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「死ぬなよ! あんた、あいつを飼い殺しのまま、この世に残して行く気かよ」

 集中治療室。完全な個室のこの部屋は、計器類で埋め尽くされている。部屋の主人は、薄いシールドにベッドごと覆われて、命の火を消そうとしていた。志水(しみず)鏡魅(かがみ)の心拍音は微弱で、ゆっくりと打ち鳴らされている。

 リツキは、酸素シールドをはぎ取った。

「どうしても恋人の後を追いたいなら、何か言ってやれよ。

 あいつは、あんたの為に全部を投げ出してるんだぜ?

 ……ただの他人なのに。好きっていうだけで、……あんたが刷り込んだ、服従の命令のためだけに」

 鏡魅に反応はない。それでもリツキは続けた。男の胸に手を押し当て目を閉じた。

 永都……。名字のない永都。たぶん、双子たちよりも、もっと不遇。名字の必要な学校に行ったこともないのだろう。父親に操られて育ち、その手を離れても、誰かの指図の元でしか生きられない無邪気な若者。想いの純粋さが『力』に反映し、彼は手に入れた。全能の力を。

「あいつにはそれしかなかったんだ……。生きていく為には、何でもいい、すがれるものが欲しかった。すがって、寄り添って、支えあう実感がほしかったんだ。

 ……俺にはわかる。俺も、あいつと同じだった。

 俺にはカツキしか居なかった! でなけりゃ……。カツキが居なかったら、寂しすぎてとっくの昔に潰れてた」

 ……あんたにセツコが居たのと同じだよ……わかるだろ?

「俺はカツキを助けたい。あんたを守りたがってる、永都と同じ理由だよ。寂しいから、全力を尽くす。

 起きろよ! 死ぬな! 俺が、絶対生かしてやる……。

 永都の代わりに」

 鏡魅の瞼が震える。リツキは両手から、命を駆り立てる願いを注ぎ込んだ。

「だから、俺をあいつのところへ連れて行ってくれ。

 ……言ってやりたいことが、あるんだ……」



 二人の男を見返してから、トサキは一歩引きぎみに、言い返してみた。

「あんたたちの言ってる『能力者』って意味がよくわかんねーんだけど。俺、別にスプーン曲げたりとか、ガラスのコップを睨んだだけで割れるとか。そーゆーこと、出来ないよ? ほんとに」

 明らかに、そんなはずはない、といった顔付きで、二人が揃ってにじり寄る。

「まあ、朝から妙だなってのは、自分でも自覚してるけどさ。……たぶん、こいつのせいかな?」

 肩に引っ掛けたズック地の袋から、白い布包みを取り出した。細く丸められた包みは、さらに二つ折りにされている。長さは80センチほど。

「今朝、妙な夢見てさ。ちょっと冷たい感じのきれいな女が言うんだよ。こいつを、塔のオーナーに届けてくれって。

 ……でないとパークが崩壊する、って。

 俺、バンドやってんだけど、そのメンバーに話したら、本当か嘘が賭けするハメになっちまって。とりあえず、勝敗を確認するために、ここに来たってわけ」

 トサキは右腕を水平にして包みの端を乗せ、左手で布を開いた。気分的にはあまり気持ちのいいものではない。

 濡れたように艶やかに光を映す、長い長い黒髪が一束。女の髪のように真っ直ぐで、切り取られた端は……たぶん、持ち主本人が、自分で不慣れに切り落としたように不揃え。真っ白なハンカチで、一端がきつく束ねられていた。

