頭舞妓
或る日の黄昏時に差し掛かる頃、私は宿に向かっておりました。仕事をクビになり、唐突に持て余すこととなった暇を埋めるべく、京極にやってきたのでございます。そんな私の踏み締める石畳は、陰鬱な寒空に屈することなく、堂々と、どこまでも続いているように思えました。それが、長く続く私の苦心を表すようで、私の胸に重くのしかかるのです。近頃は、生来のネガティヴに拍車が掛かって、何もする気が起きなくなっておりました。今日でさえ、もし、京極で何を見たかと訊かれれば、どう答えれば良いか迷ってしまうでしょう。最早何も認知しない程、私は衰弱しきっていたのです。
さて、早く宿へ帰ろうと深呼吸をした所で、私はぎょっとしました。絡み付くような視線が、私をそこに引き留めて離さないのです。いえ、一歩でも動けば何かが起こる。私を捕らえていたのは、そんな言い表せぬ恐怖心だったのかもしれません。そして、その視線は、蛇のようにうねりくねり、私に近付いてくるのでした。視線の主は一向に姿を見せようとはしないのですが、それでも確かに、私に向かって来ます。私は歯を食い縛ってそこに立っておりました。質の悪い汗が、額やら掌やらから吹き出します。心臓が破れる程鳴り、恐ろしさに叫び出しそうになった次の瞬間、その視線は、私の背後にぴたりと付いて止まりました。
誰か、と私が訊くと、甲高い響く声で、「誰だと思うか」と訊き返されました。「問いに問いで返すとは」と負けじと返しますと、「ならば振り返ると良い」と言います。仕方なしに、私は、酷く痛む顳顬を押さえて恐る恐る振り返りました。
拍子抜けしました。そこに居たのは、舞妓の格好をした、一人の少女でした。どんな恐ろしいものが居るのだろうと考えておりましたが、どうやら、神経を無駄に使っただけだったようです。私は安堵して屈んで、彼女の顔を覗きました。彼女は妙に落ち着いていて、そして舞妓の着付けに迚も満足していると見えて胸を張って立っておりました。しかし、どうして少女が一人で居るのでしょう。その旨を訊こうと口を開いて、私は気付きました。
影が、足りないのです。もう空も朱に染まる頃ですから、影も、大分存在感を増している訳でございますが、その分奇妙に見えました。…いえ、影自体は二人分あるのです。実際に足りないのは…、彼女の、頭部の影です。はっとして顔を上げますと、礼をした姿勢の舞妓から、小さな頭が滑り落ちました。私は、恐ろしかったと同時に、成程、とも思いました。
この少女は、身体に頭を乗せているんじゃなく、頭に身体を付けているんだな、と。
あの蛇のようにうねりくねりながら近付く、奇妙な形の視線のからくりが、ほぼ理解出来ました。少女の頭が、風を切って、私に一直線に向かってくる。
時折身体を塀や壁に打ち付けながら、ただ私だけを目指して…。
それから、どのようにして宿へ戻ったかは覚えておりません。がむしゃらに走る中で、老婆のような笑い声を聞いたような気がします。最近にも、ある時々にそれが思い出されて恐ろしいのです。彼女が一体何者であったのか、考えたところで詮なしという所でしょう、いえ、考えたくもありませんが。
そして、何より恐ろしかったのは…、
石畳の上で、私に笑いかけたあの顔は、紛れもない、
私の顔でした。
あれから、私は京極を訪れておりません。
京都、行きたいなぁと思っていたら思い付きました。いつか京都に行けたら、八ツ橋を大量に買って皆に配りたいです。




