第20話 変質者を追え!
変質者事件発生の翌日、曙警察署・捜査課では、刑事たちがパソコンと向き合い、
最もきらいな業務である報告書を眉間にしわを寄せながらコンピュータのキーボードを叩いて作成していた。
眉間にしわを寄せてパソコンのキーボードを力強いブラインドタッチで打ち続けていた月影が、突然、
机を両手で勢い良く叩くと立ち上がって吠えた。
「絶対に、許せません!」
刑事たちが一斉に月影の方を見た。
藤堂課長がお怒りモードの月影に優しく声を掛けた。
「どうしたんだい?月影くん」
月影は鼻息荒く答えた。
「課長、昨日の変質者、絶対許せません!」
堤は変質者の噂を以前から聞き付けていた様子だった。
「管内に最近出没する例の変質者ですね」
「堤さん、知っていたならもっと早くに対応すべきじゃなかったんですか!」
月影がそう強い口調で返してきた。
堤は思ってもみない強い口調の反論に縮みあがった。
「すっ、すみません」
藤堂課長は月影をなだめようとした。
「薮中の奥さんにもケガがなくて本当に良かったじゃないか、
これも月影くんが現場近くに居たおかげじゃないのかね」
月影の鎮火しかけていた怒りの炎に豊田が余計な油を注いだ。
「脅かされただけで、実害はなかったんですよね、良かったじゃないですか」
燻りかけていた月影の怒りという炎が、再び燃え上がった。
「豊田さん!実害がないとはどういう意味ですか!あれは精神的なレイプです!」
豊田は自分の発言が炎に油を注いだことに反省しつつ縮みあがった。
「すみません……」
藤堂課長は苦笑しながら月影をなだめようとした。
「まぁ、月影くんもそうムキになって怒りなさんな、地域課の警ら隊だって
見回りを強化しているだろうから、心配ないよ」
「不十分です。薮中さんもそう思いますよね」
薮中は椅子に座り、自分のデスクに頬杖をつきながら話しを聞いていた。
薮中は聞こえるはずのない声で
「当たり前だ。私たちが犯人をあぶらずに逃がしてしまったなんて、許せん」
とお怒りだった。
薮中の足元でおすわりしていたがベルが、薮中を見上げて意見した。
「必ず私たちで犯人を見つけて、あぶっちゃわないといけませんよ」
「そうだな。必ずとっ捕まえて、怒りが収まるまであぶるぞ」
薮中の遺影がその場で左右にカタカタと揺れながら音を発てた。
月影は同調者を得られて満足していた。
「ほら、薮中さんも不十分だと言っています」
藤堂課長は困っていた。
「しかしなぁ〜」
月影には秘策があるのか、薮中のデスクを見つめると
「薮中さん、今晩の捜査に付合ってもらいますからね」
と薮中をご指名してきた。
薮中は唐突なキラーパスに驚いた。
「えっ?」
「ご主人様、あの方に協力すると、ご主人様がこき使われそうな予感がします」
ベルは予測される適格で正しい意見を薮中に伝えた。
薮中もベルのもっともな意見に賛同はしているが、月影の気迫に負けそうであった。
「でもあの調子じゃ、付き合って捜査せんと呪われるぞ」
「ん〜生き霊の祟りは恐いと聞きますが」
「仕方がない。付き合って捜査をするか」
薮中の遺影がその場でカタカタと音を発てて左右に揺れた。
「よし、今日絶対、捕まえるぞ!」
月影は薮中の返事に満足したのか、気迫に満ちた態度のまま着席すると、黙々と報告書を仕上げるべく、
パソコンのキーボードを力強いブラインドタッチで打ち続けていた。
そして月影は、変質者を逮捕するんだという強い決意に満ちたまま夜を迎えた。
明香里の襲われた西曙町一丁目の人気がなくなった地下道周辺では、
月影が辺りを注意深く見回しながら、人気のない通りを選んで歩いていた。
そして薮中は、警棒を右手に持ったままベルを従えて、月影の五歩後ろを歩いた。
薮中が気迫に満ちている月影の後ろ姿を見て、つぶやいた。
「随分気合いが入っているなぁ〜」
ベルが相対する意見を口にした。
「恐がりのようにも見えますが?」
月影が震えるような声を発した。
「やっ、薮中さん、そばにいるんですよね」
「ああ、居るよ」
薮中は横にあるブロック塀を警棒で軽く叩いた。
その音に安心した月影はうなずいて薮中に注文を付けた。
「薮中さん、変な人が出てきたらちゃんと助けてくださいよ」
ベルが月影の言葉にぼやいた。
「あの方は、かなり他力本願のような気がしますが」
