143、WANTED
街の壁という壁に並んだ手配書。WANTEDの文字が洪水の如く視界に押し寄せる。その中心で満面の笑みを浮かべてダブルピースまでしたカタリナがデカデカと写し出されていた。
「クソッ、どこ行きやがったカタリナのヤツ」
「絶っっ対ぇ逃さねぇからなぁ……」
カタリナの姿を探す勇者たち。カジノで負債を抱えた勇者共などは文字通り目を血走らせながら躍起になって街中を走り回っている。当然だろう。カタリナを領主の館に突き出すだけで一人分の借金程度は返済しきってもお釣りが出るくらいの報奨金を貰えるのだ。
しかしそうはさせない。奴らに気付かれないよう声を潜ませる。
「こちらです。さぁ急いで」
俺は勇者共の視線を掻い潜り、月明かりを頼りに裏路地へと駆け込む。今や街中の勇者から追われる身となったカタリナの手を引いて。
「どこへ向かってるんですか? 逃げ場なんてどこにも……」
不安げに呟くカタリナを励ますように声をかける。
「大丈夫です。まずは街を出ましょう」
「え? でも出口は逆ですよ」
「街の出入り口なんて封鎖されているに決まっています。住民用のシェルターがあるのはご存じでしょう? 今は使われていませんが、街の外に繋がる避難通路を備えた古いシェルターがあるんです。そこへ案内します」
「そんなものが……ありがとうございます。一人だったらきっとすぐに捕まってしまっていました」
「礼なら逃げ切ってからにしなさい。気を抜く暇はありません」
カタリナが視線を落とし、沈んだ声を漏らす。
「神官さんはなにも聞かないんですね……」
「聞く必要ありませんよ」
俺は先を急ぎながら、カタリナに視線を向ける。
「思えば貴方とはそれなりの付き合いになりますね。貴方が初めて教会に送られてきたのが昨日のことのようです。最初はどうなるかと思いましたが……ふふ……どうにもならないものですね」
「それどういう意味ですか?」
「問題がないとは言いませんが、貴方が善良な人間なのは私が一番よく知っています。国宝級の杖を盗むなんて大それた真似するはずない。きっと何かの間違いでしょう」
カタリナが不意に足を止めた。
大通りからはカタリナを探し回る勇者の声が聞こえてくる。急がなくては。
しかしカタリナは動かない。
「なにをやってるんです。モタモタしてる暇は」
「神官さん」
カタリナがゆっくりと顔を上げる。こちらを見つめる瞳に疑いの色が混ざる。
「どうして杖のことを知ってるんですか」
寒々しい静寂が路地裏の空気を張り詰めさせる。
俺は意識的に口角を上げ、落ち着いた声で言う。
「……それは、手配書にそう」
「手配書にそんなこと書かれてません」
あぁ……そうか。そうだったな。
カタリナが俺の手を振り払って後退りをする。
「どうしてなにも知らないフリをしているんですか。向かっているのは本当にシェルターですか」
俺は緩慢な動きでカタリナに向き直り、微笑みかけた。
「貴方は本当に……変なところで勘が良い」
「さては裏切りましたね!?」
下手に事情を知っていると却って警戒されるかと思って、ひとまず黙っていたのだが……まぁ良い。騙して連れて行くのにも限界がある。そろそろ頃合いだな。
カタリナの構えた杖――あれは、ある高名な魔法使いの一族の家宝である。
考えてみればおかしかった。カタリナ自身がズタズタになったことは山ほどあるが、あの杖が折れたことは一度としてない。バカみたいな高出力魔法にも壊れず、杖から放たれた強力な電撃は湖の魔族をも感電させた。
ほぼ無一文だった初心者勇者のカタリナがどうしてあんな杖を持っているのか。俺はもっと早く疑問に思うべきだったのかもしれない。
俺は両手を広げ、カタリナとの距離をジリジリと詰める。
「裏切るとは失礼な。聖職者として私は貴方を正しい道へ導かねばならない。盗んだものはきちんと返して、被害者の方にごめんなさいしないと」
「酷い酷い! 何が聖職者ですか。嘘つき!」
「嘘つき~? 盗人のわりに大きく出ましたねぇ?」
カタリナが自らの肩を抱いて震える。
「ど、どうしてくれるんですか。捕まったらなにされるか……」
大袈裟な。
俺は腕を組んでため息をつく。
確かに杖を盗んだのは決して褒められたことではない。とはいえ、カタリナが盗んだのは“自分の家の宝”だ。他人の家に押し入ったのとは訳が違う。
家出少女が餞別代わりに家の奥で眠ってたなんか凄そうな杖を拝借していった。そんなところだろう。
俺は猫撫で声でカタリナに言う。
「今、領主様が貴方の家に足を運び、杖使用の正式な許可を得るため動いてくれています。我々は貴方の味方です。領主様は貴方の魔法を高く評価していますからね。決して酷いことはしませんし、させませんよ。さぁ、館へ向かいましょう。私が付き添ってあげますから」
「そ、そうなんですか? ……それならこんな乱暴な真似しなくても。なんで指名手配されなきゃならないんですか」
それは俺も本当にそう思うよ……ロンドは一体なにを考えているんだ。もっと穏便に済ませる手があるだろうに。おかげで眼を血走らせたチンピラ勇者が賞金欲しさに舌なめずりしてカタリナを探している。
カタリナのことだ。放っておいてもどうせどっかの勇者に捕まるだろう。なら俺が紳士的にエスコートし、流血無しで館へ行った方がカタリナのためでもある。そうでしょう? 神様。
俺は舌なめずりをした。
ロンドの思惑など考えたところで分からない。しかし今はそんなことどうだって良い。死にたがりの疫病神がせっかく幸運の女神様に化けたのだ。このゲーム、俺が絶対にクリアしてみせる。ロンドがカタリナに掛けた賞金は俺のもんだ。チンピラ勇者や壺カジノ狂いの勇者なんぞに渡すものか。普段真面目に働いている俺が幸運を掴むのが正常な世界ってもんだよなぁ……?
