8、神官さん、筋トレに目覚めない
今日も今日とて、俺は庭に生えた新しい同居人マーガレットちゃんに水を与えている。
ほーら、どうだいマーガレットちゃん。お水だよ。美味しいかい?
水を浴びたマーガレットちゃんの葉はトリートメントでもしたみたいにツヤツヤ輝いている。
くそっ。なんでだ。除草剤なのに。
アイギスとの戦いでも倒れなかったマーガレットちゃんを真正面から除去するのをあきらめた俺は、薬品で徐々に根から枯らせていく作戦にシフトしたわけだ。
しかし今のところ目に見える成果は見られていない。
「チッ、ダメか……」
今日の水やりは終わり。こんなとこに長居しても気が滅入るだけだ。
俺はじょうろを放り投げ、さっさとマーガレットちゃんに背を向ける。
だがマーガレットちゃんはまだ俺に用があったらしい。
「えっ」
ぐいっ、と腕を引かれ、強制的に振り向かされる。
花弁の中に佇むマーガレットちゃんとバッチリ目が合う。
瞬間、俺の体は宙を浮いていた。
「ふぎゃあッ!?」
我ながら情けない悲鳴。しかし止められない。
内臓がふわりと浮く感覚。押し寄せる恐怖。
除草剤撒いたのがバレたか。ヤバい、殺される。
ツタに引っ張られるがまま着地したのは、マーガレットちゃんの花弁の中であった。
「えっ、なに? なに? なんですか?」
マーガレットちゃんがじいっと俺を見る。
人の形をしてはいるものの、やはり植物モンスターには違いない。俺の質問に答えようとはせず、その表情から感情を推し量ることもできない。
やがて彼女は両腕を大きく広げ、子犬のように震える俺に覆いかぶさった。
すわ絞め殺されると身構えた俺に、マーガレットちゃんは頬ずりをした。
「……な、なんですか?」
もちろんマーガレットちゃんは答えない。
ただ無言で、マーキングでもするかのように俺に体をこすりつける。
「なんですか、これなんですか!? ねぇ!?」
*****
「えっくし。ぶえっくし」
くそっ、くしゃみが止まらねぇ。
俺は体中に付着した花粉を払い落とし、鼻をかんで一息つく。ふう。
死ぬかと思ったぜ。何だったんだアレは。
それにしても凄い力と凄まじい俊敏性だった。
ありゃアイギスが勝てなかったのも頷ける。
そういえば俺、グラムに襲われた時さえヤツに全く歯が立たなかったしな。
……ちっと鍛えるか。
マーガレットちゃんはもちろん、勇者にも勝とうなんてつもりはない。一般人レベルで見れば奴らは等しくバケモノだからな。
でもまぁ、掴まれたら振り払って逃げられるくらいの筋力は欲しい。物騒な世の中だし。
ダンベルとかねぇかな。ねぇよな。ここ教会だもん……あっ、これでいっか。
うわ、結構重いな。落とさないようにしないと。
「……なにやってるんですか、神官様」
突然の声に、俺はビクッとする。
錆び付いた歯車のような動きで振り向くと、首を傾げたオリヴィエと目が合う。
「あー、あの、模様替えをですね」
俺は鉄アレイ代わりの女神像(小)を置く。
「良いですね。手伝いましょうか?」
オリヴィエはそう言って、近くにあった等身大女神像(大)を片手で持ち上げた。
「あっ……やっぱ良いです。危ないから下ろして」
やっぱ勇者ってバケモンだわ。
筋トレなんてやめだやめ。くだらねぇ。その程度じゃ奴らには到底張り合えない。種族が違うもん。なんか他の手考えよ。
「そ、それより僕のマーガレットちゃんは元気ですか」
「え? ええ、まぁ……」
やはりその話か。
首を飛ばされたにも拘わらずまだ懲りていないらしい。
