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兜町の大アゲハ ~赤色の預言者・児玉つぐみ現る~  作者: ウチダ勝晃


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四、アゲハ、嗅ぎ付ける

お待たせしました、久々の「大アゲハ」です。


『探偵長、港支局の宇月です』

「――やあ、誰かと思ったら君かあ。なにか事件でもあったのかい」

 山藤悠一が出た電話の相手は、港支局の支局長・宇月淳であった。冷静沈着、というよりは無表情で感情が表に出にくい、と言ったほうが正しいような細身の美人で、『生き人形』という二つ名で東京管内の探偵員には知られていた。

『実は、例の岡一証券の件で少々お耳に入れたいことがありまして……。直接、なにかがあったというわけではないのですが、ひとまずお耳に……と』

「ほう、岡一がらみで……詳しく聞かせてもらえるかな?」

 店の一角の、すりガラスのはまった電話室の中で宇月と話していた山藤悠一は、「電話室」と描かれた透明な部分から猫目たちのテーブルの様子をうかがうと、ガラスを指でトントンと叩き、振り向いた猫目へドアの隙間から手招きをした。そして、

 ――上着の胸ポッケの手帳を持ってきてくれ。

 と、二人の間で決めている符丁で手を動かすと、猫目はそそくさと、電話室の戸からはみ出た山藤悠一の手へ、爪楊枝ほどの鉛筆がついた手帳を置いて、そのまま椅子へと舞い戻った。

「――で、どんな具合の話なんだい」

『探偵長、岡社長の愛人(二号)に、佐島ゆきよという女性がいるのをご存知でしたか』

「いやあ、初耳だ。なにもんだい、彼女……」

『もともと、ある理学大の数学科にいた才媛なんですが、卒業論文の題材にした相場関係の数式にからんで岡社長と接触し、社長がその色を見初めた……といういきさつがある女性なんだそうです』

「なるほど、いわゆる理系女子(リケジョ)ってわけか。結構有名なの?」

 山藤悠一の問いに、宇月は公然の秘密というやつです、と素っ気なく返す。

『で、その佐島ゆきよの家、いわゆる妾宅がちょうど区内にあるんですが、ここ数日の様子が妙だというので、ちょっと町内で騒ぎになっているんです。午前中に、町内会から連名で調査依頼がありましたので、念のためご報告を……と思ったんですが、なかなか連絡がつかなかったので苦労しましたよ』

「ごめんごめん、半地下だと携帯電話もつながりにくくてね……じゃ、ひとまずそっちへ行けばいいのかな?」

『急ぎではありませんが、なるべくお早目に願います。お客様とご一緒だと伺いましたから、多少遅くなるのは覚悟していますが……』

「ま、知れた仲だからどうにか切り上げるよ。じゃ、のちほど……」

 手帳へ走り書きをすると、山藤悠一は受話器をおろしてテーブルへ戻り、食後のコーヒーと洒落こんでいた猫目においっ、事件だ、とドヤすように叫ぶ。

「ちょっとっ、危ないじゃないですかっ」

 つられてむせかえった猫目が口元を拭いながら抗議する。

「岡一がらみでちょっと匂う事件が起こったんだ。法条、児玉さん、悪いが今日はこれでお開きということで――」

「――おおかた、愛人の佐島ゆきよンとこでなんかあったんだろう?」

 二杯目の紅茶をなめていたつぐみが、何もかも見透かしたように山藤悠一へ問う。

「ああ、やっぱりその筋じゃ有名なんですね」

「ちらっとガラス越しに港……とか、岡一……と聞こえたからねえ」

 つぐみの得意げな態度に、山藤悠一はまいったなあ、と首筋を掻く。すると、隣でボウモアですっかり出来上がっていた法条が、

「どうだい探偵長、トリュフ狩るにゃあブタが要る、ひとつこの好奇心旺盛な、優秀なるブタを現場まで連れてってくれないか。ちったあ鼻が利くと思うぜ」

「――誰がブタだって、このモグラ」

 レンズ越しに自分をにらむつぐみに、謝るとも詫びるともせずヘラヘラと笑う法条を見ていた山藤悠一はしばらく考え込むと、猫目に車のキーを託し、四人連れで港区へ赴くことを決めたのであった。

