65、フェーゲフォイアーの笛吹き
うううぅ……
俺は耳を塞いでガタガタ震える。
笛の音だ。最初は軽妙な音楽に聞こえたが、この状況では軽妙であればあるほど不気味でしかない。頭の中に直接響いてくるような、嫌な感覚。
俺は逃げ込んだ商店の扉を少し開き、外の様子を窺う。
「何の騒ぎだよ、これ……?」
たくさんの勇者たちが輝く笑みを浮かべながら、さながらパレードのように街を練り歩いている。しかし彼らがその手に持っているのは扇ではなく武器。舞い散っているのは紙吹雪ではなく血飛沫。
パレード隊はすれ違う勇者を飲み込み、袋叩きにして殺している。
ああ……また哀れな勇者の首が飛び、亡骸が教会に転送されていく。
どう考えても正気の沙汰じゃない。
そしてパレードの先頭、笛を吹きならしながら歩いている女。カラフルな布を切り貼りして作られた派手な衣装を纏い、顔には涙のペイント。
ピエロ――あれが噂の金貸しか。よくよく見れば、パレードに参列しているのは全て行方不明になったギャンブル狂い勇者であった。
「ピエロ女! 今こそ仲間の仇をとってやる」
アイギスの声と共に、秘密警察が駆けつける。秘密警察め、浮かれやがって。いつもの怪しげな仮面じゃなく、魔物どもを模したお面なんぞ付けてやがる……
しかしピエロは表情を変えない。ヤツは自分の術に自信を持っているようだった。
「仲間の仇を取るために、同じ街の仲間に剣を向けるの?」
お、煽ってるな。ギャンブル狂い共を盾にする気か? 確かに状況から見て、ヤツらは何らかの手段であの金貸しピエロに無理矢理従わされているだけだろう。
でもそんな台詞がヤツらの心に響くわけない。「なに言ってんの?」って感じに違いない。ほら、キョトンとしてんぞ。
この街の勇者は……秘密警察など特に、魔物より人間の方を殺し慣れている。
特に躊躇うこともなく、自然の流れとばかりにヤツらは殺し合いを始めた。
倫理観をどこかに落っことしてきた勇者たちのぶつかり合いにピエロ女はピクリと眉を動かしたが、すぐに気を取り直して声を上げる。
「出てきてよアマリリス! 大事な大事な私の街が滅茶苦茶になっちゃうじゃん」
……ん?
またあの名前。俺はじっと目を凝らしてそのピエロを見る。
あー……化粧と派手な衣装で全然印象が違うけど……メルンだなあれ……
俺がバッと扉を閉め、商店に閉じこもった。
お、俺には関係ない。俺には関係ないぞ。
「神官さん!!」
「ギャッ!!」
突然開いた扉に吹っ飛ばされ、商品の陳列された棚に背中から突っ込む。
クソッ、誰だ! ……カ、カタリナだ。
「あのピエロ! 神官さんの娘じゃないですか」
ひっ、バレてる。
いや、まだだ。まだ大丈夫。
俺は自分を落ちつけながら、平静を装って言う。
「む、娘ではありませんって。私も操られていただけです。あの哀れな勇者たちと一緒です。近付けばどうなるか分かりません」
「でもパパだったんですよね? 召使とかじゃなく。神官さんの言うことなら耳を貸してくれるんじゃないですか?」
誰がパパだ!
ふざけるな。なぜ俺がそう歳も離れていない女のパパにならなくちゃならないんだ。
俺はカタリナの視線から逃れるようにヤツに背を向ける。
「放っておいてもそのうち秘密警察が制圧してくれますよ」
「でも本人にその気があれば、何度でも同じことを繰り返しますよ」
「それに関しては問題ありません」
俺は神官スマイルを浮かべる。
ヤツが教会の庭に埋められていた理由が分かった。
今度はもっと深く埋めよう。誰にも見つからないように。
「見つけたぁ」
「ひっ!?」
見つかった!?
