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さまよい刑事  作者: 永橋 渉
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第6話 悲報が飛び交った時


 それと時を同じくして、曙警察署の捜査課では、堤が溜め込み過ぎた捜査報告書を

泣きたい思いを押し殺し、ノートパソコンのキーボードをはかどらないことが明白に伝わってくるような、

ゆっくりとした操作音を辺りに響かせながら叩いていた。

突然、無線から緊迫した声で事件の一方を入れる無線連絡が入ってきた。

「八丁目スカイレジデンスに通じる階段に男性の遺体があり、身体的特徴から、

捜査課の薮中刑事に酷似(こくじ)しているとの情報」

堤はデスクの上にあったファイルを落としながら無線機に駆け寄りマイクを手にした。

「それは、確かなんですか?」

「一報で駆けつけた(けい)ら隊からの報告です」

「まさか……」

堤の脳裏には、つい一時間ほど前に交わした薮中とのやり取りや、別れ際の薮中の笑顔を思い浮かべながら、

この一報が誤報であってほしいと強く思った。

堤はすぐさま藤堂課長の携帯電話に連絡をした。


 藤堂課長はその頃、街道沿いに面したコンビニから出てきたところだった。

右手に小さな袋を持ちながら、(うっす)らと笑みが(あふ)れているような顔で歩きはじめた。

その笑みの(みなもと)は、コンビニの小さな袋の中に入っている「まったりプリン」だ。

まったりとした舌触りと繊細(せんさい)な味わいが絶妙(ぜつみょう)なこの逸品(いっぴん)が藤堂のマイブームだった。

このところ買い置きを冷蔵庫の奥にある消臭剤の裏に隠し、風呂上がりに一人で楽しむ

ささやかなアイテムであったのだが、十八歳の愛娘、香(かおり)に隠している所を見つかってからは、

かなりの頻度(ひんど)でまったりプリンを奪われていた。

今日こそは、このまったりプリンを一人で食べるぞと心に(ちか)い、家路(いえじ)を急いでいたのだ。

その時だ。藤堂課長の脇を赤色灯を(とも)してサイレンを鳴らしながら一台のパトカーが通り過ぎて行った。

何か不吉な予感を感じて立ち尽くす藤堂課長の携帯電話から、突然、

「太陽にほえろ」のテーマが流れはじめた。

藤堂課長はスーツの内ポケットから携帯電話を取り出して耳にあてた。

「はい藤堂です。…おぅどうした堤。……何!全員集めろ、私もすぐに行く!」

堤は次々と捜査課のメンバーに連絡をはじめた。


 その時、梶原は鉄道の高架橋下にあるおでん屋台「元祖 おでん伝助」で、

店主がお皿の上に盛る、大根と昆布を今や遅しと割り箸を割り終えて身構えながら座っている。

「はい、お待ちどう様」

「おっ、(うま)そうだなぁ〜」

梶原の鼻をよく煮込まれていたことが伝わってくる香りがくすぐっていた。

梶原の携帯電話から、突然、八代亜紀の舟唄が流れはじめた。

「梶さん、いい曲ですねぇ」

「おでんと一緒で心に染み渡るんだよぉ」

二人は舟歌に聞き入った。

「……梶さん、それ携帯電話の呼出しじゃないんですか?」

「おっそうだった。夜にこの曲を聴くとつい聴き入っちゃって…

もしもし……何だとっ!…私も今すぐ行く。おっちゃん、お勘定(かんじょう)

「えっ梶さん、食べないんですか?」

「すまん急ぎの用なんだ。また来るよ」


 その時、泉はサイエンスフロンティア大学の生態物理学研究室にいた。

泉は刑事になる前まで、ここで研究助手をしていた()わり(だね)で、刑事になった後も時々研究室を訪れていた。

決して刑事になったことを後悔している訳ではないが、怪しい実験器具や試薬の瓶に囲まれた

研究室の環境が心(やす)らぐのか、時間ができるとここを訪れ、古くからの友人とガラス製のビーカーで

珈琲を飲みながら交流を深めることが習慣となっていた。

「泉、刑事の仕事はどうだ」

「やりがいのある仕事だけど、思った以上にタフじゃないと(つと)まらないなぁ」

同僚(どうりょう)微笑(ほほえ)んだ。

「ここが恋しくなったら、いつでも来いよ。

戻ってきてくれてもいいぐらいだぞ」

「ありがとう」

泉の携帯電話から科学忍者隊ガッチャマンのテーマが流れはじめた。

「ちょっとごめん」

泉は電話に出た。

「もしもし泉です。…堤どうした。…はっ?薮中さんが?……それは本当なのか!

