6 (2)
一年間通った通学路を、全然違う方向に折れ、見慣れない街並を歩き、新しい同級生、上級生に出会う。
礼装のキャランを間に挟み、少し緊張した面持ちで、双子は同じ制服の学生の波に飲まれる。
卒業式で別れた顔が、双子と顔を合わせ、妙な顔をしながら先を急ぐ。
カツキは、朝からちょっと髪を気にしている。
逆にリツキは、薄茶の髪が人目を引いて、自意識過剰の優越感をたっぷりと満たしている。
「キャラン? どうしたの、溜め息ついて」
「カツキはともかく、リツキの高校生活が心配です」
曖昧に相槌を打って、キャランの心配は大的中するだろうとカツキは踏んでいた。もう最初から、問題を抱えてる。
薄茶の髪は目立つから、早くも怖い顔の上級生に睨まれ、視線を浴びている漢字……。
「僕も気をつけるからさ、あんまり心配しないでよ」
卒業式の翌日から、引き伸ばしになっていた高知での依頼に四人で向かった。初めてと言っていいくらい、四人で仕事で行動を共にした。キャランの側に居ると、カツキが思っていた通りの、彼の繊細な精神を実感できた。
クールに距離を置く態度は、人間である双子に過剰干渉しないため。キャランなりに熟慮した自制の結果だった。
今は。四人で、ごく普通の人間として生活するために、それぞれの知識を持ち寄って暮らしている。
見掛けの最年長者として、キャランは一人で困惑し悩んで、時々小さく溜め息をつく。元天使なのだから、背伸びしなくてもいいのにと、カツキの方が労わってしまうくらい。
カツキの能力も、塔での事件から、何かが変化した。キャランに言わせると、逞しくなったらしいが、カツキ自身、そういう自覚はあまりない。
「何、ごちゃごちゃ言ってんだ?」
リツキがのほほんとした顔で、二人を振り返る。
変わったと思えるのは、リツキとの関係だと、カツキは自覚している。やりこめられてばかりだったけど、少しずつ、カツキは反抗して、リツキと言い合い、対等になろうと努力している。
「ね。あれが、学校かな?」
正門を囲むようにして立つ桜の木立ちが、薄紅色の花吹雪を散らしている。
一本の太い桜の木陰。『新入学生、歓迎!!』の立て看板の傍らに、あきらかに体格のいい、最上級生が4、5人、たむろしている。
新入生一人一人に、大きな声で『おめでとう』と告げている。快活な一団。ハンド・スピーカーで、そのうちの一人が演説を始めた。
「えー、我が、鳴晟高自治生徒会執行部は、新入生諸君を、心より歓迎し、君達の前途洋洋たる三年間が『明るく、楽しく、美しく』過ごせるよう、日夜、努力を惜しまないっ!
大船に乗った気で、学校生活を……って」
ここから、演説の口調が変化する。
「てゆーのが、お堅―い、生徒会長の用意したモットーなんですが、これが学校長に首を押さえられた傀儡の自治会長なわけです。第一さ、学校生活が『明るく、楽しく、美しく』過ごせると思うかー? 俺、思わんぜ?
副会長は、どう思う? あ、ちなみに、俺、執行部会計主査、今野でーす。ホイ、副チョー」
ガタガタと、ハンドマイクを押し付けあう雑音がひとしきり響く。
「……何? 変な執行部……」
「面白そうだな。学校長と自治会の対立か。こいつは荒れてるなー」
「リツキ!? 妙なとこ感心しないでよ。大体、喧嘩する理由が出来そうで嬉しいってだけだろ?」
無言で苦悩するのは、キャランだけであった。
「……あのなーコンちゃん? お前がインボー説流すの三度の飯より好きだってのは、俺たちは承知してるよ
だけどね、カイチョーとガクチョーのカップリングで傀儡説唱えてもね、説得力ないわ。こればっかりは。
だって親子じゃん。傀儡も何も、それ言い始めたら、あいつは生まれた時から、傀儡だぜ? 二代目っていうさ」
スッコーンと突き抜けた初夏の陽射しのような陽気さで、副会長らしき男は世間話を始めた。よく響く、極低音の声。
「……おい、カツキ? この声、どっかで聞いたぜ……」
リツキが気付く以前に、カツキの歩みは止まって、声の主を見つめていた。
「まあな、『明るく、楽しく、美しい』学校生活ってのは、あまりにも夢物語だけどな、理想を掲げるのは悪いとは、誰も言えんぜ?