薮中はベルの頭を優しく撫でて諭した。
「まっ、刑事といっても、本来はか弱い女性だからな、私たちで守ってやろうや」
月影が薮中の存在を不安そうに確認してきた。
「薮中さん、聞いているんですか」
「はいはい、聞いてますよ」
薮中は警棒で地下道の壁を軽く叩いた。
月影は薮中の存在に納得した様子でうなずいた。
月影がこの夜、明香里の襲われた地下道に三回目のパトロールでたどり着いた時のことだ。
言い知れぬ気配を感じ取ったのか、薄暗い地下道を歩きはじめた途端今まで以上に脅えはじめた。
「薮中さん、すぐ側にちゃんと居てくださいよ」
薮中は少し呆れぎみで地下道の壁を軽く叩いた。
「よし」
月影はバックのひもを力強く握りしめた。
薮中は月影が言うとおり、月影のすぐ真後ろを歩きながらつぶやいた。
「これ以上近づいたら、月影くんに憑依してしまうぞ」
ベルが薄ら笑いを浮かべながら薮中を見上げた。
「私から見るとご主人様が一番変な人に見えてしまいます」
「失敬な事を言うな!」
薮中はぷりぷりと怒っていた。
男が地下通路出入口付近の物陰に隠れながら、不気味に微笑んだ。
そんなことを知る由もない月影が、脅えながら地下道を歩いて行くと、
月影を見て不気味に微笑んだ男が、前方から街灯に照らされたシルエットとなって浮びながら歩いてきた。
男はゆっくりと歩きながら月影との距離を縮めてくる、
二人の距離が三メートル程に縮まった時、男は着ている黒いコートを
コウモリのように両手で広げると月影が絶叫した。
「キャー!」
「ご主人様!」
「とうとう出やがったな。おっ?」
薮中は男の身なりを見て驚いていた。
それは、コートの中は粗末なきのこをそそり立たせ、ご丁寧にきのこの傘下部分に
蝶ネクタイまで付けた全裸だった。
月影はバックから催涙スプレーを取り出して、辺りを走り回る男に向かって催涙スプレーを噴射し続けた。
男は月影をあざ笑い、催涙スプレーの噴射を器用に避けながら
黒いコートの裾をたなびかせて走り去って行った。
月影は男が逃げ出すと、その場にへたり込んでしまった。
「おい大丈夫か!」
薮中が警棒で壁を激しく叩いた。
「薮中さん、早く追ってください」
「ご主人様、早く追わないとまた逃げられてしまいます」
薮中は月影に強い口調で命令した。
「署に電話しておけ!」
「はい!」
薮中とベルは逃走して行った男を追って走り去って行った。
「?……今、私薮中さんと会話した?」
月影は自分の耳に確かに届いた薮中の命令に驚きながらも、携帯電話で曙警察署の地域課に連絡を入れた。
その頃、薮中とベルは人気のない住宅地を逃走中の男を追っていたのだが、
不覚にもまた見失ってしまった。
「くそー、逃げ足の速い奴だなぁ」
「ご主人様、どうします?」
「このまま帰ったら月影くんのお説教を長々と聞くことになりそうだぞ」
「それは非常に困りますよね」
「ん〜ニオイとかで分らんか?」
「犯人の持ち物があれば分るのですが」
「犯人の残り香みたいな感じは、ないのか?」
ベルは辺りのニオイを犬らしくクンクンと嗅ぎはじめた。
「?……ご主人様、何だかこの場にそぐわない唐辛子のようなニオイがします」
「月影くんがさっきまいた催涙スプレーだな。ん〜たどれるか?」
「何とか大丈夫だと思います」
「頼むぞ」
「ワン!」
「おい、犬みたいだぞ」
「犬ですけど…」
ベルは路面のニオイを嗅ぎながら確かな足取りで歩いていると、薮中は腕を組み
ベルの嗅覚を感心しつつベルに付いて行った。
五分くらい歩いた頃だろうか、こぎれいなマンションの前でベルが急に立ち止まり
辺りのニオイを激しく嗅いだ。
「どうした?」
「ニオイがこの建物の中に向かっています」
ふと、マンションの出入口に向かう通路の脇に目を向けると、
そこには「マウントヒルマンション」と描かれたプレートがあった。
薮中とベルがマウントヒルマンションを見上げて明かりの灯る窓を眺めていると何かを発見した。
「おい、あれじゃないのか」
「ご主人様、絶対、あれですよ」
「十中八九そうだな。行くぞ」
「はい、ご主人様」
マンションの五階にある部屋のカーテン越しに、コートらしき服を着て、
前身頃を開いたり閉じたりしているであろう怪しいシルエットが見えていたのだ。
薮中とベルは部屋の位置を確認してマウントヒルマンションの出入口にある
