表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
百瓦戦記  作者: 呉羽錠


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/11

泥だらけの根菜と、姫様の空腹

山越えのルートに入って三日目。  事態は悪化の一途をたどっていた。


「……腐ってるな」


 休憩中、荷台の食料樽を覗き込んだゼグが、顔をしかめて鼻をつまんだ。  連日の湿気と暑さで、頼みの綱だった干し肉の一部にカビが生え、異臭を放っている。  保存食の管理不備。商人を名乗るエリスにしては初歩的なミスだが、彼女は戦闘のプロであって、兵站へいたんのプロではないということだ。


「おい依頼人。食い物がねぇぞ。この先どうすんだ」


 ゼグが不満げに声を上げる。  御者台のエリスは、顔色ひとつ変えずに答えた。


「あと二日もすれば次の村に着く。それまで耐えなさい」 「ハァ? 水だけで山越えしろってか? 無理に決まってんだろ!」 「武人ならば、数日の絶食など精神力でカバーできるはずよ。……文句があるなら、そこで野垂れ死になさい」


 取り付く島もない。  彼女自身、昨日からほとんど口にしていないはずだが、背筋を伸ばして虚勢を張っている。  だが、その手が微かに震えているのを俺は見逃さなかった。空腹による低血糖だ。


(……やれやれ。これだから精神論者は)


 俺はため息をつき、静かに隊列を離れて森の中へと入っていった。


「おいアルレン、どこへ行く? 逃げる気か?」 「小便ですよ。すぐ戻ります」


 俺は適当な嘘をつき、湿った腐葉土の上を歩き回る。  探しているのは、この地域の植生だ。  前世の知識に加え、転生してから商人の息子として商品を扱う中で覚えた「現地の植物学」。それが今、武器になる。


 数分後。俺は泥だらけになって戻ってきた。  両手には、ゴツゴツとした茶色の「木の根」のようなものを大量に抱えている。


「……何よ、それ」


 エリスが怪訝な顔で俺を見た。


「晩飯ですよ。この辺りには『イモの木』が自生してるんです。その根っこです」 「木の根? そんな泥だらけのゴミを食べる気?」


 彼女は信じられないものを見る目で俺を睨んだ。  確かに、見た目はただの泥ついた木片だ。貴族(……であろう彼女)の口に入れるものではない。


「ゴミじゃありません。立派な炭水化物です。……ゼグさん、鍋と水を! ロッツォさんは火を起こしてくれ!」


 俺は手早く指示を出し、ナイフで根の皮を剥き始めた。  中から白い果肉が現れる。  それを薄くスライスし、沸騰した湯に放り込む。ついでに道中で摘んでおいたノビル(野草)も加える。


 グツグツと煮える音。  やがて、質素だが温かみのある湯気が立ち上り始めた。


「へぇ、意外といい匂いじゃねぇか」


 ゼグが喉を鳴らす。  俺は煮上がったスープを木椀によそい、まずは班の連中に配った。  味付けは岩塩のみ。だが、飢えた体には染み渡る美味さだ。


「うめぇ! 芋だこれ! 腹にたまるぞ!」 「悪くないな。泥臭さも消えてる」


 仲間たちが貪るように食うのを見て、俺は最後の一杯を手に取り、エリスの元へ歩み寄った。


「……どうぞ。毒はありませんよ」


 俺が差し出すと、彼女はそっぽを向いた。


「いらないわ。雑草や木の根を食べるなんて、人のすることじゃない」 「そうですか。じゃあ俺が食べますね。……ああ、もったいない。こんなにホクホクして甘いのに」


 俺はわざとらしく湯気を彼女の方へ扇ぎながら、スープを啜った。  エリスの喉がゴクリと鳴る。  お腹の虫が、可愛らしい音を立てて鳴いた。


「っ……!」


 彼女は顔を真っ赤にして、スカートの裾を握りしめた。  限界だ。  俺は苦笑し、もう一度椀を差し出した。


「エリスさん。……『誇り』で腹は膨れませんが、『飯』を食えば誇りを守る力が湧きます。任務を達成したいなら、食ってください。これは商人からの提案じゃなく、護衛からの『お願い』です」


 彼女が倒れれば、俺たちも困る。  そういう理屈を添えてやる。  エリスはしばらく葛藤していたが、やがて引ったくるように椀を受け取った。


「……毒見役が大丈夫だと言うなら、食べてあげなくもないわ」


 憎まれ口を叩きながら、彼女は恐る恐るスープを口に運んだ。  一口。そして二口目。  彼女の表情が、驚きに変わる。


「……甘い」 「でしょう? 泥の中で育つからこそ、栄養を溜め込むんです」


 彼女は無言で、しかし猛烈な勢いでスープを飲み干した。  空になった椀を見つめる彼女の瞳から、険しい殺気が消え、年相応の少女の安らぎが浮かんでいた。


「……ふん。味は悪くなかったわ。褒めてあげる」 「どうも。代金は護衛料に含めておきますよ」


 俺が軽口を叩くと、彼女はフッと小さく笑った。  初めて見た、彼女の笑顔だった。


 その夜。  焚き火を囲みながら、セリナが俺に囁いた。


「やるじゃない、アルレン。あのアマを餌付けするなんて」 「人聞きの悪い。……ただの栄養補給ですよ」


 俺は肩をすくめた。  能力チートは使っていない。  使ったのは、泥だらけの知識と、少しの気遣いだけ。


 だが、俺は感じていた。  あの頑固な「騎士様」との距離が、100グラムの金塊を積むよりも、この一杯の泥スープで縮まったことを。


(……ま、悪くない夜だ)


 満たされた腹をさすりながら、俺は深い眠りについた。  翌日から始まるであろう、さらなるトラブルの予感を、今は忘れて。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