ブラコンの妹に、なかなか「彼女が出来た」と言い出せない
「ただいまー」
俺・杉浦潤が帰宅すると、間髪入れずに「おかえりなさい」という声が返ってくる。
その声を聞いた俺は、無事帰宅したことに対する安堵よりも、「あぁ、今日もか……」という溜息が先行してしまう。
家族と一緒に暮らしているのだ。誰かが出迎えること自体は、何らおかしなことじゃない。
だけど……こうも玄関で三つ指ついて、兄の帰りを待っている妹なんて、世界中探してもこいつだけなんじゃないだろうか?
俺の妹・杉浦梨那は現在中学三年生。俺が高校二年生だから、年齢は二つ離れている。
学業は実に優秀で、生活態度も良好。教職員からの評判も良い。
その上(兄の俺が言うのもなんだけど)めちゃくちゃ可愛いわけだから、異性からの人気も高い。まさに自慢の妹だった。
小耳に挟んだ話だと、梨那の奴前に「生徒会長にならないか?」と打診されたことがあったとか。
その他にも、大体月に一回のペースで告白されているらしい。
しかし梨那は現在、生徒会長をやっていない。彼氏もいない。
どうして梨那が生徒会長への推薦や男子からの告白を頑なに拒んでいるのか? その理由は、おおよそクラスメイトには言えない彼女のある性格にあった。
俺が玄関ドアを閉めると、梨那がギューッと抱き着いてくる。
「……おい、梨那」
「えへへへへ。潤兄成分補給中〜」
妹に抱きつかれても、豊かに育った乳房を押し付けられても、今更何も感じない。
妹だからというより、この感触にとうの昔に慣れきってしまったからだ。
兄弟間のスキンシップとは思えないような、梨那の熱すぎる抱擁。ここまでくれば、もうお分かりだろう。
クラスメイトには言えない、彼女のある性格。それは……超が付く程の、ブラコンだということだった。
梨那のブラコンっぷりがわかるエピソードを、いくつか紹介しよう。
まずは生徒会長への推薦を蹴った件についてだが、これは生徒会長になって帰宅時間が遅くなるのを懸念したからだそうだ。
帰宅時間が遅くなれば、今日のように俺を出迎えることが出来なくなってしまう。それが嫌だったらしい。
次に彼氏を作らない件だが……これは言うまでもないだろう。俺が好きすぎるが故に、決して告白をOKしない。
「潤兄よりカッコ良い人だったら、付き合ってあげても良いんだけどね。生憎そんな人と、まだ出会っていないから」
そう言いながら明らかに俺よりハイスペックなイケメンの写真を見せられた時には、こいつの目は節穴なんじゃねーのかと本気で疑った。
あとは「兄妹なんだから良いでしょ」と言って、わざと俺の飲みかけのジュースを飲んだりとか。定期的に俺の下着を拝借したりとか。
……俺にとっては日常茶飯事すぎて感覚が麻痺していたけど、改めて考えてみると俺の妹ヤベェな。
しかしそんなヤベェ奴でも、俺の妹であることに変わりはない。
抱き着いてきた梨那を突き放すことなんて出来ず、俺はよしよしと彼女の頭を撫でるのだった。
「ところで、梨那。ちょっと聞いて欲しいことがあるんだが……良いか?」
「もしかして、愛の告白? 勿論OKです」
「違う。そして先走って返事をするな」
まぁ、恋愛絡みだということに変わりはないんだけど。
「なんだ、違うのか。ざーんねん。……で、話って?」
梨那は抱き着いたまま、俺を見上げて小首を傾げる。
「実は……」
「実は?」
「……今日の晩御飯、何なのか凄い気になっていてな。授業そっちのけで、そのことばかり考えていたんだよ」
勿論、今日の晩飯の献立について聞こうと思っていたわけじゃない。
本当は別のことを言おうとしていたけど、土壇場で怖気付いたのだ。
