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さまよい刑事  作者: 永橋 渉
12/29

第12話 変化


 薮中の遺体が安置されている薮中の部屋である六畳間の壁側には、シンプルで安価な家族葬とはいっても、

他の葬儀と見劣(みおと)りしないほどの祭壇(さいだん)(もう)けられていた。

四つ切りサイズの写真を額装(がくそう)した遺影(いえい)には、薮中が警察に勤めて二十周年記念の日に、

夕日ケ丘商店街の短橋(たんばし)写真館で、この日のために新調した軽量速乾スーツを着こなし、

ダンディーな刑事をイメージして撮ってもらった写真が飾られている。

それは一見強面(こわもて)の薮中が、刑事としての強さと優しさをも()(そな)えたような

優しい微笑(ほほえ)みを見る者に与えるのだと、薮中本人が自画自賛していたお気に入りの写真だった。

薮中は六畳間から居間に続く参列者の一番後ろにある廊下から、自分の遺影を眺めて満足そうにうなずいた。

祭壇の前で僧侶(そうりょ)読経(どきょう)を読んでいる。

そのすぐ後ろには明香里と開が正座している。

(さら)にその後ろには、明香里の両親や捜査課の人たち、薮中の友人知人などの参列者たちが正座をしている。

薮中とベルは廊下から自分たちの座る場所を見い出そうとしていた。

随分(ずいぶん)いっぱいの人だなぁ、これじゃあ私たちの座る場所がないぞ」

「ご主人様、お坊様の横がかなり開いています」

「ん〜あそこしか無いようだな」

薮中とベルは(あた)りの人たちを踏みつけながら前へ進んだ。

「ちょーっとごめんなさいねぇ〜。すみませんねぇ〜」

「失礼致します。申し訳ございません」

薮中は僧侶の(わき)にまでたどり着くと立ったまま腕を組んで悩んでしまった。

「さて、どっち向きに座るかだ」

ベルは迷うことなく自分の思いを伝えた。

「ご主人様は当事者ですから、お(まね)きしている立場だと思いますので、お客様の方を向くのが礼儀かと」

「ん〜それもそうだな。せっかく来て頂いたんだからな」

ベルが参列者の方を向き、礼儀正しくお座りすると、薮中はその隣で参列者の方を向き

礼儀正しく正座をして、深々と一礼した。

若輩者(じゃくはいもの)の私のために皆さんお集り頂き、誠にありがとうございます。

突然この世から去ることとなりましたが、妻、明香里と息子、開に成り代わりまして、

熱くお礼申し上げます」

そう言い終えて深々と頭を下げた。

タイミング良く僧侶が読経を終えて(りん)を鳴らした。

ベルは首を傾げ、薮中の挨拶がはたしてあれで良かったのか悩んでいる様子だった。


 告別式の段取りも順調に進み、(ひつぎ)への(くぎ)打ちの準備が葬儀屋職員の手ではじまった。

薮中の安置された棺は畳の上に置かれ、そっと(ふた)が開けられると、()装束(しょうぞく)をまとった薮中が現われた。

(きく)の花を持った開が棺の中を(のぞ)いた。

そこには血の気が失せて青白くは見えるが、今にも目覚めてくれそうにも見える安らかな顔で眠る

父親である薮中が見える。開は泣きたい気持ちを押し殺すように歯を食いしばり、

溢れ出そうになる涙を(こら)えながら、薮中の顔の側に菊の花をそっと手向けると、

泣き顔を隠すように服の(そで)で溢れでそうな涙を(ぬぐ)い後ろに身を引いた。

菊の花を持つ明香里の手が小刻み震えている。

葬儀がはじまってか笑顔こそ無かったものの、身内や列席者たちに心配かけまいと

気丈(きじょう)に振る舞ってきた明香里ではあったが、眠るように目を閉じた夫を再び()()たりにして、

突然、泣き崩れて、その場へたり込んでしまった。

目を赤く()らした開ではあったが、すすり泣く明香里をそっと後ろから抱き締めてこう言った。

「ちゃんとお父さんを送ってあげよう」

明香里は開の言葉に我に帰って静かにうなずいた。

「そうだよね。ごめんね」

薮中は明香里と開をただ呆然(ぼうぜん)と見つめていた。

薮中の頬を大粒の涙が流れ落ちた。

ベルはこの場に薮中が居続けることは()(がた)いであろうことを察していた。

