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平等電車

作者: シュール

        

                  平  等  電  車



                      ①

                                         

 優先座席を探しやっとみつける。

「すいません」座っているショートカットの若い女性に声を掛ける。

 無視。

「ちょっと、申し訳ないけど、足をちょっと・・・」

 言いかけた時「どうぞ」と肩を叩かれたので振り返ると髪の茶色い高校生くらいの男の子が満面の笑み。

「すいません」

 腰を下ろすとショートカットの女は化粧をしていた。

 耳からは音楽を聴いているのか白いコードが垂れていた。

 ロケットランチャーを打ち込んでやろうと思ったが、ロケットランチャーを肩に担ぐ力が今の自分にはなかった。

 奇跡だった。

 気がつくと誰かにシャツの襟首を掴まれエレベーターから引きずり出されているところだった。

 後で聞いた話によると、通常、地震や停電が起きるとエレベーターは直近の階に緊急停止するように作られている。

 ところが“平等エレベーター”はお客様に呼ばれると忠実に応えるシステムが組み込まれていた。災害時の対応を超えていたのだ。

 たまたま、最上階に止まっていたものを、一階で全員避難を確認していた消防団員が何気なく呼び出しボタンを押したところ“平等エレベーター”は忠実に降下してきたということだった。

 飼い犬に手を噛まれかけたが、ぎりぎりのところで手を嘗めてもらった。

 いつもの駅に到着した。

 見飽きた風景が目の前に広がる。

 タクシー乗り場には誰も車を待っていなかった。

 不況はまだ止まらない。

「総合病院まで」

 病院と駅を往復するシャトルバスがあったが、何か乗る気にならなかった。

 俺は病人じゃない、怪我人なんだ、というプライド?

 病院へ着くといつもの整形外科へ向かう。

「岩田さん、かなり良くなってきてますからリハビリを兼ねて通勤を始められてはいかがですか」

「いいんですか?」

「ええ。大丈夫です」


「ウキウキーっ、気分はアゲアゲーっ、沈んでいいのは釣りの浮きだけーっ」

 タクシーの運転手は岩田幸三と目を合わせないよう極力バックミラーを見なかった。

 駅に着き、タクシーを降りると、幸三はすぐに携帯を手にした。

 しかし、ツーコールで出た女性は、東西エレベーターに“平等エレベーター推進事業部”なる部署は既に無くなっていることをサラリと告げた。

 切ると、すぐに部長の携帯の番号を押した。

 しかし、出てきた奥さんは「今ちょっと近くまで出てますので」と言うとすぐに電話を切った。

 改札を抜け、エレベーターでホームにたどりつくとすぐに電車が入って来た。

 乗り込んだ車両には優先座席があったが目もくれなかった。

 病院で医師から言われた「リハビリ」という言葉が幸三の脳内を支配していた。

“もはや優先座席に座っている場合ではない”

 途中、同じ歳くらいの女性が「空いてますよ」と優先座席を指差してくれたが、大丈夫ですと頭を垂れ断った。

 東西エレベーターの最寄り駅で電車を降りる。

 大地震から街は奇跡的な回復を遂げた。

 ガード下の飲み屋も暖簾は真新しいものに変わっていたが、中で立っている人間には何の変化もなかった。

 東西エレベーターに着く。

 受付の女性に事情を話す。

 二人のうち若い方の女性は幸三の説明に?という表情を浮かべたが、すぐに隣の年配の女性が「暫くお待ちください」と言って自然な笑顔を幸三に向けた。

 そして、本当に暫くすると一人の男が目の前に現れた。

 応接室に通され名刺をもらうと、その男の名字は“長谷川”だということがわかった。

「岩田さんですよね、僕知ってます」長谷川は嬉しそうに幸三に向かって言った。

「僕は平等エレベーターにあこがれてこの会社に入りましたから。そうだ、ちょっと待ってて頂けます」

 言うと、長谷川は応接室を出て行き、そしてすぐに戻って来た。

 手にはA4版のノートを持っていた。

「サインもらえますか」

 幸三は一瞬たじろいたが「いいですよ」と言って長谷川からペンを受け取り、楷書で自分の姓名をノートの上に書いた。

「いやぁ、ありがとうございます」長谷川は本当に嬉しそうな顔をしてA4版のノートを幸三から受け取った。

「で、今日は何の用事で来られたんでしたっけ」長谷川はとぼけた顔を幸三に向けた。

 幸三は整形外科の先生に言われたことをそのまま長谷川に伝えた。

「そうですか。わかりました。

 僕個人としては当社の伝説の人、岩田さんには、是非、社に戻って来て欲しいんですけど、私には何の権限もありませんので上司に相談してみます。

 平等エレベーター推進事業部はもうありませんので、とりあえずは総務部預かりという形になるかと思います。

 正式に決まれば連絡させて頂きます」

「よろしくお願いします」と言って長谷川に頭を垂れ幸三は東西エレベーターを後にした。

 駅に戻ると、切符を買い、エレベーターでホームまで上がると丁度各駅停車がやってきたのでそれに乗り込んだ。

 自宅マンションの最寄り駅までは快速電車が早く着いたが、特に急いで帰る必要もなかったし、ホームで次の快速電車がやってくるのを待つのも面倒くさかった。

 座席に腰を下ろすと電車はゆっくりと動き始めた。

 車内は満員ではなかったが、座れるスペースはどこにもなく、何人かの人が、吊革を持って立っていた。

 三つ目の駅の手前で後から追っかけてきた快速電車が脇を通り過ぎて行く。

 ホームに入ると、その快速電車からの乗り換えの客が扉の前で列を作って待っていた。

 扉が開く。

 快速電車に乗り換える乗客が順番に降りていく。

 すると、幸三の目の前で吊革を持っていた中年の男性が車両の一番奥の座席に一人分のスペースが空いたのを見つけ歩きだした。

 しかし、降りる乗客がわずかで、すぐに快速電車からの乗り換え客がなだれ込んできて、その中年の男性が狙ったスペースは二十代のサラリーマン風の男に取られてしまった。

「なっ、な・・」幸三は思わず尻を持ち上げた。

 快速電車が先に発車すると暫くして幸三の乗る各駅停車もよっこらしょっといった感じで動き始めた。

 ところが、加速がついてきたかなと思ったところで、次の駅に間もなく到着するというアナウンスが流れた。

 電車がスピードを落とす。

 降りようとする乗客が座席を立つ。

 電車が止まった。

 すると、目の前の座席でずっと本を読んでいた学生風の男性がはっとした表情をしたかと思うと、窓の外に向かって何度も顔を左右に振り、自分の降りる駅だと認識したのか、慌てて立ち上がると、網棚に載せてあった大きなナイロン生地の鞄を手に取った。

