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さまよい刑事  作者: 永橋 渉
15/29

第15話 さまよい刑事(デカ) 薮中 守


 空巣は(したた)り落ちる水滴の軌跡(きせき)を路上に描きながら、住宅街を抜けて、国道沿いの歩道まで歩いていた。

住宅街では誰一人すれ違う者はいなかったが、国道沿いともなると夜でも車の往来(おうらい)頻繁(ひんぱん)にあり、

歩道を歩いている者も少なくなかった。

空巣は泥だらけでボロボロの身なりを引きずるように歩いている。空巣とすれ違う者たちが、

不思議そうな目で空巣をチラ見しながらすれ違って行く。

空巣は(あた)りの視線を気にしだすと急に歩く速度が遅くなった。

空巣のすぐ後ろを歩いていた薮中が、警棒の先で空巣のお尻をつっ突いた。

「遅いぞ!」

「はい!」

空巣の歩く速度は、競歩並みに速くなった。

そして競歩のような歩き方で三分程歩いた頃であろうか、薮中が勤めていた曙警察署が左側に見えてきた。

敷地には出番を待つパトカーが(なら)んでおり、出入口には制服を着た警察官が仁王立ちで警戒にあたっていた。

空巣は自分の身なりを見て両手で服に付いている泥を払いながらヨタヨタと出入口に向って行った。

薮中はその後ろ姿をベルと見つめた。

「どうやらちゃんと自首するみたいだな」

「そのようですね」

空巣はボロボロの身なりのままヨタヨタと出入口の前に立つ制服警官の元へ歩み寄って行った。

制服警官はあまりの汚さに何かの犯罪に巻き込まれたのだと直感した。

「どっ、どうしたんですか!誰にやられたんですか!」

うつむく空巣は小声で答えた。

「じっ…自首しにきました……」

「はい?」

「刑事さんを階段から突き飛ばして死なせたのは、私です。すみませんでした」

そう言ってその場にへたり込むと泣き崩れた。

予想外の展開に制服警官は大声を張り上げた。

「えっ、えぇー!」

制服警官の裏声のような奇怪な悲鳴を聞き付けた夜勤の制服警官たちが次々と署内から飛び出して来た。


 夜勤の制服警官たちが出入口に集まっているちょうどその頃、

曙捜査課では、刑事たちがパソコンと向き合い、最もきらいな業務である報告書に向かって、

眉間(みけん)にしわを寄せながらキーボードを叩いていた。

コンピュータの操作にこなれている若い刑事は、ブラインドタッチで軽快な打ち込み音を()てていたが、

年齢層の高い刑事たちはそうはいかないようだった。

打ち込むキー一つ一つに(たましい)を込めるがごとく、ゆっくりと報告書が仕上がるまでに

膨大な時間がかかることを感じさせるスピードでコンピュータを操作していた。

制服警官が血相(けっそう)を変えて捜査課のドアを蹴破る勢いで飛び込んできた。

刑事たちは身構えて一斉に制服警官を見つめた。

「たっ、大変です!」

藤堂課長がただならぬ制服警官の言動に声を上げた。

「どうした!」

「やっ、薮中刑事を階段から突き落としたという容疑者が、自首してきました」

「何だと!今何処(どこ)に居るんだ!」

「第一取調室に居ます」

刑事たちは一斉に立ち上がると、先を争うように部屋から出ようとしてぶつかり合いながら部屋を後にした。

藤堂課長もこの事態に課長席でただ報告を待っていることがいたたまれなくなり、

ただ呆然(ぼうぜん)と立ち尽くす制服警官に命令を下した。

「しばらくの間、君に捜査課を任せる。頼むぞ」

「はっ!」

制服警官は目を輝かせ、敬礼をしながら部屋を出ていく藤堂課長らを見送った。

そして藤堂課長の席に早速座ると、座り心地を確かめていた。

「捜査課かぁ〜。何だか熱いものが込み上げてきたぞ!」

制服警官は藤堂課長の椅子に座ったまま()()り返り、バランスを崩して椅子もろとも後ろへ倒れた。


 第一取調室では空巣がうつむいて椅子に座り、その後ろに薮中が仁王立ちをして、

