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「じゃあな、カツキ。後頼んだぜ」
「岩城君、すっごく助かる。ゴメンねー」
「終わったら、先生に渡して確認してもらってくれよ。先生も、後で見るって言ってたからさ」
「わかんなかったら、明日みんなでやるから残しとけよ」
放課後。生徒たちの大多数が下校した校舎。三年生の教室が並ぶ廊下に、バタバタと数人の男女が飛び出してきた。
賑やかな彼等から顔を逸らして、一人の男子生徒が廊下の壁に隠れるようにしてもたれた。
岩城リツキ。彼は、双子の弟カツキを待っていた。
「絶対見落とすなよ、カツキ」
「余計なお世話よ。カツキ君、すごく几帳面だもの。荻野にさせるより全然安心だわ」
言い切る女子生徒は、生徒副会長でもある島田奈美。荻野は顔をしかめ、他の全員が爆笑した。
……気の強い女だぜ。相手が教師だろーが、絶対負けてねーよな……。
内心で悪態をついて、リツキは顔をしかめた。
なまじ口にすることが正論だから、対抗できる生徒はまず居ない。そのくせ、突き倒すような明るさで、敵も造らない優等生中の優等生だ。
島田を中心とした一団をやりすごしてから、リツキは壁から上体を起こした。
窓ガラスから教室の中をのぞくと、やっぱり。
「何やってんだよ……。トロイのもほどほどにしろよな?」
引き戸を開けると、奴は机から顔を上げてバツの悪い弱々しい笑みを浮かべた。
茶色がかった髪のカツキ。同じ顔、髪型も同じリツキとの唯一の違い。たった一つ、他人が二人を見分けることのできる印は、二人の髪の色だった。
人の良い、やや気弱すぎる黒い瞳。リツキとの違いも、ここにある。夢を見ているようなボンヤリとした瞳は、リツキには真似の出来ない間抜け顔だ。
「ゴメン、リツキ。時間かかるから、先に帰ってよ……」
最後まで聞かずに、大股で歩み寄ったリツキは、ペシンとカツキの額を指先で弾いた。
「あたっ……」
「ばーか。これくらい避けられねーのかよ?」
すりすりと額を撫でながら、カツキは正直に言い返した。
「だって、避けると何度もするだろ?」
「は……。鍛え甲斐のない奴だぜ。いーから帰るぞ」
「だから。先に帰ってって……」
ぬっと、カツキの顔に顔面を極接近させるリツキ。
「傘が無いんだよ。お前、持ってきてるだろ?」
チロッと、横目でカツキは外を見やった。雪がちらちらと舞っている。でも、すぐに止みそうな気配だが……。
「……。じゃあ、待っててよ。
それと、寒くないの? 制服の前開けててさ。
あれ? 制服のボタン……取れてる……???」
慌ててリツキは、学ランの前をかき合わせた。椅子を引き寄せ、カツキと背中合わせにどっかり座った。
なのに、立ち上がってカツキはリツキに向き直る。
「喧嘩したの? また? どーして? 怪我は? ないの?