第一、カイチョー、天下無敵の理想家だし、メンクイだし、ワガママだし、プライド高いし、扱い難いし、友達少ないし……あっと、何の話してたんだっけ?」
「……誰も会長の欠点上げろとは言ってねーぜ?」
「それも、ハンドスピーカーで言いますか?」
「ヤバイぜ。聞こえてんじゃない? あ、副会長逃げる?」
冗談じみた非難を広い背中で受け流し、大柄な学生が一人、歩み寄ってくる。丁寧に撫で付け、きっちりと襟足で一つに束ねた肩までの長髪。ほんの一房、前髪がほつれ、引き締まった右頬の辺りで揺れる。大股で歩く度、弾む。
「行ってこいよ」
リツキに脇腹を押し出されるけど、カツキはジリジリと後ずさる。学生はのんびりと歩き、最上級生として模範を示すために、きちんと締め上げていたネクタイを少し緩める。
「……どうしてさ……? いいよ……」
「お前の得意な『お礼』を言えばいーだろ?」
「そうですね。いつの間にか帰ってしまって、気にかかっていたんです。カツキ? 私たちの代わりに」
「……でも、さ……」
カツキは頬を真っ赤にして、リツキの背後に隠れた。リツキの肩に頭を押し当て、盾にしようとするが、リツキは許さない。
「とっとと行け。兄貴のメイレイだ」
「兄貴面するなよ……。
卒業式の日から、兄貴兄貴って、ずっとリツキは威張ってる」
「当たり前だ。これからは兄貴って呼べよな。オトート」
「! リツキっ!?」
「……ケッ。お前がとっとと行かないから、もう来たぜ」
素早くリツキは身を翻し、カツキを背後から、思いっきり突き飛ばした。
「うわっ! ……!」
辛うじて、不様に歩道に突っ込むことだけは回避できた。
けど。……持ちこたえ、顔を上げると、目の前に居た。
「よっ。来たな。岩城兄弟」
「……。僕らの名前、どうして……?」
トサキ……。フルネームは知らない。ピアノが弾けて、歌も少し歌えて、気を失ったリツキの体重のほとんどを支えてくれた、十二分に体力のある若者。
「ちゃんと名前を聞かずに来ちまったから、シマッタと思ったけどな。同じ顔の、髪の色だけが違う双子って探したら、すぐに分かった。お前ら、結構有名だったんだな」
背後を突き出した親指で指して、トサキは本心から閉口した苦笑いを造った。
「なもんで、あいつらも首を長くして待っていたぜ。
ま……、パークでの件は、教えちゃいない。
普通の顔してろ。だからって萎縮はするな」
「……はい」
あんなことがあったのに、トサキは特別な目でカツキを見ない。ずっと、そうだった。最初に逢った時から、カツキを受け止めてくれた。踏み込みすぎもせず、遠ざけもせず。子供っぽいと感じながらも、神様みたいだと、カツキは嬉しくなった。
……神様より、すごい……。
「髪の色、取り替えたんだな……」
カツキを見下ろし、トサキは一人、ふっと笑った。
「妙だな。変な力は、あの日限りで無くしたのに、……しっかり見分けがつくぜ。
……お前があの時の、岩城カツキだってこと」
ほんの一瞬だけ、トサキの視線が戸惑いながら熱を帯びる。カツキは慌てた。頬が燃えるように、熱くなる。
「あの……。あなたの名前、教えて下さい……。
お礼、いわなきゃ。……僕ら、……」
「外崎毅雄。生徒自治会副会長として、歓迎するぜ。
新入生?!」
「副チョー、紹介して下さいよー」
いつの間にか、トサキの背後に擦り寄っていた役員たちが、それぞれ顔を突き出す。
びくんと、カツキは一歩背後に逃げた。トサキ一人ならともかく、初対面の上級生に囲まれるのは困る。怖すぎる。
「……お前ら、新入生を怯えさせる気か? 入学当日に。
こっちの黒い頭の方は、人見知りするんだから、散れ散れっ。触るな、近寄るなっつーに」
「へーっ。向こうの茶髪なら、いーんですかぁ? ナニしても。おんなじ顔だから、どっちでもいーっすけど」
……リツキには、絶対、聞かせられないな……。
リツキの怒りを予感しながら、カツキは、しっかりと庇ってくれるトサキの腕に気付いた。少し、安心できる。
トサキは、彼自身がカツキに触れないよう、他の人間にも触れさせないよう、眼光を鋭くした。
「おらおら。何回、言わせんだ? 今日は新人に手ぇ出すなよ?