 その様子を、さっき、空いたスペースを取りそこなった中年の男性が見ていた。

 とっさにこっちに向かってやってくる。

 同時に電車の扉が開いた。

 学生風の男性が降りて行くのとすれ違いに両手にスーパーのレジ袋をぶら下げた六十歳くらいの女性が乗りこんできた。

 その女性はすぐにその空いたスペースを見つけると腰を下す前に、場所取りとばかりにスーパーのレジ袋を席の上に置いた。

 再び椅子取りゲームに負けた中年の男性は無意識なのか、参ったなぁという顔をして頭をポリポリと掻いた。

「びょ、びょ、平等じゃ、平等じゃ・・びょ・・びょ・・」幸三は体を大きく震わせたかと思うと突然席から立ち上がった。

「びょ・・びょ・・屏風が上手に坊主に屏風の絵を描いたっ!」

 幸三の周りから乗客が散った。

 ただ一人残った、ずっと椅子取りゲームに負け続けていた中年の男性が幸三に頭を垂れると向かいの座席に腰を下ろし、各駅停車の電車は何の感情も持たずレールの上を滑り始めた。


                      ②

 マンションに着く。

 エントランスにあるメールボックスを開けるがまだ夕刊には早い時間で、中には不動産のチラシが一枚入っているだけだった。

 エレベーターを呼ぶ。

 駐車場へつながる扉が開き、男の子たちが声をあげてエントランスに入って来た。

 見慣れた光景だった。

 エレベーターがやってきた。

 乗り込むと階数のボタンを押す。

 平等エレベーターではもちろんなかった。

 震災後、住民の強い要望で、他のメーカーのものに変えられた。

 エレベーターを降りる。

 鍵を開け狭い廊下を進むとリビングに妻がいた。

 妻は幸三の姿を見て慌てて、今朝届いたばかりのお取り寄せグルメ“この世では存在しえない奇跡のチーズケーキ”三千円也を新聞の広告で隠した。

「ど、どうしたの、早かったじゃない」

「先生がもう病院でやっているリハビリはいいって。

 その代わり、会社に通勤して慣らしていきなさいって。

 だから、久しぶりに会社に行って挨拶してきたよ」

「へぇ、そうなの」

「長谷川君という若い子が対応してくれたんだけど、たぶん総務部預かりになるだろうって。

 決まったら連絡をもらうことになってる」

「そうなの。

 で、お昼ご飯は食べたの?」

「まだだ」

「何か作りましょうか」

「いや、いいよ。

 ちょっと用事があるから」

 言うと幸三は炊飯器のふたを開け、昨日の残りのかやく飯をつまみ口に放り込むと再びマンションを出た。


 平日の昼間とはいえ、山手線の車内は吊革を持って立っている人がたくさんいた。

 まもなく駅に到着するというアナウンスが流れる。

 降りようとする乗客が扉の前に集まる。

 座席に空きのスペースがいくつかできるがすぐに埋まる。

 電車が駅に着く。

 扉が開くと同時に隣に座っていた乗客が席を立つ。

 すると向かいの座席の前で吊革を持っていた乗客が背中越しに空きスペースが出来たことをを確認し慌てて網棚から荷物を下ろしたが時すでに遅し、着いた駅から乗り込んできたばかりの高校生風の男子に取られてしまった。

「デ、デジャ、デジャ・・・デジャブっ!」

 体の震えが止まらない。

「き、君ぃ」

 隣に座った高校生風の男子に声を掛ける。

 しかし、男子は気づかない。

 耳から黒い線が垂れていた。

「ちょ、ちょっと、き、君ぃ」

 今度は肩をトントンと叩きながら言った。

 さすがに男子も気が付いた。

“何?”という顔をこっちに向けた。

「この席は君の席ではない」座席を指差しながら言った。

 男子は耳から垂れている黒い線を抜き“はぁ?”という顔を向けた。

「君は後から乗って来たんだ。

 この人は君より前からこの電車に乗っていたんだ。

 だから、ここはこの人の席なんだ」

「はぁ?」と男子は今度は言葉を発した。

 そして、さっきの椅子取りゲームにこの男子に負けて今は目の前で吊革を持っている乗客は「いいですよ、そんなの」と手を左右に振りながら幸三に言った。

「いえ、良くないです。

 これは平等ではないです。

 君、そこを立ちなさい」

 隣の男子は「何言ってんだよっ!わかんねえよっ!」と目をむいた。

「わからないわけない。

 非常に簡単な話だ。

 君がそこに座っていることは平等でないんだ。ただ、それだけだ」

「おっさん何言ってんだよっ!」

「日本語―っ」

「お前いったい何もんだよっ」言うと男子は立ち上がり隣の車両へ移って行った。

「さぁ、どうぞ」

 手招きすると、去って行った男子との椅子取りゲームに負けて目の前で吊革を持っていた乗客は「あ、ど、どうもすいません」といって、腰を下ろした。

「あたりまえだのクラッカーです」

「はぁ?」

「いえ、独り言です」言いながら幸三は満面の笑みを浮かべた。


 吊革を持って立っている人がどの駅から乗ってきたのかを克明に大学ノートに記していた。

 後から乗ってきた乗客が先に乗って吊革を持って立っている乗客を尻目に座ろうとすると注意に行った。

 注意された乗客は“なんだよ”という顔をして席を立ち、席を与えられた乗客は“いやべつに”と少し戸惑った顔をしてとりあえず席に着いたが、次の駅ではほとんどの人が首をかしげながら降りていった。

 気のせいなのかどうなのか、幸三の車両だけは吊革を持って立っている乗客がどんどんと少なくなっていった。

 