ボタン千切られただけ?」
「うるさい。女みたいに騒ぐな!」
「あ! 血が出てる!」
「嘘付け。俺がそんなドジな喧嘩するか……あわわっ」
にーっと、勝ち誇ってカツキが笑った。
くっそー。誘導尋問だぜーっ。
歯を食いしばっても遅かった。
「セイジには黙っててやるよ。だから、静かにそこで待っててよね」
引導を渡すと、カツキは元の作業に戻った。
小雪のせいか、空は一面鉛色だった。日も暮れている。教室の明かりが、疎らになった雪片を明るく輝かせていた。
「何やってんだよ……」
ポケットの中で、取れたボタンを転がしながら、リツキは呟いた。
「卒業アルバムのネガを、ページごとに確認してるんだ。アルバム委員が造った、スナップのページだけだけどね」
リツキは、顔を上げようともしないカツキの後ろ頭をじっと睨んだ。
双子の片割れ。一卵性双生児だと一目で分かる、まったく同じ顔、ほとんど違いのない体型。
一つの卵を半分にしたという、歴然とした証拠のように、気質と性格は一切に同じ部分が無い。勝気さと気弱さをそれぞれ一種類ずつ。荒っぽさと細やかさ。真面目さと、どーにでもなれといういい加減さ。見事に正反対に別れた。
弾き合っていても、二人で一人分の双子は、お互いから離れられない運命にある。
唯一の違いである、髪の色。リツキは黒。カツキは茶色がかった髪。ぼんやりとした瞳と、目鼻立ちのはっきりした顔立ちのせいで、ハーフの少年に見間違えられ、カツキの方は必要以上に人目を引いた。
それが、カツキの持つ鋭敏すぎる神経を刺激する。
人ごみの中では、カツキは鍔を深くして帽子を被る。他人には触れることもできない。後天性の対人恐怖症だった。
転入当初、学校内でも帽子を放さなかったので、あっという間にイジメの的にされた。
腕力で庇い続けたのはリツキ。言葉でカツキをイジメから解放したのは、今でも苦手な島田奈美だった。
一年経って。残り一ヶ月で、二人は卒業式を迎える。
「ね、これ覚えてる? 高井がね、転校してきた僕らの写真って少ないだろうからって、二人だけの写真を探してくれたんだけど、これ、バス・ハイクの時のだよ。
セイジが仕事で帰ってこれなくて、僕らお弁当をコンビニで買ったんだよね」
「……親の居ない、かわいそうな二人って、同情されたよな……。余計なお世話だぜ」
肩を並べた双子のスナップ。生真面目にカメラに向いているのはカツキ。背中を屈め、斜に構えているのはリツキの方。顔はそっくりでも、並んで立つと天使と悪魔、ジキルとハイドだ。
スナップを机に放り返して、リツキはカツキの正面に座り直した。
「こんな面倒くさい仕事、簡単に押し付けられやがって……」
「押し付けられたんじゃないよ。やってみたかったんだ」
「は?」
「僕、なんの取り得もないし、うまくできないし。クラブだって中途半端だし。
何か一つ、最後まで、自分の手でやってみたかった」
「……仕方ないだろ。『力』のせいで、逃げ回ったり、閉じ込められたりしてたんだ。
他の奴らとは違うんだ……。今更、後悔すんなよな!」
「後悔してるわけじゃないよ。終わったことだし、それに、一生懸命やってきたよね。
……学校は、散々ズル休みしたけど。
嫌なことは、絶対に抵抗した」
「は。半分以上、お前のせいで最後に失敗してきたのに。デカイ口叩いてくれるぜ」
苦笑いを浮かべながら、カツキはネガをビニール袋に一セットずつ入れる手を休めない。
リツキはじっと眺めていた末に、コクンと顎を引いた。
「後は入れるだけか?」
「うん。ページごとに揃え終ったから」
「なら任せろ。机から離れろよ」
「? 何?」
リツキは椅子から立ち上がり、軽い呼吸で息を整えた。眉間に意識を集中させる。ジンと、熱くなる。突き刺すような熱さを、机上に差し出した右手の指先にまで移動させる。意識の力で。淡く、指先が白い光の粒子に包まれる。
ひらひらと、ビニール袋が風もないのに揺れ始めた。一枚二枚と、浮かび上がろうとする。
リツキは命じる。一山にされたネガ、ビニール袋。カツキがやった通り、すべてが一瞬で収納させるように、と。
「ダメだよ。リツキ、待って……!
『力』はダメだよ。自分の手でやるから……!」
「やめろ、カツ…………!」
リツキは堅く目をつぶった。体の内から、指先を抜けて飛び出そうとしていた熱さを、咄嗟に押し殺した。
……でも、間に合わなかった『力』もあったはず……。
「カツキ!!」
「……大丈夫だよ……。僕、なんともない」
「バカ野郎っ。ちっともなんともないわけねーだろっっ。あんな所に、手出してくれてっ!」
しびれの残る手で、リツキは突き出された方の右腕を掴んだ。カツキの右掌に、二筋赤い裂傷が刻まれていた。
「大丈夫だよ、ほんとに。舐めとけば治るよ」
そっと、カツキの無傷な左手が、リツキの頬に触れた。こすり付ける。何度も何度も。リツキの頬の震えを、拭い取ろうとするように。
「……バカっ……、ほんっとに、大バカだぜ……」
リツキは頭をうなだれた。息苦しさが胸の中を駆け巡って、出口を探している。
……傷つける気なんてなかった……。なんで俺がこいつを……。怪我させなきゃならないんだよ……!
