話の3 書記の、憧憬
志依ちゃん視点では初めてのもの。何か視点ごとに印とかつけた方がいいですかね?
ジリリリリ、と目覚ましの音が鳴り響きます。昨日はお正月兼志依の誕生日だったのでつい、遅くまで起きていたのがどうもまずかったみたいです。
「んんん……あとちょっとだけ……」
志依は思わず布団のさらに奥深くへと潜り込みます。うう、寝正月を正当化してしまいたくなるような寒さです。ただでさえいつも気持ちよく起きられる方ではないのに、今日はとりわけ疲れが抜けません。
「志依―ッ!志依―ッ!起きなさーい!遅れるわよ」
布団の中に入っていようが鼓膜に突き刺さる声が響きます。そんなに大きな声で言わないでください。近所迷惑になりますから。
「学校は……休みでしょ……」
「何言ってるの?油川さんと初詣に行くってあんなにはしゃいでたじゃない。正月早々、先輩を待たせちゃだめでしょ?」
はわわ、実家に帰省した楽しさで、すっかり忘れていました。これは言い訳のしようがありません。せっかく桂里奈さんが
「お誕生日だし1日は家族の人達と過ごしなさい。わたしとの初詣は2日にしましょう」
と言ってくれたのに、好意を台無しにしてしまったわけですから。そういうわけで、志依はろくに朝ごはんも食べられず、着ようと思っていた晴れ着も着れないままコートを羽織って表玄関に出ました。
間家の門扉を開け放つと、桂里奈さんがらしくもなく、せわしなくきょろきょろし、晴れ着の足元をもぞもぞさせながら待っていました。赤地に花柄の晴れ着で、いつものお嬢様結びに眼鏡姿の桂里奈さんは正月の女神とごり押しすれば、たぶん通りそうな、そんないでたちでした。にもかかわらずせわしなそうにしている様が余計おかしくて、志依はつい、吹き出してしまいました。
「し、志依じゃない!どうしてこんなところに……」
不意を突かれたせいか、かなりのあわてっぷりです。
「桂里奈さん……遅くなってしまって……」
「それは別にいいのだけど。まあわたしも志依の体が丈夫じゃないってこと忘れてたのだから、おあいこよ。さあ、行きましょ。これ以上時間を無駄にできないわ」
桂里奈さんは志依の額にキスを落とすと、ぐいっと手を掴んで引っ張りだしました。
「ま、待ってください……」
口ではそういっていますが、寒い上にろくに何も食べていないのに体がぽかぽかしてくる、なんだか不思議な気分になってしまうのです。
神社はさすがに元旦よりは混んでいないものの、それでも決して少なくない人でにぎわっていました。少しおどけていた桂里奈さんも、さすがに神域では神妙な態度で参拝していました。でも、参拝を終えて本殿から見て一番最後の鳥居をくぐり抜けると、急に笑みが戻ってきました。
「桂里奈さん……どんなお願い……したんですか?」
「な、い、しょ♡」
桂里奈さんはいたずらっぽく笑うと、志依を抱きよせて唇にむしゃぶりついてきました。
「こんな、人の前で……」
ちらほらと参拝のために人が出入りしている、その鳥居の真ん前です。
「ちゅぷっ……それが、どうかした?」
どうせ誰も止めやしないのに、とでも言いたげな目で桂里奈さんがこっちを見てきます。実際、周りの人達はこっちに気づかないかのように歩いていったり話したりしています。
「は……恥ずかしいです……」
「あらそう。じゃあもっと恥ずかしくしてあげる」
桂里奈さんは、舌で唇をこじ開けるようにして、志依の口内を犯していきます。
「はむっ、じゅぷっ、じゅうるるうる……」
気持ちよくなってしまった志依は桂里奈さんのされるがままにされようとした……のですが。
「ふにゃあ~」
急に力が抜けて、へたり込んでしまいました。
「志依―っ!」
志依が気がついたときは、桂里奈さんの背中の上でした。
「ごめんね志依。体が弱いのをすっかり忘れちゃって……」
先程から桂里奈さんは謝罪ばかり口にしています。本当は桂里奈さんに非があるのは間違いないのですが、志依の元々の性格もあってか、こうまでしおらしくされるとどうも強く出られなくなってしまいます。
「んもう、仕方ないわよね……学校が休みになってから、一人でシちゃったら志依に悪いと思ってずっとガマンしてたのだもの……志依の門前で志依を見つけた時思わずムラムラしちゃったせいで、パパっと初詣片付けたらちゅっちゅしてその先までgo!なんて不埒な事考えたバチよね……」
志依は思わず顔が熱くなりました。
「か、桂里奈さん……」
「起きてたのね志依。どこから聞いてたの?」
「一人でシたら悪いと思ってガマンしてたってとこから……」
「……」
桂里奈さんの顔は見えませんが、とてつもなくばつの悪そうな顔をしているであろう、途方もないオーラとでもいうべきものが漂ってきました。
「恥ずかしかったけど……志依は……怒ってません……」