「そうだったの? 潤兄って、本当私の料理好きだよね」
「まぁな。ハハハハハ」
……言えない。
「実は俺、彼女いるんだよね」なんて、口が裂けても彼女に言えるわけがなかった。
◇
翌日の昼休み。
俺は恋人の紺野優と一緒に中庭でランチをしていた。
「はぁ? 昨日も梨那に、私のこと話せなかったの?」
昨日帰宅時の一部始終を聞くなり、優は俺に「意気地なし!」と吐き捨てる。全く、その通りである。
「喉元までは、出ていたんだぞ? だけどいざ言うとなると、尻込みしちゃって。ほら、あの時梨那と抱き着いてたし」
「彼女の前で他の女を抱いてました宣言するんじゃないわよ」
「別に、妹だから良いだろ?」
「普通の妹だったらね。梨那の場合、普通の妹とは言い難いでしょ? 特に兄への感情に関しては」
優も俺同様、梨那がブラコンであることを認識している。
優は俺の恋人であると同時に、幼馴染でもあるのだ。
俺の幼馴染であるということは、梨那にとっても幼馴染だということで。そのことが、「彼女が出来た」と報告出来ない足枷になっていたりもする。
家族以上の感情を抱いている兄と、家族同等だと思っている年上の幼馴染が付き合っている。そんな事実を、どうしてすんなり受け入れられようか?
「ねぇ、潤。あなたわかってる?」
唐突に、優が尋ねてくる。
「わかってるって、何を?」
「潤と付き合って半年になるけれど、この半年間、私一度もあなたの家に行っていないのよ」
「それは……そうでしたね」
幼馴染ということもあって、優は昔からよく我が家を訪れていた。
しかし優との関係性が幼馴染から恋人同士へと変わってからというもの、彼女を自宅へ呼ぶのを控えている。
無意識のうちにイチャイチャして、うっかり俺たちの関係を梨那に知られてしまうのを恐れているのだ。
「あなたが言えないのなら、私が梨那に言いましょうか?」
「いや、それは……。やっぱりこういうことは、彼氏かつ兄である俺の口から言わないと」
「じゃあ、いつ言うの?」
「……明日とか?」
こういう時に嘘でも「今日言います」と言えないところが、ヘタレたる所以なのだろう。
優も流石に呆れたのか、大きな溜息を吐いた。
「この調子じゃ、あと半年経っても私たちの関係を梨那に言えていなさそうね。……もう良いわ」
「もしかして……愛想を尽かしたか?」
あまりにヘタレすぎる彼氏なんて、もう要らない。別れ話を切り出されるんじゃないかとビクビクしていた俺だったが……その心配は杞憂だった。
「んなわけないでしょ。私は潤のこと、大大大好きなのよ」
この彼女も、ブラコン妹に負けず劣らず俺が大好きなのだ。
真面目な顔で「大好き」と言われると、こちらの方がつい照れてしまう。
「私は潤と別れる気なんて、これっぽっちもないわ。そして一日でも早くあなたの家族に認められたい。だから……今日の放課後、潤の家に行きます!」
「えっ!? 嘘だろ!?」
優は恋人だ。そして幼馴染でもある。
だから目を見れば、彼女が本気で言っているのかどうかくらい判断がついた。
おいおい、待てよ。
俺に彼女がいると梨那に話していない状況で優を連れて行ったりなんてしたら、修羅場確定じゃないか。
せめて優が来るのが明日ならば、今夜中に彼女の存在を梨那に仄めかせる。その方が、ダメージも小さい筈だ。
一先ず俺は、優の来訪を明日に先延ばししようと考えた。
「優、今日はダメだ。俺の部屋が片付いていない」
「そんなこと、気にしなくて良いわよ。たとえあなたの部屋にエロ本が山積みになっていたとしても、私は受け入れるわ」
器の大きく、そして理解がある彼女! とても良い女なんだけど、今はそういうのを求めていない!