その脇の床にベルが座っている。空巣の正面には曙警察署の出入口で警戒にあたっていた制服警官が

机を挟んで椅子に座っていた。

そこへ捜査課の刑事たちが先を争って飛び込んできた。

薮中が愚痴(ぐち)った。

「おぅ、遅いぞ」

制服警官が立ち上がった。

「この男が自首してきた容疑者です」

「この男がそうなんですか?」

「そうだ。堤、事情聴取を頼むぞ」

「ご主人様、お仲間には私たちの声は聞こえませんよ」

「ああ…分かっているんだがついな」

空巣は震えながら涙と鼻水を流した。

「刑事さん、怖いよぉ〜。怖いよぉ〜。もう悪い事はしないから、お願いだから俺を助けてくださいー」

豊田が首を(かし)げて空巣を見つめた。

「薮中さんは、こんなひ弱そうな奴にやられたんですか?」

堤も同じようなことを考えていたので空巣に問い正した。

「いったい何があったんだ?事件の経緯を説明しろ」

空巣は当時の様子を素直に語りはじめた。

「はい。私はあの夜、空巣を働いていました。そして貴金属(ききんぞく)を握り、窓から庭に出て逃げようとした時、

庭に転がっていた金属製のバケツにつまづいて音を発ててしまいました」

『痛!』

「私が(あやま)って音を発てると、どこからか走り寄ってくる足音が聞こえたので、

私は植え込みの側で身を潜めていました。植え込み越しの道路から家の様子を見ている人が見えました。

そして植え込み越しに見えた人がつぶやいたのです」

『んっ、まだ犯人は居るなぁ』

「この時、私は植え込み越しの人が刑事だろうと確信し、身動き一つできないでいました。

そして、刑事らしき人がポケットから小さな懐中電灯を取り出し、門を開けて敷地内に入ってきました。

懐中電灯で庭が照らされると、そのライトが私を探して動き回っていました。

心臓の音が聞こえてしまわないかと思った瞬間、ライトが私を照らしました」

『警察だ!お前は誰だ!』

「私は植え込みを突き破って無我夢中で逃げ出しました。

『コラ!待て泥棒ー!』という声は聞こえましたが、つかまりたくないので全力で逃げました。

何度路地を曲がっても、しつこく追い回されて気づいた時には、長い階段の手前まで来てしまいました。

このまま階段を降りて行ったら上から飛び掛かられるかも、と思って振り向いた時

『逃がさんぞ!』と叫びながら飛び掛られ、無我夢中でもみ合いました。

刑事らしき人が私の腕をつかまえ後ろ手にしようとした時、一瞬よろめきました。

私はチャンスと思い、力の限り両手で突き飛ばしました。刑事らしき人は悲鳴を上げて、

激しく転げながら階段を落ちて行きました。私はその後を追って階段を降りて行き、

身動き一つしない刑事らしき人を恐る恐る覗き込み『おい、刑事さん、大丈夫か?』と声を掛けました。

何の反応も無かったですし、頭から血を流していたので私は怖くなって逃げました」

空巣は事件の一部始終を話すとうつむいてすすり泣いた。

堤はこの話しに何かひっかかるものがあり納得できないでいた。

「それだけですか?」

「はい」

突然、机を激しく叩く音がした。

「今の音は何だ?」

と梶原が辺りを見回した。

空巣だけがこの音は薮中が発したものに違いないと確信し、

黙っていた顛末(てんまつ)を泣きながら話した。

「うぅ〜う、刑事さんの財布を抜き取って逃げました。許してください〜」

藤堂課長が不思議そうに空巣に質問をした。

「自首してきたのは、どうしてだ?」

「死んだ刑事さんが、刑事さんがぁ〜」

空巣は両手で頭を抱え込むと泣き崩れた。

刑事たちはお互いの顔を見合わせて悩み続けた。

今日の事情聴取は無理だと思った藤堂課長は、空巣を留置所(りゅうちじょ)につれて行くようにと制服警官に指示を出すと、

捜査課の刑事たちと共にうつむきながら廊下を歩いて行った。

時折、首を傾げながら捜査課へと戻って来た刑事たちは、一様に思い詰めた様子で(みずか)らの席に座った。

