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百瓦戦記  作者: 呉羽錠


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十八歳の誕生日は泥の中で

十八歳の誕生日は、家族に祝われて過ごすものだ。  温かいスープに、柔らかいパン。そして食後には、砂糖をまぶした焼き菓子があれば最高だ。


 だが、俺の現実は違った。


「総員、構えろ! 帝国軍の重装歩兵だ!」


 怒号と共に、冷たい泥が顔に跳ねる。  視界を埋め尽くすのは、鉛色の雨と、死体から立ち上る薄汚れた湯気。  鼻をつくのは、鉄錆と排泄物、そして腐りかけた肉の臭いが混じり合った、戦場特有の悪臭。  俺――アルレンがいるのは、ルメリナ公国の最前線、泥濘ぬかるみの塹壕の中だった。


(……最悪の誕生日だ)


 感覚のなくなった指先で、支給された粗末な槍を握りしめる。  俺は転生者だ。  前世は日本のしがない理系学生だったが、事故で死んでこの世界に生まれ変わった。  商家の三男としてそれなりに平和に暮らしていたはずが、隣接する帝国が侵略を開始。弱小国である我が国は、俺のような一般市民まで根こそぎ徴兵し、こうして捨て駒として前線に放り込んだのだ。


 この世界には、一つの絶対的なルールがある。  『十八歳になると、神から異能を授かる。ただし、使えるのは全人類平等に「一日一回」のみ』。


 今日がその十八歳の誕生日。  あと数分で日付が変わる。もし生き延びて能力に目覚めれば、一発逆転の可能性があるかもしれない。  だが、目の前に迫る死神は待ってくれそうになかった。


「ひ、ひぃッ! 来るな!」


 隣にいた同期の兵士が、恐怖でパニックを起こして塹壕を飛び出した。  直後、湿った肉を叩くような音が響く。  帝国の兵士が放ったボウガンの矢が、彼の眼球ごと脳を貫いていた。


「あ……が」


 彼は泥水の中に倒れ込み、ビクビクと数回痙攣して、ただの肉塊に変わった。  俺は息を殺し、まだ温かい死体の陰に身を隠す。心臓の音がうるさいほど響き、恐怖で吐き気がこみ上げる。


 その時だ。  頭の中に、無機質な鐘の音のようなものが響いた。


『――告。個体名アルレンの十八歳到達を確認』 『魂の特性をスキャン……完了。能力を発現します』


 来た。神の祝福ギフトだ!  俺は祈るような気持ちで、脳内に浮かんだステータスを確認する。  炎の魔法か? それとも無敵のバリアか? この地獄を吹き飛ばすような力を――!


【能力名:極小創造マイクロ・クリエイト】 【効果:任意の物質を生成する】 【制約:質量最大100グラム。生成後、1時間で完全消滅する】 【回数:1日1回】


「……は?」


 口の中に、苦い唾液が広がった。  なんだそれは。  100グラム? たったそれだけで何を作れと言うんだ。  水たまりの石ころ一個分にも満たない。剣も作れない。盾なんて以ての外だ。  しかも1時間で消える? そんな子供騙しのような力で、どうやって生き残れというのか。


(冗談だろ……。神様ってのはとんだサディストかよ)


 絶望に打ちひしがれる俺の視界に、巨大な影が差した。  見上げれば、全身を分厚い鋼鉄のプレートアーマーで覆った帝国の兵士が、塹壕の縁に立っていた。  身長は二メートル近いだろうか。兜のスリットの奥から、獲物を値踏みするような視線を感じる。  手には、脳漿のこびりついた巨大なメイス。


「おや、まだネズミが一匹残っていたか」


 敵兵がゆっくりと塹壕に降りてくる。  ズブリ、と重い足音が泥を深く踏み抜く。  圧倒的な質量差。まともに戦えば、俺の頭蓋骨など一撃で粉砕されるだろう。


(死ぬのか? こんなあやふやな能力を抱えたまま、意味もなく?)