『力はダメだよ。自分の手でやるから……』
……いつもコレだよ。こいつは『自分で』が大好きで……!
「リツキ……? 悪いけど、手伝ってくれるよね?
ちょっと、片手が使い憎いからさ……。
二人ですれば、早く終わるだろ?」
肩を揺さぶる暖かさに、リツキは何度もうなずいた。
「……仕方ねーな。トロイけど『力』抜きでやるか」
ゴツンと、双子は肩をぶつけ合って少し笑い、やっと顔を見合わせることができた。
「うん。合格だったよ。リツキも僕も」
「それは良かった。
おめでとう。二人とも、一生懸命勉強したんだね」
「あ、ちょっと待ってね、キャラン」
受話器に手を当て、カツキは後ろを振り返った。
「静かにしてよ、二人とも。もう真夜中だよ!」
へーい、と。リツキともう一人、中学生相手に口喧嘩という年でもない若い男が、ふてた返事を返した。
二人が畳に広げているのは日本地図だった。それを挟んで、あーでもないこーでもないと張り合っている。
外見年齢21歳の元天使。火野征士には、過去天使の形跡はどこにも見当たらない。どう見ても、痩せぎすの怠惰なフリーターだ。ただ、年に似合わず鋭い眼光をもっている。
「ゴメンね、キャラン」
「君達はいつも賑やかだね。こっちまで楽しくなります」
物静かな口調が、逆にカツキを嬉しくさせている事実を、受話器の向こうの青年は気付いてはいなかった。
この世のものではないような……。まさに天使のごとき容姿のリグ・キャラン。金に近い栗色の長髪と、透明で明るい色の青い瞳。ギリシャ彫刻の傑作のように滑らかな肌と、美貌を持つ美しい青年だった。
180センチには欠ける長身に比べ、やや細い肩幅。ほっそりとした体躯、穏やかな物腰、丁寧に口調、何よりも静かな知性を湛える青い瞳が、相対する者の心を溶かし、従順な子羊に変える。
その慈愛に満ちた眼差しは、彼の信じる正義と善を追い続け、三人とは離れ世界中を飛び回っている。
「キャランには。すごく感謝してるよ。僕ら、ほんとは一年生も二年生もやってないし、小学校だって卒業していなのに、キャランが証明書を手配してくれたから、受験できたんだ」
「ヤクザな商売も便利だよな。教育委員長が顧客だとさ」
リツキが電話をスピーカーに切り替えて、カツキに寄り掛かりながら口を挟んだ。
「幸運な巡り合わせだったね。偶然、彼のお孫さんに関する依頼を受けていたから、料金と引き換えにできたんだ。
君達の方が立派だったよ。通っていない分に勉強を二人だけで習得したんだろ? 普通の努力じゃ無理だね」
「セイジもあんたも、基礎教育の経験が全然ないもんな。
家庭教師にもならんぜ」
「リツキ! 後ろでごちゃごちゃ言わないでよ。僕が話し終わったら、代わってやるからさ」
受話器から、キャランの笑い声が零れる。
「天使だって、学校には通ったんだよ。こちらの世界とは形態が異なっているけれどね」
位相とか、天上界とか。キャランたちが時々引き出す単語は、カツキにはまるでピンとこないけれど。元天使を名乗る二人が、肉体をもって双子たちの側にいることは事実で、その体は血を流しもするし、暖かい人の温もりがあって、感情の起伏もある。
『翼は、精神が投影された幻のようなもので、僕らの体も同じように自在に姿を変えられるものだった。
けれど人間になったことで、翼以外の肉体が、完全なる実体となった。僕らの姿は、これ以上変化することはない。
ずっと、このまま。
老いてゆく、本当の人間になることもできないんだ』
以前、キャランは寂しく微笑みながら呟いた。
人間と違わない顔立ち、姿態、なめらかな動作。
天使が人間になることは、何の問題もないように思えたけど。天使であることを降りた直後から、キャランは喪失感に打たれ、沈んでいた。