留守番を命じられていた制服警官が電話の前で仁王立ちしながら勢いよく敬礼をした。

「留守番中、事件の発生はありませんでした!通常任務に戻ります」

「ご苦労さん。そうしてくれ……」

藤堂課長は制服警官の労を力なくねぎらった。

おのおの自分たちの席に座る刑事たちは、腕を組む者、机に両(ひじ)をつく者、

両手で頭を抱える者などいろいろいたが、皆、一点を見つめ悩んでいた。

もはや報告書の作成に戻ろうとするものはいなかった。

そこへ薮中とベルがドアをすり抜けて現れた。

椅子に座り一点を見つめ続けて悩む刑事たちの顔を覗き込むように仰ぎ見てベルが首を傾げた。

「ご主人様、皆さんどうしたのでしょう?」

「ん〜。おいみんな、どうした?事件が解決したのに、みんな暗いぞ」

刑事たちは(なお)も時が止まったように一点を見つめて動かない。

いつしか窓から朝日が差し込み部屋が明るくなりはじめた頃だ。

堤が藤堂課長の方を向き、何か言おうとためらっていたがとうとう口を開いた。

「いゃ〜まさかぁ」

「どうした堤」

「課長、もしかしたら犯人が自首したの、薮中さんの仕業じゃないですか」

豊田が強い口調で反論した。

「堤、バカも休み休み言え!いいか俺たちは薮中さんの葬儀にまで出席して、棺まで持ったんだぞ!あの重みを忘れたのか!」

「そうじゃなくて……」

堤はうつむいて黙ってしまった。

「言いたい事はハッキリ言え」

梶原が()えた。堤は意を決して話しはじめた。

「幽霊になった薮中さんが、犯人を追い詰めて、自首に(みちび)いたのではないかと…そう思うんです」

藤堂課長が吹きだした。

「堤は非科学的だよなぁ〜。なぁ泉」

「………」

「どうした泉?お前の科学知識で考えたら幽霊なんて有り得んだろ」

「……私も、薮中さんだと思います」

薮中は泉のとなりで(ささや)いた。

「泉、お前の非科学的な話は初めてだぞ」

そう言いながら泉の肩をポンと叩いた。身震いした泉が神妙(しんみょう)面持(おもも)ちで話しはじめた。

「薮中さんならやれる。あの人に捕まった犯人たちは口々に薮中さんの恐ろしさを語っていました。

追い詰められた犯人の危機感は事情聴取の時、怖いほど聞かされました。さっきの容疑者も同じですよ」

刑事たち一同はうつむいて沈黙してしまった。

「なぁ泉、それは私を()めているのか?」

薮中は納得できない様子で刑事たちを見渡した。


 捜査課の刑事たちが、薮中が他界してなお行なっている行為をこの世でいう怪奇現象として(とら)えて、

結論を出せないまま静かに悩んでいる頃、黒髪のストレートロングヘアで、年の頃は二十代半ばに見える、

爽やかな色香(いろか)漂う女性が曙警察署の建物を見上げていた。

「ここだわ」

女性はそう言うと曙警察署の出入口へと向かって行った。

出入口の脇で警戒をしている制服警官が、曙警察署に入ろうとする女性に声を掛けた。

「どちらへ?」

「本日より捜査課に配属されてきました」

「失礼しました」

制服警官は敬礼をして出迎えた。

「月影と申します。これから、よろしくお願いします」

月影は軽い会釈(えしゃく)の後、爽やかに微笑(ほほえ)んだ。

制服警官はその微笑みに心を打ち抜かれたのか、鼻の下を伸ばして笑みを浮かべた。

そして署内に入る月影を振り返って眺めながらつぶやいたのだ。

「可愛い〜」


 藤堂課長が席に座りながら腕時計の時計を気にしはじめた。

堤が藤堂課長の行動を察して声を掛けた。

「課長、時間を気にしているようですけど、誰かとお約束でも?」

「んっん〜捜査課は万年人手不足だろ、薮中が居なくなったのは痛手でな」

「課長…そんなに私のことを……」

薮中は藤堂課長が捜査課の戦力として自分を認めていてくれたことがうれしかった。

が、藤堂課長が発した次の発言に落胆(らくたん)した。

「仕方がないから、県警に頼んで刑事の補充をしてもらう事にしたんだ」