「本当に来るのか? 今日、両親帰ってこないんだぞ?」
「大丈夫。用事があるのは梨那だから。おじさんとおばさんには、また挨拶に伺うわ」
……どうやら、取り付く島がないらしい。
結局俺は優を説得することが出来なくて。午後の授業が、まるで頭に入ってこなかった。
◇
放課後。
下駄箱で靴を出していた俺の腕に、優がしがみついてきた。
「お待たせ、ダーリン」
セリフと真意が合っていないことくらい、容易に想像がつく。
腕にしがみついたのだって、甘えているわけじゃない。俺を逃がさない為だ。
「本当にウチに来るのか? 梨那がいるとは限らないぞ?」
「それなら心配無用よ。さっきあなたの家に電話して、梨那が既に帰宅していることは確認しておいたから」
用意周到なことで。完全に退路は断たれてしまった。
優を撒くことなんて出来ず、あっという間に自宅に到着する。
いつもは無駄に長い通学時間も、こういう時だけ早く感じてしまうから厄介なものだ。
玄関に入ると、そこではいつものように梨那が待っていた。
「おかえりなさい、潤兄。いらっしゃい、優ちゃん」
「久しぶりね!」と軽く手を上げる優に対して、俺はぎこちなく「おう」と返すことしか出来なかった。
「優ちゃん、最近全然ウチに遊びに来てくれなかったもんね。潤兄と喧嘩したのかと思ってたよ」
「私と潤の仲の良さは知っているでしょう? 喧嘩なんてするわけないじゃない」
「じゃあ、単純に忙しかったから?」
「んー。そういうわけでもないんだけど……」
まさか優の奴、このタイミングで付き合っていることを伝えるつもりか?
生憎まだ俺には修羅場に突入する心の準備が出来ていない。焼石に水だとはわかっているけど、俺は二人の会話に割って入った。
「玄関で立ち話っていうのもどうかと思うし、リビングに行かないか?」
「それもそうだね。流石は潤兄、気が利くじゃん」
俺を褒めちぎる梨那に対して、優は「余計なこと言いやがって」的な視線を向けてくる。
俺は敢えて、優と視線を合わせなかった。
リビングに向かった俺は、更に梨那と優を引き離す作戦に出る。
「梨那、お茶菓子を持ってきてくれないか? 幼馴染とはいえ、優はお客さん。もてなすのが礼儀ってものだろう?」
「わかった。確か戸棚にクッキーがあった気が……」
立ち上がった梨那を、優が呼び止める。
「お茶の準備なら、潤にやらせましょう。私は梨那とお喋りがしたいわ」
「優ちゃん。じーん……」
俺の作戦は優に利用され、逆に彼女と梨那が二人きりになる時間を作ってしまった。大ピンチである。
ピンチに陥ってしまったものは、仕方ない。少しでも早く窮地を脱するべく、俺は超特急でお茶とお菓子の準備をする。
戸棚を開けると、確かにそこには来客用のクッキーがあった。
しかもこのクッキー、先週のデートで優が「美味しい」と言いながら食べていたやつだ。
俺は皿に綺麗に盛り付けたクッキーを、二人のところに持っていく。
「ほい、ご所望のお茶菓子だ。この前のデートで、優が美味しそうに食べていたクッキーだぞ」
俺が言うと、優ではなく梨那が「え?」と声を漏らす。
梨那の方を見ると、彼女は目をパチクリさせていた。
「……デートって、何?」
……しまった。
うっかり失言してしまった。
『……』
その後俺たち三人の間に流れる沈黙。
静寂を破ったのは、優の「バカ」という一言だった。
◇
「確認なんだけど……潤兄と優ちゃんは、付き合ってるの?」
「えーと、それは……」
「そうよ」
未だに誤魔化そうとしている俺の代わりに、優が答える。
「私は潤と付き合っているわ」
打ち明けるなら、今しかない。優の目は、そう物語っていた。
「それって、恋人同士ってことだよね? デートとか手を繋いだりとかしたってことだよね?」