男ばかり四人という、即席の家族を取り仕切る忙しさの中で、キャランは過去を振り切り、柔らかい笑みを取り戻した。
そして。自らの信念の元に『ウィング・ハンター』として、世界のどこかで、今も生まれているかもしれない、無限の力の象徴である『サイコ・ウィング』を探している。
狩り取り、引き裂く為に。
「ということは、卒業式はもう終わったのかな?」
「まだだよ。今は春休み。明日から三人で、高知の依頼人の家まで、どうやって行くかの相談中なんだ」
「どうやってって……またヒッチハイク?」
心配声のキャランに、カツキ胸を張って答えた。
「得意だもの、僕ら。セイジはズルして、無賃乗車ばっかりだけどね」
「……。仕事が終わったら、飛行機にでも乗せてやるぜ!」
ガシガシと伸び切った髪をかきあげて、セイジは顔をしかめた。
「足手まといになっていないかな? 君達は」
クスリと微笑みながら、キャランが尋ねる。
「まさか。冬休みの時のこと忘れたの? 僕らがいなかったら、セイジはダーク・サイドから一生出れなかったよ」
「あの程度で、俺に恩を売った気か? ガキどもっ!」
咄嗟に、カツキは受話器を持たない片手で、セイジに突っかかろうとするリツキを引き戻した。
「意図的に『力』を使えるようになったんだね。ほんとうに、君達の進歩の早さは奇跡的だよ」
感慨深げなキャランが、カツキには複雑な気分だった。
「研究所に閉じ込められていた頃、毎日訓練されてたから。
あの時は、テストが嫌でたまらなかったから、自分たちでわざとブロックをかけて、使えないようにしてた……」
「カツキ? その頑丈な心の鍵を、自分の意志で解いてゆくのは、苦痛だったはずだよ?」
「……気の狂った学者たちの為になんか、絶対使ってやるもんか……。って、毎日、心に刻んでたもんな」
黙りこくったカツキの代わりに、リツキが呟いた。
「でもね、キャラン? 今は、あんまり嫌じゃないよ?
誰かの為になるんだもの、……怖くない」
「仕事でしくじったら、死ぬだけだもんな。逃げられんぜ」
冗談口ではないリツキの声。
「その通り。君達は、自分の力で成長しなければ、社会に抹殺されてしまう。……それほど、生まれた時から不遇だったのだからね」
「……うん。忘れないよ、キャラン」
カツキは、この瞬間、微かな違和感を覚えた。
キャランは、すべてに優しいけれどべったりというわけではなくて、いつも毅然とした一線を引いている。どちらかといえば、セイジの方が双子に振り回され、感情的になって二人を甘やかすような、人間臭い寂しがり屋であった。
なのに。今夜のキャランは、いつも以上に優しく、いつも以上に厳しい言葉を吐いた。
……生まれた時から不遇……。いや。誕生以前から、双子たちの運命は、他人の手によって弄ばれてきた。それは、双子には関与できない過去だった。消しようのない過去は、見えない傷となり生涯双子を苦しめる。今も、チクリとカツキの胸を刺す。
だがカツキは自分の痛みより、改めて自覚させるように口にしたキャランに、不安を覚えた。
「卒業式が楽しみだね」
「え、何?」
何のことかと、カツキは聞き返した。
「二人とも、卒業式は初めてじゃないかな?」
「……うん。そういえば、そうだ。でも実感ないや。
高知での仕事が長引いたら、戻ってこれなくなるかもしれないし、どうってことないよ」
「それは、いけないな。必ず出席した方がいい」
キャランが、双子に強要するのは珍しいことだった。
口の減らないリツキでさえ困惑している。
双子は、幼稚園、小学校と、彼等の普通の生活に頓着しない邪魔が入って、学校行事すらほとんど無縁だった。
卒業式……。一度だって出たこともない。その場に立ち会いたいと考えたこともなかった。
「あの雰囲気を味わってほしいんだ。
君達の年齢で、何か得ることのできる場は、たぶん、その時しかない。