薮中はまゆ毛を引きつらせた。

「さすが根回しが早いですね、課長」

藤堂課長が出入口を見つめた。

「そろそろ来てもいい時間なんだが……」

署内の廊下を月影がさっそうと歩いていると、書類を持った制服警官とすれ違った。

月影は爽やかな笑顔を交えて挨拶をした。

「おはようございます」

「おっ、おはようございます」

制服警官は後ろを振り向き過ぎ去る月影を眺めた。

月影が捜査課の前で立ち止まって深呼吸をした。

「ふぅー」

そして、ドアをノックした。

「おっ、噂をすれば影だな。入りなさい」

という藤堂の声が廊下に聞こえた。

「失礼します」

月影がドアを開け捜査課に入ると、辺りに爽やかで心地よい風が吹込むようでもあった。

待ち人がやっと来た藤堂課長は、捜査課に新たにメンバーとして加わることになった月影を紹介した。

「おぉー待ってたぞ。みんなに紹介しよう。今度県警から我が曙署、捜査課に配属される事になった。

月影 忍くんだ」

「はじめまして、月影 忍(つきかげ しのぶ)です。よろしくお願い致します」

そう言って微笑んだ。

泉、豊田、堤が口を揃えて

「可愛い〜」

と月影をたたえると、月影は素直に

「ありがとうございます」

と優しく微笑んだ。

泉、豊田、堤は満面の笑みをたたえて喜んでいた。

薮中はふて(くさ)れていた。

数分前までは自分の存在があったはずなのに、薮中の株価は一瞬にして暴落してしまった。

あまりの孤独感(こどくかん)とせつなさについ愚痴ってしまった。

「可愛いだけじぁー刑事の仕事は勤まらないんですからねぇ〜」

藤堂課長が薮中の意見を真っ向から否定する発言をにこやかに言い放った。

「月影くんは頭脳明晰(めいせき)、県警では女性きっての射撃(しゃげき)の名手で、刑事としてピカ一だ」

泉、豊田、堤が拍手でたたえた。

「おぉー」

「課長、褒め過ぎです」

月影は少しはにかんで照れくさそうだった。

捜査課から蚊帳(かや)の外にされ、センチメンタルな気分の薮中は、吐息(といき)のようなため息をついた。

「はぁ〜」

薮中のセンチメンタルな思いを()(よし)もない藤堂課長は、捜査課のメンバーを月影に紹介しはじめた。

「捜査課のメンバーを紹介しよう。こちらから、梶原 健志朗 刑事」

「梶原です」

「次が泉 雅人 刑事」

「科学分析が得意な泉雅人です。よろしく」

「次が豊田 真一 刑事」

「車やバイク、メカのことならおまかせな、豊田です。どうぞよろしく」

「次が堤 嵐 刑事」

「亡くなった薮中刑事とよくコンビを組んでいた堤嵐です。

もしよかったら僕とコンビを組んでください、よろしくお願いします」

薮中がつぶやいた。

「お前は告白タイムか」

「今日から捜査課に配属になりましたのでご指導よろしくお願い致します」

そう言いつつ小首を傾げて微笑んだ。

豊田、泉、堤が先を争うように月影を囲んだ。

豊田が先陣を切って月影に質問をした。

「警察学校は何期生になるのかなぁ〜」

「科学的なことは私、泉に聞いてください」

堤が豊田と泉の間をかき分けた。

「今度一緒に射撃の練習に行きませんか」

月影は矢継ぎ早な質問に苦笑していたが、次第に四人で楽しそうに談笑(だんしょう)しはじめていた。

藤堂課長と梶原が列んで、談笑している四人を眺めていた。

「課長、いい子が来ましたねぇ〜」

才色兼備(さいしょくけんび)、月影くんがいい活力になることを期待したいな」

「まったくです」

薮中の心の奥底から、言いしれぬいら立ちが沸き上がってきた。

「私の株は一瞬にして暴落なのか。むかつく」

薮中が月影と談笑している刑事たちを不機嫌そうに見つめている。

刑事たちの楽しげな笑い声の中、月影の声が聞こえた。

「捜査課は気さくな人ばかりなんですね」

泉、豊田、堤は、口を揃えてうなずいた。

「そうそうそう」

薮中のむかつく葛藤(かっとう)が頂点に達しようとしていた。