「ご主人様、外で待っていましょう」

ベルが歩き出すと薮中は、後ろめたそうにその場を歩き出し、壁をすり抜けて去って行った。

薮中は今にも崩れるように倒れてしまいそうなくらい弱々しい足取りで、家の前まで出てくると、

うつむいて小さなため息を一つつき、花輪の下にうずくまってしまった。

ベルは薮中のあまりにも(つら)い立場を察して、薮中の脇に静かに座り、薮中をただ見つめ続けた。

薮中がうつむきながら突然、自分の思いを語りはじめた。

「私は、刑事という仕事に誇りを持ってやってきた。家族も私の思いを察して力を尽くしてくれた。

生きている間にもっと、家族を思いやる行動をとってやれば良かった。今、心底から後悔しているよ」

「ご主人様……」

ベルは(はげ)ましの言葉すら思いつかず、そっと薮中に寄り添った。


 しばらくすると開が位牌(いはい)を両手で持ち、明香里が薮中の遺影を胸に抱いて玄関(げんかん)から出てきた。

続いて、堤、藤堂、梶原、泉、豊田ら捜査課の同僚たちが薮中の安置された棺を(かつ)いで出てきた。

薮中とベルは明香里と開の脇に立ち、目の前を通り過ぎて行く自分の棺を見つめた。

棺がゆっくりと宮型(みやがた)四方(しほう)破風(はふう)神宮寺造(じんぐうじつくり)霊柩車(れいきゅうしゃ)納棺室(のうかんしつ)に納められ、

観音扉(かんのんとびら)が葬儀屋のドライバーによって閉められた。葬儀屋の責任者から

「火葬場へお越しの参列者の方は、どうぞお車へお乗りください」

と案内を告げられた参列者たちは、黒塗りのハイヤーやマイクロバスに乗り込みはじめた。

薮中が参列者の動向を伺うように見渡している隙に、葬儀屋の責任者が明香里と開を連れて行き、

霊柩車の助手席に乗せてしまった。

ベルは今後どうすべきかを悩んでいた。

「ご主人様、私たちは何処(どこ)に乗ればいいのでしょう」

薮中に迷いはなかった。

「やっぱ、霊柩車だろう」

薮中とベルは霊柩車の観音扉をすり抜けて納棺室の中に入った。

内壁には障子模様の彫刻に金箔(きんぱく)が施されている。

薮中は小さくうずくまりながら造作に感心していた。

「装飾の造りはいいが、中はかなり狭いなぁ」

「本来は、独り用ですからね」

ベルが軽いボケをかました。

そのボケを評価するようなタイミングで霊柩車のクラクションが小さく二回鳴った。

霊柩車が発車すると、列席者を乗せた車列も動き出した。


 車列は住宅地を抜け、市街地を走り、渋滞に巻き込まれることもなく進んだ。

十五分ほど走った頃であろうか、小高い山の上を切り開いて作られた、夕日ケ丘火葬場が見えてきた。

辺りは整備された草木に包まれている。

広い駐車場にはまだ数台の車しか止まっていなかった。

薮中を乗せた霊柩車が火葬場の車寄せに止まると、

列席者を乗せたハイヤーやマイクロバスが次々と駐車場に止まった。

車から降りた列席者たちが次々と火葬場内に向かって歩き出すと火葬場のロビーヘと向かった。

ロビーには小さなエレベーターのドアにも見える火葬炉のドアがいくつも並んでいる。

薮中の納められている棺がストレッチャーに載せられ、並んでいる火葬炉のドア前に止め置かれた。

静かに火葬炉のドアが開くと、ストレッチャーから滑るように棺が火葬炉の中に入れられた。

薮中は自分の納められた棺をじっと見つめている。

棺が納められ火葬炉のドアが静かに閉められた。

そしてドアの前に焼香台(しょうこうだい)が用意され、僧侶の読経がはじまった。

薮中とベルは、明香里と開の脇に歩み寄り火葬炉のドアを見つめていた。

僧侶が開にお焼香をするように優しく(うなが)した。

開は涙を浮かべながら歯を食いしばってお焼香をした。

続いて明香里が焼香台の前に立ち、震える右手で焼香を摘もうとした時、愛する夫との別れに感極(かんきわ)まったのか、

その場に泣き崩れた。薮中はとっさに明香里の肩を抱こうと手を差し伸べたが、

すり抜けて抱きとめてやることすら出来ず、自分の無力さにただ呆然と立ち尽くした。

開が涙を拭い、明香里に手を差し伸べた。