初めて関わるのなら、なおさらだ」
「……。泣かれるの、嫌だぜ……?」
リツキがようやく、ぽつりと言った。
「そういう時にしか、泣けない人も居るんだろうね」
双子は顔を見合わせた。……真意が見えない。
「いつですか? 式は」
「来週。……キャランも、来る? 帰ってきてくれる?」
キャランの方が、しばらく沈黙をした。
「少し無理かもしれません。でも、君たちの休み中には、一度帰りますよ。君たちの仕事ぶりも見てみたいですね」
「安心しろ、キャラン。こりままじゃ、絶対、ものにはならんから。保証するぜ」
カツキから受話器をもぎ取って、セイジは言い捨てた。
「征士? 楽しそうですね、そちらは」
「たのしーぜ? 炊事洗濯、掃除に家計簿。少ない収入でどーやって、大飯食らいのガキどもを飼うのか、やっとわかりかけた所だ。バトン・タッチしてやっから、とっとと帰ってこいよ。この薄情な裏切り者」
「……大変そうですね……。私にはとてもつとまりそうにありませんよ。家庭生活には不向きで、まったく素質もありませんし……」
「そーかなー? エプロンの似合う美青年だと思うがな」
「……。見掛けで判断しないで下さい。……昨日だって、お茶の一つもいれられないと、大家のお嬢さんに叱られたばかりで……、かなりショックです」
「! 冗談でしょう、キャラン……?」
「事実です、カツキ……。帰ったら、教えて下さいね」
リツキは、腹を抱えて笑い転げてる。自分だって、なーんにも出来ないくせに……。きっと、カツキは睨み付けた。
「征士。二人だけで、話しがあります」
「あ。ああ……、わかった」
セイジは、スピーカー・ボタンを押してオフにした。
「お前ら、とっとと寝ろよ」
コードレスの受話器を握り、レザーブルゾンを拾って、セイジは部屋を出て行った。
「外、雪が降ってるのに」
「うさん臭いよな。二人きりで、何の話しがあるんだよ」
「……ブタペストでも、雪が降るのか聞きたかったのに……」
パコンと、カツキはリツキの腕に殴られた。そのまま、背後からネック・ブリーカーで畳になぎ倒される。
「やめろよ……! く、苦し。リツキっっ……!」
「んなこと、国際電話で聞いてどーすんだよ。無駄だろっ」
一方的にカツキの方が負けまくって、プロレスごっこは終わった。……安普請の薄い壁ごしに、隣の部屋のヤンキーに怒鳴りつけられて、二人は口を押さえ突っ伏した。
疲れの見えはじめたリツキに、これから反撃できる予定のつもりだったカツキは、両肩で大きく息をつきながら、リツキの体の下から這い出した。
「……寝るぞ」
立ち上がって、リツキは押入れから布団を引き摺りだし始めた。家具のほとんどない六畳二間だが、育ち盛りの双子と成人男性では、かなり狭い。奥の部屋に布団を二組広げ、リツキはカツキの腕を掴んだ。
「来いよ」
「キャランは……」
「あいつは当分帰ってこねーよ。優しい顔して、冷たい奴だぜ……。帰るって言いながら、3カ月も戻らないんだぜ。
あいつは一人でやっていけるからな。綺麗な猫を被っていれば、誰だって言いなりだよ。
お前みたいにさ」
「そんなの考え違いだよ。キャランは、何か考えてくれてる。僕らのこと……」
カツキの視線が、空中を見上げていた。リツキはそっと、肩を押さえた。カツキの直感を妨げないよう、だが六感の世界からいつでも引き戻せるように。
「……おい?」
瞬きをして、カツキは顎を引いた。
「大丈夫だよ。キャランの所に行ったわけじゃない。第一、彼は僕の精神波を寄せ付けるような、迂闊な人じゃない」
唇を軽く噛んで、すぐに自分の想いに囚われて、心を失ってしまう自分を悔いた。
カツキは立ち上がって、流し台の上の窓ガラス越しに、セイジの姿を探した。