特に、あの茶髪。てめーらの手に追える奴じゃねーぜ。
血の気多いし……あらら。俺たち睨まれてるぜ……?」
フイっと、リツキは視線を逸らした。
……犬っころみたいに、懐いてくれて。カツキの奴……。
カツキを中心にした一団が視界の中に入らないように、横を向くしかなかった。
「寂しいですか? リツキ?」
「……、少しね」
リツキはキャランに、あっさりと認めた。
「でも、夜になったら、あいつは俺のもんだし。
その間は、お互い好き勝手にするさ」
ネクタイの結び目をひどく壊さないよう、慎重に緩め、リツキは肩をすくめた。
キャランは黙って一度うなずいた。
それが、リツキを安心させた。ずっと、ためらっていたことを口に昇らせることにした。
「……キャラン? 俺、あいつが不幸だったとは思えない」
驚いたふうもなく、キャランは静かにリツキを見た。
「永都、という少年のことですね。
彼はいまだに、あなたの胸の中に居るのですか?」
リツキは頭を振った。
「そういう訳じゃない。未練があるとか、後悔してるんでもない。ただ、あいつの為に、はっきりさせときたくて」
「特殊な、サイコ・ウィングだったと感じています。私は」
「ほんとに、あんたの探している翼だったのか?
なら。あんたの方が、先にあいつに出会っていたら、どうしていた?」
酷薄な微笑みを、こんなに鮮やかに浮かべる人間は、そう居ないだろう。リツキは少し背筋が寒くなった。
「知っているでしょう? どんな手段を使っても、その翼を狩り取ります。たとえ、私が手を下すことによって、持ち主が精神を崩壊させ、廃人になろうとも。翼のもつ力を無効にするまで、攻撃の手を緩めることはありえません」
キャランはリツキに悟られないよう、一団に囲まれ、戻る様子のないカツキの姿を確かめた。
「あの少年は、たぶん幸福だったのでしょう。ですが、誰かの幸せが、他方の不幸につながることもあります。
それは、人間の生き様の一つです。
私は私の立場から、あの翼は幸福をもたらさなかったと、判断しました。彼はあまりにも、血で汚れすぎました。
リツキはどうですか? 私の立場なら、闘えますか?」
遠くを眺めるような、頼り無い視線を少し遊ばせて、リツキは顔をしかめた。
「……ほんとうは、闘わなきゃならなかったんだろうな……。あいつがあれ以上、手を汚さないように。
でもあの時の俺にはできなかった。
今も、できる自信はないよ……」
「どうして、そう言えるのですか? リツキ?」
堅く握りすぎた拳。震えかけるリツキの右手を、キャランは包み込み、カツキには見えないように隠した。
「俺は、一人で生きていけるようになりたいよ……!」
キャランにではなく、自分自身を罵倒するように、リツキは吐き捨てる。唇を噛み締めた。
「わかっています。リツキの欲求は。ずっと、気付いていました。
あなたは、最初に私が旅に出ると打ち明けた時、付いていきたいと言った。覚えていますね」
「……ああ。カツキと離れて生きられるなら、すぐにでも行くぜ?」
入学式を済ませれば、キャランはいつでも、この街を離れる。いつもそうするように、三人には黙って、ある日突然、出ていってしまうだろう。
リツキは向かうべき校舎や、カツキに背を向けた。願うようにキャランを見上げる。無理だと、わかっていても。
「私の旅が闘いに満ちているから、引かれるのでしょう?」
「何もない生活って退屈なんだよ。重荷で、息が詰まる」
誰かと喧嘩でもしていて、競り合うか暴れるかしていないと、不安になる。落ち着かなくて、居たたまれなくなって。……でも、同じ顔のもう一人の自分が引き止める。
「忘れないで下さい、リツキ。闘いだけが、一人で生きているという確かな証ではないのです」
リツキは顔色を蒼白に変えた。
……そう。闘争は、自分の命を自分で秤にかけているという実感がある。生殺与奪軒を誰かに握られているわけでなく、自分で選べる。
勝利という生か、敗北という死のどちらかを。
「……俺はさ、カツキが居ないと生きていられない。永都のことだってそうだった……。俺は、あいつをカツキの身代わりにしようとしてた! 卑怯だよ、俺って!
