126、羊たちの慟哭
「檻には近付きすぎないで下さい。物のやり取りも禁止。囚人が何か差し出してきても受け取らないように。万が一なにか取られても深追いしないで。できれば言葉のやり取りも控えた方が良い。ではどうぞ……この廊下の、一番奥です」
白装束の勇者が牢へ立ち入る際の注意事項をぺらぺらと喋りながら重そうな鉄格子を開く。目の前に広がる薄暗い一本道の廊下。左右には鉄格子で隔てられた牢獄が並んでいる。
思わず息を呑んだ。収容されているのは人間のはずだが、獣の唸り声のような音がどこからか聞こえてくる。
俺は意を決し、牢獄の並ぶ廊下へと足を踏み入れる。後ろから鉄格子の閉まる音が響いた。
ここまで来たらもう引き返せない。俺はまっすぐな廊下を進んでいく。できるだけ檻に近付かず済むように、通路の真ん中を歩いて。
しかしこちらから干渉せずとも檻の中から声が飛んでくる。
「神官さぁ~ん、おかえりぃ~」
「土産はないのか? 酒が良いなぁ。ここは退屈でよぉ……」
勇者共だ。
牢獄という環境に適応してか、いつにもまして態度が悪い。これはたしかにかかわらない方が……
「匂う……匂うぞ……男の子の匂いだ……」
ある牢の前で、俺は思わず足を止める。
どうしてそのまま無視をして行ってしまわなかったのか、自分でも分からない。見てはいけないと思うのに、薄暗い牢の中を覗き込んでしまう。
暗闇の中で目が光った。薄汚れた男が地面を蹴ってこちらへ向かってくる。鉄格子で隔たれていることが分かっていても、後退りせずにはいられなかった。
「ひっ……」
男は「ふーっ、ふーっ」と獣のように息を荒げ、鉄格子の隙間から腕を伸ばす。
その顔には見覚えがあった。
男もまた、俺の顔までは忘れていなかったようだ。俺を視認すると、男はあからさまに落胆の表情を浮かべて鉄格子から伸ばした腕をダラリと垂らした。正気を取り戻すのと引き換えに覇気を失ったような顔で言う。
「あぁ、神官さんか。おかえり。甥っ子さんはどうだった? 可愛かったかい?」
「どうして貴方が……」
俺は変わり果てた内臓露出狂を見下ろして呟く。
ここはロンドと集会所の連中が合同で作った牢獄という話だ。お前は一応、ロンド側の人間じゃなかったのか。
ヤツは冷たい牢獄の床に胡坐をかき、世間話でもするような軽い調子で話し始める。
「良かったね。子供の成長は早いからね。すぐに大きくなっちゃうよ。ロンド君もね、来たばかりのころは俺たちがちょっと腹を割くだけで泣いて吐いてたのにさ、今じゃニコニコしてるんだもん……もうあの生意気で可愛かったころには戻れないんだ。分かってるよ。成長ってのは不可逆だからね。神官さんもそう思うだろ?」
うるせぇ。テメェと一緒にするな異常性癖野郎。それ以上喋るんじゃねぇ。ペドが移る。
俺は暴言を飲み込みながら、なんとか内臓露出狂に声をかける。
「そんな事ばかり言っているからこんなとこブチ込まれるんですよ。とうとうキレられたんですか」
内臓露出狂は凄い勢いで俺の言葉を否定した。
「違う! 違う! 世間が……世間が悪いんだ……そう……世間体が……」
なにを言っているのかまるで分からない。
ロンドに捨てられたショックでおかしくなったか。これ以上コイツと話しても、失うものばかりで得るものは一つもない。
俺はブツブツと呟き続ける内臓露出狂に背を向け、また歩き出した。今度は早足でだ。
この廊下、意外と長い。牢がいくつも並び、そのどれもに囚人が収容されている。一体何人の勇者がここに押し込まれているのか。
ようやく終わりが見えてきた。
今までの牢獄とは明らかに造りが違う。廊下と牢を隔てるのは鉄格子ではなく無色透明の板。人工的な光の降り注ぐ妙に明るい空間にそいつは立っていた。
「おはよう、ユリウス君」
血塗れの白衣に身を包んだマッドが、にっこり笑ってこちらに手を振った。
「遅いよ。何かあったの?」
「すみません。雪のせいで馬車が動かなくて」
俺はあらかじめ用意していた完全な嘘の言い訳をすかさず口にする。
マッドは笑みを崩さず首を傾げた。
「そうなの? じゃあ仕方ないね。あれ。でもおかしいな。ユリウス君の故郷のあたりって、この時期あんまり雪降らないよね」
マッドの言葉にサッと血の気が引く。
もちろん、この街の人間に俺の実家の場所を教えるなんて危険な真似をした記憶はない。
「な、なんで知っ……」
俺はハッとして首輪に手をやる。まさかこれ、発信器か?