 山手線に乗りこんで三時間ほど経過した頃、帰宅ラッシュが始まったのか車内が込み始めてきた。

 止まる駅毎に人が次々と乗り込んでくる。

 完全に乗客の識別が不可能となったので幸三は大学ノートを閉じた。

 窓の外にはちょこんと夕日が居座っていた。

 右手に杖を持った初老の女性が乗り込んできた。

 隣に座っていた中年の女性が「どうぞ、座ってください」と腰を浮かせながら初老の女性に声を掛けた。

「いえいえ、すぐに降りますので、大丈夫です。有難うございます」初老の女性は丁寧に断った。

「私も次の駅で降りますので、どうぞ掛けてください」

 中年の女性が返すと初老の女性は「そうですか、それじゃあお言葉に甘えて」と言って軽くお辞儀すると席に腰を下ろした。

「すぐに降りますので・・・次の駅で降りますので・・そ、そうか、そうなんだ、そうだ、そうだ、そうだーっ!!」幸三は雄叫びをあげ立ち上がった。

「そうだっ、そうだっ、ソーダー会社の宗田さんがソーダー飲んで死にそうだー葬式もないそうだ・・・薄情っ」

 帰宅ラッシュは一瞬にして解消した。


                    ③

「あなた、会社の長谷川さんから電話ですけど」

「ああ、その件は又こっちから電話するからって言っといてくれ。

 もっと大事なことができたんだ」

 言い残すと幸三は家を出た。

 駅に着くと、いつも定期券を買っていた窓口で「駅長さんに会いたいんですが」とまだあどけなさの残る駅員に言った。

「申し訳ないですが、今日は駅長は休みなのですが、どのような御用件でしょうか?」

「たいへん重要なことなんです」

「私でよければお聞き致しましょうか?」

「そうですねぇ・・・じゃあ、お話だけさせて頂きます」

 幸三は会社の応接室のような部屋に通された。

「早速なんですが、実はですね・・・」


 幸三の話を聞き終えた駅長代理は「とりあえず駅長には伝えておきます」と言って幸三を帰らせた。

 そしてすぐに他の駅員に「ちょっと体の調子が悪いから」と言って家に帰って行った。

 いっぽう幸三は駅のすぐ近くにある、昔からある、最近では滅多にお目にかからなくなった文房具屋にいた。

「画用紙とサインペンと輪ゴムと、あと、何か穴を開けられるものが欲しいんですけど」

 幸三の問いかけに中年の店主は「何に穴を空けるんです?」と聞いた。

「画用紙です」幸三は直立不動で答えた。

「それならうちで空けてあげますよ」

 そう言うと先に店主は幸三に画用紙とサインペンと輪ゴムがたくさん入った箱を渡すと店の奥に消えていった。

 幸三はサインペンのキャップを開けると、すらすらと画用紙の上に走らせ“錦糸町”と書いた。

「じゃあ、これをお願いします」

 店の奥からパンチを持って戻ってきた店主に画用紙を渡した。

「何に使うんですか」店主は幸三に聞いた。

「大変重要なことなんです」

 パンチで穴を開けてもらった画用紙を受け取ると、幸三は、再び駅に戻って行った。


                    ④

 数学だけはどうしても生理的に受け付けなかった。

 いくら聞いても何が何だかわからなかったというか、公式を聞いているうちに背中がかゆくなり、どうしたのかなと思ったら蕁麻疹だったりした。

 その数学が一時限目にある。

「すいません、一年二組の砂川大輔ですけど、途中でお腹が痛くなって駅のトイレに入ったんですけどたくさん人が並んでいて、今やっと出てきたとこで一時限目は少し遅れます」

 携帯の向こうの担任は「わかった。無理するなよ」と言って電話を切った。

 通勤ラッシュは過ぎていたので、空いている席はなかったがぎゅうぎゅう詰めではなく立っている乗客は皆吊革を持てていた。

 電車が駅に着くと、新しい乗客が乗り込んできた。

 大輔は一瞬目を疑った。

 一人の中年男性の姿がそこにあった。

 男性は額に画用紙を張り付けていた。

 正確に言うと、小さい子供達が人気のアニメ映画を見に行ったときにもらえるキャラクターの絵がたくさん描かれている紙で出来たサンバイザーのようなものを額に付けている、そんな感じだった。

 そして、その画用紙には黒く太い文字で“錦糸町”と書かれていた。

 男性は片方の足を少し引きずりながら、何かブツブツと言っていたというか唱えていた。

 前の優先座席に座っていた乗客達は一斉に寝たふりをした。

 席を譲るのが嫌ではなく、この男性にかかわりたくないのだろうと大輔は思った。

 その男性が近づいてきた。

 大輔も慌てて目をつぶった。

「すいません」

 来た―っ。

 しかし、無視をする。

「あのう、すいませんが」

 やばーっ、と思って掌に汗を感じた時「どうぞ、座ってください」と隣の女性が席を立った。

 薄眼を開けると“錦糸町”の文字がはっきりと見えた。

「いえ、大丈夫です」男性は席を譲ってくれた女性を手で制し、女性はもう一度席に腰を下ろした。

「そんなことより、あなたはどちらの駅で降りられますか」男性が女性に聞いた。

「新小岩ですけど」

「そうですか、新小岩ですか。

 私、常日頃から、平等の大切さを考えております」

「は、はあ」女性は、なんだ?と言う顔をした。

「このようにたくさんの人が吊革を持って立っています。

 みなさん座りたいと思っているはずです。

 しかし、空いているところが無い。

 そのうち駅に電車が到着します。

 誰か降りるかな、周りをきょろきょろ見ます。

 だけど、誰も降りない。

 しょうがないか、そう思った時、一人の乗客が急に席を立ちました。

 居眠りでもしていて、降りる駅に付いたことに気が付いたんでしょうね。

 よし、座ろう、そう思って空いた席に向かいますが残念、着いた駅から乗りこんできたばかりの人にタッチの差で席を取られます。

 これ、どう思われますか?」

「ま、まあ、しょうがないですよね」

 女性が困った顔をして答えた瞬間「しょうがなくないんだーーーっっ」とその男性は雄叫びをあげた。

 タヌキ寝入りをしていた優先座席の乗客も一斉に目を開けた。

「おかしいと思わないですか」男性は急に冷静な顔に戻って女性に問いかけた。「先に乗って立っていた人が後から乗ってきた乗客に先に座られるのはおかしいですよね。平等じゃないですよね」