 渋滞をかすめて、三十分ほどで港支局の門前へ着いた山藤悠一一行は、有事に備えてホルスター入りの拳銃を身に着けた探偵員の面々に出くわすと、すぐに宇月支局長を呼び寄せた。

「こりゃあちょっと大げさなんじゃないかい」

 強盗相手にするわけじゃないし……と、重装備の探偵員たちを一別しながら山藤悠一が呟くと、宇月はダブルのブレザーの下に結わえたホルスターの具合をたしかめながら、

「しょうがないでしょう、町内会の人たちから出来る限りの重装備で……と頼まれたので」

 と、慣れないバレッタでまとめた長い後ろ髪をさすりながらぼやく。

「さっき探偵長から聞いたけど、こりゃあウチらの出る幕じゃねえんでないのかい。それこそ、所轄の生活安全課に花ァ持たせたっていいだろうに……」

 クラウンのヘッドランプへ腰を掛けながら猫目が不満げに言うと、そばで様子を見ていた法条が酒気の抜けない調子のまま猫目の頬をつねる。

「バカ、んなことしたら今度の件がイチからジュウまで、全部警視庁に預けられちまうだろうが。大ごとにしたらまずいって言ってたのはお宅だろ? ネコさんよォ」

 すかさず山藤悠一がよさないか、と制し、猫目は赤くなった頬をさすりながら法条をにらむ。

「――それに、うちが出るのもいちおう理由はあるんです。どうも、二三日前から妙なにおいがするとかで……」

「なんだってェ――探偵長、どうしてそんな大事なことを黙ってたんです」

 宇月の言葉を拾い、猫目が青筋を立てて山藤悠一に詰め寄る。

「報告としてはごみの腐るようなにおいがするってだけだが、それに紛れて何かにおっていたりしたら……」

「……寝覚めが悪ィこと言ってくれるなァ、この人は」

 皆まで言ってくれるな、と渋い顔をする猫目をなだめると、山藤悠一は港支局の備品である自動拳銃を宇月から受け取ると、安全装置の状態をきちんと見てから、猫目のようにスラックスのベルトの間に差し込み、出発しよう、とつぶやくのだった。


 佐島ゆきよの家は、コンクリートの白い高塀が続く住宅街の一角に、ぽつんと立つ数寄屋造りの平屋であった。手入れが行き届いていない、歪な形の生け垣がクラウンのフロントグラスに写った辺りから、山藤悠一と猫目大作は、車の三角窓から生臭い匂いのするのに気付いて顔をしかめた。

「探偵長、こいつはかなりキツいですよ」

「なるほど、強烈だなあ」

 ギアチェンジをしながら、山藤悠一は後を追う、港支局の黒いクルーへブレーキランプでサインを送りながら、門前へ車を止めた。つぐみと法条へ番を任せ、クルーから降りた宇月たちを裏口へ回すと、山藤悠一と猫目大作は、悪臭漂う玄関先で、呼び出しベルの釦をハンカチ越しにそっと押した。

「……誰もいないようですね」

 間隔をあけて二度鳴らしても、中から何の反応もないことを確認すると、山藤悠一はブレザーの内ポケットへ入れた、新書版ほどの革ケースから小型ドライバーほどの大きさの、解錠用の器具を取り出し、鍵穴へと突っ込んだ。ところが、

「――こいつ、開けっ放しじゃないか」

 テコを左右へ動かしたところで、そもそも玄関の錠が降りていないことに気づくと、山藤悠一は裏口へ回った宇月たちへサインを出し、安全装置を解いた拳銃片手に、家の中へと飛び込んだ。

 家の中ほどにある、六畳ほどの客間のあたりで宇月たちと合流すると、山藤悠一は宇月に、なにかあったかい、とここまでの様子を尋ねた。

「手洗いや洗面所、台所に面した浴室があるきりでしたが、人の気配はありませんでした。それと、このにおいの原因は、台所に放置された生ごみの袋でしたよ」

 紫色の大きなハンカチをマスク代わりにして口元を覆っていた宇月は、二人を率いて台所へと向かった。彼女の言う通りで、三ツ口のガスコンロと大きな流し、瞬間湯沸かしのついた水回りの手前に、五十リットル級の、中からひどくくすんだごみ袋が三つばかり、肥溜めのような臭いを放っている。

 もちろん、これだけでは不十分ということで、換気をしながら、部屋という部屋、収納という収納の中、それこそ畳の下まで調べたが、佐島ゆきよの変わり果てた姿などはどこにも見当たらなかった。

