裏切りの旗と、燃える軍資金
木の根のスープで飢えを凌いでから二日後。 俺たち一行は、国境付近にある大きな渓谷、**「双竜橋」**の手前まで来ていた。 ここを渡れば、まだ帝国軍の手が及んでいない、我が国の東部戦線へと抜けられる。
「……見えたわ。守備隊の旗よ」
御者台のエリスが、安堵のため息を漏らした。 霧の向こうにある石造りの橋。その関所には、ルメリナ公国の「青い竜」の紋章旗が掲げられ、十数人の兵士が警備に当たっている。
「やっとかよ。これで野宿ともおさらばだな」
ゼグが伸びをする。 だが、俺は違和感を覚えていた。 商人の直感だ。「安すぎる商品は疑え」。
俺は目を細め、関所の兵士たちの装備を観察した。 鎧はルメリナ軍の正規兵のものだ。だが、新品すぎる。前線の泥や傷が全くない。 それに、彼らの腰にある剣の柄。あれは王都の近衛兵が使う高価な品だ。こんな辺境の関所にいるはずがない連中だ。
(……臭うな)
「エリスさん、止まってください」 「何よ? 味方の検問よ。さっさと通過して――」 「止まれッ!」
俺は強引に手綱を引いた。馬がいななき、馬車が急停止する。 エリスが琥珀色の瞳を吊り上げて俺を睨んだ。
「何をするの! 彼らに身分証を見せれば、すぐに東部軍の拠点まで護衛してもらえるわ」 「それが危ないと言ってるんです。……あの兵士たち、おかしいですよ」
俺は冷静に指摘した。
「装備が良すぎる。辺境の守備隊じゃない。あれは王都から来た連中だ」 「王都から? なら余計に安心じゃない。父様が援軍を――」
エリスの表情が明るくなる。だが、俺は冷水を浴びせた。
「今の王都は『降伏派』が握ってるんでしょう? 帝国に媚びを売る連中が、わざわざ抗戦派のアンタを助けに来ると思いますか?」
エリスは息を呑んだ。 彼女も薄々は勘付いていたはずだ。自分がなぜ、正規軍ではなく俺たちのような「掃き溜め部隊」を雇わなければならなかったのかを。
「……疑心暗鬼もそこまでいくと病気ね。私が確かめてくるわ」 「待って! 殺されますよ!」 「放しなさい! ルメリナの兵が、ルメリナの民を襲うはずがない!」
彼女は聞く耳を持たず、馬車を降りて歩き出してしまった。 頑固者め。認めたくないのだ。国を守るはずの剣が、自分に向けられているという現実を。
「……チッ。仕方ねぇ」
俺は舌打ちをし、懐に手を入れた。 今日分の能力はまだ使っていない。ここで使うしかない。 奴らの化けの皮を剥ぐための**「毒まんじゅう(賄賂)」**を。
「ゼグさん、ロッツォさん。臨戦態勢で待機。俺が合図したら、あの女を担いで全力で逃げてください」 「あぁ? どういうことだ」 「俺が今から、奴らの正体を暴きます」
俺は能力を発動し、走り出した。 エリスに追いつき、彼女の前に出る。
「どきなさいアルレン。私が話をつけるわ」 「いいえ。俺が行きます。……商人の『交渉』を見せてやりますよ」
俺はエリスを背後に隠し、関所の兵士たちへと歩み寄った。 兵士の一人――隊長格の男が、鋭い目つきで俺たちを見据え、剣の柄に手をかける。
「止まれ! 何者だ!」 「ご苦労様です。……『荷物』を届けに来ましたよ」
俺は卑屈な愛想笑いを浮かべながら、隊長だけに聞こえる小声で囁いた。 そして、握りしめた右手をそっと開き、彼の目の前にかざした。
そこに在るのは、100グラムの金属の塊。 鈍く、妖艶な輝きを放つ、【純金(24K)のインゴット】。
「――ッ!?」
隊長の目が釘付けになった。 もし彼らが真っ当な任務で来ているなら、「貴様、賄賂か!」と激昂するはずだ。 だが、彼は違った。 彼は瞬時に周囲を確認し、下卑た笑みを浮かべて声を潜めたのだ。
