表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/17

4 (2)


 放心したように、何も口を開かない永都。

 暮れていく夕日を浴びた頬が、リツキの目を奪い、引き離せない。

 純粋に美しいと思った。造り物のよう。

 なめらかに動く。振り返った頬に落胆は少しだけ消えていた。

「……よく、わからない。わからないけど、君が側に居てくれることは嬉しいよ。どんな形でも……」

 永都は立ち上がって、下へ降りるドアに向かった。

「お客さんみたいだ。行ってくるから。

 リツキも来ていいよ。でも、彼女に気付かれないようにね。少し興奮しているみたいだから」

 若い女の客。姿を現した永都を見るなり、ハイヒールの足音を立てて詰め寄った。

 ぴしりと、永都は背後で壁の隠し戸を閉じる。

 リツキは金属の薄いドアにもたれ、耳を澄ました。何よりも冷淡な仮面をつけた永都は、一瞬、金属の壁に映りこんだ女に比べれば、数段、魅惑的で、派手に着飾った女の顔を怯ませ、無言で押し戻した。

「……この上に、居座るつもり? 君の塔じゃないのに?」

 凄んだつもりらしいが、真っ直ぐに足を進める永都に押され、女は仕方なく後ずさる。

 日暮れを関知して、自動操作で、展望室に黄色味がかった灯りが灯った。女は顔を上げ、怒ったように目を吊り上げ永都を見た。

「違うわ。私はこんな照明を指定していない」

「あなたの感性と、僕の感性の違いだね。こちらの、人の温もりのような明るさが、僕は好きだよ。

 貫く光の白熱灯なんて、夜には似合わない。

 夜は夜だ。太陽はもう、朝まで昇らない。白い太陽はいらないと思うよ」

「……何を言っても、素人には無駄ね」

 真っ白なライトを点し、女は塔を不夜城にするつもり。

 手配の遅れで配置されてはいないが、塔の周囲から、強力なサーチライトで照らし上げるプランが進行している。

 都市のシンボルとして、クリスタル・タワーを君臨させる。塔の設計を変更させた、彼女の野心の具現だ。

「さあ。あの人を返して頂戴!

 君が、あの妙な力で、彼が目を覚まさないようにしているんでしょう?! なんて子なの?

 彼を殺す気なの?!」

 永都は即答した。

「あなたに、僕を責める権利があるのかな?

 紙切れだけで、婚約した程度でしょう? ボスの意思を代弁するなんて不可能だ」

 女は顔を背け、悔しさに口を噤んだ。

 永都は、猫を撫でるように甘く尋ねた。

「ねぇ? あなたはいつから? 彼と愛しあうことになったのは。教えてよ。世津子の妹さん?」

「私の名前は梓よ! いずれ志水梓になるのよ、覚えておきなさい?!」

 世津子とは、まるで似ていない。建築設計の道に進んだことだけが、唯一の一致であり、同じ男を欲しがったことが悲劇の始まり。いや、求めたのは、この女の方だけ。

「……で? 何の用? そんなことを言う為だけに、ここまで来たの?」

 あしらわれて、女は激昂して赤く染まった頬を、更に赤黒くした。暫く、肩を震わせてから切り出した。

「永都、だったわね? 君が私に頼むのなら、私たちが結婚しても、彼の側に置いてもいいわよ。君の大切なボスの一番近くにね……」

『結婚』を、切り札にできると思っている。愚かな人間。

 胸の中で、永都は黒々とした塊を掴み上げた。

「言ってあげるよ。あなたがやったことのすべてを。

 あなたは沢山の間違いを犯した。

 まず一つ。セツコを僕らから奪い取った……」

「何を言い出すのかしら? 君だって、姉さんが邪魔だったはずよ。死んでくれて嬉しいんでしょう?