「――ホトケさん、見つかったかい」

 休憩のために外へ出た探偵社の面々に、近くの自動販売機で買ってきたお茶を配りながら、法条はけだるげに尋ねる。梅雨の合間のひどく蒸す空の下、冷房のついていないクラウンから出たつぐみと法条は、しきりに首筋へハンカチを走らせていた。

「ダメだ、血痕ひとつ見当たりゃしない」

 ペットボトルの飲み口を丸々咥えながら、猫目は大粒の汗を腕で拭い、疲労困憊、といった表情で法条へ返す。

「ときに猫目さん、山藤探偵はどこへ……?」 

「ああ、探偵長ならまだ中にいるよ。なんでも、書斎になにかあるんじゃないか、って言ってさ……」「へえ、書斎に……」

 ボトルの口金を握ったまま、つぐみはしばらく、開けっ放しになった玄関の戸を眺めていたが、何か思い当たる節があったのか、そばにいた宇月の部下を引っ張って、佐島邸の中へと飛び込んでいった。

「児玉さんッ」

 後を追いかけようとした猫目だったが、隣に立っていた法条に半袖をつかまれ、そのままつんのめってしまった。

「――邪魔は止しな。どうやら、キノコ探しのブタが、何か嗅ぎつけたらしい」

「なるほど……」

 つぐみの第六感に邪魔をさせてはならぬと、猫目以下、探偵社の面々はしばらく、ガサガサと物音の聞こえてくる佐島邸の玄関をじっと睨んでいたが、やがて探偵員が息せき切って、

「皆さんっ、探偵長と児玉さんがお呼びです。すぐに中へ来てください」

「――待ってましたッ」

 飲みさしを車の中へまとめると、猫目たちはすぐさま、山藤悠一と児玉つぐみの待っているという、むせかえるような臭気が残る客間へと急ぐのだった。

「探偵長、何か見つかったんですか――」

 開口一番、猫目が山藤悠一へ問いかけると、山藤悠一は落ち着いた様子で、

「まあ、落ち着け。ここは一つ、児玉さんに説明してもらうことにするから……」

 バトンを託されたつぐみは、一座が腰を下ろすのを待ってから、手袋をはめた右手の人差し指をピンと立てた。

「佐島ゆきよのことを知ってたのは、やつがその界隈じゃちっと名が知れてる、というだけじゃあないんだ。佐島とあたしは、そもそもある会社の株主でもあってね……」

 そういうと、つぐみはセルの羽織の袂から、小さな黒っぽいものを取り出して、皆の眼前へ突き付けた。中から出てきたのは、上等な革のケースに収まった、東京と小田原の間を走る私鉄・小田原電鉄の株主優待乗車証である。

「もしかしたらと思いつつ、彼女の書斎で山藤探偵と引き出しという引き出しを漁ってみたんだが、案の定、小田原電鉄の乗車パスがなかった。しかも、そいつの入ってた引き出しだけ、他の場所がきちんと、四角四面に整理してあるのに、ひどく散らかっていた……」

「なるほど、何か急な事情があって、小田原電鉄で動く用事が出来た、というわけか……」

 法条の言葉に、つぐみはそういうことになるな、と返す。

「となると、あの生ごみの入った袋は急な遠出、しかも、すぐに戻ってくる予定だったものが、何かのっぴきならない事情で伸びたせいで出せなかったもの……ということになるのでしょうか」

 宇月の問いに、山藤悠一は苦笑いしながら、まあ、そういうところなのかもしれないね、と肩をすくめて返事をする。

「で、この事実を基に、僕はある場所へ電話をしてみたんだがね……。岡社長、ちょうど四日前から私用で留守になさっているそうなんだ。猫目、これをどう思う?」

「――数字に強い愛妾と、証券会社のお偉いさんである彼女のパトロンが消えた……。こりゃ、何か黒いコト企んでそうですなあ」

 事件の思わぬ展開に、猫目はにやり、と右頬をつらせる。

「ひとまず、小田原電鉄の沿線にある支社・支局へ手配書を回すことにしよう。張った網に何かかかったら、そいつが真実への一歩、ということだ……」


手掛かりは小田原にあるのだろうか?

山藤悠一ら探偵社の面々、そして児玉つぐみら相場師の運命やいかに……?

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