 今度は女性は何も言わなかったというか少し恐怖で顔がこわばっていた。

「昔、コンビニでバイトをしていた時、ジュースの補充をしていたんです。

 何気なくジュースの入っている段ボールを見ると“先入れ先出し”と書いてあったんです。

 初めは意味がわからなかったんですけど後になってわかったんです。

 だから、電車の乗客も一緒。 

“先乗り先座り”これが基本なんです。

 だけど、これができていないんです。

 どうしてだと思います」

 男性が車内を見渡すとまた皆一斉にたぬきになった。

「そうですか、皆さんわからないんですよね。

 いいでしょう、説明しましょう。

 いいですか、皆さん。

 その原因はですね、座っている乗客がどこで降りるかがわからないからなんです。

 それで、私は今日、実験的にこれを頭に巻きつけてきたんです。

 言いながら男性は頭に巻き付けた画用紙を指差した。

 これがあると座っている人がどこの駅で降りるかがわかるんです。

 すると、立っている人は、次の駅名を書いている画用紙を頭に貼り付けている人の前で待っていればそれだけでいいんです。

 駅に着くとその人はもちろん降りていきます。

 そして、あなたは、当り前のように座れます。

 これなんです。

 これが平等なんです。

 この世の中には至る所で不平等が蔓延っています。

 せめて電車の中、いや、せめて私の周りだけは平等であって欲しいんです。

 それを切に望みます」

 言うと男性は誰にともなく頭を垂れた。

 そして、大輔は心の中で呟いた。

「この男、ほんまもんのバカだ」と。


                   ⑤

 納豆定食を食べ終え、足の裏のような匂いのげっぷを吐いた長谷川の携帯が震えた。

「岩田さんと言う方が来られていますが」

「わかりました。すぐ戻ります」

 レジで支払いを済ませると長谷川は足早に会社に向かった。


「お待たせしました」

 応接室に入ると岩田幸三が無表情で座っていた。

 しかし、頭に画用紙を巻いていた。

「すいません、遅くなりまして」岩田が頭を垂れると“錦糸町”と言う文字が目の前に接近してきた。

「岩田さん、そ、それは何なんですか?」

 は?と言う顔をしたがすぐに「あっ、これはすいません、取るの忘れてました」と言って岩田は額の画用紙をはぎ取った。

「大丈夫ですか?」長谷川は少し苦笑いを浮かべて岩田に聞いた。

「大丈夫です」言った岩田の額に“錦糸町”の文字が汗で滲んだのか黒い染みが付いていたが長谷川は気にしないことにした。

「奥様がお電話に出られて大事な用事があると仰っていましたが、もういいんですか?」

「ええ。

 いいという訳でもないんですが、まだこれからの話なんで」

「そ、そうですか」と言いながら長谷川はこれからってのはどういうことなんだろうと疑問に思ったが、考えないことにした。

「岩田さんの復職の件なんですが、先日お話しました通り、いったん総務部預かりと言う形にさせて頂きます。

 出社の開始ですが・・・」

「明日から来ます」サラリと岩田は言った。

「大丈夫ですか?」

「はい」

「あまり無理されない方がいいと、上司も言っていますので」

「いえ、本当に大丈夫です」

「そうですか、わかりました。

 あと、出社時間なんですが、朝のラッシュは大変かと思いますので、十時くらいで結構ですので」

「わかりました。お気づかい頂きましてありがとうございます」

 言うと岩田は腰を上げたので、長谷川はやれやれという表情で「お疲れさまでした」と言おうとしたところ、岩田はズボンの皺を伸ばすと、再び席に着いた。

「ズボンの皺ってすごく気になるんですよね」

 もうどうでもいいや、長谷川は思った。

「で、長谷川さん」

「なんですか?」言いながら長谷川は嫌な予感がした。

「平等の件なんですが」

「平等の件?」

「ええ。

 今、と言うか、おそらくずっと前から、電車の中では、不平等がまかり通っているんです」

「そ、そうなんですか・・」

「お昼ごはんの時にラーメン屋の前でみんな並びますよね。

 並んだ順から店に入って美味しいかどうかはわかりませんがとにかく昼食にありつける」

「当然ですよね」

「そう、その当然が、如何せん、電車の中では守られていないんです。

 先に乗った乗客から順番に空いた席に座っていける、それが守られていないんです」

「だけど、岩田さん、それはしょうがないんじゃないですか。

 ラーメン屋みたいに入口は一つじゃないし、それに、座っている人がどこの駅で降りるなんか誰もわからないじゃないですか。

 僕もたまにありますよ。

 ずっと立っていてあっ席が空いたと思って座りに行こうと思ったら乗り込んできたばかりの乗客に取られたり、逆に、満員電車に乗ってこりゃ座れないなと思ったら急に目の前で座っていた乗客が眠りから覚めて飛び降りていって座れる、ラッキーって」

「ラッキー?

 それがだめなんだーーーっ、それが平等を破壊するんだ―」

 岩田の怒声が扉を超えていったのか、男性社員が顔色を変えて応接室に入ってきた。

「どうかしましたかっ?」

 男性社員の声に長谷川は「大丈夫です、少し話が盛り上がっちゃって。本当に大丈夫ですから」と言うと、男性社員は首をかしげながら応接室から出ていった。

「岩田さん、その話は、又、改めてゆっくりと」言いながら今度は長谷川は自ら腰を上げた。

「ラッキー・・・ラッキー・・・うーっラッキー、モンキー、ピンキー、アンド・キラーズ、忘れっられないの―っあーの人が好きよ―っ赤いケツしてさーっキーコと鳴い―たの―っ」