なんだよコイツ全然俺のこと信用してねぇじゃん。
「ゴメンね。ユリウス君が期限時間内に帰ってこなかったらジッパーと一緒に迎えに行くっていうサプライズを考えてたんだけど、この通り色々あって」
「“ちょっと嫌なこと”って迎えに来るってことだったんですか……?」
「いや、その首輪にはドラゴンに埋め込んだ電極と同じものが入っててね。スイッチを押すと電流が流れる予定だったんだ。それで麻痺らせればユリウス君を安全にここまで連れ帰れるでしょ」
えっ、ドラゴンを痛めつけてた電極と同じもの? それ普通の人間がまともに食らったら無事じゃ済まないのでは? こいつの“ちょっと”の基準どうなってんだよ……
どうやら危ない橋をギリギリで渡っていたらしい。タイムリミット過ぎても別に大丈夫だろうと呑気に考えていた自分が恐ろしいな。
「ま、なにはともあれ無事帰ってきてくれて良かったよ。ジッパー」
マッドの呼びかけに応じ、ジッパーがボンデージからシュルシュルと触手を伸ばす。牢の小窓から這い出した触手がマッド謹製首輪を容易く外した。
首が軽い。なんとも清々しい気分だ。さて、一番気になっていた首輪は案外簡単に外してもらえた。次点で気になっていたことをマッドに聞いてみる。
「なんで血塗れなんですか」
「そりゃ、蘇生してれば多少はね」
「蘇生……」
あそこにいるヤツも蘇生中なのだろうか。俺は背伸びをしてマッドの後ろにある処置用の台のようなものを覗き込む。誰か寝かされている。
側に置かれた金属製のトレイの中にも血塗れの道具がいくつか転がっていた。蘇生に拘束具や注射器は基本的には必要ないはずだが……まぁやり方は人それぞれだからな。
しかしどうしてコイツがこんなところに。
いや、暫定死刑囚が牢獄にぶち込まれているのはごく自然な状況ではあるのだが、うちの領主様が利用価値のあるマッドをそう簡単に手放すとは考えにくい。そもそもマッドだけならまだしもジッパーがいればこんなところ簡単に脱獄できるはずだ。
俺の疑問を察したらしい。こちらが質問するよりも早く口を開いた。
「ユリウス君がいない間に色々と状況が変わってね。領主様は今、街の清掃活動にご執心なんだ。さしずめここはフェーゲフォイアーのゴミ箱ってとこかな。俺もすっかりゴミ扱いだ。ま、ここでの生活も悪くはないけどね。囚人たちへの実験も自由にできるし」
実験って言っちゃってるじゃん。やっぱ蘇生じゃないのかよ。
まぁ良い。聞かなかったことにしよう。気になるのはそこじゃない。俺はマッドに尋ねる。
「なんで領主様は今更そんなことを」
するとマッドはニッコリ笑って言った。
「大好きなお姉さんに心配かけたくないんだってさ。まぁこちらとしても余計なトラブルは起こしたくないからね。これくらいの協力はするよ」
お姉さん。その言葉に思わず息を呑む。
ロンドの“姉”はその辺の人間の姉とは重みが違う。
「まさか……」
マッドが頷いた。
「また街に来るらしいよ、姫様」