「ん〜何だろうこの強くむかつく葛藤は」

薮中は無意識のうちに自分の机の上にあった写真立てに収まっている自分の遺影をなにげなく掴んでいた。

そしていら立ちを小出しに発散するかのように小刻みに机の上で遺影を左右に打ち鳴らした。

机の上にある誰も触っていない薮中の遺影が、小刻みにゆれながら音を発てている。

藤堂課長をはじめ捜査課一同が音を発てて動く薮中の遺影に注目した。

「なっ、何だよ!」

薮中は自分の姿など見えるはずがないのに、皆が目を見開いて自分を注目していることに驚いた。

堤が裏返った声でしどろもどろになりながら藤堂課長に意見を求めた。

「かっ課長、今、薮中さんの遺影が、うっ、動きませんでしたか?」

藤堂課長は目を見開いて薮中の遺影を見つめながら答えた。

「いや、私は動いていないと信じたい」

月影は事実であったことを断言した。

「いいえ、絶対動きました」

藤堂はうつむき少し悩むと職権を乱用した。

「課長命令だ。堤、ちょっと見てみろ」

「おっ、俺ですか、や、や、やですよ〜」

「機械に強い豊田さんが行ってくださいよ〜」

「機械と超常現象は関係ないだろう」

泉がぽつりとつぶやいた。

「機械に強いから奇怪にも対応できるということではないでしょうか?」

「読み方が一緒でも漢字が違うでしょーが」

皆が目を細めて威圧(いあつ)するかのように豊田を(にら)んだ。

「しょ、しょうがないなぁ〜、じゃあ、俺が、見てやるよ」

豊田がゆっくりと恐る恐る抜き足差し足忍び足で薮中の遺影に近づいて行った。

薮中は及び腰で歩み寄ってくる豊田から身を引いて避けた。

豊田は薮中の遺影に歩み寄り、ためらいながらも恐る恐る遺影を手にした。

だが、何も変化はなかった。

「たっ、ただの写真立てだぞ。課長もみんなもビビリすぎですよ」

豊田は机の上に遺影を置くと、腕と足の動きが一緒になりながら皆に歩み寄った。

「いゃ、薮中は人並みはずれた正義感を持っていたからな。

あの世とこの世の間をさまよっているのかもしれないぞ」

豊田が身震いをした。

「課長、冗談がきついですよ〜」

いつも冷静沈着、物事を化学的かつ合理的に判断する泉が意外なことを言った。

「非科学的ですが、薮中さんに関してはあり得ます」

月影が唐突に湧き出た疑問を口にした。

「薮中さんは、性格が悪かったんですか?」

藤堂、梶原、泉、豊田、堤、顔を見合わせ、一同そろって(かす)かにうなずいた。

薮中はかなり鶏冠(とさか)にきていた。

「人をたちの悪い地縛霊(じばくれい)みたいに扱いやがって。…許さん!こうしてくれるわ!」

薮中は自分の遺影を力強く掴み、机の上で左右に小刻みに激しく打ち鳴らしはじめた。

誰も触っていない薮中の遺影が、カタカタと激しく音をたて左右に動く。

捜査課一同が目を見開き口を開けたまま、薮中の遺影に視線が釘付けにされた。

薮中のいたずら心に火がついたのか、怪しくにやけた。

「これは面白いぞ」

薮中は遺影を机の上で小刻みに打ち鳴らしながらゆっくりと前へ進みはじめた。

誰も触っていない薮中の遺影が、カタカタと音を発てて自分たちに少しづつではあるが着実に向かって来る。

豊田が及び腰の手刀構えで叫んだ。

「なっ、何なんだー!」

「キャー!もうやめてー」

月影がその場にへたり込んで泣き出してしまった。

そのとたん薮中の遺影が止まった。

薮中はいたずらのやり過ぎに反省していた。

「すまん…いたずらが過ぎた」

意思を持って動いていた薮中の遺影が止まったまま動かない。

だが、いつ想定外の動きを示すかもしれない薮中の遺影に、捜査課一同は身構えながら視線は釘付けだった。

藤堂課長が怪奇現象に思いを(つの)らせ、その思いを否定する思いと葛藤しながら首を傾げた。

そして、ためらいながら自らの思いを確認すべく言葉に出した。

「おい、薮中……お前なのか?」

「そうですよ、課長」