 ボスを愛しているんですもの、男のくせにね」

 梓は、永都の詰問を計算して塔を訪れた。承知の上。永都を押さえ込む切り札なら考えてある。

 絶対優位の笑みで、永都を眺めた。

「誤解だよ。僕はボスと同じくらい、セツも好きだった。

 セツは、僕が居ることを許してくれた。僕の存在をちゃんと認めてくれたんだ。

 ボス以上に見透かしていて、怖いくらいだった。普通の人なのに、僕がもっているものや、僕が知らない使い道を全部感じとっていた。教えてもくれた。

 セツと違って、あなたは僕が怖いんでしょう?」

 怖がるのはごく普通な人間の反応だから、永都には彼女を恨む気はない。誰が誰を疎もうと、勝手だ。

「僕には、不可能を可能にする力があるから。

 あなたは僕が嫌いだ」

「ええ。大っ嫌いよ」

 初めての素直な答えに、永都は少し笑った。

「でも他人が思うほど、僕は幸せには思っていなかった。

 皮肉だね。この力があったから、セツはボスの側に居ることを黙認してくれた。ボスも、僕を必要としてくれた」

 事業に立ちはだかる者に呪詛を。セツとカガミの邪魔をする者は排除する。闇の力で。

 永都の力には色が無い。闇色に染めたのは、二人の望み。

 その力が、リツキの気配を感じる。寄り添うように、背後に居る。

 永都は、リツキに知ってほしかった。

 袖をあげ、右腕の浅黒い火傷の跡を晒した。

「この痛みを受けた時、二人に出会って拾われた。

 僕が大人に近付いたから、父親は、僕を殺そうとした。

 それまで僕を巫子として奉り上げてきて、閉じ込めて。あの人の言いなりになってきたのに。大人になると力が無くなるからというだけの理由で、焼き殺そうとした……。

 ……お前は神になるんだなんて。言われても、僕は死ぬのは怖かった。沢山、他人の死を見てきたからね……」

 怪訝顔の女に、永都は目を向けた。

 彼女には理解できなくていい。永都だって、梓の苦しみを理解することは不可能だ。したくない。

「セツと僕は、共有していたんだよ。ボスの手足でいることで、僕らは一つだった。

 なのにあなたは取り上げた。何も知らないで……。

 おかげで、僕らはバラバラだ。セツが塔の底に転落したあの日から、ボスはちょっとずつ壊れていった。

 セツの代わりは、誰にも埋められない。僕にも、無理だ」

 一転して敗北を認めた永都。梓は気を取り直し、人を飲み込むような視線で見据えた。

「そうしたら、あの事故だ。あれもあなたでしょう?

 ボス直属の秘書、坂木さん。彼と計画したんだ。

 彼が、鉄材の落ちてくる現場に案内したんだもの。それに、会社を乗っ取るなら、彼の手腕は絶対に必要だよね」

 女は黙っていた。

「言葉だけの婚約で、手に入れた気になっていたの?

 会社やお金、進行中のプロジェクトの指揮権。欲しいならいくらでも上げるよ。君が一人で背負えばいい。

 ……最初から、こそこそせずに、くれと言えばよかったんだ。セツやボスを傷つけたりせずに……」

 間抜けのように、女は耳を疑っていた。永都の言葉を。

「さあ帰って。もういいだろ?

 君一人で背負えるなら、やってみるといいよ!!」

 右手を突き出し、エレベーターを指し示した。

「忠告しておくよ。これ以上、僕らの邪魔をしないように」

 瞬きをして、女はまだ動けない。永都は畳みかけた。

「出て行け。

 ……ボスの目が覚めたら、彼に頼んでやるよ。君にすべて譲渡するように。かならずね。

 あなたの推測は間違ってるよ……。僕はボスを縛っているわけじゃない。僕の力でも、意識を取り戻すことが出来ないくらい、ダメージを受けているんだ。

 ……あなたのせいでね」

 静かに、感情を押し殺し永都は続けた。

「あなたを補佐できるように、坂木君も罪には問わない。自分のボスを殺してでも、手に入れたかった地位だ。二人で分け合えばいい」

 永都の言葉を聞き返そうと口を開く女を、永都は遮った。

 エレベーターに向けた人差し指を突き付ける。

「あなたはもう一つ、大きな間違いをした。

 それを知っている?

 タワーの設計を勝手に変えたでしょう?