…分かった、今すぐそっちに向かう」

「どうしたんだ?」

「同僚が事件に巻き込まれたらしいんだ」

「大変じゃないか!すぐに行かないと!」

「すまない。じゃあまた」

泉はその場から走り去って行った。


 その時、豊田は曙警察署の裏手にあるガレージの中で覆面パトカーの整備と(しょう)して、

日頃ひいきにしている覆面パトカーをパワーアップするという、いかがわしい改造を(ほどこ)していた。

彼は二級整備士の資格を持つ程の車好きで、内緒の話しではあるが、

合法的にスピード違反ができるという(ゆる)しがたい理由を隠し持ちながら警官になったのだ。

警察の独身寮に身を置く豊田にとって一番落ち着く場は寮の自室でくつろぐことより、

曙警察署のガレージで日々世話になっている捜査車両の整備をしている時であり、

自前のSnap onの工具と赤いつなぎまで署のロッカーに置いてある程だった。

油圧式フロアジャッキでリフトアップされ、ジャッキスタンドで固定された覆面パトカーの下に、

寝板(ねいた)に身を乗せ仰向(あおむ)けで潜り込み作業をしていると、つなぎのポケットに入れてある携帯電話から、

突然、T―SQUAREのTRUTHが流れはじめた。

「はいよ、ちょっと待ってくれ〜」

豊田は曲のリズムに急かされながら電話に出た。

「もしもし豊田です。……何だと…おい堤、悪い冗談だぞ…分かった。

今、署のガレージに居るからすぐそっちに行く」

堤は捜査課のメンバー全員に電話をかけ終えると静かに受話器を置いて

「冗談じゃこんなこと言えないですよ」

と泣きそうな顔で、薮中のデスクを見つめた。


 薮中が今どうなっているのかというと、曙警察署の管内を眼下に見下ろせる上空に浮かび、

ゆらゆらと上昇していた。眼下に赤色灯を回して走るパトカーが見える。

「いったいどうなってるんだ?…くそ〜それにしても、思うように体が安定しない」

自分の体が意志通りに動かせないもどかしさからか、手足をばたつかせたり

体をくねらせたり回転させながら、しばらくあえいでいたのだが、徐々にコツをつかんだらしく、

次第に安定した姿勢で空中に浮かべるようになっていった。

「おっ、段々コツがつかめてきたぞ……しかし、私は何処(どこ)へ行くんだぁ?」

薮中の前方に黄金色に輝く直径三十センチ程の丸い輝きが現れた。

その輝きがみるみる大きく広がりはじめると薮中の体が輝きの中に導かれはじめた。

「私は、あそこに行くのか?」

薮中はゆらゆらと光に吸い込まれるように水平移動をしはじめた。


 薮中の自宅では、居間のソファーで一人息子の開が、三ヶ月前から毎日呪いのように懇願(こんがん)して

やっと誕生日に買ってもらったポータブルゲーム機で遊んでいたのだが、

パトカーのサイレンが聞こえてくると、その音に気を取られてしまったのかゲームの操作を(あやま)ってしまった。

「うぁ、何だよ〜」

明香里が開に歩み寄った。

「ねぇ開、宿題は終ったの?」

「うん、もう終ってるよ」

「だったら早く着替えて、もう寝なさい。何時だと思ってるのよ」

「今いい所なんだから〜」

また新たなパトカーのサイレンが聞こえてきた。

「あら、近くで大きい事件かしら」

「お母さん!お父さん、現場に来るかな!」

「どうかしらねぇ?そんなことより早く明日の準備をして寝なさい」

「もうちょっとだから〜」

「そんなこと言ってるとお父さんに頼んでゲーム機没収してもらっちゃうわよ」

「分かったよ〜」

開はポータブルゲーム機を持って二階にある自分の部屋に向かった。


 捜査課のメンバーが乗っている覆面パトカーから、新興住宅街へ続く緩やかな坂道が見えてきた。

坂道の手前には車道をまたぐような形でアーチ型の大きな看板がある。

看板には「Welcome to sky residence」(ようこそ天空住宅へ)と表示されている。

スカイレジデンスに通じる長い階段の上り口には、沢山のパトカーが赤色灯を回転させたまま

既に止まっている。そこに捜査課のメンバーが乗っている覆面パトカーが赤色灯を回し、