「そしたら、見覚えのねー看板は見えるし、ダブって、ゲートが開いてるよーにも見えるし……。何? どうか?」

「! お願いです、すぐにそれをしまって下さい……!」

 声を引きつらせ、顔色を失ったキャランに、トサキは呆然とした。背後に居たセイジも血相を変え、キャランの腕を引きあとずさる。

「……大丈夫かよ? 二人とも……」

「なんなんだ? 今の。背筋がゾッとして、体が固まっちまったぜ、キャラン?」

「私もご同様です。すさまじい思念が込められています。同化しやすい私たちでは、飲み込まれる危険がありますね」

「は?」

 事態が飲み込めないものの、そそくさとしまったトサキは、何度目かの疑問を漏らした。

「不思議な人ですね。あなたは」

 しげしげとキャランに見上げられ、弱ってしまう。

「……多少、感応力のある人間なら、そんなものホイホイ持ち歩けねーってことだよ。残念ながら、スプーン曲げの素質ゼロだね」

「はぁ……。そういうもの?」

 セイジの乱暴な断定に、実感がないものの、トサキは納得するしかない。

「そういう物です。たぶんあなたは、ごく普通の人なのでしょう。けれど……」

「けれど何?」

 うながされたキャランは、軽く頭を振って、己の思案を断ち切った。少なくとも、トサキは敵ではない。目に見えない導きによって、ある一点に誘われようとしている。

 元天使たちが向かおうとしている一点。離れ離れの双子、そして敵であろう何者かの居る、塔へ。

 ごく普通の人間であるけれど、これから始まるだろう闘争に、トサキは不可欠なのだろう。ならば。

「いえ。急ぎましょう。あなたの夢に現れた女性の望みを適えてあげることが、たぶん、私たちの双子を救う一助になるはずです」

「キャラン!? ちょっと待て。……俺、なんかコレの近くに居るだけでも、調子狂うんだけどさ……」

「我慢して下さい。……元天使ですから、強く発散される乱れた感情には弱いのです。長く側に居ることは、生命の危険に繋がりかねませんが、仕方ありません。

 これは、あの中に入る為の、唯一の鍵なのですよ」

「だからってさ、招かれてもいない俺たちが、そう簡単にコレ使って入れるもの?」

「多少手荒な真似をせざるをえませんが」

 涼しい顔で言ってのけるキャランから、セイジはトサキに向き直った。バシバシと、大柄な体を叩いて確認する。

「ま、見かけ通りに頑丈そうだから、お前は耐えられるな。

 言っとくけど、コイツ、目的の為には情けはナイから」

 セイジの人差し指は、しっかりとキャランを指している。

「……余計な忠告です。えっと、トサキ君?

 行きましょう。あなたはゲート前の境界線で、両方の世界に踏み入れ、動かないで下さい。

 私たちは勝手に、あなたを鍵にして穴を開けますから」

 キャランの目線が、お先にとトサキを促した。

 青い瞳にひらめいた、剣呑な光をトサキは見逃せなかった。しぶしぶといった素振りながら、もう一人、セイジの方は、肩など回して準備運動に入っているし……。

 ……こいつらって……。

 奇妙な奴らなのは歴然としている。人間二人が危機に陥っていることも聞かされた。そんなことより不思議なのは、二人が、己の緊張感を高めているらしいのに、ごく自然に振舞っている事実。……闘いに慣れて、こんなことは日常の一コマであるかのように……。



「ほんとはね、どちらにしようか迷ったんだ。君達は二人とも同じだったから」

 ゴクリと、カツキは密かに息を飲んでいた。

 やっぱりという感情と、永都の持つ人間性のズレに、ほんの少しだけ、カツキの中の罪悪感が薄らぐ気がした。

 出会ったばかりの双子を、永都は天秤にかけた。まるで道具のように。罪の意識もなく。……永都は、他の人間の痛みというものを、果たして理解できるのだろうか?

 兄弟や、家族の繋がりを。少なくとも、ボスを失うことへの恐怖感はある。

「でも君の方は、知ってしまったんだ。僕の本心を。

 怖い力だ……。そんなものをもっていたら誰も信じられなくなるんじゃないかな?

 誰だって、知られたくないことの一つや二つはあるんだ。君の大切なお兄さんだって、隠していることがあるだろう?

 でも、それまでもわかってしまった。……だから、リツキのふりをして、君はここに来たんだ」

『サンライト・パーク』のシンボル・タワー。ガラス細工の塔の展望室に来ることは、何の問題もなかった。

 カツキを阻む力は嘘のように消えて、白昼だというのに、誰もいない展望室で、永都一人がカツキを待っていた。

 罠を仕掛けるほど、永都は卑屈な人間ではない。自分の『力』に自信があるから、常に、永都は堂々としている。

「リツキが君よりずっと、僕にひかれ始めているから。

 僕は、リツキを縛り付けたりしないから」

 永都の言葉が、カツキの胸に深く突き刺さる。

 問い掛けたい言葉が、喉に込み上げてくる。

 ……ほんとうに、あなたはリツキを縛らずに暮らせるの?