きゅう、とお腹が鳴りました。桂里奈さんのものでないのは、すぐに見抜かれてしまいます。
「そう、ならいいわ。志依の家まで遠いから、菊花寮に来なさい。いろいろやりたいこともあるし、せっかくだから、ご飯食べさせてあげる」
菊花寮は特に優等生ばかりの入る場所ですから、志依は思わず高揚してしまいます。桂里奈さんはぽんぽんと頭を撫でると、サインインの申請書を記入するように促しました。
ところが、志依は、入居者との関係を聞かれる欄で、つい手を止めてしまいました。
「何を戸惑っているの?彼女って書きなさい」
あくまでも優しく、それでいて逆らえない、そんな奇妙な感覚に襲われながら、「彼女」と記入しました。生徒会書記にも関わらず、思わず手が震えて字をすごく下手に書いてしまいました。
「桂里奈さん……」
「何か不都合でもあったかしら?」
「い……いえ……」
別に桂里奈さんの事が嫌いなわけではないのです。いちゃいちゃだって、したいのです。ただ……何というか、生徒会の時もそうですが(噂によればボランティア部の時もらしいですが)、堂々としすぎな気がします。
にしても、いくら公然の秘密と化した星花の校風とはいえ、寮監さんも突っ込まないのでしょうか。それとも、あまりに急変した事態にあっけにとられているのでしょうか。
とにかくも、またも桂里奈さんにぐいぐい引っ張られながら、志依は桂里奈さんの部屋へと向かいます。桂里奈さんは志依にいろいろと休暇中の事を質問攻めにしてきました。どんなものを食べていたのか、とかどこかに家族で行ったのか、とか。でも、さっきの桂里奈さんの事情を聞いてからだとそれが独占欲のせいに見えて、むしろ怖いというよりほほえましく思えました。でも桂里奈さんがかわいそうですから、できるだけその気持ちをを表に出さないようにして、一つ一つ答えていきました。
「それからそうね……姫始めは志依から襲ってもらおうかしら」
「え゛ッ?」
特に脈絡もなしにそんなことを言われたので、さすがの志依も驚いてしまいました。
「しょうがないじゃない。本当はせっかくのお正月だしそれっぽいことをしようと思って、わたしが晴れ着姿のあなたを犯したかったのだけれど。遅刻した罰だと思ってせいぜいわたしをヒイヒイ言わせなさい」
桂里奈さんはいつもそうです。こちらが嫌だ、と言えないギリギリのラインでいつも恥ずかしいことをやってくるのです。
寮の鍵を開けると、桂里奈さんは「大変だったでしょ」と、さっさと志依をイスに座らせました。これは本当の事だったので、お言葉に甘えてくつろぎます。思わず、ふうとため息が出てしまうほどでした。これでも前よりはましになったのですが、やはりなかなか体の弱いのは治らないみたいです。
その間にも、桂里奈さんはきびきび働いてお正月の料理を並べていきます。どうも十中八九は手作りらしいのですが、実家のそれに比べても十分遜色のないような出来です。さすがに種類は多くないですが、本来寮暮らしでおせちを作ろうなどと考える事自体がないですから、それを考えれば92点はいけるでしょう。
志依がそんな料理の数々に見とれていると、
「ほら、志依、あーんして」
桂里奈さんが親鳥みたいに志依の口に料理を一口づつ運んできます。
「あーん」
ふわっとした伊達巻の食感が志依の口内に広がったかと思うと、甘い味とともにとろけていきます。
「おいしい……です……」
「ほかに食べたいものはあるかしら?」
普通なら胃がすぐに詰まって全然食べられないところを、桂里奈さんがそばについていてくれるおかげか、朝ごはんを食べ忘れたせいか食欲がいつもよりもわいてきて、思わずあれも、これもと目移りしてしまいます。桂里奈さんは次から次へとお箸で摘まんでは志依にあーんさせて食べさせてくれました。
「うにゃあ、もう食べられませんよう……」
「んもう、しょうがない子ね……」
桂里奈さんになでなでされている間に、志依の感覚はどんどんあやふやになっていくのでした。
ジリリリリ、と目覚ましの音が鳴り響きます。
志依が目を開けると、そこは実家でも桂里奈さんの部屋でもなく、桜花寮の志依の部屋でした。
「んんう……」
でも、体の重さは変わりません。夢の中とは違って起こしてくれる声もありませんから、しょうがなく志依は(十分ではない)力をふるって体を起こさなくてはなりませんでした。今日は二人だけでの肝試しの打ち合わせ。遅刻するわけにはいきません。たとえ夢の中でも現実でも、桂里奈さんの前で恥はかきたくありませんでした。にしても、桂里奈さんはどうしてあんなに本気になって準備しているのでしょう。星花の生徒たちも職員の人達も志依の知る限りでは別に本物の肝試しに興味がないような気がするのですが。
はい、というわけで夢オチで申し訳ありません。この作中での時系列上は、7月半ばから後半あたりになります。今後は夢オチをしなくて済むよう善処します。