ハリネズミのジレンマ(Side 親衛隊
「なんであいつが来ないんだ」
僕に聞かないでください、と何度思ったか。
時雨は御影の前で居心地悪そうに身をすくめた。
「はっきりとは言いませんけどね。嫌って言うんですから仕方ないでしょう」
「なにが嫌なんだ」
「知りませんよ。あんまりしつこいと嫌われますよ」
最近は何故か、御影からの親衛隊の呼び出しが増えた。いつもならば隊長である秋吉が行くべきである。しかし、この頃の秋吉は毎回何やらの理由を付けて呼び出しを拒否した。その代役を務めるのは副隊長の時雨である。
呼び出しとは言っても何も特別な用事があるわけでもなく、ただ単に開き直った御影が秋吉を呼び出すためにしているだけらしい。本人が出てこないので収まりがつかないのだ。
「秋吉先輩だって忙しいんです」
美晴がそうやって庇うが、それが多分、秋吉が生徒会室に来れない理由かもしれないと思った。
「補佐の具合はどうですか?」
「あぁ、ちょうどいい。細かい所にも気が付くしな。重宝している」
「そうですか。それは良かった」
きっと、御影は気付いていないだろう。そうやって美晴を評価することが秋吉を追いつめることになるなど。だけどそれは秋吉にとっては心外で、不本意なはずだ。だから、時雨は何も言わない。言えないのだ。
「特に用事はないですね?」
「ちょっと待て」
形だけの確認をし、帰ろうと踵を返せば後ろから声をかけられ、時雨は足を止めた。渋々である。
「……何ですか」
「引きずってでもいい。連れて来い」
「無理やりなんて、僕が了承すると思ってるんですか?」
睨み合う。
秋吉のことが無ければ、生徒会長でもあり、先輩でもある御影と睨み合うことなんてなかっただろう。
今だって、正直怖いのだ。
しかし、時雨は秋吉の為に今ここで退くわけにはいかない。
「今のままじゃどうにもならないんだよ。無理やりにでも、俺はあいつと話さなきゃならない」
「……直接行けばいいじゃないですか」
「あいつの立場、お前も知ってるだろう? 俺が行ったら余計に辛くさせる。それじゃ意味がない。あいつを連れて来れるのはお前だけだろうし、あいつが逃げない為の壁が必要だ」
「僕に悪者になれって言うんですか」
思わず、俯いた。
いつだって、秋吉のことを一番にしたいのに。
「オレが行こうかー?」
「ダメだ。お前は甘やかす」
平塚の立候補も電光石火の勢いで御影は一刀両断する。
「説得して欲しい。もう一度、話したいんだ」
そういうと、御影は時雨に向けて頭を下げた。
頭を、下げた!
天下の生徒会長が、一介の親衛隊員に向けて!
それほどまでに本気だと言うのか。
唇を噛む。確かに秋吉は我慢のし過ぎで、原因は分かりきっている。解決する為の材料は揃っていた。揃って、しまった。
時雨は決意を真とする為に深呼吸をし、腹にぐ、と力を込めた。
「……分かりました。説得しましょう」
顔を上げると、笑った御影と目が合う。人を食ったようないつもの笑みではなく、どこかこう、見ていて恥ずかしくなるような微笑み。
「ありがとう」
あぁ、これは慈しみなのか。
秋吉にまた会えることがそんなに嬉しいのか! ……嬉しいのだろう。
負けたな、と時雨は呟き、肩の力を抜く。
想いに勝ち負けなど有り得ない。元々感情のあり方が違うのだ。しかし、強さでは勝っていたはずだ、と時雨は勝手に思い込んでいた。
いつの間にか追い越されてた……。
娘を嫁に出すってこんな気持ちだろうか、と時雨はそっと息を吐いた。
「近い内に必ず、連れてきます」
***
とはいえ、そのまま言ったのでは秋吉は首を縦には振らないだろう。
どう言ったものか……。
部屋までの道すがら、考え考え廊下を歩く。
いつもの習慣でカードキーをスライドさせると手応えがない。
鍵が開いているようだ。部屋に入ったらともかく鍵をかけるようにしている二人には到底有り得ないことだ。
背筋が凍る。
押し入られているのだとしたら、倒れているのだとしたら、自分一人で対処できるだろうか?