サイレンを鳴らしながら止まった。

中から堤、梶原、豊田、泉が降りてくると走って遺体発見現場へ向かった。

そこには変わり()てた薮中の遺体があった。

頭から血を流して倒れている光景に堤はがく然とした。

「そんな…薮中さん!」

堤は、その場に泣き崩れてしまった。梶原は泣き崩れた堤の肩を握った。

「おいしっかりしろ、堤!泣きたいのは皆同じだ。今は泣く時じゃない」

「……すみませんでした」

堤は我に帰り涙を(ぬぐ)った。梶原は現状に疑問を(てい)した。

「しかし何で薮中がこんな目にあうんだ?」

いつも沈着冷静な泉は辺りの状況を見回すと、薮中がどのような状況でこうなったのか推理をはじめていた。

豊田が長く続く階段を眺めていた。

「梶さん、薮中さんは足を滑らせてこの階段から落ちたんですかね?」

梶原は腕組みをしながら泉に問いかけた。

「泉、どう思う」

「直接的には階段で転落してから、この縁石(えんせき)に当たったことが致命傷ではないかと考えますが……

薮中さんをよく見てください。誰かと争った形跡があります」

薮中の着ていたシャツの第二ボタンが無いことに泉は(すで)に気づいていた。

梶原は薮中が何か事件に巻き込まれたようだと理解した。堤が薮中の所持品を調べている。

「梶さん、薮中さんがいつもポケットに入れていた財布がありません」

「おい、確かなのか」

「はい。今日ジュースをおごってもらった時、確かに見ました」

梶原が豊田に指示を出した。

「豊田、まだ犯人は近くに居るかもしれん。警ら隊と共に辺り一帯の捜索だ」

「了解」

堤は、ため息を一つつくと力なくつぶやいた。

「梶さん、俺…課長に連絡します」

「大丈夫か」

「はい」


 曙警察署の捜査課では、藤堂課長がデスクの椅子に座り、じっと無線機を見つめていた。

すると無線から堤の声が聞こえてきた。

「堤です」

「被害者は薮中なのか!」

「はい…既に亡くなっていました」

「やはりそうなのか」

藤堂課長は力なくうつむいてしまった。

だが捜査課の課長として、指揮監督者として、悲しみを感じている場合ではない。

初動捜査を円滑(えんかつ)に進めるための情報収集に(てっ)した。

「堤、状況は」

「薮中さんは誰かと争った形跡がありました。現在、警ら隊と共に辺り一帯を捜索しています」

「そうか…薮中のためにも犯人は私たちで絶対捕まえるんだ」

「はい」

藤堂は無線を切ると薮中のデスクに歩み寄り、薮中の家族写真が飾られている

写真立てを手にとって見つめた。

「薮中、殺しても死なんようなお前が何で……」


 薮中の自宅にある台所では、明香里が今夜も夫の帰宅が遅くなるであろうことを察して、

薮中のために取り分けておいた夕食が盛られた器にラップをしていた。

すると居間に()()かれた(ふる)めかしい黒電話がけたたましく鳴りだした。

「はいはい、ちょっと待ってください」

明香里は夫がいつもの調子で「今晩も遅くなりそうだ」と受話器の向こうから

話しかけてくることを予感しながら明るく電話に出た。

「もしもし、薮中です」

だが電話の主は夫ではなく、夫の上司である藤堂課長からのものだった。

「捜査課の藤堂です」

「あら課長さん。お久しぶりです」

藤堂は言葉につまった。

「奥さん……薮中君が」

「どうしたんです?…まさか!主人に何かあったんですか!」

「薮中君が、遺体で発見されました。申し訳ございません」

明香里は、ただ呆然(ぼうぜん)と立ち尽くし、力が抜けた手から持っていた受話器を床に落としてしまった。

ただならない物音に開が二階から駆け降りてきた。

「お母さん、どうしたの?」

その問に対する母の返答は無情なものだった。

「…お父さんが、死んじゃったって……」

「嘘…嘘だっ!」

床に落ちた受話器から

「奥さん、しっかりしてください!奥さん」

と絶叫する藤堂課長の声が聞こえた。



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