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エジプトへ愛を捧ぐ  作者: ロード猪2世
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第五章

第五章


 どのような社会にも掟というモノが存在する。

 そして往々にしてそういった掟を守らないモノには罰が下される。

 その動機がどのように純粋でひたむきであろうと罪には粛々と罰が与えられる。

 罰の大きさは人によって異なる。

 今回の場合は、それは人の命に匹敵した。

 裏社会で献上される上納金の盗難。

 首謀者であるカビールの命を幾つ積み上げても消せない罪が少年を襲う。

 場所は、カイロ内にある建築物の中。

 幾つもある裏社会の住人の拠点。事務所でカビールは椅子に縛りつけられていた。

 空港から始まったスフィルを探す旅が、まるで夢だったかのように。

 薄汚い餓鬼であるカビールがこれまで暮らしてきた現実がそこにある。

 何も考えず、疑問すら浮かぶ余地の無い生き方。

 「なーんでこんな事しちゃったのかなー?」

 痛み。

 苦痛。

 人体を効率的に傷つける術を知った拷問官が縛りつけられたカビールの横顔を覗いてくる。

 言葉そのものに毒が染み込んだようなその台詞は、カビールの内臓をえぐりだそうとする。主に魂と呼ばれる精神的なモノを。

 「もーしかして自分でも普通に生きられるとか思っちゃった感じかなー?」

 裏社会の掟が、カビールに罪の精算を求める。

 窓一つない個室に連れ込まれて数時間。

 時間感覚は曖昧になり、カビールの苦痛はますばかり。

 カビールの身体には痛々しい傷痕が無数に刻まれている。その全てが的確に少年の精神力を削り取っていく。

 カビールの口角から一筋の血が零れる。

 滴り落ちた血が無機質な事務所の床を赤く染める。

 拷問はする方もされる方も体力を使う。

 今回は、拷問官の方が先に休息を求めた。

 二人のスーツ男は別室に移って会話を続ける。

 「まだ殺すなよ」

 「わかってます」

 「持ち出した金の在処を聞き出すまでは」

 彼らにとって上納金の所在が何より重要。

 下手を打てば今度は自分達がカビールにした事をそっくりそのまま受けるはめになると痛いほど理解していた。その為、拷問は最大限の慎重さを求められた。

 カビールが意識を失っていない事が彼らの冷静さの表れ。

 そうでなければとっくの昔にカビールはこの世から消え失せていたに違いない。

 スーツ男の片割れが、何となく疑問を口にする。

 「それにしても何で本当にあの餓鬼は上納金に手をつけたんでしょうね」

 「知らん」

 「案外、惚れた女を追いかける為だったりして」

 「理由なんて意味はない。あいつは組織に逆らった。それだけで理由は十分過ぎる」

 今のところカビールは口を割ろうとしない。

 カビールもわかっているのかもしれない。彼を今生かしているのは所在不明の上納金の情報だけだ。それが無くなれば自分が何をされようと身を守る術はなくなってしまう。

 本来なら、ここまで時間はかからない。

 既にカビールがこの事務所に連れ込まれて半日は経過している。外の明かりは、次第に夜の様相を顕にし始めている。

 スーツ男達より上手の拷問官は他にもいる。

 しかし、今はその手段を選べずにいた。

 その理由を、彼らは自然と口にした。

 「昨日から上の方でも何やら情勢が変化しているらしい。言ってしまえば忙しいから俺ら下位の構成員で問題を解決しろって話だ」

 彼らは決して焦ってはいない。

 上からの命令に刻限はないから、幾らでも時間をかけられると楽観視していた。