 カツキに、それを言い出すつもりはなかった。だからと言って、永都の言葉を認める気にもなれない。誰が誰を縛り付けていて、誰が誰をそうしないで居られるか、カツキには判断できなかった。半分認めて、半分否定したかった。

 責めているわけでもない、無表情な永都の、人形のように整った顔立ち。今でも、きれいな人だとカツキは思う。

 両手は呪詛で汚れているけど、心は真っ白で陰りがない。

 純粋な精神は、真っ直ぐに願いを形にしようとする。

 こんな形で出会わなかったなら。もしかしたら、リツキみたいに、永都に興味を持ったのかもしれない。永都は、完璧すぎて『人間』になれなかった、神の造った最高の芸術品のよう。きっと、何かが欠けているだけなのだ。

「……あなたには翼があるんだね。きれいな翼。

 僕、他にも翼をもっている人たちを知っているんだ。

 見たこともある。あなたのとは少し違ってた。だって、天使の翼だから、あなたのように、透き通った宝石みたいな翼じゃなかった」

「……天使の翼……? そう。僕のは、他の人のとは違うのか」

 うなずきながらも、永都はあまり興味はない様子だった。

「いつからなの? 翼を持ったのは」

「さあ……。気が付いたら、あったよ。

 これで羽ばたいて飛べるってわけでもない。

 ほとんど、広げたこともないのに、……少しずつボロボロになっていく……」

 困惑気味に、永都は言葉を濁した。

「……痛むものなの?」

 永都は被りを振った。少し、カツキはほっとした。

 軽く深呼吸をしてから、カツキは言った。

「僕。あなたの代わりになってもいいよ」

「…………」

 沈黙し、表情の変わらない永都に、カツキは不安を覚えた。

「あなたやリツキの代わりに、この塔を支えてあげる。

 ボスの命も支えるよ。……僕が、君たちの代わりになるよ」

「……どう、して?」

 堅く漏れ出す言葉に、カツキは少しの自信を持った。

 無視していたわけでも、疑ったわけでもない。永都は、強い衝撃を受けて、反応できなかったのだ。

「……リツキの為なの?」

 探るように、永都はたずねた。

「わかっているなら。答えないよ」

「答えてよ!? どうして?」

 永都の冴え冴えとした顔立ちが、少し崩れた。

「どうしてもリツキを手に入れようとしてきた、あなたの為。僕の身代わりのできる、あなたが気にかかるリツキの為。リツキに自由に生きていてほしい、僕の為。

 もういいでしょう? ……代わろうよ。邪魔が入らないうちに……」

 滑るように、永都が近付いてくる。リツキと同じ顔を、しげしげと眺め、手を触れようとして引く。

 ……カツキは触れた部分から、心を読み取る。見透かす。

「どうすればいいの? 僕、ちゃんとできるくらいの能力があるのか、心配だけど」

 不安を頬に登らせて、カツキは言った。

「大丈夫。君には翼がないけど、できるよ。君は自分が思っている以上に力があるんだ。それを、絶対に信じることができれば、不可能なんてない」

「なら、よかった」

 カツキは永都に笑いかけた。間近にすると、永都の顔の青白さが、病的なものであるのが見てとれる。翼はボロボロで、肉体は疲れ切って、他人をあてにするほど追い詰められていて。

 身代わりになると言っても、永都の顔色の悪さは変わらない。どうして? 嬉しくないの?

……少しくらい笑ってよ? 安心して? 初めに出会った時みたいに、素敵に笑ってよ?

 カツキは知らず知らず、拳を堅く握り締めていた。

 信じる。絶対に、信じれば……できる。

「最後に、翼を見せてくれる?」

 永都はうなずいて、一歩下がった。

「どちらにしても、翼を広げないと、君に塔を譲れない。君はこの塔を守ってくれるだけでいいよ。

 ボスは、僕が支えるから。だって僕のボスだもの。

 それくらいは、できる」

 ……守る。地盤沈下を誘発し、崩れる危険性のある塔を、精神の力だけで維持する。物理的に念動力で支えるのではない。塔に語りかけるのだ。意識を『塔』と結んで、そのまま無傷に姿を保てと囁く。絶対的な信頼と愛情を込めて。

 そうして、守護者は『塔』と心を一つにする。

「うん。わかった」

 カツキは、永都の変化を瞬きもせず見守った。

 永都が目を伏せると、彼の周囲に、たゆたうように光の粒子が集まりはじめた。金色の光の粒。一斉に瞬き出して、永都の細い背中を覆ったかと思うと。薄らいでゆく輝きの中で、あの虹のかけらを含んだ、オパールの翼が現れた。

