シュレーディンガーの猫(Side 生徒会
「会長、そろそろじゃあないですか?」
椿は利春に向けて口を開いた。
「何がだ?」
「あなたはまだショーウィンドウに手を伸ばしてるだけだ」
そう言って椿は利春に手を伸ばした。触れそうに近付いたそれはもどかしさを感じさせる位置で止まった。
決して触れることはなく、しかし、確実にパーソナルスペースを侵害してくる。
利春は眉をひそめ、椿から離れた。途端に椿の手のひらは空を掻く。
「そう。この距離。意識せざるを得ない位置なのに、決して触れようとはしない。でも、離れた瞬間に名残惜しそうに手を伸ばされる。その繰り返し。秋吉くん、そろそろ愛想尽かすんじゃないんですか?」
「余計なお世話だ」
「早くしないと諦めちゃいますよ?」
「嫌いになるじゃなくてか……?」
「会長が自覚したのはつい最近でしょうけど、秋吉くんはそれよりも長く会長のことを想っていた。……そうですよね? 追いかけ続けるのって結構疲れるんですよ? 早く止めてあげないと走れなくなっちゃいます」
伸ばしていた手を引っ込め、窓の外に目を向けた。眼裏に浮かぶのは地元に残して来た恋人の姿。久しぶりに声が聞きたい、と椿は思った。
「実体験か?」
「……半分は」
あぁ、会いたい。
とっさに胸を突く思いを椿は呑み込んだ。
「大体、駆け引きとか難しいことを考えるからいけないんです。自分から告白しちゃえばいいじゃないですか。ダメなんですか? プライドですか?」
「……キャラじゃない」
「キャラじゃない! そんなくだらない理由で秋吉くんを生殺しにしてきたと! 秋吉くんを好きなあなたは『御影利春』であって『生徒会長』じゃない。分かってますか?」
椿は興奮して早口になる声を押さえることが出来なかった。
きっと、秋吉を自分の恋人に重ね合わせてしまったからだろう。椿と彼の恋人もまた、男同士で身分違いの恋だった。想いのベクトルは違えど似たもの同士ということだ。
「せっかく傍にいられるんですから、さっさとくっついていちゃいちゃしてください」
「いちゃいちゃって……」
「らぶらぶがお好みですか?」
「そういう問題ではない」
「なら無問題です」
気恥ずかしいのだろうか。頬を指先で掻く利春の視線は甘い。二人がくっついたのなら、存分にからかってやろうと椿は心に決めた。
「相手の気持ちなんて、あれこれ考えててもしょうがないでしょう。箱を開けてみない限り、猫がどうなっているかなんて誰にも分からないんですから」
「シュレーディンガーの猫か」
「ご名答。さすがは生徒会長、博識でいらっしゃる」
大袈裟な態度でお辞儀をしてみせれば、利春は呆れたように笑った。いつもの調子に戻ったことに安堵してやっと椿も心からの笑みを浮かべることができた。
さて、と振り返れば鉄心の頭が見える。
「鉄心くん、秋吉くんに発破はかかりましたか?」
純粋に疑問に思って聞いてみたというのに、この態度は何だろう。
慌てて顔を上げた鉄心は不用意にあちこちを触り、書類をばらまいた。
「何かやましいことでもあるんですか?」
「ちがっ、そ、そうじゃなくて……」
「平塚、」
利春が呼んだことで冷静さを取り戻したのか、脱力するように机に突っ伏した。
「舞華にはわんこ……、えっと時雨ちゃんの方を当たってもらったんだけど、時雨ちゃんはあっきーの気持ちを最優先するって。だから、やっぱりあっきー次第になっちゃった。ごめんなさい」
「ほら、やっぱり箱は開いてみなければ分からない」
「そうだな……。ともかく会わなきゃ始まんねぇか」
「そうですね」
鉄心はしゅんと肩を落とし、御影は腕を組んで暫し考え込んだ。選択肢はそう多くはない。お互いの立場を考慮しなければいけない点が唯一厄介な所か。
「呼ぶしかないか」
「会いに行かないんですか?」
「個人的に会いにいけば、あいつの立場が悪くなるだろう。でも、親衛隊としてなら、まだ顔を立てとける」
模範解答だろう。一般生徒であれば、さっさと会いに行って告ってしまえ、と焚きつけられたかもしれないが、片やみんなのアイドル生徒会長、片や上級生たちの目の上のたんこぶと見なされている親衛隊長。個人的な用向きで逢瀬をしたとなれば、秋吉に対する風向きをいたずらに強くするだけだ。
仕事にかこつけて呼ぶのは誉められたものではないかもしれないが、有効手段はこれしかない。
「それが、一番いいでしょうね」
「よし、そうとなれば明日、早速呼び出すぞ」
そう利春が宣言したときは、まさかこれが長期戦になるとは思っていなかった。
すみません。今日二つ上げます。