 カビールがどれほど口が固くとも所詮は彼ら下っ端より更に最下層の路傍の石ころ。

 終わりは必ず来る。

 時間は彼ら裏社会の住人の味方。

 そして天涯孤独のカビールを助ける味方はどこにもいない。

 掴まれた個室のドアノブが、再び拷問の時間を告げる。

 「さあて尋問の再開ーー」

 スーツ姿の男の片割れが部屋に入った瞬間に、その異変は目の前に現れた。

 「どうした」

 「……ちくしょう」

 悪態を吐く。

 歯を喰い縛る。

 完全になめきっていた。

 外からではなく内側から。

 まさかそうなるとは思いもよらず。

 個室内は冷えきっていた。

 生き物の温もりはない。

 「あの餓鬼、逃げやがった」

 千切れた縄が事務所の床に落ちていた。



 「アブシンベルに置いてきた部隊から連絡が途絶えただと?」

 そこはカイロにある拠点の一つ。

 外から見れば普通のビル。しかしその正体は無数の魔術的擬装を施された鉄壁の要塞。

 施設内では何十人ものカノープスの関係者が日々世界平和の為に働いている。

 その中で一際頑丈さを誇る一室。

 尋問等にも使われるその一室の前で、スフィルを確保した部隊の、カノープスの部隊長が部下から報告を受けていた。

 一度、何か考える素振りを見せてから顎を撫でる部隊長。

 そして部下に指示を出す。

 「わかった。では引き続き情報収集に務めろ」

 小走りで去っていく部下の背中を見送りながらカノープスの部隊長は深く考える。

 (……まさか奴らが……いや、それにしては早過ぎる。それだけの戦力をどうやって……)

 闇の神アヌビスの儀式は阻止した。

 それ以前から繰り返されてきた魔術の闘争から、相手の懐具合を正確に読み取れる。

 死者の都を牛耳っていた魔術師の一族は、今は動かせる戦力はない筈。

 ではアブシンベルの部隊の沈黙は?

 これはどういう意味か?

 わからない、わからない、わからない。

 考えるほどどつぼにはまる。

 答えはどこにあるのか。

 (いや……それよりまずは)

 考えを目の前の問題に切り替える。

 悩むより先に、その前にやることがある。

 「……入るぞ」

 部隊長は個室へ入室する。

 室内は尋問用途とは思えないほど調度品に溢れている。一昔前の貴族の邸宅と言われても頷いてしまいそうな華美なる一室には、高級なソファーも設置されている。部隊長の目的はソファーに腰を据える麗人にあった。

 そこにいたのは美少女。

 スフィルが静かな面持ちで座していた。

 「こうやって二人っきりで話すのは初めてだな」

 部隊長は対面のソファーに腰を下ろす。

 スフィルと真っ正面から相対する。

 (……魔的だな)

 スフィルの美しさは一つの魔法の領域。

 気を抜けば歴戦の部隊長でも飲み込まれる。

 「君の身柄は我々が確保した。今後は我々の指示に従って貰う。いいね?」

 スフィルは肯定も否定もしない。

 ただそこに存在するだけの石像のように、空中を見つめている。

 スフィルの今後について。カノープス内でもその処遇をどうすべきかで話し合いが為されている。

 殺害か生存か。

 現在、スフィルの命を保つ生存派が主流を占めている。

 だがしかし情勢の変化によって、この天秤はどちらにでも傾く。

 世界を救う為なら人間一人を犠牲しても構わない。

 そのような考えも確かに存在している。

 部隊長は上からの指示通りにスフィルの今後を話していく。

 話を終えると、部隊長は再び個室から退室して廊下を歩き始める。歩きながら次の問題に脳内で取りかかる。

 (あの少女……スフィルの件はこれでいい。次はあの社長をどうするか……)