なんとか話をそらそうと頭を働かせるが、俺が口を開くより早くオリヴィエが動いた。
「ん? 外から音が聞こえますね。マーガレットちゃんが僕を呼んでるのかな?」
「あっ、ちょっと!」
俺の制止を振り切り、オリヴィエは裏庭へ続く扉を開く。
響く男たちの怒声。刃物の擦れる鋭い音、縦横無尽に動き回る鞭が風を切る音。
そこにあるのは、小さな戦場だ。
「こ、これは一体……」
あー、やっぱり文句言われるかな。
教会にアルラウネが生えた言い訳として、俺は“神が勇者の安全な訓練を支援するため教会に魔物を住まわせたに違いない”とクソ適当なことを言った。
ちょっと無理があるかな……と自分のことながら思ったのだが、勇者たちはすんなりそれを受け入れた。
まぁよく考えれば勇者の蘇生とかいうチート行為を容認してる神だ。今更何をしようと驚くに値しないのかもな。
どういうわけかマーガレットちゃんは武器をもって向かってくる勇者を殺そうとはしない。ただ攻撃をいなすだけだ。
今のところマーガレットちゃんに致命傷を与えられた勇者は現れていない。
アイギスも何度か挑戦しているが、やはりまだまだマーガレットちゃんには歯が立たないようだ。
「くそっ……強えぇ……」
戦いに疲れた勇者たちは膝を折り、自分の無力さを嘆きながら涙を流している。
良い光景だ。人間とは挫折を繰り返しながら成長していくのである。
しかしオリヴィエはマーガレットちゃんの扱いに不満を覚えたようだった。
「僕のマーガレットちゃんがあんなにたくさんの男の相手をさせられている……!」
オリヴィエはわなわなと肩を震わせながら誤解を招きそうなセリフを呟く。
そして彼は地面を蹴った。
「待ってて、今助けるからね!」
「待ちなさい!」
俺は素早くオリヴィエの首根っこを掴む。
瞬間、マーガレットちゃんの触手がオリヴィエの首を掠めた。
「うっ……」
首から血を滲ませ、オリヴィエはへなへなと座り込む。
さっきマーガレットちゃんは勇者を殺さないと言ったが、例外もある。
何が気に入らないのか知らないが、マーガレットちゃんはオリヴィエを蛇蝎の如く嫌っているようだ。
良い男だと思うけどな、オリヴィエくん。
面倒見良いし、顔だって悪くない。美少年だよ。本当、なにが嫌なんだろうな。
「どうして……マーガレットちゃん……」
「落ち着きなさい。とにかく、あなたはもう庭に出ないでください」
ショックのあまり腰を抜かすオリヴィエの体を支えながら、俺は教会の中へ彼を引きずり込む。
オリヴィエは俺の袖を掴み、ぐるりと首を捻り俺を見上げた。
「この粉なんですか」
「えっ?」
神官服の袖についた金色の粉がキラリと輝く。
俺は慌ててそれを払った。
「な、なんでもありません。模様替え中、なにか付いたんでしょう」
「噓」
オリヴィエの顔がぐぐっと近寄る。
なんだこの目。ヤツの白目に浮かぶのはすべての光を吸い込む闇、または底のない洞穴。
「これマーガレットちゃんの花粉ですよね? なんで誤魔化すんですか? なんで目を逸らすんです? ねぇ、ねぇ、ねぇ?」
凄い気迫だ。
気圧されて声を出せずにいると、オリヴィエは輝きを失った目でこちらを睨みながら唸るように言う。
「まさかマーガレットちゃんと……」
「ち、違いますよ! 私はなにも……マーガレットちゃんが無理矢理」
「この生臭神官!」
俺は植物モンスターをめぐるイザコザという世界一無駄な時間を過ごしたが、結局マーガレットちゃんの落ちた花弁を譲渡するという契約を結ぶことで解放された。
気持ち悪いね。そういうとこだぞオリヴィエ。





