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三、アゲハと探偵、追及す

お待たせしました、最新話です。

 突然のつぐみの告白に山藤悠一と猫目大作は戸惑った。が、ふたを開けてみればなんということはない、祖母譲りの「赤いダイヤ」へのカンがきっかけだったのだという。

「――外国産の農作物の出来高を予想するために、短波放送や、そこがやってるネット配信を聞くんだけどね。この頃欧州や欧米の港じゃ、待遇改善を目指す沖仲仕や港湾関係者のストが頻発してるのよ。で、そのあおりを食ってるものが二つ。ひとつは先物の対象になるような穀類、これはもちろん、場所によっては小豆が含まれる場合もあるんだけど、何よりも問題だったのが船の出港に遅れが出てる、っていうこと。大きな船は、沖までタグボートに曳いてもらわないと出港できないものね」

「なるほど、そのあおりを一番受けそうな会社がどこか、と言ったら、今の日本じゃ十中八九、日欧汽船の貨物部ってわけだ。遅れた分の損害金を請け負わないといけねえからな……」

 猫目の指摘に、つぐみはそういうこと、と目配せをしてみせる。場所を変え、四階のフラットにあるつぐみの家の居間で話を聞いていた猫目は、先ほどから出された緑茶と羊羹をつまみながら、話を聞くのと口を動かすのであわただしく顔を動かしている。

「で、そこへ来て日欧の欧州基幹ドックが火事でやられてしまった。運の悪いことに、修理がかなわなかった『どいつ丸』って貨物船が不調にあえいでとうとう上海に臨時入港。日本じゃあまり話題にならなかったけど、北京放送じゃずいぶん大きく扱われてたわよ。たどたどしい日本語で、簡易修理でなんとか来ていた機関部が破損、って出てたから、現場に回るお金もかなり貧しいことになってるんだなあ、と思って、そのことを保美に話したのよ――」

「その場所が悪かったよなあ。よその証券会社のサーバー管理の仕事の帰りに、兜町のサ店でそんな話をしたばっかりに……。聞いてたやつらがこっそりと話を撒いてって、こんなことになったんだろうよ。で、肝心の赤い相場はどうなんだ、つぐみさんよ……」

 紅茶にいれるために買ってあったというジョニ黒の小瓶をラッパであおりながら、法条は酒臭い吐息を振りまく。

「北京放送で聞く限りだと、中国産は豊作。アメリカとカナダは害虫被害多く、やや不作か……ってところかな。ま、これから台風シーズンに入るから、あまりのんびり見てはいられないけどね。日本を過ぎて、大陸にあがってゆくのもあるから、どうなるかわかったもんじゃない。その代わり、今度の日欧騒動で、株価の上がりそうな船会社のを買っておいたのがうまいことあたったから、ハジけてもしばらく困らないだけのお金はあるんだけどね」

「なるほど、こういうことだったんですね」

 いまのいままで目をつむって話を聞いていた山藤悠一は、すべてに納得がいったといわんばかりの顔で一座を見渡してから、つぐみの方へ向き直った。

「いや、ふたを開ければなんということはない、相場の世界の摂理だったのですね」

「まあ、そういうことだね。ただ、このことを岡一証券の社長に伝えるのは止しとくんな」

 それまで笑みをたやさずに茶をすすっていたつぐみの目から輝きが消え、その双眸が食い入るように山藤悠一をとらえた。

「偶然ですね、僕も同じことを考えていたのですよ。――まさか、証券会社の社長ともあろう人が、こうした経済の動きに疎いわけはない」

「青坊主とバカにはしたけど、あの男、そこまでバカではない。それを踏まえると、これは山藤探偵、あなたを使ってなにか企んでいる……と見たほうが妥当なんじゃないでしょうかね?」