 その時である。

 ピタリと部隊長の歩みが止まる。

 丁度、道路側に面した片側がカガミ張りの通路。

 その廊下の向こうから彼の部下が血相を変えて駆け寄ってきた。

 「どうした」

 部隊長は嫌な予感がした。

 こういう時の彼の予感は外れた事がない。

 「敵襲です!」

 部下の目は血走っていた。

 それは信じられないモノを見た人間の特有の眼差し。

 部下は続けて真実のみを語る。

 「謎の怪物が施設内に出現して!」

 部下の言葉が合図となった。

 昼間の屋内を、闇が襲った。

 日光が差し込んでいたガラス張りの廊下が、暗黒色の砂嵐に取り込まれた。

 ガラスが割れた。

 侵入されるビル内。

 入ってくる黒い怪物。

 ジャッカルの頭に、人の身体をした異形。

 「アヌビスの兵か」

 部隊長は手持ちの短剣で、怪物に応戦した。

 鋭く激しい剣撃。

 火花散る攻防が、施設内のあらゆる場所で繰り広げられる。

 人間と魔性の激突は、苛烈を極める。

 カイロの一角で、アヌビスの兵士が鋭い刀剣を持って喉を鳴らしている。

 その兵士達を統率するのが魔術師の一団。

 一団の中核で、暗黒の外套をまとう魔術師の長ーー導師が事態の推移を見守る。

 「かつて、かの大王はアヌビスに生け贄を捧げずに行軍した代償に、病魔に襲われた」

 導師が過去にあった事実を口にする。

 「逆に言えば生け贄なしでもある程度は軍勢を操れると言う事だ」 

 語りながら、部隊長がいた無人の廊下を目的に向かって突き進む。

 彼らの目的は、スフィルの奪還。

 そして中断した儀式の完遂。

 「星辰の関係で死者の都が使えない。代わりにピラミッドで儀式を執り行う」

 とある部屋の前で魔術師の一団が止まる。

 開かれた扉の向こうには、目的の人物がソファーに座っていた。

 「行くぞ、スフィル」

 呼び掛けに答えるスフィル。

 彼女は命令される事になれている。

 今までそうして生きてきた。

 だが、

 「どうした。何をしてる。早く来い」

 その動きに若干の狂いが生じていた。

 それはすぐに拭い取れる汚れのような心の澱み。

 問題があるとすれば。

 否、それは心残り。

 一つだけ心残りがあるとすれば。

 あの時。

 カビールや他の旅行客達と一緒に食べたご飯の味。

 もう二度と味わう事はないと思うと。

 (少し……残念かな……)



 縄は噛み千切れたが、他に行くところもない。

 スーツ男達の隙をついて脱出したカビールだったが、行き場を失っていた。

 あてどなくさまよう。

 闇雲に、路地裏を進む。

 「…………」

 昼間でも路地裏は薄暗い。

 本来なら、それはカビールにとって慣れ親しんだ環境の筈だった。

 天涯孤独の身の上で、スフィルに出会うまではまともに思考すら働かせていなかった少年にとって闇は自分自身を守る壁であり帰るべき住み処であった。

 その薄暗さが、今日はいつもに増して深く感じられた。

 実際にカイロ全体が暗闇に閉ざされている。

 理由は、砂漠の向こう側。地平線からやってきた黒い砂嵐。アブシンベルを覆った災厄と同じ現象によって街のライフラインが寸断されている。

 最もわかりやすい異変は、太陽が大地に届かない。

 どこからか悲鳴のような声も聞こえてくる。

 カイロの街の異常は、路地裏にいても感じ取れるほど大きい。

 今のカビールにはわからないが、それは魔術師とそれを取り締まる組織の激突が表面化した証。

 その異常は街に根を張る裏社会にも影響を及ぼしている。そのお陰でカビールもこの混乱に乗じて逃げ回る事が出来ている。

 しかし、それも時間の問題。

 幾ら混乱しているとはいえカビールが敵に回した相手は強大過ぎる。

 時間が経てば彼らの耳と目にカビールの姿が捕らえられるのは確実。

 冷たい路地裏を這うように進む。

 静かに息を殺して。

 体力は尋問によって奪われている。

 煮え立つ魂の衝動だけが少年を突き動かす。

 諦めろとカビールの脳内で悪魔が囁く。

 味方はどこにいるかもしれない。

 「……スフィル……っ」

 彼女の事も諦めろと脳内の悪魔は囁く。

 手の届かない相手だと諦めてしまえと。

 「出来るか、そんな事」

 自分の情けなさに怒りが込み上げる。

 「出来ないよ。もう、出会ってしまったんだ。彼女と」

 カビールは悪魔の囁きをはね除ける。

 カビールは考える。

 何も考えず、疑問すら浮かぶ余地の無い生き方。

 それははたして生きていると呼べるだろうか?