 今度は警備員が駆け付け長谷川の前で岩田は取り押さえられた。


                    ⑥

 宮本広は鏡に映った自分の顔を見た。

 泣いたのなんかいつ以来だろうか。

 三代続いた文房具屋をたたむことを妻と一人娘に昨日の夜伝えた。

 三年前に駅の反対側に大型の商業施設ができ、客足はみるみるうちに遠のいた。

 何とか父が残してくれた遺産で食いつないできたがもう限界だった。

「いってきます」小学生の娘が手を振って出ていく。

 背中に背負ったランドセルも商業施設で買ったものだ。商売柄、メーカーから安く買えたが、それでも、その値段の半額だった。

「おはようございますっ」

 大きな声が聞こえた。

「おはようございますっ」

 もう一度大きな声がした。

 どうやら店のシャッターの向こうからだった。

「お客さんかもしれないわよ」

 自分と同じ赤く目を腫らした妻が言った。

「こんな早くから一体何なんだろうなぁ」

 言いながら広はつっかけを履き、店のシャッターをそろそろと開けた。

 店の前に男性が立っていた。

 どこかで見たことがあるなぁと思っていると「すいません。画用紙百枚と穴を開けるパンチを頂きたいんですけど」とその男性は少し頭を下げながら言った。

 広は思い出した。

 ついこの間、画用紙と輪ゴムとサインペンを買いに来て、画用紙に穴を開けてあげた人だった。

「この間と同じでいいならうちで開けてあげますよ」

 広が言うと男性は「だけど今日は百枚もあるので」と無表情で言った。

「いいですよ。

 実は今日でこの店は終わりなんです。

 最後の大仕事ですよ。

 上がってお茶でも飲んで待っていてください。

 三十分もあればできますから」


 広は妻と無心に画用紙に穴を開けた。

「ありがとうございました」

 男性は百枚の画用紙を受け取るとぺこりと頭を垂れた。

「だけど、こんなにたくさんの画用紙、何に使うんですか?」広が男性に聞いた。

「平等です」

 一言発した男性は「すいません、もう時間がありませんので失礼します」と言って、駅の方に向かって歩いて行った。

「変わった人だよなぁ」言いながら広は妻が入れてくれた温かい番茶をすすった。

「そうねぇ。

 だけど悪い人ではなさそうよ」

 妻がそう言って広が「確かにそうだよなぁ・・・」と言いかけた時、突然、男性が去って行った駅の方から大きな声が飛んできた。

「おはようございますっ!」

 広は店を飛び出ると駅の方を見た。

 間違いない、さっきの男性だった。

 手にはハンドマイクを持ち、脇には“平等”と書かれたのぼりが二本立っていた。

「皆さま、日々のお勤めご苦労様ですっ」

 行きかう人に頭を下げている。

「おい、近々何かの選挙ってあったっけ?」広は妻に聞いた。

 店から出てきた妻は「さあ、特にないと思うけど」と言った。

「そうだよなぁ、確か、市会議員の選挙も半年くらい前にやったばかりだものなぁ。

 あの人、一体何やってるんだろうなぁ」

「平等って書いてあるのぼりをたててるから、やっぱりどこかの党の息のかかった人じゃないの。

 将来の選挙に向けて今からアピールしているんじゃないの」

「そうかなぁ・・・じゃあ、さっきのあの大量の画用紙はなんなんだろうなぁ」

「ポスター作るとお金がかかるから自分の手で自分の名前と似顔絵でも書くんじゃないの」

「そんなバカな・・・」

「冗談よ」

 言うと妻はハハハと笑って店の中へ戻って行った。

 広は暫くの間、男性の行動を見守っていた。

 すると、杖をついたお婆さんがよたよたと男性に寄って行った。

 お婆さんが二言三言男性に何か話しかけると男性はハンドマイクをいったん地面に置き、足元に置いてあった紙袋からさっき買って行ったばかりの画用紙を取り出した。

 そして、ズボンの後ろポケットからサインペンを取り出すと画用紙の上を滑らせた。

 お婆さんはそうかそうかといった感じで首を縦に振っている。

 サインペンの動きが止まると、男性はYシャツの胸ポケットから何かを取り出し、画用紙の端っこを持って手を動かした。

 やがて、男性は遠くからでもわかるくらいの笑みを満面に浮かべて、お婆さんの頭に画用紙を巻き付けた。

 そこには“東京”と黒々と書かれていた。

 お婆さんは、すいませんねぇと頭を下げると駅の構内へとよたよたと消えていった。

 広はその光景を見届けると店の中に入り妻に声を掛けた。

「おい、あの人、やっぱり、ちょっと、おかしいよ」


                    ⑦

 藤原正人は始発駅のホームで電車を待っていた。

 フレックスタイムが始まって通勤地獄からは解放された。

 誰も乗っていない電車がゆっくりとホームに入ってくる。

 一本電車を遅らせれば列の先頭に立てる。

 扉が開く。

 焦る必要はない。

 ただ、たまにマナーの悪いやつが脇から割りこんでくるので肘だけは水平に張っている。

 いつもの指定席、連結部側の一番端っこに腰を下ろす。

 通勤地獄の時間帯を過ぎているとはいえ、あっという間に座席は人で埋め尽くされてしまう。

 ずっと思っているのだが、人の湧いてくる穴というものが、きっと東京を取り巻く都市の至る所にあるのだろう。

 暫くすると電車は動き始めた。

 いつものように降りる駅までの間の眠りに落ちようとした時、斜向かいの優先座席に座っている初老の女性に目が止まった。

 頭に画用紙を巻きつけている。

 しかも、そこには“津田沼”と書かれている。

 悪い冗談かなと思い、車内を見渡すと今度は“船橋”と書かれた画用紙を頭に巻きつけて座っている初老の男性を見つけた。

 正人はきっと何かのバラエティー番組の、昔からやっている“どっきり”だと思い、辺りにテレビカメラがないか、それなりの格好をした“どっきり”を告げに来る人間を探した。

 しかし、それらしき物も人もいなかった。

 やがて、電車が停車駅に着いた。

 すると、今度は“東京”と書かれた画用紙を頭に巻き付けた中年の女性が乗り込んできた。

 その女性はきょろきょろと辺りを見渡すと、斜向かいに座っている“津田沼”の画用紙を頭に巻き付けている初老の女性の前にすっと立った。

 正人は何が何だかわけがわからなくなってきた。

 何かへんな夢を見ているんだ、そう自分に言い聞かせながら正人は目を閉じた。

 電車が再び動き始めた。

 次の停車駅が車内にアナウンスされた時、正人は再び閉じていた目を開けることになった。

 原因は人の声、それもかなり上ずった男の声だった。

 その男も頭に“錦糸町”と書かれた画用紙を巻き付けていた。

「平等よっし、平等よっし」男は歩きながら左右の座っている乗客に向かって指差呼称をしている。

「まもなく津田沼駅に到着します」

 アナウンスが流れると、斜向かいに座っていた“津田沼”と書かれた画用紙を頭に巻きつけている初老の女性が立ちあがった。

 そして、その女性の前で立っていた“東京”と書かれた画用紙を頭に巻き付けた中年の女性が軽くお辞儀をして代わりに席に着いた。

 すると、その様子を見ていた指差呼称の男が飛んでやってきた。

「指差しよっし、平等よっし、人間は考える葦っし バーイ パスカル うっ」

 正人は体を硬直させた。

 電車が駅に着く。

 頭に画用紙を巻き付けた人が次々と乗り込んでくる。

「すいませーん、降りますっ」

 正人は電車から飛び降りた。

 何か悪い夢でも見ているのだろう。

 とても今日は働く気にならなかった。

 携帯を手に取る。

 ワンコールで同僚のゆみちゃんが出た。

「毎週火曜日発売“週刊現実”の講明社でございます」


                    ⑧

 受付の吉川莉恵はいつもの光景を見ながら小さな欠伸を掌の中で処理した。

“錦糸町”と黒く太く書かれた画用紙を頭に巻き付けている。

 何かブツブツと呟いている。

 これもいつものことだった。

 しかし、一つだけいつもと違うことがあった。

 それは、彼が、岩田が、スーツを着てネクタイを締めていたのだ。

 内線電話が鳴る。

「長谷川です」

 去年入社したばかりの青二才だった。

「岩田さんまだ来られてませんか?」

「今ちょうど来られましたが」

「止めてください」

「えっ?」

「一階の応接室に入ってもらうように言って頂けませんか」

「わかりました」

 エレベーターに乗ろうとした岩田に声を掛ける。

「応接、直接、間接、うっきー」

 作り笑いを浮かべ、岩田を応接室に通すというか収容する。

 受付に戻り暫くすると青二才の長谷川がやってきた。

「岩田さんは?」

「応接室に入って頂いています」

「そうですか」言いながら青二才は額の汗をハンカチで拭く。

「今日は何かあるんですか?」

「マスコミが来るんです」

「ひぇっ」莉恵はしゃっくりのような声を出した。

「どうかしました?」

「いえ、大丈夫です」

 冷静を装い、口元に笑みを浮かべたが、体はぶるぶると震えていた。

 それも、武者震いだった。 

 何を隠そう、吉川莉恵は、今でこそ時給千百五十円の派遣社員だったが、もともとはグラビアアイドルを目指す芸能人の卵だったのだ。

 歳は二十代の半ばを超え、全盛期のボディラインはやや陰りを見せてきてはいたが、同じ歳の女性と比べると、発する色気を含め、やはり“モノ”が違った。

 結局、メジャーにはなれず、つまらない深夜番組で、バニーガールの格好をして立っているだけの仕事にありついただけだったが、夢はまだ捨ててはいなかった。

「どちらのマスコミなんですか?」さっきよりワンオクターブ上がった声で青二才に聞く。

「講明社です」

「そうなんですか」

 武者震いを続けて感じていると、少し騒がしい三人組がやってきた。

 一人は両肩に撮影機材らしきものを担ぎ、もう一人はいかにもマスコミ関係者といわんばかりの髭面、そして、残りの一人は、グレーのスーツを着た営業マンといった感じの男だった。