遺影がその場でカタカタと音を発てて左右に揺れた。

「うっそー!」

捜査課一同は口を揃えて驚くと身を乗り出して薮中の遺影を見つめた。

「嘘じゃないですよ」

薮中は遺影を掴みその場でカタカタと音を発てて左右に揺らした。

「ホントー?」

捜査課一同は口を揃えて身を引いた。

「本当ーです」

薮中は遺影を掴みその場でカタカタと音を発てて左右に揺らした。

捜査課一同は腕を組み眉間にしわを寄せ、首を傾げつつ薮中の遺影に注目していた。

薮中は、同僚たちがやっと自分の存在に理解を示してくれたと理解し、

自らの存在を誇示するかのように挨拶をした。

「薮中刑事改め、霊界より来ました。さまよい刑事(デカ)の薮中を、よろしくお願いします」

薮中の遺影が深々とおじぎをした。

「おぉ〜」

捜査課一同は一斉に武者震(むしゃぶる)いをした後、薮中の遺影を囲むように集まり、遺影を指先でつついたり、

入れ代わり立ち代わり、何か話しかけているようであった。

そんな同僚たちの姿を薮中は、少し離れたところから眺めていた。

薮中の足元でおすわりしていたベルが薮中を見上げた。

「ご主人様、お相手をしてあげなくてよいのですか?」

「んっ、今日はこれくらいにして、寝蔵(ねぐら)に帰るとするか」

「はい」

薮中とベルは、ドアをすり抜けて捜査課を後にした。


 曙埠頭(あけぼのふとう)の夜は、昼間のにぎわいが嘘のように静寂(せいじゃく)に包まれ、辺りには誰も居ない。

倉庫や出港を待つ船を照らすオレンジ色の外灯(がいとう)が、少し温かな気分にさせてくれるようでもあった。

薮中は突堤(とってい)の先にある係船柱(けいせんちゅう)に座り、ベルは薮中の足元に寄り添うように横になっていた。

二人は細波(さざなみ)(かな)でる演奏を聞きながら、暗い海をただ見つめていた。

薮中が胸元のポケットから、おもむろにディズニーランドで写した家族写真を取り出して眺めはじめた。

「なぁベル、もう家族に会えないのかと思うと、何だか心が締め付けられるよ」

「私たちはまだあの世には行っていませんし、ご家族を側で見守ることはできます」

「そうだよな。できることに最善(さいぜん)を尽くすしかないんだよな。

……そうだ、手帳もある事だし、昨日(きのう)の捜査日誌でも書くとするか」

「ご主人様はまめな方ですね」

「これが案外後で役立つんだぞ」

薮中は内ポケットに入れていた、「けいさつ手帳」と新品の鉛筆が詰まった箱を取り出した。

そして箱から新品の鉛筆を取り出してうつむき力なくため息をついた。

「あぁ〜」

「どうしたんですか、ご主人様?」

「鉛筆はあるが、これじぁ書けんのだ」

「どうしてです?」

「芯が出てないと書けんのだ。鉛筆削りやナイフも無いしな、ん〜困ったものだ」

「あぁーあ。それなら鉛筆の先を私の顔に近づけてください」

「えっ、こうか?」

薮中は鉛筆の先をベルの顔に近づけた。

ベルは歯茎(はぐき)をむき出しにして身構えると、鉛筆の先を器用に高速で()みはじめた。

「はぐはぐはぐはぐはぐはぐはぐはぐ」

ベルが噛み続ける鉛筆の先がみるみるとがっていく、薮中は思わず感動した。

「おぉー!凄いぞ!お前の口は鉛筆削りになるんだなぁ〜」

「そんなに凄いですかぁ?」

ベルは少し照れくさそうに言った。薮中は、褒めたというより画策(かくさく)していたのだ。

「凄いぞ。生きている時にこれができたら……かなり(かせ)げたぞ」

ベルは信頼している薮中を疑いの眼差しで見つめた。

「そういう事ですか……」

そう言うと少し不機嫌そうではあったが、薮中の足元に背中を(もた)れるように横たわり、

大きなあくびを一つして眠りについた。

薮中はベルの削ってくれた鉛筆の先端を時折ながめて感心しながら、

「けいさつ手帳」に捜査日誌を書きはじめた。



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