 大きな間違いだったよ」

「基礎にかかる重量のことなら計算済みよ。大丈夫。補強はしてあるわ」

 女はためらうことなく反論した。自信がある。

 塔を予定よりずっと高くし、セラミックスをガラスに変え、枠をぼったりとした土くさい壁から、強化アルミにした。

 うっとおしいばかりの森なんて無用。森を造れば、野鳥が集まり、ちょっとした住民問題になりやすい。

 芝生の丘にだって、ペットを侵入させる気はない。糞公害は、公衆衛生上、パークの閉鎖につながる可能性もある。

 そんな重大な汚点にも気付かない世津子が、梓には、自分のデザイナーとしてのプライドを失った、ロマンチストに思えておかしかった。

「パークのコンセプトは『土と水と光』。セツは教えてくれたよ。

 土は大地。人間の欲望の源。

 水は人間の運命の流れ、清めるもの。

 光は、すべてを越えて輝く人間の命。

 あなたは……」

 梓は声を上げて笑い出した。甲高い声に耳を塞いだ永都を無視して、胸を押さえ笑い続ける。

「姉さんが、そんなに夢想家だったなんて知らなかった。

 欲望、それと運命? 輝く人間の命?

 自分たちの方が、欲に塗れているじゃない? あなたを利用して、邪魔者はみんな消してしまって!」

 哄笑は止み、女は永都に向いた。

「……あなたに非難されたくないわ。同じことをしたのよ?

 それとも、私も殺すの? 呪いをかけて」

「上げると言っただろ? ……聞こえなかったの?」

 低く尋ねる永都の殺気に、梓は身を引いた。

「自分たちがしてきたことの意味はよくわかっているよ!

 だから好きなようにするといい、出て行け!!」

 叫び声を最後まで聞かず、女は身を翻しエレベーターに飛び込んだ。ドアが閉じる寸前、床に膝をつく永都の肩を抱き締める、子供のような少年と視線が合う。

 リツキは、縮み上がった女に、永都を苦しめた怒りの全てをぶつけて、目を閉じた。

 永都はガタガタと震え続けている。

「……おい? もう行ったぜ。……永都?」

「リツキ……。夜が来たよ。帰る時間だね……」

 永都はリツキの手を自分の肩から引き離し、押しやった。

 膝まづく永都を置いて、リツキは永都の望み通り、離れるしかなかった。

「土はセツ、水はボス、光は……僕だって、セツは言って笑ったんだ……。

 僕も、そう思う。セツは人が変わってしまって、子供みたいな夢を見ているんだって……。信じられなかったよ」

 あの女。永都が追い払った女と同じように、永都は感じた。命を押し潰し、呪詛を弄んで、誰かを葬った。その人間を、セツはどんな想いで見ていたのか?