「講明社ですが」営業マンが作り笑いを莉恵に向けた。

「お待ちしておりました」立ちあがると、莉恵はこれでもかと目をパチクリ大きく開けお辞儀をした。

「応接室までご案内いたします」

 横で長谷川が小さな声で「いいですよ、僕が案内しますから」と言ったが、莉恵はその声を無視し、三人の前に立つと、応接室に向かって歩き始めた。

 プリプリという表現がぴったりに思いっきりお尻を振った。

 三歩進むたびに後ろを振り返り「こちらでございます」と言わんばかりにお色気ビーム光線を三人に浴びせかけた。

 そして、気づかれないようにブラウスのボタンを一つそっと外した。

 応接室に着く。

 ノックをして扉を開けると、岩田が相変わらず何かブツブツ言いながら座っていた。

 後からついてきた長谷川が岩田を三人に紹介する。

「それでは失礼致します」

 言いながら莉恵は深々と頭を下げたというかDカップの胸の谷間を強調した。

 そして、頭を上げた時、岩田から名刺を受け取った、いかにもマスコミ関係者と言わんばかりの髭面の男と目があった。


                    ⑨

 電車に乗り込むと石浜進の目は点になった。

 ほとんどの乗客が頭に画用紙を巻き付けいていた。

 一昨日、テレビのワイドショーで取り上げられていたのは知っていたが、これほどの反響があるとは、テレビは本当に恐ろしい、進はそう思った。

 電車が動き出す。

 今日は早番なので車内は遅番の時ほど混んではいなかったが空いている席は一つもなかった。

“船橋”の画用紙を巻いた男性が斜向かいで座っていたので前に立つ。

 窓の外の朝陽はまだ低く、並び立つ建物の隙間から弱いオレンジ色の光を放っていた。

 暫くすると、電車は船橋駅の一つ前の停車駅に止まった。

 乗り込んで来る乗客はまばらだったが、隣に立った男性がよっと斜向かいで座っている“船橋”を頭に巻いた男性に手を上げた。

 すると、隣に立った男性は座っている“船橋”の男性に何かを手渡した。

“船橋”は、どうも、と言った感じで受け取ったものを上着のポケットに入れた。

 指の間から硬貨、それも五百円玉というのがわかった。

 まさかとは思ったが、やっぱり、その、まさかだった。

 電車が船橋に着くと“船橋”が立ちあがるや否や、横の男が、いやー失礼しますと手刀を切って席に腰を下ろした。

「俺が先に立っていただろう」と言う隙もなかった。

 発車する案内が流れると進は立っている乗客を掻き分け電車を降りた。

 急いで階段を降りると向かいのホームに向かって階段を上った。

 快速電車の始発駅に着いた時には朝のラッシュがピークを迎えていた。

 会社に親戚に不幸があったから今日は休ませてくれと電話を入れ、乗り越し料金を払って改札を出た。

 駅前のコンビニに入ったが画用紙は売っていなかった。

 どこか文房具屋が無いか店員に聞くと駅から近くにあることが分かった。

 店の前にたどりつくと、何人かの客が店内にいた。

 さっき乗り越し料金を払い、あと、また、電車を乗るのに切符を買わないといけない。

 一日五百円の小遣いがほとんどなくなってしまい、画用紙一枚買う程度のお金しか残らない。サインペンと頭に巻く輪ゴムは買えない。

 とりあえず、画用紙を買おうと店主に聞こうとした時“平等セット 有ります 100円” という張り紙が目に止まった。

「すいません」店主に声を掛ける。

「この“平等セット”ってなんですか?」

「それは、画用紙一枚と輪ゴムが二個、そしてサインペンと穴を開けるパンチはそこに置いてあるのを使ってください」

 まよわず“平等セット”を買うと画用紙にパンチで穴を開けサインペンで“錦糸町”と書いた。

 スキップして駅に戻ると二本の快速電車を見送り、三本目で席を獲得することができた。

 まず席を確保することが最低条件だった。

 満を持して鼻をふくらませながら“錦糸町”と書いた画用紙を頭に巻く。

 車内はあっという間に人で埋まった。

 やがて、電車は駅を発った。

 目の前には女子校生が立っていたが関係はなかった。

 辺りをきょろきょろと伺う。

 きっと誰かと目が合うはずだ。

 しかし、一つ目の停車駅に着いてもアタリはなかった。

 どうしてだろう、思っていると列の一番端に座っていた会社員風の男と今乗ってきたばかりの同じく会社員風の男との間に商談が成立した。

 座っていた男の頭に巻かれている画用紙には“津田沼”と書かれていた。

 電車が動き出す。

 もう一度、車内を見まわすがやはりアタリはなかった。

 二つ目の停車駅に着く。

 車両の連結部に一番近い席のまだ二十歳くらいの男性が、乗り込んできたばかりの初老の男性と商談を成功させた。

 頭の画用紙には“船橋”と書かれていた。

 そ、そっ、そうだったのかっ!

 ほとんどの乗客は通勤・通学で東京近辺へ行くんだ。

 だから、東京からできるだけ離れている駅で座りたいんだ。近くまで来たら、えい、もうちょっとだからって辛抱して立ったままいるんだ。

 しまった、そんなことにどうして気付かなかったんだ。

 進は電車を飛び降りるとホームの端に行き、頭から画用紙をむしり取り、裏返すと“市川”と書き、もう一度頭に巻き付けた。

 よしっ、と思ったが、座れなければこの商いは成立しない。

 満員の電車をホームから見送ると、進は階段を降り、そして、向かいのホームに向かって階段を駆け上がった。

 いったい、何やってんだ、俺は・・・と思いながら。


                     ⑩

 忙しい一日が終わった。

「お疲れ様」と妻がお茶を淹れてくれる。

「画用紙の在庫は大丈夫だよね」

「ええ。

 明日の夕方にはまた大量に入ってきますから」

「そうか」

 死に掛けていた店が蘇った。

 なににつけてもあの変わった男のおかげだった。

 ひとたび週刊誌で取り上げられ、テレビの電波に乗ると、世間の人間は放っては置かなかった。

 毎日“平等セット”が飛ぶように売れ、さっきも写メを取っていた若い女の子たちが、気を使ったのか、百均の店なら三冊は買える大学ノートを一人一冊ずつ同じ百円を払って買っていってくれた。

