10、修羅場教会
前回までのあらすじ:つかまった。
「ねぇご飯行こ」
鮮やかな色の割りにハイライトに乏しい虹彩が俺を捉えて離さない。
腕をガッチリ掴まれている。力では敵わない。逃げられないと悟った俺だが、それでも静かにかぶりを振った。
「行きません」
「魔物肉が食べられるジビエレストランだよ」
「行きません」
「現役勇者のシェフが引き連れた棺桶に料理を乗せて運んでくるのが名物のレストランで」
「絶ッッ対行きません。絶対にです」
なんだよこいつぅ、なんで帰ってくれねぇんだよぉ。
パステルイカれ女ことリエールはすっかり大穴が塞がり元気に心臓の動く体になったにも拘わらず、教会から出ていく気配がまるでない。
恐ろしい登場のわりにデートの誘い方が普通だったことは不幸中の幸いではあったが、だからといってホイホイついて行ったら待っているのは破滅だ。
コイツを勇者として認めるとは。神様も相当切羽詰まってるとみえる。
ただなぁ、精神は邪悪だけど顔は悪くないんだよなぁ。
だからあの三人の哀れな勇者もこんなやつとパーティ組んだんだろうな。
あ、そうだ。
俺はたった今思い出したように口を開く。
「あのぬいぐるみみたいな使い魔って」
「ねぇ、デート行こうよぉ」
さっきからあの三匹のカラフル使い魔についての質問はいっさい受け付けてくれない。
さすがにあの三人の勇者を無理矢理ぬいぐるみに変えて使役しているわけではないと思う……というかそう思いたい。
だとすると、彼女は元仲間の勇者たちとは全く関係ない精霊に気味の悪いセリフを教え込んでいるということになる。どう転べども、彼女の性根がねじ曲がっていることに疑いようはない。
「神官様! 神官さまー!」
おっ、ようやく神様が俺の味方をした。遅いよ神様、そんなんじゃ信者も減るよ。
教会に飛び込んできた少年を俺は満面の笑みで迎える。
「よく来ましたね、オリヴィエ。どうしました?」
一応形式的にそう尋ねたが、聞くまでもない。
オリヴィエは後ろにくっつけた棺桶に視線を向けながら言う。
「カタリナが死にました」
「どれ。おやおや、これは」
棺をちょっと開け、俺は大袈裟に顔を顰めてみせる。
頭のてっぺんから胸のあたりまで美しいとすら思えるほどの切れ込みが入っている。
プラナリアなら頭が二つ生えてくる斬られ方だ。良かったな人間で。
「これは修復に時間がかかりそうだ。リエール、今日はもう帰って――」
「良いよ、見てる」
え?
今なんて?
「どうぞ、お仕事続けて? ここで見てるから」
リエールは微笑みを携えて棺桶の中のグロ死体に視線を向ける。
その目は全く笑っていなかった。
*****
本当にジッと見てたよ。
俺がカタリナを修復する作業を、瞬きもせずにじーっと。
気味悪いし集中できないし最悪だよもう。
人の気も知らず、カタリナは頭を掻きながらのんきに笑う。
「いやぁ、ありがとうございます神官さん。あのバケモノ、思ったより素早くて」
「なぜ魔導師であるあなたがオリヴィエよりも大怪我しているんです。良いですか、魔導師は後衛から前衛の手助けを――」
神官の顔で説教を垂れながら、横目でパステルイカれ女の様子を窺う。
頼むぅ、帰ってくれぃ。
しかし俺の願いは神には届かなかった。あるいはシカトされた。
「ねーえ、ユリウス。もうお仕事終わったんでしょ?」
甘い声を上げながらしなだれかかってくるリエールに俺は戦慄した。
なんでお前、俺の名前知ってんの?
「あっ……」
勘の良すぎるガキことオリヴィエくんはハッとなにかを悟った顔をして、そして目線を足元に向ける。
「帰ろう、カタリナ。神官様も……お忙しいだろうから……」
おいおいおいおい。
お前、俺がこの女職場に連れ込んでやましい事をしていると思ってるな?
そう思うならそう言ってくれよ! 言葉にしてくれないと反論すらできないだろ!
っていうか帰らないでお願い。
俺をこのパステルイカれ女と二人きりにしないで。
君たちが次この教会を訪れたとき、そこには白いぬいぐるみが一体転がっているだけかもしれないよ。
「そんな事言わないでよオリヴィエ。せっかく神官さんに治して貰えたんだからお礼しないとでしょ」
空気読まない女ことカタリナさんがローブの中から小汚い小包を取り出して差し出す。
「うわっ、それまだ持ってたの? 捨てろって言ったじゃん……」
オリヴィエが不穏な言葉を呟きながら腐ったゴミを見るような目でそれを見る。
なんだそれは。
「これはですねぇ、森で戦っためっちゃでっかい蛇の肉です。神官さんと食べようと思って塩を振って干しておきました。あの時みたいに炭火で焼いて食べましょう」
「ほう、謎の蛇の干し肉ですかぁ。随分とフレッシュですね」
俺も色々な魔物やその肉を見てきたが、血の滴る干し肉というのは初めてである。
しかしカタリナはなぜかニッコニコだ。
「すみません、これは私の血ですね。でも大丈夫です、ちゃあんと包んであるので防水処理も大丈夫――あれ、ちょっと染みちゃってるかな……でも大丈夫です多分。良く焼けば。多分」
お前一回のセリフの中で多分って何回言うの?
