが確かに精神に、魂にほんの僅かな不調を感じている。

 無視して構わないが、だからこそ後で問題になりそうで、恐れない筈の心が不安を抱く。

 その不調の原因に、精神を集中する。

 (何かが胸に、いやお腹に引っ掛かるような)

 やはりわからない。

 無垢にして完璧なる少女は、それ故に自らの不調に答える術を持ち合わせていない。

 それが叶うには自分以外のもう一人。

 別の知性と魂を持った隣人が必要。

 他者から指摘されねば、問題を解決出来ない。

 (まあ、いいか)

 彼女は二つの理由で、不調の原因を探るのを止めた。

 一つは、どうせもうすぐ生け贄となって消える我が身を思って。

 もう一つは、こんなところに他者なんて存在しない為。

 一度諦めれば、スフィルの思考は無駄な事を廃してクリアとなる。

 あるのはただ迎える現実のみ。

 スフィルは神の生け贄となる自分を想像した。



 カビールには最初から目的地がわかっていた。

 渦巻く神気の奔流の中で、鋼鉄の鎧がいつの間にか脱げて衣類のみになっていた。

 装備を脱いだ覚えはないが、それはカビールにとって生身こそがフラットな精神の有り様を示している。

 この空間の性質は、整備ハンガーでも予測として聞かされていた。

 そこは無限の深さを抱く海原に見える。

 どんな高性能で最新鋭の潜水艦でも底に辿り着けない無限の海洋。

 一説には、海とは星よりも未知が広がる領域。

 これが全て人類の意思の産物ならば、底が見当たらないのは人類の未知なる可能性を想起させる。

 とにかく、現在は神の顕現に合わせて集合的無意識の海流が激しくなっている。

 カビールは波に飲まれながら前進する。

 ここは認識こそが全てを左右する。

 祈りこそが全て。

 ならば認識が、願望が結果に作用するなら、少年の望みはただ一つ。

 スフィルの下へ行きたい。

 唯一無二の祈りは、カビールを望む場所へと導いていく。

 ーー見つけた。

 渦巻く大海の中央。

 集合的無意識の螺旋の頂点。

 始まりにして終わりの場所。

 想いが開いた扉の向こう側で、カビールは恋い焦がれる相手の姿を発見した。

 彼女はこちらに、カビールの存在に気づいていない。

 だから叫んだ。

 腹の底から、魂の奥底から叫び声を上げる。

 「スフィル!」

 短い言葉の羅列。

 一語一語に込められた熱量が、確かなエネルギーとなって空間を渡っていく。

 届くかどうかは、発した本人次第。

 なので結果は必定と言えた。

 届くと思えば、触れられると確信すれば叶う聖域において真っ直ぐな純情は必中する矢の如し。

 言葉は、想いは相手に届く。

 カビールから見たスフィルの背中が微かに震えた気がした。

 そして少女は後方へ振り返る。

 「どうしてこんなところまで来たの」

 向けられたのは、あり得ないモノを見る眼差し。

 正確無比のコンピューターにバグが生じたような動きで、スフィルはカビールを見つめた。

 だが混乱していたのはつかの間。

 すぐに冷静さを取り戻して、自らの作業に没頭する。

 それに対してカビールは情熱のままにスフィルへ呼び掛ける。

 「スフィル! スフィル!」

 スフィルが何してようとお構い無く叫び続ける。

 二人の距離は、間に透明な壁があるように一定以上近づけない。

 それは神に近い位にあるスフィルと、凡百にすぎない一般人のカビールの違いなのか。

 ただ声は届いた。

 触れられなくても、想いを告げる事は可能。

 ならば叫ばずにはいられない。

 熱い想いを、魂の熱量を発散し続ける。

 「……五月蝿いよ」

 ただ叫ぶだけの少年に業を煮やしたのか、スフィルはもう一度だけカビールに返答した。

 これで終わらせるつもりで。

 「帰って、貴方と話す理由が私にはない」

 「俺にはある!」

 確かにスフィルとカビールの間に縁は薄いのかもしれない。

 だが人間同士の関係は一括りには出来ない。

 そして人の想いの力は馬鹿に出来ない。

 少年が、カビールがスフィルと会いたい一心でここまで来れたように、強い想いは時としてあらゆる障害を乗り越える。

 「俺が君を振り向かせてみせる!」

 カビールは考える。

 少ない知恵を必死にひねり出す。

 ここは想いが形となる世界。

 ならば、スフィルに帰りたいと思わせればいい。

 良くも悪くも、想えば形となる。

 具体的には、彼女が生き続けたいと願う何か。

 何か、スフィルの未練になりそうな事はないか?

 これまでの経験を、スフィルと過ごした短い旅の中で使えそうな思い出はないか?

 彼女の後ろ髪を引く何か。

 彼女の生存本能を呼び覚ます思い出。

 ーー有った。

 それは月下の電車での記憶。

 数少ないカビールとスフィルが交わした暖かな記憶。

 その時に起こった事を少年は忘れていない。

 賑やかな晩餐の一時。

 食卓を彩る料理の数々。

 カビールは大声で叫ぶ。

 「ーーもう一度ご飯食べよう!」

 大きなお腹の音が鳴った。

 確かな音が集合無意識の海へ響き渡る。

 「ご飯美味しかったよね!」

 続けてもう一度。

 もはや隠しようがない。

 誰の耳にも明白。

 無垢なる少女の未練とは。 

 彼女の不調の原因とは。

 「またご飯食べたいな」

 「それでいい」

 カビールはスフィルの願いを肯定する。

 人を寄せ付けない美貌の少女。

 その内側には、こんなにもありふれた暖かな祈りの形が息づいている。

 「どんな理由でも構わない。君が生きてくれるのなら」

 いつの間にか、カビールとスフィルを遮っていた透明な壁はなくなっていた。

 カビールがスフィルに近づいたのか。

 逆だ。スフィルが、カビールのような一般人の位へ降りてきたのだ。

 スフィルは両手で顔を隠しながら己の気持ちを吐露する。

 「あんなの導師様の下では食べた事がなくて」

 「一緒に食べよう。一緒に笑おう」

 カビールはそんなスフィルの心を受け入れる。

 彼らの心の有り様を反映してか、聖域が静かに形を変えようとしていた。

 自らの命を代償に世界を変革しようとした少女はいなくなった。

 導師達、砂の民は過去を目指した。

 カビールはスフィルと生きる未来を選択する。

 「一緒に生きて欲しい」

 スフィルが両手を顔から離す。

 何か言葉を口にしようとした。

 そして神が絶叫した。

 己に捧げられていた音楽が、急になくなった事の反作用で神が荒ぶる。

 カビールはスフィルの肩を強く抱いた。

 未知の言語で叫び続ける闇の神アヌビス。

 その神の座す空間に異常が発生する。

 突如、その神体に穴が空いた。

 神の心臓に空いた飢餓の穴。

 どこかに繋がる、どこに繋がるかわからない大渦の中心。

 カビールとスフィルはその渦に飲み込まれた。

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