「……少し、そのままで待っていて? 君に渡すよ……」

 体の線にそって、閉じられていた翼がふるふると揺れる。

 ぎしぎしと、悲鳴をあげているようなヒビだらけの宝石。

 無数のヒビ割れは、光線を複雑に反射し、虹を造り続ける。切り込まれる傷が、更に、翼を美しく輝かせる。

 綺麗な風切り羽。ふわりと、舞い散った透き通る羽毛。

 カツキは奥歯を噛み締めた。

 永都の頬が震え、渾身の力で翼をなかば広げる。

「痛い……?」

 こらえきれず、カツキは尋ねた。両手で目を覆いたい衝動を、カツキは必死に押し殺していた。それほど、永都の姿は痛々しい。

 ……まったくの初対面だったなら。駆け寄って、止めてくれと、叫んでいる。他の、もっと永都の負担の少ない方法を探して、カツキ自身がボロボロになろうとも、手を貸すのに……。

 リツキの為……。カツキ自身の為。一人の人間が不幸になる様を、カツキは黙って、眺めなければならない。

「…………」

 永都は無言だった。精神を集中させ、永都は己の意識の奥深くに沈静していた。じりじりと、跳躍の形を取ろうと翼が揺れる。

 息を詰め、カツキは完全に開くのを待っていた。

 翼が飛ぶ形を造って、そうして、永都が目を上げ、カツキにすべてを渡す為、もう一度翼を揺らしたなら……。

 それまでは、きっと耐えられない……。ボロボロの翼は。

 そうして、カツキの願いが叶う。残酷な、望みが。

「永都! カツキ!」

 背後からの、聞き慣れた叫び声に、カツキは耳を疑った。

 信じられなかった。死ぬほど驚いた。まさか……、永都の結界を潜って、ここに来れるなんて……。

「……来たんだ、リツキ」

 背後を見ようともせずに、カツキは永都をうかがった。目を閉じ集中する永都は、まだリツキに気付いていない。

「! 来てほしくなかったのかよ!」

 目一杯、不機嫌を吐き出して、リツキが叫んだ。

 カツキがゆっくりと振り返ると、リツキと、見覚えのある青年が佇んでいた。以前、塔の前で永都と寄り添っていた青年。カツキ自身、彼の肉体の痛みを現実に共有した。永都が、すべてをかけて生かそうとしている男だ。

 そうか……。鏡魅なら、永都は拒絶しない。永都の結界は受け入れる。だから、リツキも来れた。

「ああ……。来ないで欲しいって思ってた。もう二度と、この人に逢わせたくなかった」

「カツ……?」

 冷え切ったカツキの声に、リツキは疑念を感じた。

 見慣れた薄茶の髪ではなく、自分そっくりのカツキが、奇妙で不自然で、自分を見ているようで不安だったのに。

「……彼はもう終わりだよ。捩れてる。このタワーも歪んで、地面もずっと下の方から崩れてる。

 誰にも止められない。誰かが、暗い地下で願っているから。……寂しいと……。その男の人を、呼んでいるんだ」

 カツキは腕を上げ、リツキが体を支える男を指した。

「……寂しい、と……?」

 青年が目を開く。黒々とした知的な瞳が、カツキに向いた。次第に、人形のようだった頬に生気が昇る。リツキの手を引き離し、一歩、踏み出す。

「それは、セツだね?」

 カツキの胸が、ずしんと熱くなった。鏡魅は。生きている鏡魅は、少年のように若々しくて、太陽のように熱い波動を放つ。人を信じさせ、引きつけ、はにかんだ笑みは、恋人の心を伝えたカツキへの感謝の記し。

 操られたように、カツキはコクンとうなずいていた。瞬間的に、カツキを通して、鏡魅は地下の女性と心を通わせたらしい。うなずいた時点でもう、鏡魅はすべてを理解していた。

「永都? 私たちはここを離れるよ。

 この街は、私たちには合わないようだ。次のプロジェクトが待っている。君の役目も終わりだ。

 ……付いておいで?」

 急速に、翼が閉じ、永都の背筋に寄り添う。青白い顔を上げ、細く吐息をもらし、永都は艶やかに微笑んだ。

「ええ……、ボス。どこへでも」

 歩み寄り、鏡魅は立ち尽くすだけの永都の体を支えた。

「セツ? 君の復活を助けたのは、永都だろう? 礼を言おう。ぼくらの大切な家族だ」

 永都は、しっかりと鏡魅の腕に抱えられ、スーツの胸に顔を押し当て、喜びに震えた。言葉にならない。鏡魅の体を確かめ、鏡魅の声を噛み締め、顔を上げた。

「……ボス……? 僕は……」

 太陽の笑みで、鏡魅がもう一度永都を抱き締める。

「セツを呼んでくれ。三人で行こう」

 永都が片翼を伸ばし揺らした。翼の中に、一人の女がたたずみ、姿を現した。永都に小さく微笑みかける。夏服の短い袖から伸びるしなやかな手で、彼の短い髪に触れ、惜しむように撫で下ろした。