勘弁してくれと考えていたのは俺だけじゃなかったようだ。オリヴィエが顔を顰める。
「しまいなよカタリナ。それ毒あったろ」
「大丈夫だよぉ、だって毒あったのは牙でしょ? 肉はイケるよ。最悪、ダメでも神官さんいるから毒の治療してもらえるし」
教会をセーフティーネットにして危険物を食そうとしているのかこの罰当たりは。
俺はひったくるようにしてカタリナから血の滴る小包を奪い取る。
「良いですねー!! 何を隠そう、血の滴る蛇の干し肉は私の大好物なんです。焼きましょう! 炭になるまで!」
「えっ、正気ですか……?」
おいおいオリヴィエ、なんだその顔は。
俺は正気だよ。正気じゃないのはそのパステルイカれ女さんだろ。
女の血が染み込んだ蛇の肉っていう黒魔術の媒体みたいなもんを食った方が、あのパステルさんと二人っきりで取り残されるよりは生存確率が高いと踏んだんだよ。
ほら見ろよ、パステルさんのお顔がポップな水色に染まってるぜ。
おや、今度は桜色に変わった。
「ふーん……私とジビエレストランには行けないのに、この女の肉は食べるんだぁ……」
なんだよもう、俺が教会で何喰おうと自由だろうが。
まぁ確かに神前で口にするには少々過激な食材ではあるがね。
「この女の血の染み込んだ肉を……血の染み込んだ……肉を……」
リエールは何やらブツブツと言いながら、ゆらりと立ち上がる。
そして彼女は腕を振り上げた。彼女の手の中で銀色のなにかがギラリと光る。
サンマかな?
違うよね。ナイフだ。
「あの娘ばっかりズルいッ!!!」
リエールは叫びながら、小さなナイフを自分の腕に振り下ろした。
びちゃり、と血が飛び散り俺の神官服に赤いシミを作る。そしてヤツは腕を差し出した。
「私の血も飲んで……?」
神官にどんなプレイを要求してるんだお前は。
俺は静かに回復魔法をかけ、手を差し出す。
「銅貨十枚いただきます」
「ハイ……」
恍惚とした顔でコインを取り出すリエール。
金払いは良いんだよな、コイツ。
「神官さん回復魔法も使えるんですね。なんかコツとかあります? 私、どうも上手くできなくて」
このドン引きイベントにも臆さず突っ込んでくるカタリナ。
尊敬もしているけど、正直俺が庭の手入れをできないほど忙しいのは君のそういうとこにも原因があると思うんだよなぁ。
ほら見ろ、リエールが怖い顔して……あっ
「邪魔するな」
カタリナの鼻筋をつう、と血が伝う。
彼女の眉間には、小さなナイフが深々と突き刺さっていた。
「なっ……リエール! あなたなんてことを。そんな事をしたってどうにもなりませんよ」
「……そんな事ないよ。だってほら、邪魔者が消えた」
リエールは頬についた返り血を拭い、晴れ晴れと笑う。
なんてことを。
リエール、君がここまで愚かだとは思わなかった。
カタリナは膝から崩れ落ちるように倒れ込み、そして白い光に包まれる。
次の瞬間、光はカタリナの死体を納めた棺桶に姿を変えた。
「彼女は勇者なんですから、殺したって増えるのは私の仕事だけです。本当に勘弁してください」
「あーあ……これで今月に入って五度目ですよ。毎月の食費をカタリナの蘇生費に圧迫されてます」
オリヴィエが頭を抱える。
それを見て、リエールも頭を抱えた。
「そんな……五度も!? 私ですら月一程度が限界なのに」
お前やっぱわざと死んでない?
まぁ良いや、あまりツッコまないことにしよう。
そんな事より蘇生だ蘇生。
「うぐぐ……この女、月に五回も蘇生を……」
まだ言ってるよ。
リエールにねっとりした目で見られながら、カタリナの蘇生が完了する。
「あ、あれ? 私寝ちゃってました?」
あまりに急な出来事に本人も何が起きたのか理解できていないようだ。
自分を殺した相手が近付いてくるにも拘らず、カタリナはきょとんとしている。
「やめなさいリエール! 何度やろうと無駄です。私の仕事を増やさないでください」
「大丈夫だよユリウス。この女をもうここには近寄らせない」
え、本当に?
っていうか名前で呼ぶな。
「私、あなた達のパーティに入るから」
「え゛っ」
カエルを踏みつぶしたような声を上げるオリヴィエ。
彼を無視し、リエールはカタリナに詰め寄る。
「え? え? まったく話が飲み込めないんですけど」
困惑するカタリナを壁際に追い詰め、リエールは彼女を囲い込むように壁に手をつく。
「ふふふ……残念だったね。あなたがこの教会を訪れることはもうないよ。あなたを絶対に死なせないから。私が死んでも守るから」
「えっ……」
カタリナの頬がパステルピンクに染まる。
てめぇ何キュンとしてんだよ。
ああ、オリヴィエが白目を剥いて泡を吹いている。
ゴメンな。お前にここまで背負わせる気はなかったんだ。
胃に穴が開かなきゃいいけど……。