い、いや。どうやら見つかったのは俺じゃない。
「水くさいじゃないのアマリリス。ここまでしないと出てきてくれないなんて」
白兵戦を繰り広げる勇者を挟んでピエロ女ことメルンと対するのは、勇者でもなんでもない小娘だった。
「ア、アタシはお前なんか知らない……けど……な、なんでこんな事すんだよ!」
リリーが子ねずみのように震えながら声を張り上げる。
なにやってんだアイツ。勇者でもないのに無茶しやがって。
「悲しいこと言わないでよ。自分が殺した人間の顔も忘れちゃったの?」
「殺……!?」
リリーが目を見張る。
まぁ殺し合いなら目の前でも行われているし、この街では大して珍しくもない。
アイギスなどは、本当に殺した人間の顔などいちいち覚えてはいないだろう。
だがリリーのような小娘にそんな事ができるわけない。
メルンはなにかとんでもない勘違いをしているのだ。
「そろそろ対価をいただくよアマリリス。利子も随分かさんでるからさ!」
メルンの指からぬっと糸が伸びる。輝く銀色の糸――見覚えがある。俺の体に巻き付いていたのと同じだ。それは数人の勇者たちの体にするすると巻き付いた。
瞬間、糸付きの勇者たちだけが白兵戦をすり抜けてリリーに襲いかかる。
「ひっ……」
秘密警察どもは目の前の敵の殲滅に手一杯で、リリーをかばうことができない。
戦闘経験などないリリーは、逃げることもできず咄嗟に身を屈める。
クソッ、部屋の中で大人しくしていれば良いものを。なぜ出てきてしまったんだ。
「ッ……」
俺は咄嗟に視線をそらす。
刹那響く金属音……金属音?
「やめな。この娘の体はガラス細工みたいに繊細なんだ。アタシと違ってね」
両手にデカいバトルアックスを一本ずつ持ち、糸繰り勇者の斬撃を受け止める百戦錬磨の戦士。
ヒューッ! ババア! 宿屋のババアだ!
「ば、婆ちゃん……」
「誰だお前。邪魔しないで!」
ババアは斧で勇者の攻撃を弾き飛ばし、ニィっと笑う。
こ、この人もう現役じゃないんだよな……? なのにこの凄みか。恐ろしいな。
戦いへの、死への恐怖を一切感じさせない。もはや勇者でもないババアに死者蘇生の奇跡は降り注がないというのに。
「誰だお前、だって? クク……アンタこそ悲しいこと言うんじゃないよ。こんなパレードまでおっ始めて、血眼になってアンタが探してた女が出てきてやったんじゃないのさ」
「は……?」
「アマリリスだよ。久しいね、メルン」
ピエロメイクをしていても分かる。メルンの表情が固まった。
少々の沈黙のあと、ヤツは動揺を悟られまいとするかのようにフッと笑う。
「な、なんだ? なんだその姿。呪い、か? はは、ざまあないな。バチが当たったんだ。開拓地での私の働きを軽んじたバチがな」
自分のセリフに違和感を感じたらしい。
はたと気付いたように辺りを見回し、そしてババアの背中に隠れたリリーを見る。
「……開拓、地……だよな? ここは」
「随分立派になったろう? 相変わらず外は魔物がうろつく魔境だし、勇者にはロクなのがいない。それでも、それでも私たちは歩き続けたよ。あんたは確かにこの街の功労者だが、それはこの街を形作る血と汗の一パーセントにも満たない。あまり大きな顔しないことだね」
「おい……その子供はなんだよ。あれから一体何年経ったんだ!」
「ねぇ婆ちゃん。なんなんだよアイツ。商店街の誰に聞いても、なにも教えてくれないんだ。だから……アタシ……」
激しく声を荒げるメルン。
はらはらと泣きながらババアに縋るリリー。
ババアの深い皺の刻まれた顔に影が落ちる。少し悲しげに微笑み、ババアは口を開いた。
「良いだろう。よくお聞き、勇者共。老いぼれのつまらない昔話だがね。あれは、まだこの街がなにもない草原だったころの話さ――」