「僕も泣かないから、お母さんもお父さんを笑顔で送ってあげよう」

「そうだよね。ごめんね」

明香里はそう言って開の手に掴まると力なく立ち上がった。

薮中は自分の存在を伝えられないばかりか、妻に手を差し伸べることすら出来ないという

無念な気持ちでいっぱいだった。

「私は愛する者を、もはや抱きしめてやる事さえできないのか……」

ベルは思い詰めている薮中にかける言葉を見つけることは出来なかったが、

薮中の足の上に右前足をそっと添えて心の痛みを共有しようとしていた。

堤がお焼香を終えて両手を合わせた時、先輩であり相棒でもある薮中に対しての思いを口にした。

「薮中さん、俺にはまだ信じられないです」

歯を食いしばり今にも涙を流しそうな堤の肩を藤堂課長はそっと叩いた。

「堤、私たちで薮中の無念を晴らすぞ」

「はい」

薮中の目から涙がこぼれ落ちた。

参列者全員のお焼香が終ると葬儀屋の職員が案内をはじめた。

「皆様、お控室にご案内致します」

列席者たちは職員の後に付いて行った。

誰も居なくなり静まり返った火葬炉前で薮中とベルは、火葬炉のドアをただ見つめていた。

しばらくすると薮中がぽつりとつぶやいた。

「私とのお別れだ」

そしてその場から消えた。ベルもまた薮中の後を追うように消えて行った。

火葬炉の前はだれも居なくなり、ただ時が止まったようにひっそりとしている。

火葬場の煙突(えんとつ)から白い(けむり)がゆらゆらと立ち上り消えてゆく、

それはまるで亡くなった者の魂が天に向かって()くようでもある。

その揺らめきながら消えて逝く煙を薮中とベルは、駐車場の縁石(えんせき)の上に座りながら眺めていた。

「とうとう逝ってしまったなぁ〜」

「肉体だけですよ、魂はここですから」

「お互い微妙な立場だな」

「ご主人様、少しは吹っ切れましたか」

「ん〜まぁな。……そろそろ帰るか」

「何処にですか?」

薮中は、うつむいて考え込んでしまった。

その時だ。

突然、薮中の両手が(まぶ)しいくらいの黄金色に輝きはじめた。

「ベル、こっ、これはどういう事なんだ?」

驚く薮中の手から眩しい輝きが消えると、手の上には、

棺に入れられたはずの、「けいさつ手帳」と書かれた黒い手帳、新品の鉛筆が入った箱、

アオダモから削り出した警棒、そして家族三人でディズニーランドに行った時に写した写真が現れた。

唐突に現われた物をただ呆然と見つめる薮中に、ベルは冷静な口調で伝えた。

「棺に入れて焼かれた物が、転送されてきたんですね」

「棺に品物を入れるあの行為は、生きてる者たちの気分的な問題だと思っていたが、

本当に届くんだったのかぁ〜」

「知らなかったんですか?」

「知るわけないだろう。初めて死んだんだからな。…そうと知っていたら、

もっと色々な物を一緒に焼いてもらいたかったよ」

「何をですか?」

薮中は警棒を右手で握りしめ、軽く左手の平に打ち鳴らしながら悩んだ。

「ん〜着替えとか布団とか、お気に入りの座椅子(ざいす)とちゃぶ台も必要だしなぁ〜

……取りあえず生活用品全般ってとこかな」

「それではただの引っ越しですよ」

「ある意味()たようなものだろ」

「………」

薮中が何気なく警棒を辺りに振り回すと、(そば)に生えている植え込みの小さな木の枝に当たった。

すると枝に当たった感触と共に枝が揺れた。薮中は驚いた。

「えっ、警棒だと物に触ることができるのか?」

薮中は警棒をみつめると今度は小石をすくうように警棒を動かしてみた。

すると小石は宙を舞い、アスファルトの上に転がった。

「……やっぱり、触れるんだな。」

ベルも驚いていた。

「ご主人様、すごい発見ではありませんか」

「このアイテムはなかなか使えそうだな」

「そうですね、ご主人様」

「でもなぁ〜、ここでじっとしていると気が滅入(めい)るから、パトロールにでも行くか」

「はい、ご主人様」

薮中は少し気分が吹っ切れたのか、足取りも軽くベルと共に火葬場を後にした。



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