そんな考えを悟られないよう、俺は神官スマイルで塗り固めた顔をカタリナに向ける。
「領主様もそれくらい必死ってことでしょう。さぁさぁ、ご家族もさぞ心配しているはずです。少しくらい顔を見せてもバチは当たりませんよ」
するとカタリナはフッと息を吐き、悲しげに微笑んだ。
「きっと神官さんの家は家族仲が良いんでしょうね……でも世の中、そんな家庭ばかりじゃありませんよ」
あ、あれ……なんか俺、悪いこと言っちゃったか?
しかしそんなこと考えている暇はない。
カタリナが動いた。宝玉のついた杖の先をこちらに突きつける。
えっ、そんなガチで怒る?
想定外のカタリナの反撃に、俺は短い悲鳴を上げて後退りする。
「すみませんすみません! いや、ホントに悪気はなくて、ただ私は良かれと思ってっ!」
眩い光に目が眩む。
こ、こんなとこで、こんなくだらない事で死ぬのか俺は! 嫌だ!
俺はへたり込んでカタリナに縋った。
「せ、せめて遺書を書かせてください! 実家の両親と姉と甥っ子と王都にいる友人と恩師と行きつけだった食堂のおばちゃんに遺書を~!」
俺の懇願も虚しく、あちこちから激しい破裂音がする。
あっ……死んだわこれ……
そう覚悟したが、人間意外と死なないものである。
俺は固く閉じていた目をゆっくり開ける。痛くない。なんだ?
よくよく辺りを見回す。眩い光の正体はカタリナが展開した魔法陣だった。大小いくつもの魔法陣が組み合わさり、傘のように俺たちを覆っている。
防御魔法だ。文字通り敵の攻撃を防ぐための魔法。ということは、俺たちは今敵から攻撃を受けているということになる。
額に汗がにじむ。俺は暗闇に目を凝らすが、カタリナの魔法陣が明るすぎてよく見えない。
「ま、まさか勇者が賞金狙いで奇襲を?」
「違います」
カタリナはハッキリそう言い切った。
どこからか放たれる黒いモヤモヤした塊が魔法陣に当たっては砕ける。よく見れば、魔法陣にところどころヒビが入っていた。この防御壁も長くは持たない。
魔法陣の外にいるであろう敵の影を見据え、カタリナは杖を持つ手に力を込めた。
「お兄ちゃんは私と違って魔法の扱いが上手いんです。いつも一番良い場所に当ててくる。だからガードはしやすいし、大体の場所の見当もつきます」
「“お兄ちゃん”……?」
なぜ俺がカタリナの兄の攻撃を受けねばならないのか。まさかロンドとカタリナの実家との話し合いは上手くいかなかった? だからロンドはこんな強引な手で勇者を煽ってまでカタリナを確保しようとしているのか?
一つ確かなのは、どうやら俺はまたトラブルに巻き込まれたらしいということだ。
しかし呆然としている暇はない。カタリナが俺の神官服を掴み、強引に立たせる。
杖に光の塊が溜まっていく。最も激しくヒビの入った魔法陣に、カタリナが杖の先を向ける。
「神官さんが悪いんですからね。人の家庭の事情に首を突っ込むから」
轟音を響かせながらカタリナの杖の先から魔法が放たれる。光の塊は防御壁ごと黒いモヤモヤを掻き消し、辺りを眩く照らし出す。眩しくて目が開けられない。
白く塗り潰される視界の中、黒いローブを纏った男が光の中に浮かび上がる。
しかしそれをまじまじ見る暇はなかった。
「こうなったら地獄の果てまで付き合ってもらいますよ……!」
視界にチカチカ星が舞う中、俺はカタリナに手を引かれて路地裏を駆け出した。