 一人娘が学校で「あの文房具屋の子だ」と言われるのが嫌だと泣きそうな顔をして妻に訴えるのだけが唯一のマイナスだった。

 テレビをつけると丁度“検証 平等電車を考える”と銘打った特集番組が流れていた。

 有名大学の教授が数人、そして、なぜかお笑い芸人の中でも地方の国立大学を卒業して“エリート芸人”と認知されている、笑いの芸については何も持ち合わせていない、芸人もどきの芸人が偉そうに胸を張って大学教授と並んで座っていた。

 番組の進行はテレビ局のアナウンサーが務め、有名大学の教授たちは、なぜ、これだけ国民が“平等”について食いついたのか。それは今の社会が平等でないということを実感しているからだ、とコマーシャルを五回も挟んで熱弁した。

 そして、おそらく放送作家の台本に書かれていたのだろう、学生服の詰襟を着せられていたエリート芸人が「本当にそれが平等って言えるんですかね」と間抜けな顔を真面目にして言った。

「この間、たまたま電車に乗った時に私は見たんです」エリート芸人は鼻を膨らませて言った。

「何を見られたんですか」司会のアナウンサーがわざとらしく聞く。

「お金がやりとりされているんです」

「お金? と言いますと」またもやわざとらしくアナウンサーが聞く。

「座席に座る権利がお金で売買されているんです」

「えっ、それは本当ですか?」

「本当です」エリート芸人はアナウンサーの問いかけに胸を張って言った。

「私は何度も目撃しました。

 あとから乗ってきた乗客が、次に止まる駅名を書いた画用紙を頭に巻いて座っている乗客の前でずっと立って待っていた乗客に『ちょっと失礼』と言って二人の間に割り込み、座っている乗客に、あれは、たぶん五百円硬貨だったと思うんです、さりげなく渡したんです。

 そして次の駅に電車が着くと、その男は、お金を渡した乗客が席を立つと代わりにそこに座ったんです。

 もちろん、先に前で立ってまっていた乗客は文句を言いました。

『私はあなたより先にこの電車に乗って、この席が空くのをずっと待っていたんだ。この席は私の席なんだ、どいてくれますか』って。

 だけど、言われた乗客は『ちゃんと金出して買ってんだよ』と悪びれずに言って、すぐに眠り始めました。

 これが平等と言えますか。

 結局、金がものをいうんです。

 平等なんかじゃ決してないです。

 ね、先生方、そうですよね」

 広はそこまで聞くとチャンネルを変えた。

「何を戯言言ってんだ。

 下らない芸人のくせして。

 全ての人間が皆平等になるってことは絶対に無理なんだ。

 そんなことはみんなわかっているんだ。

 だけど、何とかして、少しでも平等な世の中にしたい、あの人はそう思ってやっているんだ。

 そういう姿勢が大切なんだよ」

 変えたチャンネルに胸の大きな色気のある女性が出ていた。

「これ誰なんだ?」広は妻に聞いた。

「最近よく出ているのよ。

 何か、現役のOLでそんなに若くはないんだけど、へんな色気でへんな人気があるのよ」

「へー、そうなんだ」

 言いながら、広が画面に映ったその女性の胸の谷間を見入っていると、妻はプツリとテレビの電源を切った。


                    ⑪

「おっ、出てんじゃん」藤原正人はテレビを見て吉川莉恵に言った。

「おかげさまでチョイ役だけど結構仕事は増えてきているのよ」

「今度、うちの週刊現実の巻頭グラビアの話があるんだけど、莉恵のことを推しているからひょっとしたら話しが行くかもしれないぞ」

「本当?」

「ああ」

「うれしいっ」言うと莉恵は正人にベッドの中で抱きついた。

 テレビに映っている大きな胸が、今、目の前にある。

「あとさぁ、朝ダネの中の“週刊旬タイム”っていうコーナー知ってる?」

「知ってるよ」

 朝ダネとは毎週月曜から金曜まで、朝七時から九時まで放映されている人気の情報化番組だった。

「あれで今度、例の“平等”を取り上げるんだ。

 朝の出勤ラッシュの電車の中から生放送するんだ。

 その女性のアシスタントを探すようお願いされてるんだけど、やってみる?」

「やるやるっ!」言いながら莉恵はブラジャーをはずし正人はその乳房を音を立てて吸った。

「でもちょっと待って。

 あの話題を取り上げるってことは、あのおっさんも一緒ってことよね」

「当り前だよ」

「そうなんだ」言いながら莉恵は少し不安な顔をしたが、正人は相変わらず乳房を吸っていた。

「私ああいうタイプってちょっと苦手なんだよね」

「あんなおっさんのこと得意な奴ってどこにもいないよ。

 それに確かに変なおっさんだけど、人畜無害だぜ。

 そんなに心配すること無いよ」正人は口の周りを自分の唾液でテカテカにして言った。

「そうよね。

 気にすること無いかっ」

 言うと莉恵はパンティを脱ぎ捨て正人の体に抱きついた。

 いつか売れっ子女優になってやる、そう思いながら。


                     ⑫

「何えらそうなこと言ってんだよ。

 そら、お前たちはテレビの前で面白くもなんともないことを喋って俺達の何十倍の金を稼いでるからいいけど、俺たちにとって五百円って金は大金なんだよ」

 そう言って、チャンネルを変えた石浜進は「おっ」と声を上げた。

 画面に吉川莉恵が映っていた。

 最近、すっかりお世話になっていた。

 ティッシュペーパーの箱を手元に引き寄せると、中身が空だった。

「なんだよ、こんな大事な時に」

 一人ごちた進はずり下ろしたジャージをもう一度上げ、洗面台に向かった。

「あちゃー、これも空じゃねぇかよ」

 進はトイレに駆けた。

「早くしないと莉恵ちゃんがいなくなっちゃう」

 トイレットペーパーをくるくるっと手に巻きつけると進はリビングに飛んで戻り、自分を慰めた。

 