 この数日間は色々な事があった。

 楽しい事もあれば危険な事も無数に存在した。

 例え痛みと苦悩にあえぐとしても、そこには確かに生きていると言う実感があった。

 この苦しみが人間の証なら、スフィルが自分を人間にしてくれた。

 「今度は俺の番だ。スフィルから貰ったお返しを、俺はしたい」

 カビールは思う。

 人は、何かを引き換えにして生きている。

 叶えたい事と、叶わない事に線引きをして必死に歯を喰いしばって生きている。ならば、カビールにとって選びたいモノは何なのか? 他を犠牲してまで叶えたい願いとは?

 決まっている。

 「俺がスフィルを救うんだ」

 暗闇の路地裏で、カビールの胸に宿る光。

 例え太陽が見えなくても、カビールの目にはしっかりと願いの形が見えていた。

 走る少年。

 胸の輝きが導く彼方へ。

 心には常に少女の姿がある。

 「やっと見つけたぜ」

 路地裏に、差し込む呼び声。

 最初は、スーツ姿の男達に見つかったのかと思った。

 だが違った。

 それはカビールをスフィルのいる場所まで送り届け、さらにはその命すら一度救った人物であった。

 「よう坊主。元気にしてるか」

 「……社長さん」

 【フューチャートラベラーズ】の社長がカビールの目の前に現れた。

 社長はすぐにカビールの全身を確認した。

 目で見て、野太い手で触れて、少年の反応を観察した。

 そして、ポンっと太鼓判を押すように両手でカビールの肩を叩いた。

 「その様子なら問題なさそうだな」

 その人間味に溢れた社長の言動に、カビールは全身の力が抜けかける。

 寸前のところで抜けかけた力を込め直す。

 カビールにはまだやらねばならない事がある。

 そして聞かなければならない事も。

 「どうして、ここが」

 「どうやって見つけたかは。あのアブシンベルと同じだ」

 社長がカビールを指差す。

 もっと正確に言えば、少年が首に下げたままのネックレスを人差し指で示していた。

 「その首飾りには発信器の機能もある。だからアブシンベルの時も坊主の居所がわかった」

 そこでカビールは疑問を抱く。

 アブシンベルの遺跡でもそうだが、この首飾りは特別な力を兼ね備えている。

 こんな物をどうやって用意したのか。

 そもそもどうやって作り出したのか。

 一体この社長は何者なのか。

 「社長!」

 そこで第三者の声が二人の間に入ってきた。

 それは【フューチャートラベラーズ】のツアースタッフ。

 社長の正体を誰よりも知る人間がこの場に登場した。

 「なんだよ、今いいところなのによ」

 「もう探しましたよ! いつもいつも独断専行して、付き合う身にもなってください」

 ツアースタッフは疲れた様子で雇い主に文句を言う。

 それからカビールの前では初めて社長の名を口にする。

 「セベク社長!」

 少年は驚きで目を見開く。

 セベクーーそれほこのエジプトで大きな意味を持つ名前。

 (セベクってあの、アブシンベルでも見た大企業の名前……)

 「あーすまん、隠してた訳じゃなくて」

 ばつが悪そうに社長は頭を掻く。

 よく観察すると、社長の眼差しが最初に出会った頃とは変わっていた。

 それは金を払った客人に対するものではなく、それよりもっと身近で親しい相手に見せる代物。

 「それはそうと、面白い見世物を拝ませて貰った礼だ」

 その言葉がどんな意味をもたらすかはカビールにはまだわからない。

 だが、確かにこの局面を一歩進めるだけの価値をその言葉は秘めていた。

 同時に、カビールのこれからの人生を大きく変える。

 社長はカビールに告げる。

 「お前は今日から俺の息子だ」

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