「えぇ」
「因みに、いつから付き合っていたの?」
「……半年前から」
「半年前……そうだったんだ」
半年前とは、優が我が家に遊びに来なくなった時期だ。その頃に付き合い始めたと聞いて、梨那も色々察したのだろう。
「キスはもう済ませたの?」
「先月が私の誕生日だったでしょ? そのタイミングでしたわ」
「それ以上の行為は?」
「安心して。まだだから」
「しない」ではなく、「まだ」。俺と別れる気はないと、優は暗に言っていた。
「今日はね、私と潤の関係について、梨那に話にきたの。梨那に隠れて付き合うことは出来る。でもこの先のことを考えると、やっぱりあなたにも認めて欲しくて」
「この先って?」
「だから、その……結婚、とか」
優のことは好きだし、そりゃあ結婚したいとも思っている。
だけど俺たちはまだ高校生。いざ結婚なんていう話になると、どうしてもこそばゆくなってしまう。
「梨那。あなたが潤のことをどう思っているのかは、理解しているつもりよ。その上で、お願いしたい。私に潤をくれませんか?」
「……」
梨那は即答しなかった。
俯いた状態で、黙り込んでしまっている。
数分間、熟考した後で、梨那は顔を上げた。梨那は……微笑んでいた。
「優ちゃんなら、しょうがないよね」
この反応は、俺も優も予想外だった。
「ほっ、本当に良いの?」
「他の女だったら「一昨日来やがれ、アバズレが!」って言って追い出していたけど、優ちゃんは別。優ちゃんなら潤兄のこと絶対に幸せにしてくれるし、認めるしかないじゃん」
「そっか……。ありがとう、梨那」
梨那に交際を認めて貰えた優は、本当に嬉しそうだった。
優が帰った後、クッキーやお茶の片付けをしていると、不意に梨那が俺の背中に抱き着いてきた。
「梨那?」
「潤兄の、バカ」
この体勢では、梨那の顔は見えない。だけど彼女の嗚咽なら、しっかり聞こえる。
梨那は、泣いていた。
「どうして彼女なんて作るの? どうして私だけじゃ満足してくれないの? どうして妹じゃダメなの?」
優を認めたのは、そうせざるを得なかったからだ。
梨那は優のことも好きで、だから彼女を傷付けたくなかった。
本当は泣くほど嫌な俺たちの交際を、認めることになったとしても。
「潤兄のバカ。アホ。甲斐性なし」
「……あぁ、そうだな。俺はバカでアホで甲斐性なしだ。そして……お前の兄ちゃんだ」
俺は一度梨那を離し、そして振り返る。
「たとえ彼女が出来たって、妹が大切なことに変わりはない。優を幸せにする。でもそれと同じくらい、お前のことも幸せにしたいと考えているんだよ」
こんなセリフを人に聞かれたら、シスコンの称号を与えられてしまうだろう。
だからどうした? その程度の代償で梨那を笑顔に出来るのなら、シスコン上等だ。
「俺はお前を彼女には出来ない。お嫁さんにも出来ない。だけどこれから先もずっと、俺の大好きな妹でいて下さい」
「! ……はい」
その次の週末。
俺は優とデートをする約束をしていた。
待ち合わせ場所に着くと、既に優は俺を待っていた。
「お待たせ、優」
「いいえ、私も今来たところよ。それはそうと……どういうこと?」
優は何やら訝しみながら、俺の背後を指差す。一体何のことを言っているのだろうか?
俺は振り返りと……すぐ後ろには、梨那が立っていた。
「梨那、どうして!?」
「どうしても何も、潤兄が言ったんじゃん。私のことも、幸せにしたいって。なので取り敢えず、私もデートに参加させて貰おうかなーって」
……まったく、この妹は。
小賢しくてわがままで、その上ドン引きするくらいブラコンな――愛すべき妹だ。
優との交際が認められて、それで終わりじゃない。
俺の悩みの種は、依然として成長中なのであった。