 迫る鉄の塊。  だが、その冷たい金属の光沢を見た瞬間、俺の脳裏に前世の記憶が稲妻のように走った。


 100グラム。  確かに質量としては心許ない。物理的な打撃力は皆無だ。  だが――**「化学的」**な破壊力ならどうだ?


 雨は激しさを増し、俺たちの体を容赦なく濡らしている。  水。金属。そして、密閉された鎧。  条件は揃いすぎている。


 俺は槍を捨て、両手を挙げて降参のポーズを取った。  敵兵が兜の奥で鼻を鳴らす音が聞こえた。


「命乞いか? 悪いが捕虜を取るほど暇じゃなくてな」


 敵兵がメイスを振り上げる。死の風圧が肌を打つ。  その瞬間、俺は泥に足を取られたふりをして、敵兵の懐へと滑り込んだ。


「死ねェッ!」


 メイスが空を切り、泥水を跳ね上げる。  だが、それより一瞬早く。  俺の右手が、敵兵の首元――兜とゴルゲットのわずかな継ぎ目に触れていた。


(能力発動……創造ッ!)


 俺が脳内で組み上げたのは、銀白色に輝く柔らかい金属。  ナイフでも、石ころでもない。  この雨が支配する戦場において、最も凶悪な牙を剥く物質。


 純粋ナトリウムの塊。質量、限界いっぱいの100グラム。


 俺は生成されたその塊を、敵の鎧の隙間へ強引にねじ込み、泥を蹴って全力で背後へ転がった。


「あ? 何を――」


 敵兵がいぶかしげに首元の異物に触れようとした、その時。  鎧の隙間から入り込んだ雨水が、高純度のナトリウムに触れた。


 カッ!!


 夜の闇を裂く閃光。  直後、ドォンッ!! という鈍く、重たい破裂音が炸裂した。  水と反応したナトリウムが、水素爆発を引き起こしたのだ。


「が、あ、ガァアアアアアッ!?」


 それは、外から見るよりも遥かに凄惨な現象だったはずだ。  密閉された鎧の内側で起きた爆発は、衝撃と高熱の逃げ場を失い、すべてが敵兵の肉体へと向かった。


 首元の隙間から、シュウシュウと白煙と桃色の飛沫が吹き出す。  生成された強烈なアルカリ性の熱湯が、鎧の中で彼の皮膚をドロドロに溶かし、気道を焼き尽くしているのだ。


 敵兵はメイスを取り落とし、喉をかきむしりながら泥の上をのたうち回った。  鉄の鎧は、今は彼を蒸し焼きにする調理器具でしかない。


「あぐ、あ、ガッ、ヒュ……」


 数秒間、泥水を跳ね上げてのたうち回った後、敵兵はビクリと大きく痙攣し、動かなくなった。  鎧の隙間からは、まだ肉が焼ける嫌な臭いが漂っている。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 俺は泥まみれの顔を上げ、荒い息を吐く。  心臓が早鐘を打っている。  殺した。  剣も魔法も使わず、たった100グラムの金属片で、この鉄の塊を沈黙させた。


 俺は震える足で立ち上がり、動かなくなった敵兵を見下ろす。  雨水が鎧の中に流れ込み、残留したナトリウムはシュワシュワと音を立てて溶けていく。


(……あと一時間もすれば、凶器は完全に消滅する)


 誰かがこの死体を見つけたとしても、ただの爆死体か、魔法による攻撃だと思うだろう。  証拠は雨に流され、何も残らない。


 不意に、目の前が暗くなるほどの空腹感が胃袋を突き上げた。  能力を使った代償なのか、極度の緊張が解けた反動か、立っているだけで精一杯だ。


「……生きるんだ」


 俺は敵兵の死体から食料袋と剣を剥ぎ取ると、泥のついた干し肉をむさぼるように口に押し込んだ。  味なんてしない。だが、生きる力が湧いてくる。


 100グラム。1日1回。1時間で消滅。  この制約だらけの能力が、俺の唯一の武器だ。  俺は口元の泥を拭うと、死体で溢れかえる塹壕の闇へと消えた。

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