情けない奴だよ、ほんとにさ……!」
リツキは頭を振った。嫌悪感で、自分が自分で無くなる。
「もう嫌なんだよ! あんたたちに守られて居る『カワイソウな子供』をやってるのも……! 一年で十分だよ!」
「いいえ、認めなさい! あなたたちはまだ子供です!
庇護の必要な、哀れな子羊です……。
リツキ? 少しくらい、人に甘えることを覚えて下さい?
……私は、カツキもあなたも、同じくらい大好きなのですよ……?
あなたたちと再び逢う為に、あらゆる闘争に打ち勝たねばならない。そう思うと、強い意志が湧いてくるのです。
……守られているのは、私の方です……」
キャランの細い腕が、リツキの肩を抱き締める。しっかりと腕を回し、引き寄せ動かない。
「! ! バカ野郎っ、放せよっっ。こんなとこで、ハズカしーだろっっ、非常識天使っ!」
リツキの慌てようがおかしくて、キャランは笑いながら、解放してやった。
「リツキ!? どうかしたの? 何が……、キャラン?」
ダッシュで駆け付けてきたカツキが、困惑して二人を見比べる。冷や汗のリツキ。対照的にキャランは余裕がある。
「うるさいっ、なんでもねーよっっ」
「リツキは私が世間知らずだから、怒っているのです」
「ほんとだぜ! 少しは自覚しろよなっっ!」
すこーし考えてから、カツキは意地悪な告げ口をした。
「リツキ? あのさ、トサキが、ツイン・ヴォーカルでバンドに入んないかって……あ。行っちゃった……。
キャランに悪いけど、喧嘩してる時のリツキが、一番あいつらしいよ。ね?」
ふざけんじゃねーぞ!
悪態をついて、トサキに突進してゆくリツキ。迎えるトサキは、のんびり構えている。
「追いかけて下さい、カツキ。あなたには、二人とも、怪我をしてほしくない人たちでしょう?」
「! …………」
ドギマギして振り返るカツキを、肩を押しやるようにして、キャランは追いかけさせた。
学生服の少年たちの頭上を、花吹雪が舞う。物穏やかな乱舞の中に、散る寂しさを僅かに加えながら。
少し大人びた双子の、新しい生活に彩りを添えて、一つの情景の幕を上げるかのように。
「早かったですね、征士?」
「俺に、遅刻してほしかったのか?」
キャランと並んだセイジは、唯一の反抗のつもりで、言い返した。キャランに言い含められて、無視したくてもできなかったというのが、セイジの本音だった。
『親代わり』だから、二人揃って双子の新生活の始まりに立ち会う。家族の義務だと、キャランは説いた。
セイジは、目を細め双子を見守るキャランの視線に気付いた。じっと、キャランは見透かすように注視している。
「あんたの目には、あいつらの背中に『翼』でも見えるのか?」
冗談半分、本気が半分。セイジは問い掛けた。
「いえ。『翼』は見えません。その代わりに……」
キャランは一人、春の陽気のように、にこやかな笑みを浮かべ、歩み出した。セイジも後を追う。
「二人の頭上に、天使の輪が見えます。……ただの人間の子供だというのに。
金色のエンジェル・リングが、見えるでしょう?」
『TOWER 完』