襟元までジッパーを引き上げ、背中を丸めるようにして、寒さを堪えながらセイジは、夜の中に立っていた。熱心に耳を傾け、弱り切った顔で二言三言返し、さらに眉間に皺を寄せた。伸び切った前髪が、吊り上がった眉にかかるのを、何度も振り上げながら。
「放っとけ。やつら大人は、物事を難しくするのが好きなんだよ。親切ぶってさ……」
強引に引きずられて、カツキは布団に潜り込んだ。
……キャランは何か考えてくれている……。
自分の予感を、良い方へと信じながら目を閉じた。
「……ああ……、よくわかったよ。あんたには勝てないぜ」
震え始めた唇を、セイジは噛み締めた。しばらく前に、部屋を振り返って、明かりが消えているのを確かめた。
双子たちは、寝付いているんだろう。
「だがな。どうなっても知らんぞ。
あいつら……、並の絆じゃない。命を分けたんだ。
他人に、簡単に入り込めるとはな、思えんぜ……?」
止めの脅し文句のつもりだったが、相手はその上で切り返して来た。もう何も反論の余地はない。
セイジは始めるしかないと、覚悟を決めた。
アパートに小走りで駆け戻り、セイジは足音を忍ばせて奥の部屋をのぞいた。案の定、二組の布団が敷かれて、一方は空。残りの一方の掛布団から、片手と片足が一本ずつはみだしている。
「よくまあ、こんな格好で眠ってられるな……」
そろそろと、掛布団の端をめくり上げてみる。
「……。これが実の兄弟じゃなかったら、蹴飛ばして殴り付けて、二度とこんなハズカしい真似できないようにしてやるのにな……」
セイジには目のやり場に困るというのが本音だった。
あお向けになったカツキの胸に、ぴったりと頭を乗せたリツキ。それだけでは満足できずに、しがみつくように腕を回し、カツキ自身もリツキの肩に片手を乗せている。
双子の言い訳では、『生まれる寸前までの姿』らしい。
受精した互いが細胞分裂を始め、個々の脳と個々の心臓を得た頃からの、眠りの形なのだと言い張った。
「……覚えちゃいないくせに……。いつまでも、兄弟でじゃれていられると思うなよ……?!」
「……何見てんだよ。あんたの相手なんかしてやんねーぜ」
細く開けた目尻で、睨みつけたリツキ。
セイジの場合、口より手の方が早かった。
むぎゅ、っと頬を摘まれても、払い除けようともせず、リツキはしっかりとカツキを抱き締めた。
「マセた口きくんじゃねーのっ。とっとと寝ろ!」
布団を被せ、自分の隣の床に入り、セイジは小さく息を吐き出した。
……どーしてああまで、ひねくれるかねー?
その気のある野郎なら、並以上に整った顔立ちの双子は、垂涎の的だろう。実際、リツキの警戒ぶりから考えても、危険はあったに違いない。ただ、おとなしく言いなりになるような、二人ではない。
彼等を15年間、飼い続けた組織から逃げ出してきたくらいだ、現代社会の毒牙から抜け出るのはたやすいだろう。
仕事で行動を共にしていても、彼等二人だけは、防備という点に関しては完全に完結していた。互いの役割が無言で取り決められていて、考えるより先に体が動き、それぞれの隙を補い合う。コンビネーションの見事さに、セイジは舌を巻いた。
精神感応力を超えた、同じ脳波をもつ双子にしか生まれない、高い同調性だと、セイジは読み取った。
……亡者どもが、手に入れたがるはずだ……。
双子を苦しめてきた組織がどういったものか、政治は面識もないが、どんな理由があるにせよ、人間の皮を被った欲望そのものだろうと、想像はつく。
14歳になった双子が、命を賭けてでも彼等の手から逃げ延びると決意した日。
『二人で、死力を尽くして闘え』と、笑って告げられた瞬間。双子は、最後の逃避行に望みをかけて、適えた。
科学者たちが予測できなかった潜在能力が、双子の鎖を断ち切った。
決して、二人は相対せないから。
……それをキャラン!? 俺にさせるって……?