「そう踏んだ方が、賢いと思うぜオレは……」

 空の小瓶をチェスの駒でも扱うようにテーブルの上に置くと、法条は酔いでとろんとうるんだ両目を二人へ向ける。

「なにかありそうっすね、兜町の大アゲハにはばたかれちゃあ困るような理由が……」

 猫目が腕を組んだまま、柱時計の振り子を目で追いながらつぶやく。是非のはっきりしないため息がその場を支配し、耳を突くような静けさが辺りに立ち込める。

「まあ、そのうちに何か匂うだろうさ。山藤探偵、これもなんかの縁だ、お互いきちんと、手の内は明かすことにしようじゃないの」

「――そうしましょう。妙な『匂い』がするとは、僕も思っていたところですから」

 レンズ越しに自信たっぷりな笑みの浮かぶ瞳をのぞかせながら、児玉つぐみは右の手を差し出す。それにこたえるように山藤悠一がそっと握り返すと、両者の間には、

 ――手の内は明かすが、余計な手出しは無用だぞ。

 とでも言いたげなアイ・コンタクトがほんのわずかな間に交わされたのであった。

 しかし、すぐに情報が舞い込むほど世の中は上手くはできていなかった。二、三日が四日に、四日が六日、六日が一週間……という具合に時間がたつうちに、六月も下旬へと差し掛かってしまった。

「なにもないっていうのは、逆に気味が悪いねえ」

 六月最後の金曜日、法条保美行きつけの店である、神田一の規模を誇る書店ビル地下の洋食屋兼喫茶店のかたすみで、昼日中からボウモアのボトルをポークチャップで開けている法条の酔いがまわった両の眼を一べつしてから、児玉つぐみは向かいの席に座った山藤悠一と猫目大作へ視線を直す。朝が遅かったという彼女は、ホワイトソースをかけたピラフをのそりとした匙使いでつまみ、合間合間に紅茶をなめている。かたや二人は、頼んだ日替わりランチがなかなか来ずに、先に運ばれてきたコーヒーを、舌の渇きをいやす程度にそっと口へ含むばかりであった。

「ぼちぼち、こっちの網にも何か引っかかりそうなものだけど……なんにもねえでやんの」

 くどいほどに砂糖を注ぎ、スプーンをカップの内側へぶつけながら回す猫目のつぶやきを拾い、つぐみがナプキンを使ってから口を開く。

「――天下のさつき探偵社をしても、今度の敵は厄介かもしれないねえ。なんせ相場っていうのは、姿の見えない妖怪を相手にしているようなもんだから……」

「妖怪、ねえ……」

 そこへ折よく、ウェイターが二人分のランチを運んできたのに気づくと、猫目はそれを受け取り、片方を山藤悠一の手元へ回す。ちなみに二人の頼んだ日替わりは、豚のロースを瓶底で丁寧にたたいた、ワラジほどの大きさのある平べったいトンカツである。

「――なんてのかなあ。天気に好機に政治に、いろいろまぜこぜになってる、いわば鵺みたいなのが相場取引なんだよ。そんなの相手にしてれば、普通の神経じゃ数年でまいっちゃう。おばあちゃんからそうなった人の話、よく聞かされたっけね」

「それを思うと、お前ってやつはとんだ源頼光だよな。そのうち首ねっこ引き摺って銀座までやってくるんじゃないか?」

 ボウモアの回った赤い顔をのぞかせながら軽口をたたく法条に、つぐみは倒れたごみバケツでも見るような目で、それは酒呑童子だろ、とツッコミを入れる。

「でも、鬼が相手ならまだ救いがあるよ。正体不明の鵺よりかは、なんぼかマシだ。――山藤探偵、尻尾でも胴でもいい、そっちの網になにかかかったら、すぐに連絡をくれ」

「わかっているよ。だけど、気味の悪いほどに、このひと月の間、都内の支局、支部には変な事件が入らないんだ。身辺調査、浮気調査、失せもの探し……。その方が平和でありがたいけど、今度ばかりは弱ってるんだ」

 山藤悠一が衣へと差し入れるナイフとフォークの手つきが弱弱しいのを悟り、つぐみはそれ以上何かを言うのは凶とみて、口を閉ざしてしまった。ところが――。

「失礼します。お客様の中に山藤様という方はいらっしゃいますか――」

 現れたボーイによって取り次がれた電話が、思わぬ方向へ舵を切ることとなったのである。


 「相場は鵺」と語るつぐみ。はたしてこの奇妙な妖怪退治の行く末やいかに?

 以下、次回。

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