ガラスのドアをすり抜けて中へと入った。
薮中とベルはマンションに入ると迷わずエレベーターに乗ろうとエレベーターのドア前に立った。
そして薮中はおもむろに上着の内ポケットから鉛筆をさっそうと取り出すと、
乗場ボタンの▲を押してベルを見ながらニヤついた。
「さすがです。ご主人様」
ベルはそう言ってしっぽを左右に振りながら微笑んだ。
薮中とベルはエレベーターを使って五階まで上がると、足早に逃走中の男が住んでいるであろう
505号室へと向かった。
薮中とベルの包囲網がすぐそこまで来ていることなど知る由もない逃走中の変質者男は、
間接照明の薄暗い部屋で、全裸に黒いコートという姿で、大きな鏡に全身を映して、
黒いコートの前見ごろを両手で何度も広げたり閉じたりしながら、
きのこをそそり立たせた裸体を鏡に映して、薄ら笑いを浮かべつつ、色々な決めポーズの練習をしている。
「ばぁ〜。違うなぁ〜、お嬢さん、これを見てくださいよ、ぶぁ〜。…こんな感じかなぁ」
男は鏡に映る自分のポーズを見てご満悦なのか、満足げな笑み浮かべて喜んでいた。
その男の姿を薮中とベルは、部屋のドアから頭だけすり抜けさせて呆れ果てながら見ていた。
「あいつはかなりの重症だなぁ〜」
「かなりあぶっちゃう必要がありますねぇ〜」
薮中とベルは見つめ合って不敵に微笑んだ。
そして男が見ている鏡に映り込むように抜き足差し足でゆっくりと移動した。
男は変態決めポーズを鏡に映しながら鏡の隙間に映り込む薮中とベルに気づき驚いて振り向いた。
「誰だ!」
だが男が振り向いた後ろには誰も居なかった。
ベルがにやけながら薮中を見た。
「あら、見えちゃったみたいですねぇ〜」
薮中は不敵に微笑んだ。
「そのようだなぁ〜」
男は部屋に居ないが鏡に映る薮中を見つめて放心状態だった。
薮中は鏡に映る男の目を見据えて真顔で説教をした。
「お前、こんなこと続けていると毎日説教しに来るぞ」
男は表情すら変えないまま硬直してしまった。
ベルが男の側に歩み寄り男を仰ぎ見てこう言った。
「ご主人様、この方は立ったまま気絶しているのですか?」
「さぁ〜。おい、聞こえているのか?」
「……はっ、はい」
「お前、このままで済むとは思ってないよな」
男は鏡に映る薮中を見つめて何度も激しくうなずいた。
「てことはだ、自首するんだよなぁ〜」
「はい!」
男が目を見開いて姿勢を正すと、黒いコートが肩から滑り、そのまま床に脱げ落ちてしまった。
男は股間を手で押さえて隠しながら、部屋を出て行こうとする。薮中は焦った。
「おっおい、早くパンツを履け!おい、そのまま行くつもりか!おい!」
男は薮中の意見など聞きとめる様子もなく部屋を出て行ってしまった。
ベルが呆れた様子で首を左右に振ってつぶやいた。
「ご主人様、あのお方は素直な方ですね」
薮中はうな垂れて頭を左右に振りながら呆れ果てている様子だった。
そんな薮中の気持ちなど知る由も無い男は、全裸のまま股間を押さえて
マンションの出入口から外に出ていくと、薮中とベルもまた男の後を追うように
出入口をすり抜けて外に出てきた。
男は目の前の通りを見回すと、誰も居ない後ろを振り向き
「この格好で自首しなきゃダメですか?」
と囁くように尋ねてきた。
薮中はやっと思いが通じたのだと理解した。
「さっきから言ってるだろ!早くパンツくらい履け!」
薮中は男に「早くパンツを履け!」と合図を送る意味で、
マンションの壁を警棒で軽く数回叩いた。
だが深夜だったせいか壁を叩いた音が思いのほか辺りに大きく轟いた。
男は少し身を屈めると
「分りました。すみません」
と言ってとぼとぼと歩き出してしまった。薮中は驚いた。
「パッ、パンツを取りに行かんのか?」
ベルは前右足で口を塞ぎながら笑いを堪えながら話した。
「ご主人様、あの方はどうやらパンツを履く気がないみたいですよ」
薮中はため息を一つついて考え方を改めた。
「徹底した露出狂だな。よし、武士の情けだ、あのまま連れていくぞ」
ベルは薮中の発言に驚いた様子だった。
「えっ!そんなのいいんですか!」
「仕方あるまい。付いて行くぞ」
薮中は男を追って歩き出した。
ベルは首を傾げ納得できない様子ではあったが、薮中を追って行った。
「あっ、待ってくださいご主人様ー」