「綺麗な髪だったのに……。礼を言うわ。君が心を捧げてくれたから、私はここで待つことができたの」

 セツは、永都の頬にキスをして、その永都を間に挟むようにして鏡魅に抱きすくめられた。

 家族、なのだろう。短い会話、視線を交わすだけ、僅かな体温のふれあい。長く引き離されていた時間は、それだけでも十分に償われる。

 鏡魅とセツコの姿が、ふっと、実体感を失う。お互いを逃してしまわないよう、鏡魅の右手が永都の右手を、セツは永都の肩に手を乗せた。永都の翼が、せわしく揺れる。

 透き通った羽毛が再び舞った。

「……待てよ。そいつまで、連れて行くことないだろ?」

「リツキ! 引き止めないでよ!」

 三人が双子を振り向く。だが静かに、鏡魅とセツコの魂はここから消えていこうとしている。

「お前にはわからないんだよ! 

 あいつ、いままでずっと自分が無くて、殺してて、あの男の為に、全部捨てて……」

 リツキは、永都の視線に言葉を無くした。

 ……何? 何か言いたいのか……?

 真っ直ぐに、リツキだけを見ている。食い入るように、瞳だけを。思い詰め、頭の中で、吐き出す言葉を必死に選び。見付からなくて、リツキに答えを問い掛けているような、不安と想いが入り混じったまなざしが、とても熱い。

「だけど! ちっとも不幸じゃないよ!」

「! ……今、何って言った……?」

 リツキは、カツキの言葉を聞き返した。永都が探している答えが、カツキの叫びの中に隠れている。そんな直感がリツキにはあった。

「不幸じゃない。苦しかったけど、幸せだった。でなかったら、あんな風な翼は育たないはずだよ。

 こんなに眩しい羽、始めてみた……」

 カツキは、波立つ感情をこらえ切れなかった。涙になって、両目に熱く昇ってくる。永都を欺こうと、押し殺してきた感情すべてが溢れてくる。リツキを激怒させるかもしれない恐れも、同時にカツキの膝を震わせる。

「……リツキは、不幸だったと思う? リツキ……あの人と同じだったでしょう?

 リツキ、ごめんね。いつもいつも、僕は足手まといで。僕に縛り付けて。でもリツキが居てくれなかったら……! 

 僕、一人だったら怖くて、僕が僕でなかった!」

「バ、バカ野郎っ。誰が縛り付けた!? 一人でカッコ付けてんじゃねーよっ。

 俺はてめーの兄貴だぞ、兄貴がチビの面倒を見るのは当たり前なんだよ!!」

 カツキは両手の甲で、自分の涙を払った。

「……。……リツキは間違ってる。どっちが先に生まれたかなんて、誰も知らないのに。自分で勝手に兄貴だって決めてる……。それが変なんだよ! どーしてそーやってさ、全部、自分で背負うんだよ!? そんなの嫌だ!」

「ケッ。結局、俺に指図されるのが嫌なんだろ、お前は!?」

「! そーゆー意味じゃないよ!!」

 涙なんて止まった。吹き飛んだ。頭に来る。リツキは、いつも一人で意地を張る。自分だけで、なんでも……。

「リツキも行こう……?」

 永都の細い声が、二人に割って入った。

 カツキは耳を疑い、キッと永都を見返した。

 鏡魅とセツコの姿が、完全に空中に溶け込んでゆく。先に行く二人をしばし見送って、永都はリツキに向いた。

「僕らには、この世界は釣り合わないよ。力があるから。

 そうだろ?」

 永都の誘いは強い引力をもっていた。なぜなら、リツキは自分の中に、同じ想いを抱いていたから。リツキ自身が掴めなかった欲求を永都は読み取った。鏡のように。

「ああ……。おかけで、まともな生活は送れなかった」

「リツキ!」

 咄嗟に叫んだカツキ。リツキも怒鳴り返す。

「終わりにするんだよ! お前は残れ。お前なら、一人で生きられるだろ?」

「バカっ!」

 全身で吐き捨てて、カツキは永都の前に立ちはだかる。

「リツキは、絶対、譲らないっ!」

 カツキの足元、滑らかな床でカツキを取り巻くように、銀の火花が走る。急速な帯電を、カツキはすみやかに操る。

 伸ばした指先にすくいとり、永都を示す。

 放たれた銀の電光が走る。ようやく、一人で姿勢を保っていられる永都へ、取り巻くように襲い掛かった。







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