「……なんだ、宰相閣下の手の者か。手間をかけさせる」
ビンゴだ。 「宰相」。今の王都で降伏派を牛耳っている親玉の名前だ。 こいつらは国のためじゃない。金と出世のために動いている裏切り者だ。 俺は吐き気を抑え込み、笑顔のまま頷いた。
「ターゲットは後ろの女です。……橋の中央で、確実にやってください。報酬は弾みますから」 「了解した。通れ」
隊長が道を開けた。金塊をひったくるように受け取りながら。 俺は「感謝します」と敬礼し、踵を返してエリスの元へ戻った。
「……どうだったの? 通してくれるようだけど」
エリスが怪訝な顔をする。 俺は彼女の腕を掴み、耳元で早口に告げた。
「逃げますよ。合図したら走って」 「は? 何を言って――」 「あいつらは『降伏派』の私兵です。俺が金塊を見せたら、暗殺の依頼だと勘違いして通してくれた。……アンタを殺しに来たんですよ」
エリスの顔色が蒼白になった。
「そ、そんな……嘘よ……同じ国の人間が……」 「現実は小説より残酷なんですよ。……ゼグ!! やっちまえ!!」
俺は叫ぶと同時に、エリスの手を引いて走り出した。
「オラァアアア!!」
待機していたゼグが、岩陰から飛び出し、手近な大岩を関所へ投げ込んだ。 ドゴォォン!! 不意打ちを食らった兵士たちが吹き飛ぶ。
「なっ!? 貴様ら、騙したな!?」 「撃てッ! 殺せぇ!!」
正体を現した裏切り者たちが、ボウガンを一斉に構える。
「走れエリス! 馬車は捨てるぞ!」 「で、でも荷物が!」 「命より重い荷物なんてあるかよ!」
俺たちは馬車を置き去りにして藪の中へ飛び込んだ。 直後、雨のような矢が馬車に突き刺さり、ランタンの油に引火したのか、激しい炎が荷台を包み込んだ。
***
森の奥深く。追っ手を振り切った俺たちは、岩陰で肩で息をしていた。 エリスが膝をつき、絶望的な顔で燃え上がる煙の方角を見ている。
「……終わったわ」
俺は汗を拭いながら、彼女の襟元を見た。 全力疾走で服が乱れ、隠していたペンダントが飛び出している。 そこに刻まれた紋章――『双頭の竜と白百合』。
「……災難でしたね。まさか味方に殺されかけるとは」 「……いつから気づいていたの」
エリスが震える声で問う。
「さっきのペンダントですよ。商人のガキは、不敬罪を避けるために王家の紋章だけは必死で覚えるんです。……それに、あんな状況で兵士を『私の兵』なんて呼ぶのは、王族くらいなもんです」
エリスは観念したようにため息をついた。
「……そう。貴方には敵わないわね」
彼女は毅然と顔を上げ、俺を見据えた。
「ええ、私は第三王女エリス。……降伏派の売国奴どもから国を守るため、東部軍と合流しようとしていたのよ。これで満足?」 「満足じゃありませんよ。報酬が心配だ」
俺はわざとらしく肩をすくめた。 だが、エリスは真剣な目で首を横に振った。
「報酬なら……もう払えないわ」 「は?」 「あの馬車には、私が持ち出した**当面の活動資金(金貨500枚)と、唯一の武装である『白銀の甲冑』**が入っていたのよ」
場が凍りついた。 ゼグが口をあんぐりと開ける。 金貨500枚。東部軍と合流するまでの命綱が、今ごろ炎の中で溶けている。
「……嘘だろ?」 「本当よ。今の私は、剣一本とこの身一つ。正真正銘の無一文よ」
エリスが自嘲気味に呟く。 俺は天を仰いだ。 王女だとバレた上に、資金も装備もゼロ。 敵は帝国だけでなく、祖国の裏切り者たち。
「……最悪だ」
俺たちの貧乏くじは、どうやら国一番の大当たりだったらしい。 こうして、俺たちの「王女様を守る旅」は、**「四面楚歌の無一文サバイバル」**として幕を開けることになった。