 朝の早起きにはもう慣れた。

 月に一万円、立飲みに週二回行けるようになった。

 それに、朝ごはんを食べる時間が無くなった結果、この一カ月で三キロ痩せた。

 麦茶を一杯飲むとアパートを出た。

 駅に着くと、会社への方向と反対側のホームに立つ。

 いつもの新快速がおっとりとホームに入ってくる。

 次の駅が終点の為、頭に画用紙を巻いている乗客は一人もいない。

 電車が動き出す。

 鞄を開け、画用紙が入っているのを確認する。

 慣れたとはいえ、まだ、頭に画用紙を巻きつけることには照れがあったので、駅について始発の新快速電車に乗り代えてからすることにしていた。

 周りを見渡すと、いつもと見慣れない顔が何人かいた。

 サラリーマンの異動の時期でもないし、受験シーズンはまだ先だ。

 暫くすると駅に到着しますとアナウンスが流れた。

 すると、何人かの乗客がすっと立ち上がった。

「お急ぎのところ失礼致します」

 目つきの鋭い男が声を上げた。

「お持ちの切符を拝見させて頂きます。

 定期券でご乗車の方はご提示をお願い致します」

 やばいと思ったが真っ先にその目つきの鋭い男に声を掛けられた。

「切符か定期券をお見せ頂けますか」

「あっ」一瞬声が詰まる。「き、きっぷ失くしちゃって」

「どちらからご乗車されましたか」

「ひ、ひとつ前の駅からです」

「料金はおいくらでしたか」

「え、えーっと」

「毎朝ですよね」

 男の目がキラリと光った。

「え、何がですか?」

「もうわかっているんです。

 駅長室までお越し頂けますか」

 時間が無いんで、という前に既に腕を掴まれていた。


                     ⑬

 四回目の遅刻でバレてしまった。

「明日、一日中、お前だけ数学漬けだ」

 昨日、帰りがけに担任に呼ばれ、職員室でそう言われた。

 始発駅を出発した車内はすでに込み合っていた。

 頭には“市川”と書いた画用紙を巻き付けていた。

 鞄の中から数学の教科書を取り出す。

 ページをめくった瞬間に鳥肌が立った。

 ダメだ、立っている乗客の隙間から窓の外を見て自分を落ち着かせる。

 その時、車内が突然騒がしくなった。

 騒ぎの方を見ると一人の中年の親父がいた。

 その親父の正面にはテレビカメラを持った男がいて、レンズを親父に向けていた。

 どこかで見たことがあるなぁ、と思っているとあの時の風景が蘇った。

 数学の授業が嫌で担任に嘘を言って遅刻した時、突然頭に画用紙を巻いて電車に乗り込んできて、わけのわからない平等を説いていった。

 最近、たまにテレビにも出ている、そうだ、確か、岩田・・・岩田・・・あっ、岩田幸三だ。

 はっきりとは聞き取れなかったが、なにかを言い散らかしていた。

 隣には、レースクィーンのような格好をした女が、何がおかしいのか、ずっと笑顔を取り繕っていた。

 テレビか週刊誌の取材かなんかなんだろうなぁと思っていると携帯が震えた。

 クラスの奴からのメールだった。

「数学に乾杯っ!!」

“数学”という文字を見た瞬間、下腹がギュるギュると鳴った。

 昔から、緊張をすると腹が緩くなる、そんな体質だった。


                    ⑭

「はい、カットです」ディレクターが疲れた表情で言った。

 吉川莉恵は作り笑顔でアシスタントに額の汗を拭いてもらった。

 そして、岩田幸三はその横で相変わらず何やらわけのわからないことをブツブツと呟いていた。

「岩田さん、少し表情が硬いんでもう少しリラックスしてください」ディレクターが岩田より固い表情で言った。

「了解、領海、ここは日本の国土です」

 岩田の言葉に周りを取り囲んだ乗客から失笑が漏れた。

 ディレクターは「生放送ですから」と言うのに飽きてもう何も言わなかった。

 どうにでもなれ、そんな心境だった。

 そして、「莉恵ちゃん、もう少し岩田さんに寄ってくれますか」と少しやけくそ気味に言うと吉川莉恵は渋々といった表情で岩田に少しだけ体を寄せた。

 すると「この胸は右も左も同じ大きさ、うっ、平等。だけど、周りの女性と比べると不平等っ」莉恵の胸の谷間を見て岩田はボイスした。

 乗客の失笑が笑いに変わった。

「じゃあ、本番行きます」ディレクターは腹をくくった。

「スタートっ」生中継の撮影が始まった。

「みなさんっ、おはようございますっ。今日は朝の通勤ラッシュの車内から平等電車についてリポートです」吉川莉恵が声を張った。「それでは、今日は、平等電車の提唱者、岩田幸三さんにもお越し頂いています。

 岩田さん、おはようございます」

「あっ、どうも」

 岩田幸三はぼそりと言った。

 ディレクターはホッとしたものの少し拍子抜けだった。

「岩田さん、しかし、すごいですよね。

 ここまで車内に“平等”が浸透しているとは私、正直、思わなかったです」莉恵が続けた。

 テレビカメラは頭に画用紙を巻き付けたたくさんの乗客が無表情で座席にかけている様子を撮った。

 何か、いまだ土葬が執り行われている片田舎の葬式を連想させた。

「そうですね。

 私、常日頃から“平等”とは何か、そればかりを考えて参りました。

 この地球にいる五十億、いや、六十億、いや、ひょっとしたら百億以上はいる人間すべては無理だとしても、せめて、この国の一億人、いや、それが無理だとしても、私が毎日利用している電車の中だけでもいいから“平等”でありたい、そう強く思い、この行動に出た次第であります。

 その時電車が停車駅に到着した。

 扉が開くと、頭に画用紙を巻き付けて座席に座っていた乗客の何人かが席を立ち静かに降りていった。

 そして、目の前で立っていた乗客が、当り前のように席に着いた。

 乗り込んできた乗客は誰ひとりとして席に着くことができなかった。

「これですっ」岩田幸三は声を張り上げた。「先乗り先座り、これが平等の基本ですっ」

“岩田さーんっっ”

 スタジオから突然声が飛んできた。

 メインキャスターだった。

“いやーっ、すごいですよね。

 噂には聞いてましたけど、これだけ“平等”が浸透しているとは思わなかったです“

「いえいえ、私が出来るのはこの程度です」

“ですけど、岩田さん、今、色んな声が聞こえてきているのも事実ですよね。

 どうしても座りたいが為に、わずかですけどお金が動いていると言われていますし、そのわずかなお金欲しさにキセル乗車をしていた人が何人か挙げられましたよね“

「光あれば影あり、影あればハゲあり、ハゲあれば笑いあり、世の常であります」

 メインキャスターの声は返ってこず、代わりにディレクターが「はい、コマーシャルです」と声を上げた。

「岩田さん、申し訳ないですが、もう少しお考えになって発言のほうをお願いできますか」

「了解、領海、あっ、それさっき言ったな」

 乗客から大爆笑が起こった。

 ディレクターはすべてに諦めを感じ、乗客と一緒に大きく笑った。

 変な一体感が車内を支配し、やがて、生中継が再び始まった。

“岩田さーん”スタジオのメインキャスターだった。

“この平等は永遠に続くと考えていいんですよね”

「もちのろんです。

 平等は永久に不滅です」

 吉川莉恵が呆れた表情を浮かべた時、電車が停車駅に止まった。

 すると、岩田の斜向かいで座っていた高校生らしき男の子が、真っ青な顔をして突然立ち上がった。

 頭には“市川”と書かれた画用紙が撒かれていた。

 次の次の停車駅だった。

 そして、その男の子が電車を降りると、目の前で立っていた同じような高校生らしき男の子が「ラッキー」と言って席に着いた。

“岩田さーん”

 メインキャスターの声を聞く前に、岩田幸三は口から泡を吹いて倒れていた。


             

                      了









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