指先に力が入らない。息ができない。
震える手でドアノブを捻った。
「あきちゃん……?」
トイレ、風呂場、一つずつ確認をしながら先へ進む。
リビングに入った所でソファの上にうずくまる身体を見つけて時雨は悲鳴のような声を上げた。
「あきちゃん! 大丈夫!? 何があったの!?」
「……親衛隊、やめたい」
「っ!? 何かされた?」
「うぅん」
「じゃあ、どうして?」
腕に手をやって身体を起こさせ、出来たスペースに時雨は腰を下ろした。
「もう、結城くんと仲良くされてる御影さまを見たくない」
「……あきちゃん」
「分かってる! 僕が推薦したんだし、結城くんが優秀なのも知ってる! 補佐だから傍にいるのは当たり前だし、そう望んだのは僕なのに! ……なんで、こんなに苦しいの? なんで、こんなに、結城くんを憎く感じるの?」
いつもの、楚々とした秋吉はいない。
こらえきれない感情はソファを叩く手に委ねられ、震える声は果たして、怒りからか悲しみからか。
荒れ狂う感情のままにソファを攻撃し続け、不意にぴたりと動きを止めたかと思うと、脱力し、ソファの背もたれに顔を埋めた。
「……みんなの、先輩たちの気持ち、分かっちゃった。そうだよね。自分たちは近付けないのに、当たり前みたいな顔で傍にいればそこに正当な理由があったとしてもムカつくよね。あーあ、傍で見てるだけで充分だったのに」
「あきちゃん、御影さまに言わないつもり?」
「うん……。時雨ちゃんから言ってもらえばいいよ。後任は時雨ちゃんにお願いするつもりだし」
「嫌だよ!」
「……勝手で、ごめんね」
「違うよ! 勝手に決めたからじゃないよ! 僕はあきちゃんが隊長だから、会長の親衛隊に入ったんだよ。あきちゃんがいなくなったら僕が親衛隊に残る意味なんてないんだ!」
埋めた頭を僅かに動かし、時雨を見上げている秋吉の、肩を掴んで向かい合った。
時雨の強引な態度に秋吉は目をパチパチと瞬かせた。
「あきちゃん、御影さまとちゃんと話をしよう。あきちゃんが今までどんなに御影さまに尽くしてきたか、どんなに御影さまを大事に思ってきたか、今はどんな気持ちで、御影さまと美晴を見ているか。……辞めるんだったら全部吐いてスッキリしちゃおうよ」
「でも、そんな愚痴ばっかり、……御影様に嫌われたくないよ」
「それ、御影さまは違う風に捉えるかもよ」
「え……?」
「あきちゃんが御影さまを嫌いになったから、辞めるんじゃないかって、思うよ」
「そんなこと……っ!」
「ならちゃんと言わなきゃ」
必死に言い募ってやっと、秋吉の瞳に冷静さが戻ってくるのが見て取れて、時雨は胸を撫で下ろした。
「……分かった。御影様に会うよ」
「僕も一緒に行こうか?」
「うん、」
「そのときは美晴はいない方がいい?」
「……うん」
「分かった。行く日決めたら教えてね。美晴に言っておくから」
「お願い」
やっと、笑みを見せた秋吉にほっと胸を撫で下ろした。部屋の鍵が開いていたときの恐怖はまだ覚えている。
「何もなくて良かった。押し入られてるんじゃないかってヒヤヒヤしたよ」
「心配かけてごめんね」
「こういうときはごめんじゃなくて、ありがとうがうれしいな」
「時雨ちゃん、ありがとう」
「どういたしまして。よし! 安心したらお腹空いてきちゃった。あきちゃん、一緒に作ろう?」
秋吉に手を伸ばすと、すぐに握り返してくれるのが嬉しくて、ニヤニヤと緩んだ顔のまま時雨は手を繋いでキッチンに向かった。
久しぶりの穏やかな食卓。やっと吹っ切れた秋吉は顔色も良く、これから好転していく事態に時雨はわくわくと心を踊らせた。
「ねぇ、時雨ちゃんって結城くんの名前で呼んでたっけ?」
「え? ……あ、あぁ! あいつ、結構生意気でしょ? だから、呼び捨てでいいかなって思って……?」
自分でも苦しい言い訳だと認めざるを得ない。秋吉には彼自身の親衛隊があることも、時雨と美晴が隊長と副隊長であることも内緒なのだ。その辺りのことは今回のことが解決してからにしたかった。
「そう?」
「そうだよ」
納得したかは分からなかったが、秋吉はそれ以上言及する事は無く、時雨はほっと息を吐き出して箸を進めた。
次回、最終回となります。予定は金曜日深夜です。