 静かに、エレベーターが戻ってきた。

「じゃあな。また、来るぜ」

 堅く硬直してしまった頬を、永都は自分の手で押さえ微笑みの形に造って、リツキに向けた。

 閉じたドアを背に、永都は一人、ゆらりと立ち上がる。

「……セツ? 僕は答えが欲しかった。どうして、そんなことを言い出したのか、その訳を知りたいんだ……」

 淡い黄色のライトの下。忽然と、スーツ姿の青年がその場に現れる。志水鏡魅の精悍な肉体。少なくとも、生きている者のような、微かに血の色の差す頬。

 駆け寄って抱き付きたい衝動を、永都は必死に押さえた。

 ここに立つ鏡魅は、現実の肉体ではないから。鏡魅の体は、病院の集中治療室に意識不明で眠っていた。

 永都はそっと、鏡魅が壊れ物のような慎重さで擦り寄り、腕を真横に広げた。目を閉じ、意識を研ぎ澄ます。

 大きく、鏡魅の姿が、投影された幻のように揺らぐ。

 これは永都が造った幻だった。永都の、そうあって欲しいと願う、美しい幻想でしかない。

 意識の無い、酸素チューブや点滴で繋がれた、哀れな鏡魅の肉体に対面し続けることは、永都には耐えられなかった。病院は、死の匂いに満ちている。それが怖かった。

 その上、セツとボスの想いの残る塔から、永都は離れたくはない。塔で、ボスが無事で完璧に回復しているかのように振る舞い、鏡魅を失う恐怖に耐えてきた。

 一人ぼっちで。

「……!」

 永都は眉間に皺を寄せた。彼のほっそりとした背中に、乳白色の輝きが、初めは小さく、徐々に多数の光の粒子が生まれ、ある瞬間、唐突にパールの輝きを辺りに放った。

 薄らぐ輝きの中から、翼が具現する。純白ではなく、オパール細工のような、虹の破片を内在する透明な翼。けれどひび割れ、何枚かの羽を失ってボロボロだった。

 それでもなめらかに翼は動き、鏡魅の全身を包み込んだ。

 永都は、助けを請うて喘いだ。

「……リツキ……? どうしても、君の力が必要なんだ……。速くしないと、ボスの命の火が尽きてしまう……。

 僕一人の力では、何もかもを支えきれないよ。

 ……リツキ…………!?」

 鏡魅の幻を維持できなかった。消える幻の代わりのように、永都の翼の中に、小さな青白い炎が残された。

 オパールの翼から、青白い炎に向けて、白い吐息のような生気が送り込まれてゆく。ほんの少しだけ、サファイヤ色の炎を大きくゆらめかせる、鏡魅の命の炎。病室の肉体から抜け出し、セツの眠る塔へ引き寄せられ離れない、弱々しい生命の火だった。

 堪え切れない永都の涙が、炎に触れ、滴が床に落ちる。

「……お願い……。一人にしないでよ、ボス……?」

 永都の翼の力を持ってしても、これが限界。ただ、眠る鏡魅の肉体を生かすというだけが、精一杯。

 尽くす手の無い永都は、嘆き震えるだけの子供だった。

 突然、永都は我を取り戻した。顔を上げ、鋭く叫ぶ。

「! 誰……?!」

 誰何の声は、永都の意志で真空の剣となった。

 2メートルほどの背後の床に、血が滴り落ちる。肉体は無い。だが、何者かが、永都が張り巡らせた見えない壁を越えて、ここに来た。まだ、居る。

「……すごい力の持ち主だね。君も、リツキの代わりができそうだ……。よかったよ」

『あなたはひどい人だ……』

 傷を負っても逃げ出さない誰かが、強い信念の責め言葉を永都に向ける。

「リツキは譲らないよ。……カツキ君?」

 片翼を、永都は広げ、堂々と伸ばしてみせる。

「帰りなさい。帰りの道くらい、開けてあげるよ」

『……誰でもいいんでしょう?

 リツキでなくてもいいんだ。能力者なら誰だっていい!

 あなたなんて大嫌いだよ! ひっ!』

 喉を締め付けられたような悲鳴。

 オパールの羽を揺らした永都も、唇を引き締め、額に汗を滲ませていた。

「……君は、幸せな子供だね。しあわせな……」

 カツキの気配も鏡魅の炎もないフロアで、永都は一人座り込み、膝を抱えた。



 右脚を引き摺って、泣きながらカツキは夜の街を逃げ帰った。

 ふくらはぎのジーンズの染み。小さな明り一つのアパートの部屋と見比べて、リツキの目をごまかせるよう祈りながら、ドアを開けた。

「どこ、ほっつき歩いてるんだよ……」

 とことん不機嫌なリツキの罵声が飛ぶ。どこか空中に浮いたような、気のない声。

「……転んだ」

 ぶっきらぼうに返し、カツキは血の跡の残る右頬を擦り上げた。布団から体を起こしたリツキが、カツキを伺う。

「でも大したことない。寝るよ。遅くなってゴメン」

 膝を付いて、ブルゾンを脱ぎ放り出して、リツキを押しやりながら布団を被る。

「……なんか、隣、うるさいよな……」

 真夜中近くなのに、ラジカセの低音が響いてくる。カツキは暗闇の中で、リツキの呟きにフッと笑った。

「そうかな? 心臓の音に似てるって思うけど?

 リツキはうるさくないの? 僕の鼓動が」

「……すっげー、うるせぇよ」

 その夜は、リツキはこれ以上口を利かなかった。眠ってはいないのに、身動ぎもしないのに、暗闇の中で何かを見ていた。

 目を閉じて、息を殺すカツキもまた、心の深い暗闇に潜り込んで、自分を閉ざしていた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